第十五章 20
田園風景が広がる安楽市南西部。絶好町よりはずっと都心寄りにも関わらず、やたら開けていて見通しのいい土地だ。
多摩川近くにある四階建てのオンボロビルの三階と四階が、放たれ小象の事務所であるという。
「ヤクザ時代の名残か」
放象会と書かれた気の看板が、ビルの入り口にかけられているのを見て、俺が呟く。わざわざかけたまま外しもしない所に、未練がたっぷりといったところかねえ。
ビルの入り口をくぐる。入り口そのものが開きっぱなしというか、入り口にドアが無い。入り口をくぐるとすぐに階段があった。まるで物凄く古い雑居ビルのようだ。とはいえ、どこかにきっと監視カメラが隠されていて、こちらの進入には気がついていることだろう。
小金井がいれば一番いいんだがな。あるいは先程も言ったように、最初に改造された二人のマウスがいればいい。それらのいずれかは必ず始末せねばならない対象だ。
三階へと上る階段にさしかかった時、俺とほのかは足を止める。上から隠す気も無い殺気が漂ってきたからだ。
ほのかが無言で俺の前に進み出る。ほのかの能力を考えれば、近接寄りの戦闘になると理屈ではわかっているんだが、一応俺、ほのかを護衛する役目も兼ねているから、正直複雑な気分だ。
かといって、後ろに下がれとも言えないしなあ。数日付き合ってほのかの性格が大体わかってきたが、そう言って引くようなタマじゃない。
上の階から歩いて降りてくる二つの足音。これはマウス二人でビンゴか?
そういやこないだも二対二だったんだが、結局ほのかが一人で倒してしまって、俺はあまり役に立って無かった気もしないでもない。
そしてこの狭い空間では、ほのかのスライム礫の能力が物凄く活きる気もする。ある意味弾丸より避けにくいからな。
「え……」
敵の姿を視界にとらえ、思わず俺は唖然として声を漏らす。
二人だと思っていたが、現時点で階段の上に現れたのは一人。上に隠れているのかもしれないが。
そしてその現れた一人というのがとんでもない奴だった。全身ド派手なオレンジのタイツに身を包み、タイツとほぼ同じ色の胸当てやら肩当てやら手甲といったプロテクターを装着している。手甲が特にゴツくて厚い。頭部には一見ダチョウにも見えるデザインのヘルメットを被っていて、顔は全く見えない。
「炎の走鳥戦士! フレイムエミュー! 見参!」
両手を顔の前で交差させておかしなポーズを取り、高らかに叫ぶオレンジタイツ男。
「あれはヒーロー系マウスというものです。肉体の改造に加えて、スーツがさらに力の補助機能を果たしています。かなり手強いと見ていいでしょう」
ほのかが解説する。コスプレお祭り男にしか見えないが、本当に正義のヒーローさながらに強いとでも言うのか?
「もう一人潜んでいるから注意しろ」
俺が早口で告げ、銃を抜く。
それとほぼ同時に、ほのかが腕を振るい、液状化した肉がフレイムエミューとやらに降りかかる。
「エミューファイアー!」
フレイムエミューが叫びながら片手を突き出すと、突き出した片手から炎が噴き出し、宙を舞うほのかの肉液を焼いた。
「熱っ!」
ほのかが顔をしかめ、肘から先が無くなった腕を再度振ると、肉液が戻り、ほのかの腕が元通り……でもないな。所々焼け焦げていて、煙が出てるじゃねーか……
「ほのか、そいつの能力はお前とは相性が悪いみたいだぞ」
俺が言った。強力な酸性の肉液は、あくまでほのかの肉体の一部だ。物理的な打撃や斬撃ででは対処が困難な攻防一体の肉液であろうと、温度の変化だの電撃だのといった化学的な攻撃なら有効ってわけだ。
しかもほのかと相性が悪いだけではない。この狭い階段で炎使いなんていう敵を相手にする事自体、条件的に不利だ。
ほのかは無言で横に逸れる。俺とフレイムエミューの間をふさぐものが無くなると見るや、俺はフレイムエミューに向かって二発発砲した。
「ヒートスキン!」
フレイムエミューが叫んだとほぼ同時に、腹部と肩口にそれぞれ銃弾がヒットする。仰向け倒れるフレイムエミュー。
しかし……終わっていない。勘でわかる。
おもむろに起き上がるフレイムエミュー。撃たれた箇所に手をやると、俺の方にその手をかざして見せる。掌の上に乗っていたのは、半ば溶けて変形した弾丸だった。
マジかよ……銃弾も溶かして防ぐとか、どうやって倒せってんだ? 火を噴くから接近も危険だし、ほのかの能力とも相性が最悪ときている。
「私が最初に仕掛け、隙を作ってみます。敵の能力の発動の隙を見て、仕留めてください」
俺の耳元で一方的に告げると、ほのかはフレイムエミューめがけて、右腕を縦に振るった。腕がドロドロになって、うねり、伸びるかのようにして、フレイムエミューに飛んでいく。
「エミューファイアー!」
