第十七章 6

 タツヨシから逃げるようにしてログアウトした純子は、ネナベオージにキャラを切り替え、マキヒメに会いに行った。

 タツヨシとのやりとりにげんなりして、ネナベオージの姿でマキヒメと遊ぶことで、気晴らしをしようという目論見もあった。


(マキヒメちゃん発見、と。いつもインしてたあの子にしては珍しく、最近見かけないんだよねえ)


 純子がこのゲームを再開してから十日間くらいは、フレンドリストにマキヒメの名が無いほうが珍しいくらいだった。だが今は、いない事の方が多い。

 テルをして、直に会いに行っていいかと問うと、二つ返事で了承を得た。


 中心都市にある茶屋へと赴く二人。占有エリアの酒場でも借りてゆっくり話してもよかったが、何となく純子の今の気分は、他のプレイヤーの顔も拝める茶屋の方だった。そしてマキヒメもそうなのではないかと、純子は確認したわけでもないのに思い込んでいた。


「最近インしなくなっているが、どうしたんだい? 君は大抵毎日同じ時間にインしていたというのに」


 ネナベオージの指摘に、マキヒメの表情があからさまに曇る。


「おっと、触れてほしくない事だったらスルーしてくれ。悪かったとも言っておく」

「ううん。気にしてくれてありがとう」


 マキヒメがぎこちない笑みを浮かべる。


 明らかに様子のおかしいマキヒメ。深く干渉するつもりもないが、悩みを聞くくらいならできるし、ネナベオージのキャラとしては、こうした時に放っておくものではないと、純子は思う。

 純子にとってネナベオージというキャラは、ありきたりな理想の男性像の一つを演じている。いや、演じているつもりでいる。演じているキャラの一つであり、RPの形の一つであるが、それは確かに存在している一つの人物として、大事にもしている。

 だからこそ、そこから逸脱した振る舞いは決してしないし、それに沿った言動をとるよう、純子は努めている。


「悩みがあるなら聞くぞ。遠慮せず言ってくれ。受け止められるだけ受け止めよう」


 テーブルの上で手を組み、優雅な笑みと共に力強く優しい口調で言うネナベオージに、マキヒメはおかしくて笑みをこぼした。


 美形キャラを作るプレイヤーは多い。しかし作った美形キャラの仕草や表情までもが洗練されているプレイヤーは、そう多くは無い。しかもこのヴァーチャルリアリティにおいては、表情が感情と直結しているので、表情の出し方はリアルと微妙にかってが違う。にも関わらず、ネナベオージは仕草や表情の作り方までもが、実によく洗練されている。

 ネナベオージのそのあまりのキャラの作り方の上手さが、何故か今のマキヒメにはおかしく感じられた。


「ネナベオージは私と違って、辛い現実から逃避するニュアンスで、ネトゲしているって感じじゃないよね?」


 脈絡の無い言葉が、マキヒメの口から飛び出してくる。


「私、ネナベオージが戻ってきたのは、リアルで彼氏か旦那さんかと破局したんじゃないかって、そんな酷いこと考えていたんだ。それで、もしそうだとしたら、嬉しいなとすら思っていた。本当酷いよね、私。まあ私は……リアルの辛さを誤魔化すためのネトゲでもあるから、他人の幸福とか凄く妬ましいし、幸福な人間なんて別世界の存在だと思ってるし、その逆の人間こそ同志みたいな感覚がある。ネトゲにハマってる人は別の意味で同志と思ってるから、ネトゲにいる人は、皆リアルで不幸であれば、より固い絆の同志だと思えるんだ。ひどいでしょ? 私」


 そこまで言ったところで、マキヒメは顔を伏せ、視線を背けて表情も見せないようにした。きっと今自分はひどい顔をしていると思って。この顔も綺麗に作ってはあるが、表情までは上手く操作しきれない自覚はある。鏡で確かめたわけでなくてもわかる。きっと今の自分は醜い顔をしていると、決め込んでいる。


「私、昔も今も、ネナベオージと接してわかっていたんだ。貴方は私と同じように、哀しいことも苦しいことも知っている人なのに、私よりずっと強い人だってこと。私は弱かったから、今まで自分を束縛していたものから逃れられなかった」


