第十四章 29
香が裏通りに堕ちることを踏み切ったのは、香が高一になったばかりの頃だ。
きっかけは、当時中二の吹雪がおかしくなったからだ。売春組織で働き、おかしなショーに出て稼ぎ、稼いだ金でまた男を買い、ドラッグに溺れ、倒錯した悦びに浸っていることを、香は知った。
(吹雪は一年前のあの時死んだんだ。今いる吹雪は紛い物でしかない)
変わり果てた吹雪を見て、香は思う。さらに遡る事一年前に、吹雪が変わってしまう出来事があった。
香は苦しんだ。吹雪は、自分のやっていることを香にバレたのではなく、自らバラしたのだ。香を苦しめるために。
このままでは吹雪の命も危険であると、香は判断する。すでに吹雪は借金まみれになっていて、『安心切開』という臓器密売組織の担保にまで入っていたからだ。
(そうか……なら、本当に死んだことにすればいい。吹雪をこのままにしてはおけない)
考えた結果、香は吹雪を死んだように偽造し、吹雪を高田家から離して自分で引き取る事に決めた。なおかつ、自分が裏通りに堕ちて、それなりの地位と財と力を手にし、吹雪の安全を確保して、彼女の快楽を満たしてやる事を決めた。
香が吹雪に死の偽造と裏通りに堕ちることを提案した際、吹雪は香にこう告げた。
「あたしと賭けをしない? その賭けの材料として、あたしが死んだ事にする映像を流してよ」
吹雪の口から賭けとやらの内容を告げられ、香は驚嘆する一方で、彼女が何でそんなことを提案してきたのか、理解もできた。
そして吹雪がホルマリン漬け大統領に殺された偽造を行うと同時に、香は裏通りに堕ち、ホルマリン漬け大統領の一員となった。
吹雪は香に様々なアドバイスを出し、香の組織内での出世を手伝う。香が一年前に雪岡研究所で得た能力も、組織内の出世では役に立ち、香は若干十六歳かつわずか半年という最年少最短記録で大幹部へと登りつめた。
だが二人の心がそれで満たされたわけではない。吹雪も香も、その心は疲れきっていた。
二人はただずっと待っていた。賭けの結果を。自分達が撒いた餌に食いついた魚が、自分達が竿を引くこともなく、餌に食いついたまま、陸まで飛び出して自分達の元に現れるのを。
***
井土ヶ谷邸から雪岡研究所に戻った四人が、リビングにて純子に報告を行う。
「一応これで、クローンアイドル販売の件に関して出きることは、全てやり尽くしたと思う。担当責任者も死んだからな」
美香の手前、言いにくかったが、いろいろと世話をしてくれている純子に報告しないわけにはいかない。
「その辺は真君からメールで聞いたよー。美香ちゃんが殺しちゃったんだってねえ。あまり好んで人殺ししない美香ちゃんなのに。余程腹に据えかねたんだねえ」
義久が触れにくかった話を純子の方から堂々と口にしたが、純子は純子なりに美香のことを気遣っているようだった。
「私は奴のしている事が許せなかったし認められなかった。その気持ちは変わらん。だが、奴に仕えていた何人ものクローンを悲しませてしまった。彼女達の中では、私は大事な主人を奪った、殺人者に過ぎない」
ダークな声と面持ちで、搾り出すように心情を語る美香。
「いちいちそんなことを口にするな。その気持ちを持つこと自体は大切だろうが、口にすると、慰めてもらいたくて甘えているように聞こえるぞ。腹の底に収めておけ。口にしなくてもお前の気持ちは皆わかっている」
言葉のうえでは厳しいが、意識して優しい声を出して、美香に話しかける真。
「そうだな! それに加え、やってしまったことをいつまでもくよくよするのも情けない!」
ぱちんと己の頬を叩いて気合いを入れ、いつもの調子に戻る美香。
「へーい、真兄、今日は優しいじゃんよぉ~」
「この間のクローン美香を連れて来た時、僕が情の無い男みたいな扱いで散々だったからな。今後はできるだけ優しくなるよう、努力してみるさ」
からかうみどりに、小さく息を吐いてそう返す真。皮肉なのか本気なのか、周囲にはいまいち判別できない。
「じゃあ俺は今日の編集作業に入るよ」
「ちょっと待って」
リビングを出ようとした義久を純子が呼び止める。
「昨夜の調教施設前でのドンパチと、中での香君との会話が、鞭打ち症梟のサイトに反映されたよ。これまた反応が凄いねー。あがったの数分前なのに、閲覧数がもう四桁とか。裏通り中で注目されまくってるみたい」