肉液は再び炎で焼かれる。もちろん完全に焼き焦がされる前に、引っ込めている。さらに左腕を横に振るう。今度は肉液が三つくらいの玉状になって、フレイムエミューに時間差を置いて飛んでいく。
「エ、エミュファイアッ!」
多少泡食ったような響きの声と共に炎が巻き起こるが、肉液玉はそのまま炎の中にそれぞれ飛び込んでいく。
最初の二つが焼き焦げ、強烈な悪臭が周囲に立ち込める。しかし最後の一つは、炎の勢いが若干衰えていたタイミングであったが故に、焼ききれずにフレイムエミューの胸部にぺとっと貼りついた。
「うおおおっ! ヒートバリア!」
酸で溶かされてパニくりながらも、自らの肉体を熱して、ほのかの肉液玉を溶かそうとするフレイムエミュー。
そして俺は気がついた。こいつの能力の発動の隙というより、発動した後の隙を狙えってことだろ。
こいつの能力、あまり長い時間は持続していない。
ほのかの肉液玉が焼き焦げて、階段に落ちた直後を狙い、俺はフレイムエミューを撃った。
腹部に食らった衝撃で、崩れ落ちるかのようにして、うつ伏せに倒れる。
三連続で能力を使い、さらには能力が発動し終えた直後のタイミングを狙って撃ったので、銃弾を防ぐことはできなかったようだ。倒れたフレイムエミューから血が流れているのを見て、俺は安堵する。
「遼二さん!」
ほのかが鋭い声と共に俺を横から蹴り飛ばした。それが何を意味するか、蹴られた直後に頭で理解していた。
難敵を仕留めて安堵した事で生じた僅かな隙――その瞬間を狙って、もう一人の敵が俺に攻撃を仕掛けてきたのだ。
そいつほとんど紙かと思われるほど薄っぺらい体の持ち主で、おまけに保護色まで身につけていた。フレイムエミューとの戦闘中に、こっそりと壁伝いに移動して、俺達のすぐ横まで来ていたのである。
俺が隙を見せたその時、薄い刃物のような腕を伸ばし、俺の胴を貫かんとしたが、ほのかに蹴り飛ばされ、俺は九死に一生を得た。
が――代わりにほのかの腹部が、そいつの腕に貫かれていた。
「うぎゃああああっ!?」
次の瞬間、薄っぺら保護色男は悲鳴をあげて、腕を引っ込めたが、すでに遅い。奴の腕はほのかの体によって溶かされていた。
すでにほのかのゾル化能力が発動している場合は、心臓と脳以外への攻撃は無意味だって話だったな。しかも素手でほのかを攻撃するとは、自殺行為に等しい。
俺は薄っぺら保護色男の額に余裕を持って照準を合わせ、撃った。脳天に穴を開けられ、薄っぺら保護色男は仰向けに倒れて痙攣しだす。
「すまない、ほのか。助かっ……」
謝罪途中に、俺はほのかを見て絶句する。右腕は焼け焦げている程度だが、左腕は完全に焼かれてしまったせいで、元に戻っていない。
「どんまいですよ。あ、この手は心配しなくてもよいのですよ」
俺が絶句している理由を察して、ほのかは安心させるように微笑むと、びくんびくんと痙攣している薄っぺら保護色男の胴体に、右腕を突き入れる。
ほのかの右腕によって、男の体が溶かされていき、腹に大きな穴が開く。ほのかの肉が焼かれた悪臭に加えて、薄っぺら保護色男の肉が溶かされる悪臭がミックスされる。
「はい、敵の肉を吸収して元通りです」
失われていた左腕を笑顔でかざしてみせるほのか。何というか……やっぱりおぞましい能力と思えてならない。何しろ相手の肉を溶かして吸って自分の失われたからだの一部に変換したわけだから。血液型の違いとか、そういうのは問題にならないんだろうか。
階段を上り、放たれ小象の事務所の扉を開ける。
その瞬間、銃弾の雨あられが入り口めがけて降り注いだが、その時にはもう俺もほのかも入り口にいやしない。事務所の中に飛び込んでいた。
後はもう簡単だった。数だけの雑魚共を虱潰し。いや、その数も大したものではない。十人もいなかった気がする。
「よう、立川」
奥の部屋に、立川の姿があった。小金井はいないようだ。運のいい奴だ。いや、俺等が来るとわかって、予めこの事務所には寄らなかったのかもしれないが。
「あの二人を倒したのか……」
立川が俺を睨む。
「糞……だがしかし、お前もこれまでだっ」
不敵な笑みを浮かべ、勝ち誇ったかのように捨て台詞を吐くと、立川は窓をぶち破って外へと飛び出した。
背を向けて逃げる立川めがけて、窓から何発も撃つ俺だが、熊もどき獣人と化した立川は猛スピードで射程範囲外へと逃げていった。
「どういう意味だと思います?」
立川の捨て台詞を指して、ほのかが尋ねてくる。
「おそらく、相当出来のいいマウスが完成したか、あるいは腕の立つ殺し屋でも雇ったんだろう」
今の敵も大分ハードだったのに、それ以上の奴が出てくるってわけか。そうでなければ、立川があんな捨て台詞を残して笑うわけもない。
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