第十五章 24

 目が覚めると朝だった。

 肉体の再生に体のエネルギーを費やし、消耗しまくって、ずっと深い昏睡状態にあったのがわかる。

 俺は事務所の奥の休憩室の布団に寝かされていた。


 起き上がり、リビングに行くと、血の跡や弾痕はあったが、それでも部屋は大分綺麗に片付けられていた。死体も無い。

 構成員の半分以上は生き残っていた。何人かは殺されたが、気絶させられただけで済んだ奴の方が多かった。日野も生き残っていて、後始末をしたようだ。


 しかしおっさんは殺されてしまった。

 ほのかは連れて行かれた。きっともうあの狒々爺の玩具にされてしまっただろう。いや、今まさに進行形で弄ばれているかもしれない。そう思うと気が狂いそうになる。


 あいつは……あの蛆虫男は絶対許せねえ。小金井も許せねえ。おっさんや仲間を殺したことももちろん許せないが、それよりも許せないのは、よりによって、ほのかの父親をほのかが見ている前で殺しやがったことだ。断じて許せねえ。

 だがそれより自分が許せねえ。

 自分の無力さが情けなく、悔しい。俺はまた守れなかった。いや、これこそ神様の悪意の賜物だ。力を得たのに、さらに強い力を持つ者を引き寄せて、俺にまた無力感を味合わせる。俺からまた奪っていく。畜生、神様死ねよ。


 何なんだこれ……いつも俺はこうだ。何年も続いた平穏も、やっぱりこういう形で失われた。


「もう起きて平気なのか?」


 憔悴しきった表情の日野が声をかけてきた。俺は無言のまま、立ち尽くしていた。


「終わったな。全部」


 絶望の言葉を吐く日野。しかし俺はこいつに腹を立てることも無い。日野は――事実を口にしているだけだ。


「今まで楽しかったよ。ボスは……稲城さんは最高のボスだった。この組織も最高だった。残念だよ」


 過去形にしてふざけたことをぬかす日野に、俺は何故か微笑がこぼれ落ちた。何でだろう。これは自嘲しているのか?


「組織は崩壊したわけじゃない。あんたもいるし、俺もいる。何人か生き残っている」

 全く覇気に欠けた声で俺が言う。


「それとも、おっさんがいなければやる気が出ないか? 全部放り出すか?」


 俺が日野に問う。正直言うと、俺はもう全部放り出したい気分だ。しかし――


「俺は嫌だぜ。俺はまだ生きている。生きている限り、このまま終わらせたくはない」


 性根の腐った神様は、俺がなおも足掻く姿を見て、手を叩いてゲラゲラと笑っていることだろう。そして大喜びで、また俺を絶望の奈落へと突き落とすだろう。

 だが俺はなおも這い上がる。神様が飽きるまで? いや、神様が恐れるまでだ。何度でも這い上がる。俺を殺したその時が、神様の敗北だ。これはそういう根競べだ。

 そして俺は神様に殺される気もない。神様が本気で俺を殺しにかかっても、それでもなお抗ってやる。運命の計算すら狂わせてやる。生き続け、戦い続けてやる。


「ほのかを助けだしに――」

 言葉途中にベルが鳴った。


「また警察かな? 事情聴取は済ませたが……」

 言いながら日野がインターホンを取る。


『遼二君に会いたいんだけどー』


 聞き覚えのある声。純子だ。俺は日野に通すよう促す。


 現れたのは純子だけではなかった。もう一人同伴者がいた。どこかで見た覚えがあるような無いような、ハイティーンの少女。

 プラチナブロンドを後ろ髪だけ細く束ねて、腰まで伸ばしている。水色の瞳に白い肌と、見た目は完全に白人だ。純子よりさらにつり上がった切れ長の目は、ちょっとキツい印象がある。スレンダーな体型の美少女だ。

 どこかのお嬢様のようなお上品な服装をしているが、背負った長い筒は、間違いなく銃が入っていると思われる。入れ物の形状や大きさからいって、拳銃ではなく、ライフルやマシンガンの類だろう。裏通りでは珍しい。

 こいつ……只者じゃないな。相当な強者と見た。敵意は無いようだが……何者だ? そして見覚えがあるような気がするのは、ネット上で顔が出回っているほどの有名人てことか? 誰かだかは思い出せないが。


「始めましてだな。俺はシルヴィア丹下だ。名前くらいは知ってるか?」


 無骨な物言いで一人称俺の美少女は自己紹介する。声はかなり高い。そしてその名は当然知っているし、ここにこの人物が来た理由もわかった気がした。


 シルヴィア丹下――銀嵐館当主にして、オーマイレイプ最高幹部の一人。つまりほのかの上司にあたる。

 銀嵐館は代々護衛を専業としている一族だ。ただの護衛ではなく、襲撃者が現れた際は、その襲撃者の殺害をも兼任するため、銀嵐館の護衛が依頼されているというだけで、迂闊に手がだせない状態になる。


