第十七章 10

(どういうつもりだ、あいつ……。いや、どういうつもりも無く、そういうつもりだな)


 タツヨシと並んで親しく歩く純子の後姿を睨みつけながら、真は胃が痛むほどの怒りを覚えていた。

 純子にその気が無いとわかっていても、それでも他の男と親しげに歩いているのが、嫌で嫌で仕方がない。少なくとも相手の男にはその気があるのとわかる。


(絶対に邪魔してやる。今回は人助けだから、あいつの邪魔しないでおこうかと思ったが、これは断じて邪魔する)


 しかしどのタイミングで邪魔するかが問題である。


(今出ていくのは駄目だな。相手の男だって、単純に雪岡に好意を抱いているだけでは、それでは有罪とはならない。雪岡にとっても、僕にとっても)


 今二人の間に割って入ったら、嫉妬に狂った男が邪魔しに入っただけという話になってしまう。少なくともタツヨシは何も悪事を働いていないし、それは純子も同様だ。


(そもそも僕はそんなキャラじゃないからな。ただ邪魔してやればいい。機会を見て――)


 そこまで考えた所で、尾行対象である二人が、一軒の家の中へと入っていった。


(その機会とやらは……どのタイミングで生じるんだ?)


 二人が入って行った家から少し離れた場所で、真は途方に暮れた。


***


 そんなわけで純子は、誘われるがままタツヨシについていき、徒歩で彼の自宅へと到着した。


(やたら近い距離だし、場所指定も最初からそのつもりだったわけじゃない)


 純子の後ろで、杏が呆れきった声で言う。


 タツヨシの家は一戸建てだった。庭は狭いが、普通の家だ。おそらくは4DKくらいと思われる。

 タツヨシの後をついていき、家の中へ上がる。中には人のいる気配がする。


「お、おいっ、何だっ? その子っ?」

「お邪魔しまんこー」


 玄関のすぐ横の居間にいた、タツヨシの父親と思しき五十代半ばくらいの中年男が、女連れで帰宅した息子に驚いた声をあげる。純子は愛想よく笑い、挨拶する。


「おっと、失礼しました。ていうか、君、未成年か? 辰好、どこで知り合ったんだ?」

「えーっと、私はこう見えても一応成人で……」


 不審がるタツヨシの父親に、純子が自分の身の上を明かそうとしたその時、タツヨシが荒い足取りで居間の中へと上がりこんで、父親の方へと向かって行き――


(えええっ!?)


 タツヨシのとった行動に、さしもの純子も仰天した。父親の顔を蹴り飛ばしたのだ。


(何、こいつ……)


 杏も唖然としている。家族というものに良い感情をもたぬ杏だが、それでも自分の家族に手をあげるような真似など、したことがなかった。しかも何の意味があって、突然こんなことをするのか、杏も純子も真剣に疑問に思う。それも、初めてリアルで会った異性の目の前で、だ。


「俺のやることに干渉するなって言ってるだろ。しかも客人の前で恥かかせる気かよ。それでも親か? ああっ!?」


 本人はドスの効いた声で凄んでいるつもりであるが、地声がやたら甲高いために、迫力は全く無い。逆に無理しているかのようで、滑稽であった。


「わ、わかった。すまなかった。お見苦しい所を見せて申し訳ない」

「ふんっ」


 息子に向かってぺこぺこと頭を下げる父親。それを見て侮蔑しきった様子で鼻を鳴らすタツヨシ。

 そして居間を出て、純子を見つめながらドヤ顔で笑う。


(ふふっ、驚いている。そして俺のこと尊敬している。家にきた時点で好感度マックスだったろうけど、今の俺の行動で、ジュンコの俺に対する好感度は限界点突破したはず。何しろ自分の親も蹴って言うこときかせられるような、凄い男であるって所を見せつけてやったからな。そんじょそこらの男じゃできない芸当だし、こいつは間違いなく惚れまくるさ)


 本気でそう信じて疑わないタツヨシであった。


(こいつ頭おかしいの? 純子、やっぱり引き返したほうがよくない?)

