第十四章 31

「記憶をコピーしても、吹雪の人格は別人だよ。人格形成というものはあくまで、実際に体験して育まれるものなのだと思い知った。少なくとも記憶のコピーだけでは無理なようだ。ここにいる吹雪のクローンは、私やお前が知る吹雪とは似ても似つかぬ異常な人格になってしまった」

「ぎゃはははははっ、本人の前ではっきり言うな。否定はしねーけど。キャハハハッ」


 沈鬱な表情で語る香と、けらけらとけたたましく笑う吹雪。


「あたしは香の望み通り、人前ではオリジナルの真似をして、猫かぶって優等生を演じていたよ。でも裏では堕落していた。背徳に浸ることでアイデンティティーを保っていたっていうかなあ。自分が代用品のコピーでしかないことが、呪わしくて仕方なかった。特にオリジナルが死んだ原因に、腹が立って仕方なかった。何もかも憎かった。兄貴のこと、今も昔も大好きだよ。これは本当。父さんも母さんもね。でもね、大好きだからこそ、私の苦しみに一切気がつかなくて、仮面をつけた私しか見てくれなかった兄貴達のこと、反吐が出るほど大嫌いでもあったんだ。この気持ち、わかるかい?」


 上体を前のめりにして顔だけ上げて、義久の顔を下から覗き込む格好になって、吹雪は己の真情を吐露する。


「五百十一人と二百四十八匹。何の数かわかる? ねえ、見てこれ」


 唐突に服をはだけて見せる吹雪。その乳房に無残な傷跡が残っているのを見て、義久は息を呑む。


「ライオンは無理があったかなあ。記念に残してあるんだけど。あはははっ」


 義久の張り詰めた表情と、瞳に宿る嘆きの光を見て、吹雪は心底愉快といった感じに笑う。


「あたしに同情なんてしてくれなくていいんだ。所詮私は紛い物の命だからね。同情してほしくてこんな話をしてるんじゃない。兄貴がここまでたどり着いたら、真実を明らかにして、兄貴の反応を見て楽しむ段取りだったんだしさ」

「命に紛い物も本物も無いんじゃなーい? 命は命だよー」


 純子が意見し、吹雪が不機嫌そうな表情に変わる。


「せっかくもらった命を、吹雪ちゃんは随分と変わった使い方しちゃったみたいだけどさあ。それは本当に自分で望んだことなの? 楽しいの? 楽しければ、それでいいと思うけど、話を聞いてる限り、そんな風には聞こえないねえ」

「私は――」

「楽しいわけがないっ」


 吹雪が何か言おうとしたのを遮るように、香が大きめの声で吐き捨てた。


「吹雪が自分を貶めたことは、傍で見ていた私への嫌がらせのニュアンスであり、自虐であり、さらにはこうして真相を暴露する際に義久を苦しませるためでもあった。そうだろう?」


 吹雪を見下ろして、香は冷たい声で言う。吹雪も香を見上げ、冷やかな視線を浴びせる。


「香はさあ、兄貴の前から姿を消した後もずっと、あたしがいなければ何もできない、屑そのものな奴だったよ」


 意趣返しのつもりなのか、吹雪は話題の矛先を香へと向けた。


「純子から得た力で『ホルマリン漬け大統領』で出世して、最年少、最短記録で大幹部になったけどさ。あれってあたしのアドバイスもあってのことだからね。主体性積極性無いのは相変わらず。自分でものを考えないのも相変わらず。ほぼあたしの言いなりの操り人形みたいなもんだったよ。兄貴ならわかるだろ? こいつはどう考えても、犯罪組織の大幹部なんかになれる柄じゃあないってさ」

「まあな……」


 吹雪の言葉に納得し、同意してしまう義久。


「事実だと認めているし、身の程はわきまえているから、そんなことを言われても何とも思わん」

 涼しい顔で香は言ってのけた。


「そもそも私が裏通りに堕ちたのは、吹雪の異常性を満足させてやる環境を得るためという側面もある。それにはホルマリン漬け大統領という組織が、最も適していた。そして義久、お前にもこの素晴らしい世界の招待状をそっと手渡した。それこそが、お前の人生を狂わせた、あの吹雪の死を偽った映像だよ」

