第十四章 32

(本物の吹雪も――か)

 義久の吹雪を握る手に力がこもる。


「お前だって間違いなく吹雪だったよ」


 生きているうちに何でこの台詞を聞かせてやらなかったのだと、義久は自分に腹を立てる。

 そうこうしているうちに、香の長広舌も終わっていた。最期の辺りは、少し義久の耳にも入っていた。


 しゃがみこんで吹雪を抱いたまま、義久は顔を上げて香を睨む。


「何だ、お前は。何で私に殺意を向ける。おかしな奴だ。その殺意は吹雪に向けるべきだったのに。つくづくお前はおかしい」


 本気で疑問を覚えながら、香は言った。


「私はずっと吹雪の姿をしたこの悪魔の言いなりになって、ホルマリン漬け大統領の大幹部として日々悪行にいそしみ、多くの人間を傷つけてきた。しかし義久、それは全部お前のせいだぞ? お前がもっと早くここに辿り着けば、もっと早くにこの悪魔をお前が殺してくれれば、失う命もそれだけ少なくて済んだのに。お前がノロノロしていたのが悪い。あげく、私にその役目をやらせるなんて、私が耐えてきた長い月日は、奪われた命は、何だったんだ? 私がどんな気持ちで、紛い物の吹雪の心無い命令に従い、吹雪の姿をした出来損ないが犬とやるのを見てきたと思う? どんな気持ちで耐えてきたか、その苦しみ、お前にはわからないだろう。それこそがお前の最大の罪だ。お前は自分の罪深さを理解できないし、自覚も――」


 義久に銃を突きつけられ、香は語るのを中断する。


「一つまだわからないことがある。オリジナルの吹雪は何で死んだ? お前が殺したんじゃないことはわかる。今の今まで自分の手で殺す度胸も無い奴が、殺せるわけがないしな。そしてまともな死に方でもなかったんだろう? クローンで死を隠蔽するという発想……クローンで代わりを欲するという発想は、どう考えてもまともじゃない死に方だったからだ」


 静かな口調で義久は問い詰める。


「正解でもあり外れでもあるな。私が直接殺したわけではないが、私が殺したようなものなんだ……。それに耐えられなくて、純子にクローンを作ってもらった。私の心の慰めのためにな」


 そう言って香は怒りに顔を歪めた。普段無表情なことが多く、とりわけ怒りの表情など見せない香が、ここまで露骨に怒りを露わにするのは、子供の頃にいつも一緒にいた義久も、滅多に見たことがない。


「しかし出来たのは、あの悪魔だ。あいつは私の心を見抜いて、私の側に居続け、私を責め、苦しめてきた。私はお前に助けてもらいたくて、そしてお前にも苦しんでほしくて、その一石二鳥の策として、吹雪が死んだように見せかけた偽映像を流した。吹雪も――いや、吹雪の振りをした悪魔も賛成してくれたよ。あいつも死にたがっていたからな」

「だからっ、何で吹雪は死んだ!?」


 怒鳴る義久に、香は無表情に戻って小さく肩をすくめてみせた。


「大した理由ではない。塾の帰り道に、人気の無い道に寄り道していた彼女に欲情した私が、うっかりレイプしてしまっただけだ。吹雪は犯されている最中に、舌を噛んで死んだ。舌を噛んで死ぬという話はフィクションだけの嘘だとも聞いたが、目の前でそれは実際に起こった。吹雪はそれであっさり死んだ」


 そこまで喋ってから、香は義久から視線を外し、虚空を見上げる。


「信じられない。いつも一緒に遊んでいた私のことが、そんなに嫌いだったというのか? たかが犯された程度で死ぬほど拒絶するなんて。その時の私の気持ちがお前にわかるか? 私は泣きながら吹雪の死体をずっと犯し続けたよ。射精しても何度でもすぐに勃ったよ。吹雪の死体は最高だった。熱が消え、固くなるまで何時間も犯し続けたよ。今思い出しても最高で最悪な思い出だった……」


 無表情だった香が、途中からうっとりした表情になって述懐する。


「私は正気に戻って激しく後悔した。吹雪の死体の上に嘔吐した。己が途轍もない悪と化した事に耐えられず、吹雪を生き返して、無かった事にして、やり直したかった。雪岡研究所に行き、実験台となる代わりに記憶も移植したクローンを作ったが、出来たのはあの悪魔だ。実験台となった代償で得た能力は使えたがな。その後二人して裏通りに堕ちた。お前は一年以上、あの吹雪が偽者だとも気がつかず、一緒に暮らしていたんだぞ? 全く笑えるよ」