(私もずっと帰りたい気分だけど、ここまで来てってのも……)

(貴女も貴女ね……もう知らない)


 しきりに訴えるが、どうあっても実験台ゲットに執着する純子を見て、腹立たしそうに言ってそっぽを向く杏。


「ここが俺の部屋だよ」

「お邪魔しまんこー」


 純子が自室に入った瞬間、タツヨシの心臓が強烈な高鳴りを覚える。


(もう、これはオッケーってことだよな。そうだよな。いよいよ俺は、男になれるんだっ)


 興奮のあまり、頭に血の気が上がっているのがはっきりとわかる。


(いや、待て。待てよ俺。散々誓っただろ? もう二度と女に嫌われるような真似はしないってさ。もうあんな惨めな気持ちらはなりたくないだろ?)


 今の今までずっとリビドーに支配されていたタツヨシであったが、ここでまた、理性を取り戻す。


(我侭な振る舞いばかりして……空気読めなくて……それで嫌われて……もう散々懲りたはずだ。今度は性欲に突き動かされて、それで嫌われるのか……? これで最後のチャンスなのかもしれないんだぞ?)


「んー、どうしたのー?」


 部屋の入り口で佇んだまま動こうとせず、自問しているタツヨシの顔を、訝しげに覗き込む純子。


(ああ……何度見ても超可愛い……)


 そこでタツヨシの理性はぷっつりと切れた。


(もう好感度マックスどころか限界突破してるし、部屋にあがりこんだ時点で、拒絶するわけねーじゃん!)


 リビドーの悪魔が理性を粉みじんにし、タツヨシを行動へと駆り立てた。


「わわっ」


 覆いかぶさるようなタツヨシの動きに、わざとらしく声をあげる純子。かわそうと思えばかわすことはできたが、確実な事実が必要だ。


「えっと、そういうつもりは無いんだけどー」


 押し倒された格好で、自分に覆いかぶさって荒い息をつくタツヨシに、純子はあっさりとした口調で告げる。

 純子からしてみれば、これが最終確認のつもりであった。ここでタツヨシが理性を取り戻して引き下がるのなら、純子としても残念だがタツヨシの実験台としての確保は諦めるつもりだ。しかしその先に及ぶようであれば、純子の望む展開となる。


(何だよ……。そのつもりは無かったってのか? ここまで来て……そんな……)


 純子の思わぬ拒絶に、タツヨシは冷水をかけられたような気分になる。


(俺の思い違い……。いやっ、これは女の方がおかしいだろ! 相手の家まで来て、部屋まで来て、押し倒されて拒絶するなんて絶対に有りえん! たとえ嫌がっているのを強引にヤッても、それは俺の方に正当性がある! レイプ不成立! 訴えられても絶対無罪! いや、そんなことどうでもいい! こんな可愛い子と巡りあうことなんて、この先無いかもしれないし、セックスできる機会だって、二度と無いかもしれないっ! それを見過ごせるかってんだよお! うおおおおーっ!)


 理性も良識も自らの意志で、タツヨシはかなぐり捨てた。


 純子の警告を無視し、タツヨシは服を破ろうとしたが、服が異様に丈夫で、引っ張ってもびくともしない。


(よしっ……。これでこの人は実験台確定)


 レイプされかけている状況にも関わらず、その状況になった事をほくそ笑む純子。これで完全に望み通りの展開になった。後はこの男をはねのけて、気絶させて研究所に持ち運ぶだけでおしまい――と見ていたが。


「え?」

「おやー? 随分と腕太いしゴツいなー。筋肉ついてる」


 白衣の上から腕を撫でまわし、あげくわざわざ感想を口にするタツヨシに、純子は硬直した。


「うっぎゃああああっ! う、腕はやめてぇぇーっ!」

(えっ!?)


