第十四章 30

 翌日、義久は護衛代わりに純子を伴って、香の家へと向かった。


「怖い? 真実を知るのが」

 香の住むマンションの前まで来た所で、純子が尋ねてくる。


「そりゃあな。今までの俺は一体何だったんだって気持ちにずっと捉われて、心が不安定な所に、さらにろくでもない追い討ちかけられる気がしてならないからさ」


 表面上は平静を装いつつも、目的を見失ってことで、アイデンティティーが揺らぎそうになるのを、義久は必死で堪えていた。


「目標を見失ったとしても、その目標に向かって歩いていた過程が、無駄になるわけじゃないよ? まあ喪失感はどうしょうもないけどさー」

「理屈じゃわかっているし、切り替えもするつもりだよ。このまま裏通りのフリージャーナリストって生き方でいいし」

「でもそれには力がいるし、私の実験台になってもらう代わりに改造強化が――」

「改造勧誘はもういいって。でも一応考えとくよ」


 純子の言葉を遮り、ベルを押す。


『豪華な護衛だな。裏通りの生ける伝説が同伴とは』

「さっさと開けろ」


 インターホンから香の皮肉っぽいトーンの声が響き、義久は苛立ちを覚える。

 マンションの入り口の扉が開き、二人は香の部屋へと向かう。


「冷静にねー。感情的になると、ろくなことにならないよー」

 エレベーターの中で純子が忠告する。


「言っちゃ悪いが、昨日の美香ちゃんみたいにはなりたくないな。たとえ怒っても、コントロールされた怒りじゃないとな。ま、大丈夫さ。俺も記者時代、散々失敗してきたしな」


 正直義久は、昨日美香は井土ヶ谷を撃つべきではなかったし、撃ったことで美香は傷ついたとも思っている。しかし誰かが井土ヶ谷を止める役割を担わなければならない事も、承知している。それがよりによって美香であった事に、憐憫を抱く。


「一人で来るのが怖かったか?」


 香の部屋の前に行き、扉が開いて香が顔を覗かせるなり、嫌味を口にする。


「別に罠にハメて殺したかったわけじゃあない。元々私達しいつも三人一緒だった。だからまた三人で水入らずで、真実を明かしたかっただけだ」

「勝手なことぬかすな。さっさと吹雪に会わせろ。そして真実とやらがどんなに面白い話か、もったいぶらずに聞かせろよ」


 釈明するかのような香に、不機嫌そのものの面持ちで義久は煽り気味に言い放つ。

 香は小さく息を吐き、二人に入るように促す。


 十畳の和室へと通され、そこにいた人物を見て義久は息を呑んだ。長かった髪は短くおかっぱにしたうえに茶色く染めているし、歳もとってすっかり大人になっているが、面影は色濃く残していて、見間違いようがない。


(本当に生きていてくれたのか……)


 これは良い夢なのか、悪い現実なのかわからない。一体どういう経緯があったかもわからないが、ずっと死んだと思っていた吹雪が、こうして生きて目の前にいる。その事実が感無量であった。


「吹雪……」

「やあ、九年ぶりね。兄貴。それに純子」


 畳の上にあぐらをかいたまま二人を見上げ、吹雪はにたりと笑った。


(純子?)


 吹雪の口からその名が出たことに驚き、義久は自分の隣にいる純子を一瞥する。


「久しぶりだねー、吹雪ちゃん」

「は?」


 こちらも吹雪を知っているかのような発言をする純子に、義久は口をぽかんと開ける。妹の生存の感慨も吹き飛んでしまう。


「まさか純子……お前も……」


 純子の方を向き、義久は疑念を露わにする。


「騙していたわけじゃないよー。黙ってはいたけどね。この件は私の口から言うのはフェアじゃないと思って、一応香君と吹雪ちゃんの顔も立てたんだよー。私は義久君に協力しているし、香君とは立場上は敵だけど、吹雪ちゃんとはそういうわけでもないしさあ。まあ、話を聞けば、私が真相を知っていながらも一切語らなかったことも、納得いくと思うよー? そもそも義久君とは本当に初見だし、うちを訪ねてきたのも、誰かに仕組まれていたってわけでもないんだから」