 つい過去形を口にしてしまい、その事を突っこまれたらどうしようかと戸惑うマキヒメ。


「人は誰しも束縛されている部分があるし、束縛が無ければ人は生きていけないよ」


 優しい声音のまま、ネナベオージは語りだす。


「リアルの僕はね、何事にも束縛されるのが苦手な性分だよ。あらゆる事に対して、束縛される事を拒む。時間、仕事、人間関係、その他様々な束縛を嫌う。だが人は完全な自由など手に入れることは出来ないし、どこかで心が束縛されていないと駄目になってしまう生き物だ。僕はそれを知っている。だから僕は、自分で自分を縛る。自分の決めたルールでね。矛盾するようだが、人は常に何かに束縛されていてこそ、真の自由を得られる。自由の尊さを味わえる」

「私はそれから逃げたのが間違いだって言うの?」


 思わず顔をあげてネナベオージを睨みつけ、マキヒメは口走った。


「あんな世界にずっと縛られていた事のほうが正しかったっていうの? ずっと苦しんでいればよかったってこと?」

「君のリアルは知らないから、僕には何とも言いようが無いが、束縛から逃れることが必ずしも悪であるとか、そんな単純な話は無いと思うな」


 あくまで優雅な雰囲気を崩さずに述べるネナベオージに、マキヒメは興奮が冷める。


「僕だって逃げた事はある。それが悪かったと思う事もあるし、それで良かったと思う事もある。君が後悔しているのなら、あるいは心残りがあるのなら、それは悪い事なのかもしれないな」

「後悔はしてない……ただ……」


 ただ怖いだけ――と、声には出さずに付け加えるマキヒメ。


「ネナベオージ……ごめんね。変な話をしたり、あたったりして。でもちょっとすっきりした」


 例え抽象的かつ部分的であっても、誰かの前で吐き出せて、少しだけ楽になった。そしてネナベオージが、こんなおかしな自分に付き合ってくれた事に、恥ずかしくもあり、感謝の気持ちでいっぱいでもあった。


(何より、ネナベオージと話せたのが嬉しかったし、良かったと思う)


 そう思ったが、それを口にすることはさすがに憚られる。


「ネトゲの中で、リアルの素性も知らない者同士が、こんなこと真剣に話しあってるとか、ネトゲしたことない人はきっと馬鹿にするんだろうね」

「何かを思い切って実行した者。あるいはしようとする者。それに対して、自分が間違っているか否かと迷うことも、不安と公開の狭間で苦しむことも、誰だって経験はある。ネトゲかどうかという問題ではなく、本質はその部分だ。違うか?」


 はっきりとした内容を喋ることの無いマキヒメの話に、ネナベオージもうまいこと抽象的な領域で合わして付き合い続ける。


「そうね。そうはっきりと言えるネトゲオージって、凄いと思う。男らしい」

「リアルの僕は女だし、ネナベオージは僕がRPしている存在だ。演じているキャラだ。嘘の自分――偽りのキャラクターと人は見るかもしれない。でも僕は確かにここにいる」


 最後の一言に、マキヒメはドキッとした。


(そう……紛い物なんかじゃない。確かに目の前にいる。それは事実で、誰にも否定できないはずなのに……)


 リアルにおいてマキヒメは、常に自分が否定された存在であるという意識があった。故に、ゲームの中の自分も紛い物で否定される存在だという意識が、つきまとっていた。


(でもネナベオージは、こんなにも力強く自分を肯定している)


 ネナベオージに対して、自分が今まで以上に強く惹かれている事を、マキヒメは意識する。


「本当に男の人だったらよかったのに」


 つい口に出して言ってしまったマキヒメ。中の人が女だとはわかっているが、そう思わずにはいられない。


「ありがとう。私なんかのイミフな愚痴に付き合ってくれて」

「フッ、いいんだ。僕も少ししんどいことがあって、気の許せる誰かと話したかった所だ」


 そのしんどいことが何であるかは、断じて口にできない。かつてマキヒメに辛い目を合わせた男を誘惑して引っ掛けようとしているなどと、言えるはずもない。

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