 突然悲鳴をあげ、思いっきり赤面してたじろぐ純子。悪い予感はしていたが、それにしてもあまりにも予想外な展開を目の当たりにして、驚く杏。演技をしているわけではない。本気で恥ずかしがっているものだとわかる。


「う、腕が性感帯なのか……そんな子もいるのか……。どれどれ……」

「そういうわけじゃっ、や、やめっ……」


 倒れた格好で両腕を押さえて、じたばたと暴れる純子に、さらに執拗に白衣の上から腕を撫で回すタツヨシ。

 普通に触れられただけではもちろんパニックなど起こさないが、性的な目的によって触れられていると意識してしまい、純子は恥ずかしさと混乱が極限状態となってしまっていた。さらに言えば、そういったことに全く不慣れということもある。


(これはヤバいかも……)


 杏は純子から離れ、家の外に待機している真を呼びに行った。

 呼びに行ったと言っても、真には杏の姿も見えないし、声も聞こえない。しかし常人よりは霊感の強い真なら、杏の呼びかけはおそらく届くと踏んだ。


(真、早くのりこんで助けに行って! まさかのピンチよ! いや、多分大丈夫だろうとは思うけど、それでもあんなの黙って見てられないわ)


 あのまま純子がなすすべなくヤラれてしまうということは有り得ないだろうが、あれ以上純子が猥褻行為をされるのを、黙って見ていたくもない杏であった。


 杏の呼びかけは、突然沸き起こった猛烈に嫌な予感という形で真に届いた。

 真は衝動的に家の中へと飛び込む。さっきの悲鳴も微かにではあるが、ちゃんと真の耳に届いていた。


「な、何ですかあんたは!?」


 タツヨシの父親に声をかけられるが無視して、部屋を片っ端から開ける。

 そして部屋の一つで、純子を押し倒した格好のタツヨシという光景を目の当たりにする。


 純子とタツヨシが真の姿を確認し、二人が何か口走る前に、真はタツヨシの顔面を容赦なく蹴り上げる。

 のけぞって倒れた所に、タツヨシの顔を足で踏みつける。

 頬骨が砕け、顎も砕けたうえに外れ、奥歯も前歯も数本へし折られて、両手で顔を必死にガードするタツヨシ。


「真君っ、やりすぎやりすぎ。もういいよ」


 真を後ろから羽交い絞めにして、タツヨシから引き剥がす純子。


「お前、一体何やってるんだ……」


 怒りを表情に露わにする真を見て、純子と杏は息を呑んだ。杏は初めてであるが、純子がこんな真を見るのは二度目だ。


「んー……ちょっと計算違いがあったというか……私のコンプレックスな部分を攻められるとは……心配かけてすまんこ」


 純子は珍しく申し訳なさそう顔で謝罪する。


「こいつにわざと襲わせて、お前に敵対行為を働いたという既成事実作って、実験台にする気だった。そうだよな?」

 真が冷めきった声で問う。


「それは……まあそういう狙いもあったけど、別にわざとじゃなくて、タツヨシ君が何もしなければ、もちろん私も何もするつもりは無かっ……」


 言葉途中に、真は純子の頬を平手ではたいた。

 全く力のこもっていない、速度も無い、痛くも無い、よれよれのビンタだった。かわすのも防ぐのも容易であったが、純子はかわそうとしなかった。

 何よりその力の無さに、純子は衝撃を受けていた。真がショックと悲しみのあまり脱力していたことが、わかってしまった。


「いくらなんでも……こんなことしてほしくない。自分の身を餌にして……こんなこと……」


 震える声で言うと、背を向けて部屋を出ようとする真。純子は珍しく罪悪感と決まりの悪さで、神妙な面持ちになっている。何と声をかけたらいいかもわからなかった。


「何なんだっ!? あんた達は! 警さぶふぅーっ!」


 部屋を出ようとした所で立ちはだかり、怒鳴るタツヨシの父親の顔面に、真は容赦の無い鉄拳をお見舞いする。親子揃って派手に顔面破壊し、歯も折られて倒される。


(落ち込むことないわよ、純子。あの子に愛されまくっていることを証明されたんだから、喜ぶべきところよ、ここわ。いいわねー。私もあれくらい愛されたかったわ。本っっっ当羨ましい。見せ付けてくれるよねー)


 忌々しげな口調で嫌味を口にしまくる杏であったが、真を傷つけてしまったことにより、罪悪感でいっぱいになっている純子は、がっくりとうなだれ、何も反応しない。

 ここまで落ち込んでいる純子を見るのは、守護霊になって以来初めてだった。杏は腹の虫が収まると同時に、少し気の毒に思う。そして自分が嫌味を口にしたことを後悔した。

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