純子の言葉に反応し、他の四人も一斉に、自分の顔の前にホログラフィーディスプレイを投影し、鞭打ち症梟のサイトを開く。
「おー、こりゃ凄い。ん? 速報?」
記事のページの上段に出た赤い文字を見て、義久は怪訝な声をあげ、赤い文字を触れる。
『ホルマリン漬け大統領、クローンアイドル販売事業から手を引くことを宣言』
開いたページには、以上のような見出しがでかでかと載っていた。
「終わったねー」
「井土ヶ谷の件がまだ鞭打ち症梟にあがってないというのに、決着がついてしまったな!」
純子と美香が言う。
「ああ、あっさり終わった。ペンが剣に勝ったか。実際は剣の力も借りまくったけどな」
脱力感を覚えつつ、義久が言った。一つの目的が達成されたというのに、あまり歓喜の感情は無い。達成感も無い。
「俺はホルマリン漬け大統領って組織を少しずつ痛めつけようと思って、一番ネタになりそうなこのクローン製造販売に目をつけたんだ。で、それをある程度追求したら、今度は他の……って感じで、この組織に粘着してやるつもりだったけど、何かもうどうでもよくなったな」
倦怠感に包まれながら、義久はそう言って大きな溜息をつく。
(あいつの言うことが本当なら、俺が今までやってきたことは……俺の想いは一体何だったんだって話になるわ)
昨日の香との会話を思い出す。敵討ちのために捧げた人生は、全て見当違いだった。協力してくれた純子や、クローン販売を目の仇にする美香の手前、クローン販売の件だけは最後まで全力でやり遂げようと決めていたが、その最後があっさりと訪れてしまった。
(でも全部終わったわけじゃない。ケリをつけなきゃならない……)
己の心に暗い炎が灯るのが、義久にはわかった。香との再会と、彼の告げた言葉の全てが、義久の心を大きく揺さぶる一方で、照準を失った矛先が、自動的に新たな照準へと定められていることを実感した。
「で、鳥仮面の大幹部の招きに応じて、一人で行く気か?」
「よっしー、あいつを殺すつもりなんだね? 絶対返り討ちにあうと思うぜィ」
真とみどりが声をかけてきて、義久は苦笑いを浮かべる。
「お見通しか……と言いたい所だが、殺すまでは考えていなかったよ」
「ふわぁ……そのわりにゃ、殺意が見え隠れしてたけどぉ~?」
頭をかきながら答える義久に、なおも突っこむみどり。
「あいつの言うことが本当かどうか確かめたい。それだけだよ」
問題は確かめた後にどうするか、だ。
義久も予感はしている。自分が想像している最悪よりも、ひどい答えが待っているであろうと。
「奴の言っていたことが真実だったらどうするつもりだ?」
「そこまで考えてない。それどころか、もっとひどい真実を知ると見たね」
真に問われ、義久は苦笑いを浮かべたまま肩をすくめて言った。
「ようするに行き当たりばったりで、とにかく行ってみるだけってことか。そういうノリは嫌いじゃない」
「アバウト同盟っ」
真の言葉に反応して、みどりが思わず口走る。
「一人で行くのは危険だから、せめて改造手術していった方がいいんじゃないかなー。再生能力とかどうだろ?」
「いや、改造はいいや……」
純子に勧められたが、義久はやんわりと拒否する。純子はわりと真剣に親身のつもりのようであったが、だからこそちょっと怖いものを感じた。
「おそらく香君も義久君に真実を伝えたくているんだろうね。だからわざわざ呼んだんだよー」
「どうしてそう思う? 今まで黙ってたんだし、いつしか俺を避けだして疎遠になってたんだし、奴は俺に知られたくなかったんだろう? それがどうして今更?」
純子の言葉を不思議に思い、義久は尋ねる。
「んー……騙していたこと、黙っていたことに引け目があるからこそ、避けたんじゃなーい? そして引け目があるからこそ、いい機会だから全て暴露して、ケリをつけたいと思うって感じじゃないかなー。あくまで推測だけどさ」
「あたしも純姉に同感。よっしー、もう少し相手の立場に立って物を考えるようにしないとダメだぜィ」
純子とみどりの言葉に、義久はいまいち納得がいかなかった。
義久の知る香は、そういう思考をする男ではなかったように思える。ネガティヴで主体性が無く、思い切った決断などすることも無い。それともみどりの言うとおり、義久は香のことをよく見ていなかっただけなのか。
