第十五章 22

 稲城辰五郎――四葉の烏バーのボスで、俺はいつもおっさんと呼んでいて、俺を拾ってくれた恩人で、ほのかの父親。


「何だ何だ? 二人してどうしてこっちに来たんだ」


 事務所に帰ると、まず声をかけてきたのは、このおっさんだった。


「こっちに行くと連絡はしただろ。事情も話しただろ」

「おっと、メール着てたか。なるほど、そっちは大変だったんだな。こちらは一回襲撃があっただけだが、俺と俺と俺と日野の活躍で犠牲者も出さずに撃退した」

「申し訳程度に俺の名をつけなくてもいいですよ」


 事務所の奥で聞いていた日野が声をあげる。


 事務所内を見ると確かに弾痕などが幾つも有り、激しい銃撃戦を行ったように思えるが、ちゃんといつものメンツが揃っている。

 数日空けただけだというのに、随分と久しぶりに我が家に戻ってきたような感覚を覚え、俺はホッとしてしまった。


「ふむ。ここが四葉の烏バーのアジトですか。初めて来ますが、狭いですね。いかにも親父らしいこじんまりした感があって、納得です」


 事務所内を見渡して、ほのかが言う。こいつが自分の親のことを親父と呼んでいるのは、とてもミスマッチだと思うんだが……


「えーっと……紹介しよう。人んチをいきなりディスってくれたこの小憎たらしいのが、俺の娘だ。育て方は間違ってないつもりだったが、見ての通り失敗だ」


 四葉の烏バーのメンバー達に向かって、心なしか照れくさそうにほのかを紹介するおっさん。


「初めまして。稲城ほのかと申します。我が父稲城辰五郎が、いつもお世話になっています」


 頭を深く垂れ、かしこまった口調で自己紹介するほのか。


「いやいや、世話になっているのは俺達で……」


 構成員達もぺこぺこしだす。ほのかみたいな美少女がおっさんの娘だと言われ、面食らっているようだ。


「いえ、今のはただのいかにも形式上の挨拶というわけではなく、わりと本心です。どうせうちの親父のことだから、部下を振り回しているんだろうなーと、容易に察せられますし」

「いやいや、御家庭ではどうか知りませんが、ここではいいボスしてますよ」


 構成員の一人が笑いながら言う。ほのか、簡単に打ち解けてんなー。


「遼二はしっかりと守ってくれていますかね? 不満があったらそれもここでぶちまけていいんですよ」


 日野がにやにや笑いながら、俺の事を引き合いにだしてきやがった。ほのかが次に何言い出すか全く予想がつかず、俺は恐々としながら、ほのかの次の言葉を待つ。


「毎日熱く議論を交わしあっています。色気のある話は全くありません。普通、男と女が命の危険に晒されている状況で行動するとあれば、種族維持本能が働いて容易くラブロマンスというのが定番パターンですのに、甘い展開には全く発展しないのですよ。信じられません。詩にもできません」

「そりゃよかった」


 満足そうに頷く日野。


「よくないぞ。俺としては遼二とほのかくっつけさせようと思ってたんだからな。その様子じゃまだエロいこともしていないだろうし。どうかしてるぞ、こいつは」


 わりと本気で憮然とした顔でおっさんが言う。いや、わりとじゃなくマジでこのおっさんは、俺とほのかをくっつけたがっているわけだが。


「親父……遠慮無く本心で言ってほしいのですが、私に女性としての魅力が無いのでしょうか? 自分でも変わり者だということはわかっています。その変わり者的な部分が足を引っ張って、つまり私の魅力そのものへのマイナスパワーとして働いているのでしょうか?」

「そういうことを大勢のいる前で――しかも俺の部下の前で堂々と訊くなよ」


 流石のおっさんも渋面になり、頭をかく。


「皆の前で、お前は可愛いよとか、親馬鹿全開でもしてほしいのか? やめてくれよ。俺の尊厳が根っこから崩れる」

 尊厳とか、今更言うか?


「いや、もう現時点で親馬鹿全開だろ。親馬鹿っぷり晒してないと思ってるのか? 皆おっさんが親馬鹿しているって目で見ているぞ」

「ぐっ……」


 突っこむ俺に、おっさんが顔をしかめて唸る。


「親父に尊厳があるかはさておき、その辺は確かに一理ありますね。しかし大勢のいる前で娘がエロいことしてないどうこう口にする時点で、父親としては最低最悪ですよね。なのに自分に魅力が無いかどうか程度の質問で躊躇うとは、どういう神経なのでしょうか? 分裂症でしょうか?」

