第十五章 21

 俺とほのかは、死体だけが残された事務所を後にした。


 小金井がいなかったのが残念だとか、立川にまた逃げられたとか、奴等がどこに潜んでいるのかとか、そんなことよりも俺は、立川の捨て台詞を意識していた。

 あれは強がりなどではない。奴には確信があったように思える。俺とほのかの戦闘力を見てなお、そう言えるだけの切り札があるというのか?

 不安が生じる。嫌な予感がしてしょうがない。こういう時にも堂々としていられる豪の者が、俺には信じられない。あるいは俺が臆病すぎるのか?


「遼二さん、顔色が悪いですよ」

 放たれ小象の事務所前でほのかが足を止め、声をかける。俺もつられて立ち止まる。


「立川の捨て台詞が気になった。相当凄いマウスでも作られたんじゃないかって」

「なるほど。しかしどんな敵が来ようと全力で迎えうち、排除し、輝かしい未来を掴むまでです」


 輝かしい未来云々はともかくとして、ほのかは俺より腹が据わっているようだ。


「ちょっとちょっと、私に無断で戦うなんてひどいよー。マウスの性能チェックしたいのにさー」

 唐突に純子が現れ、抗議してくる。


「知るか。つーか、この先いつまでまとわりつくつもりだ?」

「この抗争のケリがつくまでは、しばらく見守りたいかなー。放たれ小象は何人も実験台志願がいるからねー」


 俺の問いに、微笑みながらふざけた答えを返す純子。まだまだあいつらの戦力を上げる気かよ。しかもそれを俺達にけしかけ、戦う様を見物するとか、わかっていても頭にくる。


「その後はもう解放してくれるのでしょうか?」

 ほのかが尋ねる。


「解放なんてありえないよー? 君達は生きている限りずっと私の実験台だからねー」

 またふざけた答えを返す純子。


「まあ、私のマウスのストックは他にもいっぱいあるし、新たな実験台志願者だっているだろうから、この抗争が終わった後は他の子に移ると思うけど、また時間が経って気が向いたら、君達に協力してもらうかなあ」

「ふざけるな。これっきりにしろ」


 俺が純子を睨み、自分でも思っていた以上に怒気に満ちた声が発せられたが、純子は全くひるむことなく、微笑も崩さない。むしろ俺の怒りを楽しんでいるかのような、そんな気さえしてくる。


「君達は私の実験台に志願したんだから、これっきりなんてないよ? それが私の決めたルールだからねー。その契約からは逃れられないし、逃すつもりもないよ?」

「そんな束縛を受けるとは聞いていませんから、その契約は違反ですね」


 毅然たる口調でほのかが言った。本当こいつはしっかり者だなあ。

 言っちゃあ悪いが、以前俺と同棲していた女――清瀬とは大違い、いや、正反対だ。あいつは自分をあまり出さないし、芯も無い娘だった。だからといって悪い子ってわけじゃなくて、いい部分もいっぱいあったけどな。素直で、保護欲をそそる感じで、仔犬のように懐いて、男をちゃんと立てて……


「俺を――俺達を自由にしろよ。どんな形であれ、束縛されて気分のいい奴なんていない。誰だって自由を求めるものだ」

「同感です。自由を失い、服従を代償に力を手に入れたわけではないのでしょう? それに、心を拘束されることなく、自由を手にするということは、人が人である大前提として、とても大切なことですよ? それを縛る権利なんて、誰にも無いはずです」


 俺とほのかが続け様に訴えるが、ほのかの話し方の方が優れている気がする。何だか俺が締まらない。俺の方が年長なのに、情けないな……


「完全なる自由なんて存在しないし、そんな超絶フリーダムに、人間は耐えられるようにできていないよ? どこかで自分を律して縛っておかないと駄目なようにできてるんだよ」

「屁理屈はいい。とりあえずお前はこの先俺達に、気が向いた時にたまに嫌がらせしてくるって認識でいいんだな?」


 俺の言葉に純子は微笑みを消し、困ったような顔になる。


「あ、今わかりました。今ぴーんときました」

 ぽんと掌をたたくほのか。


「きっと純子さんは構ってちゃんなんですよ。実験台にした子達と仲良くしておきたいという性質なんです。友達になってと素直に言えないから、こういう形で実験台にした人達にまとわりついているんです。どうです? 図星でしょう?」


 得意満面に指摘するほのかだが、俺は違うと思う。純子も苦笑いを浮かべてるし……


「私のマウスになった子にも友人と呼べる子はいるし、たまに実験の協力してもらってはいるけどね。それに、君達のようにマウスとして扱われ続けることに不服と感じる子もいるけど、それはもうどうしょうもないよー。せめて前向きに楽しんでくれればいいと、私も思ってるけどねえ」