「つまりあいつは俺に真実を暴露した後で、俺を殺そうってのか? そんな自分勝手な奴だったとは思いたくないが……」
若干憮然とした面持ちで義久。
「全て暴露して、それから殺すという推測は、あっていると思う。そうでなければ一人で来いとも言わない」
真が言った。
「でも香君の言い分に付き合うことは無いんだよねー。今言ったように、こっちはこっちで然るべき予防策をとって望むべきなんだよー」
「いや、今言ったようにって、どれのことだ? 改造手術の自衛策か?」
純子に向かって義久が尋ねる。
「私には純子の言いたいことがわかるぞ! つまり、奴との約束を守ることなどなく、護衛つきで会いに行けばいい! それで奴が会わないということもない!」
いつにも増して力強い口調で叫ぶ美香。
「話がしたいんだったら、そうだろうねえ。でも一番いいのは改造手術してパワーアップすることだよー」
「そ、そうかなあ……」
改造云々はともかく、義久を殺そうとしているのであれば、一人で行かないと会わない気がする。
「どーしたらいいんだよ。そりゃ俺だって死にたくはないが、香と話はしたいし、妹と会えるものなら会いたい」
頭を抱える義久。変貌した吹雪と会うのが怖いという気持ちもあるが、それよりもこの目で確かめたいという気持ちのほうが強い。
「俺はただ復讐のためだけじゃなく、真実を追いたいから記者になり、真実を追って表通りの記者をやめて裏通りへと堕ちたんだ。だからここは最後まで突き進まないと俺じゃないんだよっ」
「行くのは確定として、向こうの言いなりになっても殺されるから、どうするかって話だろうに。こじらせることは無いだろう。皆自衛しろと言ってるだけだ。そこで自衛したら会ってくれないかもしれないと、そんな悩みを持つのは馬鹿げてる。というかズレている」
苛立ちながら訴える義久に、こちらも苛立ちを込めた口調で真が断ずる。
「だから死なないように、改造パワーアップするのが一番いい手段だってばー。最新の再生能力が理論通りうまくいくか、試してみない?」
「純姉、しつこ~い」
「えー、どう考えたってこれが一番いい手段じゃなーい。それに今後裏通りで生きていくためにも、力は絶対に必要なんだしさー」
みどりが笑いながらからかうのに対し、純子はわりと真面目に話す。
(純子の言わんとしていることもわかるな。俺が自衛できないことが問題になっているし、今までだって、真や美香ちゃんに頼りっぱなしだったしなー)
一応銃も持っているし、訓練もしたが、今の自分の力ではとても自衛できるとは言いがたい。こちらの世界の刺激が心地好いと感じてしまったので、もう表通りに戻る気も無く、この後も裏通りでやっていくつもりでいるので、真剣に見つめなおさければならないと、義久は考える。
「まあ危険なのはわかったし、とりあえず香に電話かけて話してみる。君らを連れて行って会ってくれないとかになっても、それはそれで困るしな」
そう言って義久が電話をかける。
『何だ?』
「お、この番号でまだ通じたか」
笑い声を漏らす義久。
「一人でってのは、殺されに行くようなもんだからって言われてるんで、護衛連れていってもいいか?」
『わかった。一人だけ連れて来い』
即答と共に電話が一方的に切られた。
(こんなに早く答えるなら、何だってこないだは、一人で来いとか言ったのかねえ。しかも速攻で切りやがって。話がしたいのかしたくないのか、わからんやっちゃ)
義久には現在の香の心情がどうしても理解できない。
「護衛一人だけ連れて来ていいだってさ」
「んじゃー、私が行くよ」
純子が片手を上げて名乗り出る。
「お前は今回引っ込んでいるんじゃなかったのか?」
この申し出は義久も意外に思ったが、真も同じ思いで尋ねる。
「最後の最後は美味しい所取りしてみたいしねー。それに、私の目で直接確認してみたいことがあるのと、現場で義久君が私に問いただしたいことがあると思うからねー」
「何だそりゃ……?」
純子の意味深な台詞を不審がる義久。純子は何かしら、展開を予測しているように思える発言であったが、どうせ今は教えてくれないのだろうとも察した。そうでなければ、こんな言い回しはしない。
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