「ほのかを助けに来たんだが、一足遅かったか。ったく、あいつは……。俺達の手を借りずに、ケリつけようとか、新参のくせに粋がりやがって」


 外人特有の高い声で、忌々しげに吐き捨てるシルヴィアだったが、本気でほのかのことも案じているようだった。


「すまない……。守れなかった」

「仕方無い。相手が悪すぎた。俺も昔、あいつにしてやられたんだ。以来俺は、ずっと奴を追っている」

「私は二回もやられちゃったよー。いや、一回は撃退したけどね。まさかよりによって葉山さんを雇ってくるとはねえ」


 俺が頭を下げると、シルヴィアと純子が続けざまに言った。二人共、あいつが何者か知っていて、しかも因縁があるようだ。


「何者なんだ? あいつは」

「葉山っていう殺し屋だ。最近まではあまり名も知られていなかったが、最近になって結構認知されてきた」


 シルヴィアが答える。そう言われても俺は知らない名だった。あとで調べてみよう。

 いや……思い出した。樋口麗魅とのウォンバットでの会話。シルヴィアと共に追っているという殺し屋の話。自分を蛆虫だと言う男。まさにあいつじゃないか。


「ほのかは俺と純子で救い出す。葉山もブチ殺す。お前も来るか?」

「当然だ。ていうか、純子もか?」


 シルヴィアの言葉を聞き、俺は純子に怪訝な眼差しを向ける。こいつは基本中立で、俺とほのか、それに改造された放たれ小象のマウス共が殺しあうのを見物して楽しむんじゃなかったのか?


「葉山さんが出てきたとあれば、流石に黙って見ているわけにはいかないんだよねえ。パワーバランスが崩れるってのもあるけど、それ以上に、いろいろ私にも思う所があってさあ。仕留められる機会があれば仕留めておきたい、危険な人なんだよー」


 裏通りの生ける伝説の一人である雪岡純子にそこまで言わせるとはね……。いや、確かにとんでもない奴であったが。


「麗魅も誘いたかったがな。あいつに杏の仇も討たせてやりたかったってのに、別の仕事が入ったとか。間の悪い奴だ」

 と、シルヴィア。


「仕事あるならそっちを優先させないとねー。麗魅ちゃんが仕事おっぽりだして敵討ち優先させたら、杏ちゃんは性格上怒ると思うよー」

「だろうなー。って、純子は杏とも面識あったのか?」

「生前は無いよー」

「は?」

「ほのかと小金井がどこにいるのかはわかるのか?」


 二人の会話に割って入る俺。


「俺を誰だと思ってるんだ。オーマイレイプのナンバー2か3くらいの立場だぞ。知ろうと思えば知れないことはないんだよ」


 愛らしくも不敵な笑みを浮かべて豪語するシルヴィア。大幹部であることは知っていたが、そこまで偉い立場にある奴なのか。でもナンバー2か3か自分でもわからないってのは、どういうことなのやら。


「小金井は葉山との契約もまだ切ってはいないだろうさ。大島遼二、お前を生かすという条件でほのかを小金井の元に連れていったんだから、お前がまた来ることもわかっているからな」

「このメンツなら葉山に勝てるのか?」


 シルヴィアを見つめ、俺は問う。

 おっさん達を殺し、ほのかを痛めつけたあいつは、是非ともブチ殺してやりたい。いや……奴を憎んでも仕方が無いか。所詮殺し屋で、依頼されたから殺しただけだ。本当に憎むべきは、依頼者である小金井だ。


「この世に絶対は無いが、絶対に勝ちたいな。少なくとも俺一人では、勝てない。奴の強さをお前も思い知っただろう。下手なオーバーライフをも上回る、規格外の戦闘力だ」


 正直に答えるシルヴィア。おーばーらいふ? 何だそりゃ……いや、いちいち訊いても仕方ないか。

 純子はともかく、このシルヴィアという少女は信じてもよさそうだ。いや……こいつも純子同様、見た目が少女なだけで、実際は相当長生きしてそうな気がする。接し、喋っていて、何となくわかる。


「準備してこいよ。準備ができたら行くぞ」

「ああ」


 シルヴィアの言葉に頷き、俺が日野の方に振り返ると、すぐ近くに日野がいて、銃と弾倉を俺に差し出してきた。ボスの銃だ。


「頼む……。ボスと……殺された奴等の仇を取ってくれ」


 血を吐くような想いで搾り出された日野の言葉に、俺は無言で頷き、銃と弾倉を手に取った。

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