第十五章 25

 それがただの悪夢で済んでくれれば、どれだけよいことか。


 俺の目の前で、ほのかが犬のような格好で這い蹲っている。口にはギャグボールが嵌められて、手足は黒革の拘束具で繋がれて、身動きはできない状態。

 その後ろから、下卑た笑いを浮かべ、ブヨブヨに垂れ下がった醜い脂肪を震わせて、へこへこと腰を振る狒々爺の姿。


「――っ!」


 声にならない叫び声をあげる俺。諦めきった哀しい目で俺を見るほのか。

 小金井の目的がこれなのだから、俺達を助けるために、自ら犠牲となって赴いたほのかがこうなるのは、わかりきったことだ。


「何喚いてるんだよ」

 シルヴィアが後部席から俺の顔を手で軽くパシパシと叩いて起こす。


「随分と悪い夢を見ていたようですな」


 隣の髭面初老のタクシードライバーが軽口を叩く。そうだ、闇タクシーで移動中に、寝ちまったんだ。

 俺達三人は、オーマイレイプの調査で小金井の居場所を割り出し、そこに闇タクシーで向かっている最中だった。


「どんな夢だよ」

「ほのかが小金井の爺に犯されている夢だ」


 シルヴィアの質問に、俺は正直に答えてやった。


「夢じゃないだろうがな。今頃そうなっている」

「その爺とやらはお前に殺させてやるが、その後でしっかりとほのかを支えてやってくれよ。お前、ほのかの恋人なんだよな?」


 シルヴィアのさらなる問いに、今度は答えられない俺だった。


「んー、ほのかちゃんを無理矢理Hするとか、無理じゃないかなあ。だってあの子に付与した能力は、ああいう代物だし。ま、そういうピンチになるかもしれないってことも視野に入れて、ああいう能力を付与したんだからねー」


 と、純子。言われてみれば……あいつは自分の体を酸性の肉液に変形して、相手を溶かすことができるわけだから、睡眠薬でも飲ませない限り、強姦なんて無理のある話だな。

 純子の言葉に、胸を撫で下ろしかけた俺だが――


「純子からほのかがどういう改造されたかは聞いた。貞操の危険は無いだろうが、命の危険はあるだろうさ」


 シルヴィアに指摘され、俺は冷水を浴びせられた気分になる。冷静に考えれば確かにそうだ。組み敷こうとした小金井をほのかが溶かして殺したとしても、ほのかがその後無事に脱出できる保障も無い。

 むしろ命を守るためなら、大人しく爺に犯されていた方がいいくらいだ。そしてほのかもそれに気がついていたとしたら、悪夢が現実になってもおかしくない。


 それらも状況次第である。ほのかが捕らわれている場所から脱出できると判断すれば、抵抗するだろうが、それができないと判断したら……それでも抵抗して相手を殺してほのかも殺されるか、あるいは大人しく小金井の玩具にされるか。

 いずれにしても安心はできないってことか。糞っ。


「命の心配もそれほどしなくていいよ。ほのかちゃんをさらったのが放たれ小象のボスなら、力をうまく使えば無事に脱出できるはずだよ」


 純子がわけのわからんことを言ってくる。


「命の危険があると言った矢先だが、ほのかは電波っぽいけどあれで中々機転が利くし、行動力もあるからな。うまいこと切り抜けてくると信じよう」


 と、シルヴィア。いや、全然安心できねーよ。


「とはいえ、あいつも不器用っていうか、上手には生きられない一面てのもある。あいつ、自分が狙われていることを全然俺達に言わなかったんだ。俺達が気付くのも遅すぎたし、間抜けな話だがな」


 ほのかのことをよく知るシルヴィアが、溜息混じりに言う。


「シルヴィアちゃんは何のかんの言って長いものに巻かれるタイプだし、いろいろ打算的だからねえ」

 からかうような口調で言う純子。


「まーな。損得勘定ばかり考えてるとか、組織の中でもよく言われているし、ミルクや杏に揶揄されて喧嘩になったこともあるよ。つーか杏とは喧嘩ばかりだったな。その度に奈々や麗魅を板ばさみにしていたのも、もう懐かしいぜ。まあ、ほのかは俺とは正反対なタイプだから、危なっかしい面もあるって話だ。おまけに俺達オーマイレイプと、過去いろいろ衝突している純子の所で改造されるわ、俺が当主を務める銀嵐館の顔に泥を塗った葉山まで出てくるわ、ダブル因縁だ。てなわけで、しばらく一緒に行動させてもらうぜ」


 シルヴィアが歯を見せてワイルドな笑みを浮かべているのが、バックミラーに映る。黙っていればお人形のような愛らしい顔をしているのに、表情を見せるとそのイメージを裏切るミスマッチさが、この娘の独特の魅力という印象を受けた。


「強力な助っ人が二人も加わってくれたのは心強い」

 社交辞令ではなく、本当にそう思う。


 思わぬ強力な助っ人を得たという感じだが、それでもあの蛆虫男――葉山にどれだけ通じるかわからない。奴の戦闘力はそれだけ圧倒的だった。俺が今まで見た中では、間違いなく最強だ。

 奴の人間とは思えぬ動きが、まだ鮮明に脳裏に焼きついている。恐怖が蘇り、体が震えそうになる。だがそれを上回る感情が、恐怖が噴き出そうになるのを抑えている。

 その感情が何であるか、言葉にはしたくない。一つの感情ですらない。複数の感情。そいつらが今俺の中で、深く渦巻き、静かに燃えている。


 おっさん――殺された仲間達のことを思い出す。だが、おっさんのことはなるべく考えないようにしている。おっさんの性格を考えると、今おっさんのことを思い出して悲しむのは、おっさんは望まない。それよりも、ほのかを助けることを考えないと。

 ていうか実際俺の気持ちも、おっさんの死を哀しむより、ほのかへの気持ちの方が強くなっちまってるわ。だからあんな夢を見たんだろ。ざまーみろ、おっさんめ。あんたが俺にあの娘を引き合わせたのが悪いんだからな。


「これから行く場所に、あの蛆虫男――葉山もいると思うか?」

「いないよ」


 俺の質問に、シルヴィアが即答した。


「確認済みだ。葉山は立川という幹部と共に行動している。小金井とはまた別行動だ。ほのかと一緒にいるようだが、ほのかが小金井の元についたのも、四時間前だってよ。小金井も安楽市を離れて薬仏市までいって、あちこちの組織に取り入ろうとしていたみたいだ。抗争中の組織が交渉を求めてきたってことで、安く見られているようだがね」

「すげえな……そんな事まで調べがついてるのかよ」


 流石は世界最高峰の情報組織だ。

 しかし四時間もほのかと共にいるってことは……結構ヤバそうだ。


「しかしその葉山が小金井の元に向かわないとも限らない。今、動きは見受けられないけどな」


 だからこそシルヴィアだけではなく、純子もついてきているってわけか。

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