第十五章 26

 安楽市東部。争い御法度の中立指定区域のホテルオポッサム。ここに小金井とほのかはいるという。絶好町内にあるホテルワラビーに比べると、小さなホテルだ。


 中立指定区域であるが故、ホテル内に組織の構成員を配置してガードしているとは思えない。だが、ホテルを出た所を狙われてはひとたまりもないが故に、周囲には構成員が潜んでいる可能性が高い。

 そう思っていた俺だが、ホテルに近づくまでの間、堂々と姿を晒している俺に、放たれ小象の構成員が襲ってくるような気配は全くなかった。


 シルヴィアは随分とレトロなデザインのライフルを手にしている。シンプルで無骨なデザインで、銃床もグリップも年季の入っていそうな木製。あのケースの中にあった奴か。持ち運びには面倒な得物だ。扱いやすいようにも思えないが、実際の所はどうなのだろう? 使ってみないとわからんな。

 それ以前に人目につく場所で堂々と銃を出して平気なのか? いや、堂々と出していないと、すぐには撃てないのも厄介だが。


 俺もいつでも銃を抜けるよう、懐に手を入れる。


「ここでドンパチすると中枢を敵に回すけど、大丈夫なのー?」


 ホテルの中に入ろうとする俺を呼び止める形で、純子が声をかける。


「世界中敵に回しても構わないぞ」


 格好のいい台詞を口にする俺。きっと後で思い出して恥ずかしいと後悔するだろうが、今の俺はそういう気分だった。テンション上がりまくりだった。ほのかを助けなくてはという気持ちと、ほのかが酷い目に合わされているのではという不安と怒りでいっぱいだ。


「中々熱い奴だな。だが無茶はやめとこうぜ」


 シルヴィアに笑顔でたしなめられたが、俺の逸る気は治まらない。


「じゃあほのかがあの爺にやられてても黙って見てろってのか」

「気持ちはわかるが落ち着け。純子から聞いた能力があれば、そういう事態にはなりにくいって話だろ。さっきも言ったろ? ほのかはあれで中々したたかだ。オーマイレイプではまだまだ下っ端だが、わりと有望視されている奴なんだぜ。ただ単に仲間のために自分を犠牲にするんじゃなく、切り抜ける算段くらい、あいつの中でちゃんと立っているはずだ」


 冷静な口調で告げるシルヴィアに、俺は少しだけ気分を落ち着ける。しかしその一方で不器用でもあると、タクシーの中で話していただろうが。

 俺は軽く深呼吸する。熱いっつーか、すぐカッとなる悪い癖なだけだ。この短気さのおかげで、今まで何度ヘマしてきたことか。


「あいつ、目の前で父親を殺されているんだぞ。それでも冷静に対処できると思うか?」

「信じるよ、俺は。その程度の覚悟は、ほのかにも出来ているはずだ。哀しむのは後でもできる。あいつならきっと、生き延びるのが先決だと割り切れる」


 俺の指摘に、シルヴィアは俺の目を見つめて、きっぱりと断言する。

 何故だろう。その時俺は、信じるという一見美しい台詞に、物凄い残酷さを覚えてしまった。


「ねね、二人共、あれ見て」


 向き合って会話している俺等に、純子が悪戯っぽく微笑んで声をかけ、ホテルの中を指す。

 ホテルの中から出てくる人物を見て、俺は心底安堵した。いや、そんな表現じゃ足りないくらい、胸が温かい気持ちで満たされて、喉の奥が、目頭が熱くなった。


 ゆっくりとした足取りでこちらに向かってくる、ほのかの姿があった。


 しかしその熱もすぐに冷める。いや、冷ました。罠の可能性もあるからだ。ここでうっかりほのかを抱きしめに飛び出して、隠れている奴に狙い撃ち、という可能性もある。

 周囲の気配と殺気に警戒しながら、俺はほのかの方へと歩んでいく。ほのかは俺が警戒しているのを見てとって、にっこりと笑ってみせ、その心配が杞憂であることを無言で告げた。


 気がついたら、俺は駆け出してほのかを抱きしめていた。ほのかもしっかりと俺を抱き返してくる。


「すまん……俺は……お前もおっさんも……」

「何も言わないでください。言いたいことも、遼二さんの気持ちも全てわかっています。口にしない方が良いこともあります」


 互いの肉の感触と体温をしっかりと確かめあいながら、互いに耳元で囁きあう。

 ほのかの言葉は、俺にとってありがたいような、情けないような、複雑な気分にさせる代物だった。だが、ほのかにまた再会できたというだけで、その顔を見ることができて、声が聞けたというだけで、ほのかが側にいるというだけで、全てどうでもいい気分にもなる。