「ぐぬぬ……」


 追い詰めていくほのかに、ますます顔をしかめて唸るおっさん。こんなおっさん珍しい。


「ほのかちゃんは魅力的だと思いますよ。遼二が奥手なだけだですって」


 日野が言う。まあ……これは反論できねーや。確かに俺は奥手だろうし。


「小金井も立川も所在がわからねえ。立川には逃げられてしまったしな」


 ソファーに座り、無理矢理話題を変える俺。

 直後、俺の横にほのかが堂々と座ってくる。あのなあ……


「だからしばらくここにいるさ。雪岡純子に改造された奴がまた現れたら、潰しに行く。もちろん、小金井達の潜伏先がわかってもな」

「そんなのわかるのか?」

「カンドービル内の雪岡研究所の前に、カメラを仕掛けておいた。それで放たれ小象の出入りをチェックしている」


 日野の問いに答える俺。


「こっちに改造された奴が来なかったのは幸いだったな」

「改造人間くらいで俺が負けるかよ」


 俺の言葉に対し、笑いながら嘯くおっさん。確かにおっさんも相当な腕前だが、それにしたって何しでかしてくるかわからないマウス相手は脅威だし、構成員にも死人が出かねないし、やはりそいつらは俺とほのかが担当した方がいいだろう。

 おっさんもきっとそれはわかっているが、この場にいる構成員達を安心させるために大口をたたいているに違いない。


「それより気がかりなことがある。奴等は肉殻貝塚の時みたいに、また外部から強い殺し屋を雇った可能性があるぞ」


 立川の捨て台詞がずっと引っかかっていたので、とうとう口に出してしまった。


「こっちも対抗して雇えってことか?」


 おっさんが真剣な顔で問う。殺し屋を雇いあって不毛な殺し屋合戦というのは、実はあまり好まれない抗争の仕方だ。それを躊躇いなくやる組織もあるっちゃあるものの、自分の尻も自分で拭けない連中として、裏通りの中での評価は下がる。

 まあ中には、ホルマリン漬け大統領のように、大組織でありながら平然と外部の戦力に頼り、評価の変動など無いという稀有な例もあるが。あの組織は元々、警察上層部にも圧力かけられるほどの、超巨大組織だからなあ。


「不要な犠牲が出るくらいなら、考えた方がいい」

「私とて、父との繋がりが無ければ外部と言えますよね」


 ほのかが変な形で話に絡んでくる。


「私はその辺も考慮して、自分の組織にあまり力を借りてはいませんが」

「それは違うだろ。情報組織に力を借りるのは、何ら恥じゃない。ドンパチそのもので戦力をあてにするのは、株が下がるけどな」


 おっさんがほのかの言葉をやんわりと否定した。


「護衛を雇うのはどうなのでしょう? 例えば銀嵐館など」

 ほのかが尋ねる。


「背景によるんじゃないか? 完全に抗争しているとなると、それもあまり格好のいい話じゃないぞ。今はまさに抗争中だ。ただ、ほのかの護衛となれば話は別になるし、そちらに依頼するという手もある」


 おっさんが腕組みして考え込む。ほのかは親子の繋がりがあるとはいえ、組織の一員ではない。それどころか別の組織の一員なのだし、そっちから守られてもいいくらいだ。ほのかはそれを拒否しているが。


「遼二をこちらの守りに専念させて、ほのかには別の護衛をつけた方がいいと思うか?」


 俺とほのかを交互に一瞥し、おっさんが尋ねてくる。

 ほのかも俺をチラ見してきた。何を言いたいのかはわかっている。おっさんやほのかの心情としては、俺にほのかの護衛をさせておきたい所だが、敵との戦いが苦しくなってきたなら、もっと合理的に考えて対処する方が望ましい。


「ほのかそのものが有効な戦力だ。俺が護衛する代償として、奴等に対する矛として機能している。ほのかに別の護衛をつけて俺が外れるなら、ほのかを付き合わせるわけにはいかない」


 俺が口にしたこの理屈はおかしいことはわかっている。ほのかも狙われている身であるから、誰が護衛につこうが、ほのかも自衛のために戦う主張はできる。つーか、おっさん守るために加勢でも構わんしな。

 合理的に考えれば、俺はほのかの護衛から外れて、どっか他所から強力な護衛雇ってつけた方が、戦力アップになるんだ。しかし……おっさんもほのかも、他ならぬ俺を信頼していやがる。そこも重要なポイントだ。


「ふー……」


 その時、トイレから構成員が一人出てきた。いや……見知らぬ顔だ。この時期に新人? それとも別の客か?

 上背があり、顔立ちも整っているが、どこか頼りなさげな印象の男だ。構成員達も男の方を一瞥する。


「誰だ、お前」


 日野が誰何する。おっさんも目を見開いている。侵入者? 刺客? いや、刺客ではない。それにしては敵意も殺気も感じられない。


「僕ですか? 見ての通り蛆虫です」


 男が意味不明な答えを返しながら、懐に手を入れる。この動き自体、警戒してしかるべきものなのに、俺は全くの無警戒。いや、俺だけではない。誰も何とも思わない。皆キョトンとしている。


 その敵意も殺気も無い男が、敵意も殺気も微塵も感じさせないまま銃を抜き、撃った。


 殺気頼りにしている俺は、反応しきれなかった。あまりの事態に頭がついていかなかった。気がついたら、そいつは撃っていた。そいつが撃ってからやっと事態を飲み込めた。

 虚を突かれたなどという生易しいものではない。まるで幻術にでもかけられたかのようだ。あるいは本当にそういう超常の力を使用していたのかもしれない。


 おっさん――稲城辰五郎が、四葉の烏バーのボスが、俺がずっと慕っていた恩人が、額の中心に穴を穿たれ、崩れ落ちていた。

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