第十六章 1

 ドリームバンドは、頭に装着した人間の脳に電磁波を浴びせて脳に影響を及ぼし、現実さながらのヴァーチャル世界へとトリップさせる装置である。そして被った人間の脳波を受け取り、電脳空間での彼等の行動へと即座に投影することができる。

 主にゲーム目的で用いられる装置であるが、精神障害者の治療や、違法ドラッグとしての利用法もある。後者に関しては違法ドラッグ組織が管理している。また、危険な改造をされたドリームバンドは、人間の潜在能力を過剰に引き出す事も可能だ。


 かつて純子もドリームバンドによる人間改造を幾度か試したが、重度の副作用が決して避けられないという事がわかり、まだ薬物投与の方がマシであるとして、純子の頭の中からはドリームバンドを用いた実験という選択は消去された。


 また、純子は過去にドリームバンドを用いてのネットゲームにもハマっていた。オススメ11という名のMMORPGだ。

 ヴァーチャルトリップ型のネットゲームとしては、かなり早い段階でサービスが開始されたゲームであり、かつては隆盛を極めたが、年月の経過と、開発陣の迷走に次ぐ迷走により、やがて人は離れていき、採算が取れないとして、バージョンアップの打ち切りが決定されたのである。


 ネットゲームはバージョンアップによって、ゲーム内容に新たな更新がなされる。変化が起こり、同じゲームで新しい遊びを続けることができる。

 故に、バージョンアップの無くなったネットゲームを続けるなど、死体で遊ぶようなものだと感じとった純子は、その時点でオススメ11から身を引いた。実は他にももう一つ理由があったが、そのもう一つの理由は別のものへと変化した。対等の恋人同士の付き合いから、師弟兼主従の関係へと。


 今でも思い出すことはたまにあるが、戻りたいとは露ほども思わない。また、その後どうなったかもあまり興味が無いし、調べようとすらしなかった。バージョンアップが終了して、ただ淡々と時間の経過だけがある末期のネトゲとなっているのは、間違いない。純子の中では完全に終わったものだ。

 そんなオススメ11の運営会社『屑工二』から、メールが届いているのを見て、純子は二重の意味で驚くことになる。


『夢じゃない! オススメ11は数年ぶりの大規模バージョンアップが行われ、様々なコンテンツが追加、調整が行われることになりました! さらには期間限定の史上最大イベント、『謎の超巨大生物マラソン』を開催! これを見逃すな!』


 まず驚きの理由の一つは、メールに書かれていた煽り文句を見たからだ。


 このネットゲームのバージョンアップが終了したのは、人口減少で人件費他の採算が取れず、スタッフも機材も大幅カットしたが故だ。

 しかしそれでもサービス終了には至らず、何も追加されないまま、開発は打ち切られながらも、時折調整も行いつつ、たまに新規装備などもバラまきながら、細々と運営だけは行われてきた。

 それなのにまたバージョンアップをするというのは、どういうことなのか? 本格的に終了する前触れか? いや、それならば完全終了するとも、ちゃんと宣言されるだろう。


 驚いたもう一つの理由は、メールを開いた瞬間、霊気を感じとったからである。別にメールに霊気が宿るのは、不思議なことではない。霊魂は万物に宿る。また、その残り香も。これは後者――霊の残り香だ。しかも相当強い代物だ。


「明らかに、私に意識が向けられているね。メールに便乗して、受け取った私に信号を送っている」


 口元に手をあて、純子が興味深そうに呟く。


 実験台志願者が幽霊だったこともかつて何度かある。その中には、ネットを通じてメールを送ってきた者もいた。しかしこれは、自動的に送られるBOTに、霊気をあてることで意識を向けさせるという、非常に遠回りな方法だ。

 相手に何らかの事情があって、そういう方法を取るしかなかったのだと思われるが、純子の好奇心を刺激するには十分だった。


 純子はあるサイトを開く。『電霊こっくりさん』と名づけられたそのサイトは、こっくりさんさながらに、平仮名で五十音が並び、上に描かれた鳥居の横にはいといいえ、下には漢字で数字が並んでいた。


 最下部には、他サイトのアドレスをペーストするか、参照ファイルをアップロードすることができるようになっており、純子はそこに、今きたメールをアップロードした。

 サイトの画面に五円玉と指のアイコンが出現し、高速で動いていく。アイコンの動きに合わせて、下のスペースに文章が現れる。


「つまり電霊でビンゴってわけね」


 呟く純子。このサイトは、電脳空間に迷い込んだ霊――『電霊』のメッセージを読み取るサイトであり、ここにうちこんだサイトのアドレスや、アップロードしたファイルが反応するということは、電霊が宿っているという事に相違無い。


『私の名は三浦明日香。かつてはオススメ11のプレイヤーの一人。今は電霊として、オススメ11のサーバーの中に捕らわれている。オススメ11の中から検索し、今の恐るべき事態を打開する可能性のある人物を探している。かつてオススメ11のプレイヤーであり、なおかつ運営会社の屑工二の送ったメール全てに込めた私の霊気に、反応してくれた人がいたら、オススメ11のピンク鯖にログインされたし。そして指定の場所で、以下のモーション四種類を順番に四回繰り返すことで、サインと見なす。時間はかかるが必ず会いに行くので、そのまま待っていてほしい』