「お前は全然笑えないがな。ていうか、お前なんかに笑われたくもないわ」


 怒りよりも哀れみを込めた声で義久が言う。


「吹雪のコピーは、私のした事を許せなかったのだ。私が吹雪を殺した事も、その代わりとしてクローンを造った事にも、怒り、恨み、嘆き、呪った。そして私の心を見抜き、いかに私を苦しませるかに腐心して、実行し続けた。私の前で乞食に輪姦されたり、獣姦したりして、私の心を切り刻んでいった。だが吹雪の偽者も、生きることに絶望していた。死にたがっていた。私に殺してくれと嘆願した事もあったが、私にはできなかった。あんな偽者でも……目の前で犬と腰を振り合っていても、それでも一緒にいたかったんだ」


 そこまで語って、香は天を仰いだ。


「それから二人でいろいろ話をして、賭けを行おうという事になった。今も言ったように、吹雪が死んだことにして、義久、お前を復讐者として呼び寄せようという計画だ。お前の性格ならきっと私の元にまで辿りつくと、私も吹雪も信じていた。そして私は賭けた。吹雪の劣化コピーを私の代わりに始末してくれる方にな。だが吹雪は逆の方に賭けた。たとえここまで辿りついても、お前では殺せない方に賭けた。そして約束した。私が賭けに負けたら、その時はちゃんと義久に代わって、吹雪のコピーを殺すとな。結果は見ての通りだ。最悪の結果だ。吹雪とて、本心ではお前に殺される事を望んでいたというのに」

「そういう回りくどいことって、私は好きだけど、それはあくまで遊び心で回りくどくするんだし、本気の賭けなら、もっと単純な方法があったんじゃないかなあ?」


 純子が突っこみを入れる。いつもの愛想のいい純子ではない。蔑視とまではいかないが、どことなく冷めた眼差しで香のことを見ている。


「私も吹雪もいろいろ複雑だった。言ったろう? 私は吹雪の振りをした悪魔を殺したかったが、あんな奴でも一緒にいてほしかったと。吹雪の方も複雑だった。だから私達には、傍目から見れば理解しがたい、馬鹿馬鹿しく回りくどい――そうだな、儀式のようなものが必要だったんだ」

「偽者だのコピーだのうるさいよ。俺からすれば、こいつだって正真正銘の吹雪だ。どんなに不良だろうとな。それに香、お前もどんなに頭おかしくなっちまっていようと、俺のダチだったことに変わりはない」


 静かに言い放つと、義久は引き金に力を込めた。

 香の表情が一瞬歓喜のそれに変わるが、銃声の直後、激しい失望へと変化した。


「どういうつもりだ? 臆したのか?」


 義久を睨み、香は問う。銃弾は香の足元の畳を穿っていただけだ。外れたのではない。明らかに外した。外れるような距離ではない。


「こんなんで殺しても意味が無いわ」

 手にした銃を見やりつつ義久は言うと、銃をしまう。


「俺はジャーナリストだからな。俺は俺のやり方でお前を丸裸にしてやる。ペンの力でな。その時を楽しみにしていろ」


 迫力ある声で宣言され、香は生唾を飲んだが、すぐに嘲笑を浮かべる。


「何を言ってるんだ。シラけることをするな。ここは私を殺す場面だったというのに。それを……。単に殺す度胸が無いだけだろうが。義久、お前にはつくづく幻滅したよ」

「殺すよりもずっとスマートで、難易度も高く、それでいて爽快な結末にしてやるって言ってるんだ。その時まで逃げるなよ?」


 吹雪の亡骸を下ろし、立ち上がる義久。


「こいつはその……」


 香の方へと一気に迫ると、義久は香の顔面を殴りつけた。前歯一本と鼻っ柱を折られ、完全にノックアウトされた状態で、香の体が仰向けに倒れる。


「前払いだ。お前のお望み通りの暴力でな」


 そう言い捨てると、気絶した香に向かって親指を立てる。


「うん、それが一番いい選択だと私も思うよー。義久君に合ってると思うしねー」


 純子が義久に微笑みかけて言う。


「ありがとさん。そう言ってもらえるだけでも嬉しいっつーか、誰か一人にでも認めてもらえるだけで、心がしっかり支えられるって感じだよ」


 義久も純子を見下ろして微笑み返すと、再び吹雪の亡骸を抱きかかえる。


「両親には、この子が吹雪だということにして、ちゃんと葬式をあげて弔ってやりたい。二人の魂を同時に送る意味でね。この子だって、吹雪なんだからな。どうやって吹雪見つけたのかとか、いろいろ話を作らないといけないけど」


 腕の中の亡骸に目を落としながら、義久は微笑みをたたえたまま言った。


「それはそうと、私が来た意味あまり無かったよねー」

「顛末の見届け人がいてくれて、その分俺の気が楽になったよ。後で暇な時、みどり達にも教えてやってくれ」


 そう言って純子に向かってウインクしてみせる義久であった。

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