第十七章 9
「ついにこの日がやってきてしまっし、しまった」
ナレーション風口調で呟いたが、途中で噛んでしまう純子であった。
最近新しく購入した車を駐車場に停め、溜息と共に呟いたが、しまらない結果となってしまう。
一体どこで手に入れたのか、二十一世後半において日本でほぼ見かけない古めかしいオート三輪から降りて、周囲の風景を見渡す。
はっきりと、田舎と呼べる町であった。緑が多く、駐車場の裏は段々畑になっている。道に車の通りも少ないし、家もまばらにぽつぽつとしか立っていない。
電車で来る事も考えたが、二時間に一本くらいしか通ってないという話なので、時間のロスを避けるために、久しぶりに自分で車を走らせてきた純子であった。
「今日はぶつけないで済んだねえ」
車体を一瞥し、安堵の溜息と共に呟く。一応運転が荒い自覚はある。
車の中で済ましておこうと思っていたが、気が乗らずにやらなかった事がある。純子はそれを意識して、今度は重い溜息をつく。
「ま、嫌がってても仕方ないし」
携帯電話を取り出し、顔の前に投影したディスプレイを指で弾いて文字をうちこみ、メールを送る。
すぐに返信は返ってきた。大量の顔文字つきで。
「き、気合い入ってるねえ……」
返信を見て、アンニュイな笑顔で呟く純子。
その時、オート三輪の荷台が軽く揺れたが、純子はこれからの遭遇を意識するあまり、全く気がつかない。
メールに書かれていた待ち合わせ場所へと向かう。道なりに歩いてそう遠くは無い場所にある、駄菓子屋が指定場所だ。
二十一世紀後半になってもなお、昔ながらの駄菓子屋はちゃんと存在している。レトロブームがちょくちょくあったおかげもあるが。
「待ったー?」
店内を覗き込もうとした所で、何者かが純子に声をかける。
声をかけた人物を見て、純子は引きそうになるのをぐっと堪えた。金色に染めた頭髪を整髪料で塗り固めまくってツンツン逆立てた、緑のジャージ姿の小柄な男が息を切らせ、笑顔を向けていた。
「こっちでははじめましてー。髪染めたんだねえ。しかも凄く立ってて……尖ってるし……」
一応前もって相手の顔も見て知っていたが、金髪にしたうえに、髪型をパンクヘアーもどきに変えてくるとは想像していなかった。
「ジュンコを驚かせようと思ってね。イメチェンしてみたんだ」
オススメ11内でタツヨシと名乗る男のリアル――川崎辰好が腰に両手をあてて、得意満面で答える。
「そっちは本当にあのゲームのキャラそのまんまなんだなあ。リアルで見て、改めて感激だよ」
顔、胸、脚、顔、脚、胸、脚、胸、脚、胸、脚、顔、胸、脚、胸、脚、顔、脚、胸、脚と、超高速でしきりに純子の体を盗み見しまくりながら、タツヨシは喜びを露わにする。
(ちょっと純子……こいつ……あなたのこといやらしい目で見まくってるんだけど……)
それを純子の後ろから逐一見ていた守護霊の杏が、おぞましさに身を震わせて、純子にだけ聞こえる声でそれを報告する。
(そうみたいだねー。ゲームの中でもずっとそうだったよー……)
諦めきった響きの肉声に出さぬ声で、純子は答えた。杏はゲームの中にまでは入ってこないので、ゲームの中でのタツヨシとのやり取りは一切知らない。
(電霊のシステムを解き明かしたら、杏ちゃんも電霊にして一緒にゲームしようか?)