「強制という形で、楽しめるわけはないだろう。前もって協力してくれと頼むんならともかく」

「いや、前もって言ったらサプライズにならないしー」


 ダメだ……何言っても通じない。


「人に嫌われる真似はしない方が良いと思います。それに先程も言いましたが、純子さんの実験台の定義は曖昧すぎます。どういう扱いを受けるか事前に説明しきっていないのは、典型的な不当なる契約でしょう」


 ほのかは諦めず、なおも追い詰めていく。


「そ、そうだね……。それはまあ確かにそうだけど。でもさー……一つ聞くけど、例え事前にそこまで説明してあったとしたら、君達は私の実験台にならなかったのかなー?」


 また屁理屈を言い、にやりと笑う純子。


「なるほど、そうきましたか。これは一本取られました。仕方ないですね」


 あっさりと引くほのか。おいおい、そこで引くか? 結構いい所まで追い詰めていたのに。


「しかし契約違反なのは事実ですし、実験台志願者達と良好な関係を結んでおきたいのでしたら、恨まれるような真似は極力避けた方が良いと思いますよ?」

「んー……留意しとくよー……」


 曖昧な表情で曖昧な答えを返す純子。一応これはほのかが論破したということでいいのだろうか?


「ところで、まだまだ敵に実験台志願者がいると聞いたけど、俺達がかなわないような強いのも作ったのか?」

 答えは期待せずに尋ねる俺。


「まさかねえ。ただでさえ放たれ小象の人達は数いるんだし、完全にパワーバランス崩れた改造をすることはないよ。それ以前に、私の作るマウスの出来の良し悪しは、改造の内容もさることながら、運にも左右されるからね。あとは、強い力や特殊な力や、まだ私があまり試していない領域になるほど、リスクが高くなるよ。ほのかちゃんにはかなり強力な能力を与えたけど、これでもリスクという部分を下げた結果だし、他のマッドサイエンティストの友達から教えてもらった改造のアレンジだからねえ」

「ようするに、俺達を圧倒的に蹂躙できるほど強力なマウスは作ってないってことだな?」

「そういうことだねー」


 純子が嘘を言っていないのなら、立川のあの捨て台詞は何だったのか? 純子の改造に頼らず、別口で凄腕の殺し屋でも雇ったのか?


***


 その後純子と別れ、俺とほのかはタクシーで四葉の烏バーの事務所へと向かった。

 敵の潜伏先がわかるまでは、二手に分かれるよりも、事務所の守備にあたった方がいい。嫌な予感もするしな。


 戦い疲れて、帰りのタクシーで二人共仮眠する。ほのかが俺に寄りかかってくる。俺もつられて眠る。


 またあの夢だ。

 夢の中で、俺は子供と向き合う。泣いている子供。


「いつまで泣いているんだ?」

 泣いている理由を知りながらも、俺は尋ねてしまう。


「答えがわかるまで……」

「答えはわかっている」


 答える子供に、俺は即答する。


「その答えは、諦めだよ。何でも神様のせいにして」

 子供の頃の俺が、怒ったように言う。


「諦めてはいない。だから抗っている」


 俺も引かない。こいつは所詮子供の俺だ。こいつに対して引くことは無い。引いてはいけない。認めてもいけない。


「俺は今いる組織だってずっと守ってきた。これからも守っていく」

「壊すために、積み上げた積み木だよ」


 子供の俺の言葉が、俺の胸を射抜く。


「一生懸命積み上げた積み木。大事に大事に積み上げて守ってきた積み木。積み上げた年月が長いほど、想いが深まるほど、壊した時の絶望は計り知れない。そのために神様は放置してきただけさ。でもいずれ頃合を見て、神様がフラリとやってきて、積み木の城を蹴り飛ばして、ばらばらにするんだ。ばらばらの積み木と、その前で泣き喚く俺を見て、神様はゲラゲラと笑うんだよ」

「黙れ……」


 ベラベラと語る子供の俺に向かって、俺は凄む。


「神様だけじゃない。心無い人達もきっと笑うだろう。神様と同じ人達だ。他人の不幸が楽しくて仕方のない人達。神様が与える不幸を喜ぶ人達。神様に加担して、他人を不幸に導く人達。ああ……でもお前ももう同じ存在か。何人も殺しているんだし」

「俺は違う。平気じゃない。いや、少なくとも楽しんではいない」


 蹴り飛ばしたい衝動に駆られながら、否定する。


「絶対的な力を手に入れて、何もかもを守り通したいね。意地悪な神様から。意地悪な神様の遣いである、奪う者達から」


 子供の俺のその言葉は、俺の偽らざる本心である。だが、今の俺にそんな力など無いし、そんな力を手に入れた者など、果たしてこの世にいるのだろうかと疑問に思う。

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