 何のことだか全くわからないが、純子と吹雪が知己であり、しかもそれを隠していたという事実だけはわかった。


「そうだ。むしろ私が純子を疑ったくらいだ。私をハメるために、わざわざ義久を掘り出してきたのではないかとな」

 吹雪の隣へと移動しながら、香が忌々しげに言う。


「この吹雪は本物の吹雪じゃない。クローンだ」

 さらに香が口にした言葉に、義久の思考回路が一瞬停止した。


「何の因果だろうなあ。兄貴がうちらの組織にとうとうちょっかいだして、しかもそれがクローンスレイブ販売事業からってんで、あたし、笑っちゃったよ。皮肉だね。井土ヶ谷のクローン販売から、同じくクローンとはいえ、それとは何の関連性も無かったあたしまで辿り着くとかさ」

 へらへらと笑いながら吹雪。


「本物のあたしは死んでいる。あたしは九年前に純子が作ったクローン吹雪さ。ただ、流石に純子のクローン技術は、ホルマリン漬け大統領お抱えの三流技術者なんかよりはるかに優れていてさ、寿命短いなんてこともないうえに、記憶の移植までやってのけた。でもさ、記憶の移植を受けても、魂は別なんだ。あたしは高田吹雪。でも、兄貴の知る吹雪じゃない。移植された記憶の影響も受けているけど、人格まで同じってわけじゃない。別人よ。あたしはオリジナルの吹雪とは別人の、コピー吹雪でしかないわけ」


 片方の口角を吊り上げ、歪な笑みを張り付かせ、自虐的な口調で話す吹雪。

 義久は自分が今、悪い夢でも見ているのではないかと疑った。むしろ、悪夢であってほしいと願う。


「どういう経緯で、吹雪のクローンが?」

 必死に冷静になろうとして努めながら、義久は尋ねる。


「私が純子に依頼した。吹雪の死に耐えられなくてな」

 香が無表情に答えた。


「代償として私は純子の実験台にされたが、死なずに済んだどころか、便利な力も手に入れた。義久――それにお前の家族も、吹雪がクローンと入れ替わったことを知らないまま、一年ほど共に過ごしていたんだ」

「吹雪ちゃんのことは覚えていたけどね。それが義久君の妹だとまでは、知らなかったよー。香君と幼馴染だって聞いた時点で、初めてわかったけどね」


 香の言葉を継ぐようにして純子が言う。


「クローンという形で命を生み出すのは、命を弄ぶ行為で賛同できないって、言ってなかったか?」

 純子の方を向いて、心なしか責める口調で義久が尋ねる。


「特例もあるよー。それに私自身が好みじゃないのは変わりないよ。同情して引き受けはしたけどねー。あと、私気まぐれだから、その時の気分とノリってのもあるしさあ」


 悪びれることなく純子は言った。今までこの少女のことを信じていたが、今や義久にとって、香やクローン吹雪と同レベルの胡散臭い存在になっている。


「吹雪がホルマリン漬け大統領に殺された映像は、誰が作った? 香か? 純子か?」

「私を共犯みたく思わないでほしいなあ。私は吹雪ちゃんのクローン作って、香君を実験台にした以上のことは、多分してないと思うよー?」


 猜疑心の塊となった義久をなだめるように純子。


「あの映像は私と吹雪の二人の発案だ。当然私達で作った。吹雪が死んだように見せかけるため。そして義久、吹雪を殺されたという怒りと悲しみをお前に植え付けるためにな」

 香が答える。


「俺に? 何だか話がどんどんわけわからん方向にいってるな」

「全て聞けば兄貴も納得するんじゃないかね」


 肩をすくめる義久に、吹雪も肩をすくめてみせる。

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