 香の口元に、微かに冷笑が浮かぶ。


「俺を裏通りにこんな形で呼び寄せたと?」

 若干呆れ気味な声をあげる義久。


「そうだ。私の望みでもあり、吹雪の望みでもあった。ここに辿りつくまでは――な」

「兄貴の性格なら絶対私の仇討ちとか考えて、裏通りを憎み、組織を憎むって、あたしは確信してたよ。で、最後に真相暴露して卓袱台返しして、兄貴の呆然とする顔を拝みたかったんだ。ドッキリでしたーってね」


 意地の悪い口調で言うと、吹雪はゆっくりと立ち上がった。


「兄貴、ケリつけようよ。銃くらいは持ってるだろ? あたしとタイマンしろよ。あたしは一応吹雪だけど、本物の吹雪じゃない。兄貴を苦しませて、人生を狂わせた悪魔みたいなもんだから、遠慮いらないよ?」


 吹雪が銃を抜く。だが義久は黙ってただじっと吹雪を見つめている。


「なあ、クソ極まりない因果にケリをつけるためにここに来たんじゃないの? あたしはそのつもりだよ。ほらほらっ、さあさあっ」


 はやしたて、引き金に人差し指を入れて銃をくるくると回す吹雪。


「銃を取れよ、クソ兄貴。兄貴の人生を狂わせた元凶は、あたしだ。大事な妹の劣化コピーであるあたしがいたから、こうなった。なあ、そうだろ?」

「どうかな。よくわからん。ただ一つ言えるのは、俺はお前達がムカつくけど、直接殺してやりたいとまでは思わない」


 ようやく口を開いた義久の言葉に、吹雪の顔が怒りに歪む。


「じゃあ一体何しにきたってんだよっ! 冷やかしか!? ああっ!?」

 苛立たしげに叫ぶ吹雪。


「まさか昔通り仲良くしたいと思って来たとかか?」

「そうだよ」


 嫌味たっぷりに言ってのけた吹雪に対し、義久は優しい声音であっさりと肯定した。

 吹雪は一瞬鼻白んだが、大きく息を吐いて、何かを悟ったような穏やかな笑みを浮かべてみせた。


「駄目だ、こいつ。香、手本を見せてやりな」

「ああ」


 吹雪に促された香が頷き、吹雪の背に銃を突きつける。義久が表情を強張らせる。


「賭けはあたしの勝ちだね。約束を果たしなよ」

「ああ」


 吹雪がそう言って寂しそうに笑う。香はもう一度静かに頷き、引き金に力をこめる。


「やめろっ!」

 制止の声の直後、銃声が響き、吹雪が前のめりに倒れた。


「吹雪っ!」

 名を叫び、吹雪に駆け寄って抱き起こす義久。


「何でお前がやらなかった? 義久。何で私に撃たせた? 台無しだ。私とこいつの願いを無為にしてくれて……」

 恨みがましい口調と視線で、香が問う。


「私はずっと待っていたんだ。お前がいずれ来てくれるのを。この悪魔を殺してくれるのを。私には出来なかった。やりたくなかった。偽者だとわかっていてなお、私の手では殺せなかった。全てを知ったお前なら、きっとできると信じていたのに、結局賭けに負けて、私が手を汚してしまった。どうしてくれるんだ? とんだ期待外れだ。最悪だ。お前を信じていたというのに……何だこの最悪の展開は。茶番だ。私は道化だ。待ち続けていた時間が無駄すぎた。これならさっさと私が、この吹雪の姿をした悪魔を殺しておけばよかったという、そういう話ではないか」


 香のうわ言のような台詞を、義久はほとんど聞いていなかった。それよりも吹雪との会話に神経を注いでいた。


「どうして……こんなことになっちゃったんだろ……」


 香がうわ言めいたことを口にしている最中、吹雪は自分を抱き起こす義久を見上げ、独白するかのように語りかける。


「あの時……塾の帰り道に寄り道さえしなければ……。いや、寄り道したのはあたしじゃなくて、オリジナルだけど」

「もういい。喋るな」


 ありがちなクサい台詞を言っていると義久も自覚していたが、本心からその言葉が出た。


「今際の際だから喋らせてよ……。今のあたし……兄貴の知っている吹雪じゃなくて、魂は別だけど、脳も移植したせいで……記憶も……想いもあって……」


 吹雪の目が潤みだす。それを見て、つられて義久の目頭も熱くなる。


「だから本物の……吹雪も、こう言うと……思う……。ご……め……」


 言葉の途中、吹雪の体から力が抜けた。

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