 いつまでも抱きあっていたいが、敵が側にいないとも限らないので、抱擁を解除する。


「ちなみに乱暴なことはされていません。いえ、しようとしてきた所を返り討ちにして、こうやって出てきました」


 ほのかの顔が突然溶け出して、俺はビビる。どろどろに溶けた顔は、別の顔へと変わる。皺くちゃかつ脂肪のたっぷりついた、嫌らしい爺の顔。そう、小金井の顔だ。


「声も顔も取り込みました。部下が部屋の前で見張っていましたが、上の服だけ借りて、平和的に出てきました」


 小金井の声でそう告げると、ほのかは元の顔に戻る。


「私にぶちこみたいだの、一つになりたいだのと言っていましたから、お望み通り、私の中に招きいれて一つにしてさしあげましたよ。溶かしながら、命ごと、意識ごとですけどね」


 ほのかに似つかわしくない、残酷な笑みと台詞が口から出る。無理も無いか。おっさんを殺されているしな。


 再度強くほのかを抱きしめる俺。ほのかにこんな、怒りと悲しみと憎しみを覚えさせたのも、全て俺が不甲斐なかったからだ。


「もういいだろ。引き上げるぞ」

 シルヴィアが声をかけてきたので、渋々抱擁を解く。


「わざわざシルヴィアさんまで呼んだのですか? あ、シルヴィアさん、いろいろ勝手なことして申し訳有りません」


 シルヴィアに向かってほのかが頭を垂れる。


「大島に呼ばれたわけじゃない。俺の方から来たんだ。葉山の奴が関わっているって話だし、まあ、お前も失いたくはないからな。それにな、組織を巻き込みたくないっていうお前の意地もわかるよ。俺も葉山との決着に、極力組織の力は借りたくないしよ。情報収集くらいはしてもらうけどさ」


 ライフルを後頭部に回す格好で肩に担ぎ、シルヴィアは嬉しそうな笑顔で言った。


「葉山はともかくとして、小金井が死んだとあれば、抗争はひとまず終わりか」

「まだ終わっていません」


 俺の言葉をほのかが即座に否定する。


「何でだ。もう小金井は死んだろう」

「私は小金井の記憶も取り込んでいます。記憶を一度に取り出すと私の脳がパンクしてしまいますので、部分的にしか出せませんが、小金井の右腕の立川という男、小金井に心酔しているようですので、きっと仇を取りに来るでしょう。また、純子さんの所に改造志願に行った者が、追加で一名います。実はもっと大勢候補者がいたようですが、反強制だったらしくて、純子さんに見抜かれて拒否されたのです。で、自ら望んだのは一人だけでした」


 純子の方を見る俺。


「うん、改造しておいたよー。残り一人っぽいから、とっておきの凄い改造しておいたよー。ま、ちょっと無茶しすぎたから、そう長くは生きられないと思うけどー」


 笑顔で言う純子。全くひどい奴だ……


「とはいえ、君達に絶対に倒せないレベルのものは作ってないからねー。いい勝負できると思うよ」


 何がいい勝負だ。ったく、ムカつくなー。


「依頼人がまだ生存しているなら、お前等も葉山ともやりあう必要があるってわけだな」


 シルヴィアが不敵な笑みを浮かべる。


「奴等の動きは組織の連中が逐一チェックしている。すぐにでも行くか?」

「いや、一旦事務所に戻りたい。皆に、ほのかが小金井を殺して、おっさんの仇を取ったことを知らせて、安心させたい。ほのかも少し落ち着けさせたいしな」

「わかった」


 俺がシルヴィアに向かって言い、彼女は満足げな笑顔で頷いた。俺がほのかの事を気遣っているのを見て安心したような? 俺の思い込みかもしれないがな。


「哀しむのは後でもできますよ」


 ほのかが俺の気遣いに対して、そんな台詞を口にする。気丈ではあるが、無理しすぎだ。


「いや、一日くらい休めよ。向こうの動きは捕捉しているんだから、焦ることもない」

「わかりました。甘えます」


 ほのかが言い、俺の手を強く握り締めてくる。俺もほのかの手を握り返し、手を繋いだまま、ホテルの前で待っていてくれた闇タクシーの方へと歩いていった。

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