(いや、いい……)
純子の誘いに対し、小さく首を横に振る杏。一応、純子が今日何のつもりでここに来たか、何者と会っているのかも、前もって杏に話してはいる。
「じゃあ駄菓子買おうか。奢るよ」
「え?」
「そのために駄菓子屋を待ち合わせ場所にしたんだぜ。女の子は、まず駄菓子屋に誘うのが俺ルールなんだ」
「そ、そうなんだ……じゃあ、これ……」
鼻息荒くバイタリティ溢れる様子のタツヨシに押し切られる形で、ボンタンアメを手に取る純子。
「一つだけでいいの? 奢るって言ってるんだから、もっと遠慮せずに取りなよ」
「あ、はいはい」
さらに促されるまま、ふ菓子とソーダ餅と五円チョコとラムネを取る。
「おー、ボンタン飴が大物だね。他は全て足しても百円にもならないぜ。あ、やっぱりカロリーとか考えているのかな?」
店員に支払いを済ませながら、上機嫌な口調でタツヨシが声をかける。
「んー、単に好みを取っただけだよー」
そう言って、にっこりといつもの屈託の無い笑みを見せる純子であったが――
(作り笑い上手ね。でも私にはわかる。いつもの自然な笑顔と微妙に違うのがね……)
純子の笑顔を見て、溜息混じりに呟く杏であった。
(よしよし、いい感じだ。ジュンコの好感度がめきめき上がっているのを、確かに感じるぜ)
その純子の、無理して作った笑顔を真に受けて、タツヨシは物凄い手応えを感じ取り、純子には見えない位置で拳を強く握り締める。
(いかん、いかん、浮かれるな)
慌てて自制をかけるタツヨシ。
ここに至るまで、もう絶対に嫌われないようにしようと、何度も心に誓ってきた。もう二度と惨めな想いは御免だと。これがラストチャンスだと。何度も自分に言い聞かせてきたのに、また調子にのって暴走して嫌われるのは御免だ。今、そうなりかけた気配を、タツヨシは自らに感じとった。
(しかし……)
ちらちらと純子の生脚を見るタツヨシ。ゲーム内では装備に隠れて脚は露出していなかったが、今はショートパンツのおかげで、形のいい白い太ももが露わになっていて、どうしても目がいってしまう。
(白衣はイミフだけど、この格好はすげージュンコに似合っているよな。うん、惚れ直したよ)
純子の視線が外れている隙をついて、体のあちこちを舐め回すように視線を這わせ、タツヨシはニヤニヤと笑う。
(これは絶対に逃したくない。お付き合いしたい。モノにしたい。触りたい。撫でたい。揉みたい。吸いたい。セックスしたい)
欲望が暴走しそうになるぎりぎりの所で何とか踏ん張るが、最早プラトニックな気持ちよりは、肉欲の方がはるかに上回っているタツヨシであった。
(よし、ここでもっと好感度を上げておく作戦だ。今日のうちに一気に関係を進めるぜ!)
ほとんどギャルゲーの攻略のノリで、タツヨシは歩きながら会話を切り出す。
「実は俺ニートなんだ」
「んん?」
脈絡の無い話を切り出すタツヨシに、純子は怪訝な顔をする。別にニートどうこうに何の感慨も無い。きっとそうだろうと思っていたので。
「職場でトラウマを負ってしまって、働くことが怖くなってしまってさ。まあニートと言っても、金は自分で稼いでいるし、一応それは働いていることになるから、完全にニートとも言い切れないけど。親族の風当たりは強いし、ニートになったおかげで友人とも絶縁状態さ」
この言葉は嘘ではない。ネットのオークションで転売をやって、最低限の小遣い稼ぎはしている。
「つまり俺、ネットの中ではともかく、リアルは底辺の弱者だったのさ」
何故タツヨシが突然そんな話をしだしたかというと、同情を引くつもりの作戦であった。それがうまくいくと信じ、全く疑っていなかった。相手が別の意味で引くとは考えてもいない。
純子は引くこともなかったが、特に同情するようなこともなかった。悲劇など腐るほど見てきたし、そもそも具体的にどんなことがあってトラウマになったのかも聞いてないので、同情もしづらい。
(よしっ、成功!)