 現れた文章の内容は、純子の好奇心をさらにかきたてるものであった。


(ようするに私を指定して送ったわけではなく、会社から全ての元オススメ11プレイヤーに送られたメールに便乗して、無差別にメッセージを放っていたってわけかー。ピンク鯖って、丁度私が遊んでいた鯖だねえ)


 純子は納得した。電霊によってはメールそのものをうつことができる者もいるが、この電霊にはそれができないようだ。信号を出すのが精一杯だったのだろう。


(じゃ、お誘い通り入ってみようかなー。念のためメインキャラで入るのは避けて、倉庫キャラでね)


 物置を開けて、何年も使わなかったドリームバンドを引っ張り出し、アクセスする。


(あれ? バージョンアップがあるよ。無くなったわけじゃ……。ああ、細かいメンテナンスや、装備品の追加やジョブ調整はあるって言ってたっけ)


 突然ゲームのバージョンアップが始まって一瞬戸惑いつつも、すぐに理解する。


「ふー、五年ぶり」


 二頭身の幼児体型の男性キャラで、電脳世界へとトリップログインを果たす純子。見た目が幼児そのものにしか見えないこの種族は、『糞喰陰険小人』という名の種族で、文字通り糞が大好物という気色悪い設定であり、忌避するプレイヤーも多いが、その気色悪さを気に入って使う者もいる。

 これは純子のメインキャラではない。オススメ11のプレイヤー間では『倉庫』と呼ばれている、育ててはいないキャラクターだ。主にメインキャラでは持ちきれないアイテムを預ける目的で作られるために、そういう呼び名で通っている。


 指定された場所に赴く。MMOの中には腐るほどある、誰も来ないような忘れ去られた場所。崖の下の草原。重要なNPCがいるわけでもなく、通り道でもなく、美味しい敵がいるわけでもなく、景色が良いわけでもない場所。

 しかし仮想現実の電脳世界は、そんな誰にも注目されない場所とて、しっかりと作りこんである。素材のコピーペストの類も混ぜられているであろうが、それを感じさせないリアルな作りだ。崖の露出した土壁も、草原の草も、草むらにいるバッタや蝶も、空を飛ぶ鳥も、何らリアルと変わらない。

 これら全てが直接脳に電磁波で見せられている紛い物であるということは、改めて考えれば凄いことだと、久しぶりにログインした純子は思う。

 猿が転がしてくる樽を、イタリア髭親父がかわして坂を上に登っていくゲームが、純子が最初にやった電子ゲームだった。そんな大昔からゲームの歴史と進化をずっと見続け、遊び続けてきた純子からすると、感慨深いものがある。


 指定された動作を指定された順番に、指定された回数、純子は繰り返してみる。慌てる、小馬鹿にする、股間を掻く、道に落ちているものを拾い食いする、この四種類だ。


 十五分ほど経過したが、変化は無い。時間の経過が必要とは書かれていたが、ただ待つのも芸が無いので、純子は待ちながら、オススメ11を辞めてからの五年間の変化を調べていた。一応ジョブ調整と装備品の追加はあったので、大型のバージョンアップこそ無いものの、変化が全く無いわけではない。


 検索して真っ先に、ある噂が蔓延していることを純子は知る。純子がかつてプレイしていたこのピンク鯖にて、多くの電霊プレイヤーが存在しているというのだ。彼等は自らの意志が無く、まるで死霊使いに付き従うゾンビの如く、一部の廃プレイヤーに従って動いているという。


 二十分経ってからようやく、メッセージの発信者が現れた。


「へえ、ゲームの中でもちゃんと霊として浮かび上がるんだねえ」


 興味深そうに呟き、純子は微笑む。目の前に現れた女性からは、確かに霊気を感じ取った。電霊自体を見るのは初めてではないが、電脳空間の中で御目にかかるのは初めてだ。


「私のメッセージを受け取ったということは、貴女は霊媒師さんですか?」


 まだ二十代前半と思しき電霊が、純子に尋ねる。

 彼女の服装はリアルのそれだ。この空間に現れてなお、このゲーム世界のプログラムを介してはいない存在であるのだろうと、純子は判断した。直接メールを送ることもできなかったのもそういうことだ。何かを見ること、相手に姿を見せること、喋ること、憑依することはできるであろうが、それ以上のことはできないのだろうと。


「違うよー。私は雪岡純子っていう名前の、裏通りではちょっと名の知れたマッドサイエンティストだよ。検索はできる? もしできるならやってみてー」


 喋ってからしまったと思った。今は男性キャラなのだ。純子は所謂なりきりRP(ロールプレイング)をする。使用キャラになりきって口調も変えるために、これはいただけない。しかし倉庫キャラでのRPなど今までしたことがないし、このキャラでどんな喋り方をすればいいかまでは考えてない。


「検索しました。ちょっとどころではない有名人ですね。でも……こんなに凄い人が来てくれたのは心強いです。どうか助けてください」

「いいけど、私の力を借りるっていうことは、私の実験台になるってことは、わかってるー?」

「はい、それでも結構なので、是非お願いします」


 純子に確認に対し、電霊は強い決意を込めた顔と口調で言った。

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