しかしタツヨシは、同情を引く作戦はこれで成功したと確信した。この子は優しいからこれできっと、ますます自分に傾いたに違いないと。
「ふーん、じゃあ私も少しリアル事情明かしておくかなー」
純子が意味深な笑みをこぼす。
「実は私、見ての通りマッドサイエンティストなんだ。で、不老不死化もしてて、千年以上生きてるんだよー」
「は?」
「裏通りでは有名でねー、生ける伝説の一人って呼ばれるんだ。それどころか表通りでも、一部で都市伝説にされてるしねえ。雪岡純子っていう私の名前で調べれば、表通りの検索でもひっかかるよー?」
突拍子も無い話を語りだす純子に、タツヨシはぽかんと口を開ける。
(何それ? そういう冗談なのか? ネタなのか? それとも……まさかジュンコって、妄想エスカレートしているヤバい系? あるいはヤクでもやってる?)
相手の精神状態を疑いつつ、タツヨシはまた、純子の太ももへと視線を這わせる。
(いや! そんなの関係無いしどうでもいい! 別にヤバくても構わない。一向に構わん! 可愛ければ問題無い。セックスしたい。それだけでいいんだ!)
リビドーの前には、そのようなことは些細な問題であった。否、問題にすらならなかった。
(ねえ純子……いろいろとアレな時に、さらにアレなこと言わせてもらうけど……)
純子の後方に浮かぶ杏が、後ろを振り返ったままの状態で純子についていきながら、純子にだけ聴こえる声をかける。その表情は、サングラスの上からでもはっきりとわかるくらい、複雑な代物だった。ここに至るまでの間、教えようか教えまいかずっと迷っていた。
(真がいること、気がついてる? ずっと尾行してるよ? トラックの荷台に隠れてたみたい)
一応は守護霊なのだからと自分に言い聞かせ、報告する。しかしよく考えたら、普通守護霊は守っている対象と会話などしないし、黙っておいても良かったと思うし、次からこういうことがあっても、なるべく黙っていようと杏は決めた。
杏の報告を聞いて、純子の足が止まりかけた。表情も一瞬だが強張る。
(気がつかなかった……。ていうか、真君がそんなことするなんて想像もしてなかった)
(それくらい予想してしかるべきだけど、貴女ってそっち関係はとんでもなく鈍いのよね)
杏の報告を受けて、驚きながら意外そうに答える純子に、杏は嘆息する。
(今後の予想もたててあげる。これ絶対に、このキモ男が貴女にしつこく言い寄って、真がキレて途中で割り込んできて、このキモ男をブン殴っておしまいになるから)
(ま、まさか、そんなありきたりなドラマやマンガみたいな展開、無いでしょー……)
大真面目に言う杏に、頭の中で笑い飛ばそうとする純子ではあったが、本心では、その展開になりそうな気がしてならなかった。
「よし、俺の家に行こうか!」
元気のいい声で突然そう切り出すタツヨシに、純子と杏は同時に吹いた。
(こいつ……やる気満々じゃない……。しかも出会ったその日、大して時間も経ってないのに、こんなこと言うなんて……)
呆れまくる杏。
「行く行く」
しかし純子が笑顔で了承したので、タツヨシに呆然としていた杏が、唖然とした表情になって純子の顔を覗き込む。
(純子、この誘いに応じることの意味、わかってるの?)
(いくら私がそっち方面疎くても、そんくらいはわかるよ。でも、拒めばいいだけだし)
(それはそうだけど……)
ちらりと後ろを見る杏。真が電柱の陰に潜んでいて、おそらく今のタツヨシの声も聞き取っている。
(ものすごーく、嫌な予感がするんだよね、私。守護霊だからかな? 行かない方がいいよ。うん、これは守護霊としてのお告げだと思って)
真剣に純子の身を案じて忠告する杏。
(いや……でもここまで来てってのもね……。大丈夫。いざとなったら実力行使すればいいんだし)
その実力行使も含めたうえでの不吉な予感がした杏であったが、どうせ純子は言っても聞かないとわかっているので、諦めて見守ることにした。
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