第十四章 28

「俺はこの商売をもっと拡大していきたい。今は金持ち連中に高値で売りつけるだけだが、いずれは一般でも販売できるようにしたい。そうすることで、誰もが理想のパートナーを手に入れられる時代が来る。理想の天国ができる。そうすれば、俺はその名誉ある先駆けとなれるな。俺の名が伝説として残る。素晴らしい話だ」

「戯言はそこまでにしておけ」


 低く静かな声が、美香より発せられた。


(うわぁ~……美香姉の怒りの波動がこっちまでびんびん伝わってくるよぉ~)


 みどりが笑いながら美香を見る。笑う場面ではないが、みどりの性格的に、美香がこの場面で怒りまくっているのを見て、おかしくて笑ってしまう。


(早くも来たかな……)


 美香がキレて物申すところを密かに期待していた義久が、少し後方に下がって距離を置いて、美香の顔を映す。カメラの角度を変えれば、美香と井土ヶ谷双方を収めることのできる位置だ。


「どの辺が戯言だと思った?」


 美香の方に顔を向け、井土ヶ谷が静かに問う。こちらも怒りを滲ませている。


「クローンを奴隷にして従える方は幸福でも、主に従うための奴隷という扱いを受けるために生を受けたクローンは、幸福にはなりえんだろう」


 いつもの叫ぶ口調ではなく、薄ら寒くなるほど低く抑えた声が美香から発せられる。


「俺が今話したことを聞いていなかったのか? もっとわかりやすく話そうか。人間の雌は雄に従うように設計されている生物だ。しかし男女平等という悪しき観念により、女は増長しきってしまっている。これは男女双方にとって歪な状態だ。故に、全ての男に支配できる女をあてがうのが、私の目指す理想社会だ。そうすればクローン以外の増長しきった女の多くは、間違いなく社会で立場を失い、駆逐されるだろう。あるいはそうなる前に、クローンスレイブを見習って、自らも可愛がられるパートナーとなるよう媚びて努力することで、生き残るかもしれん。それでこそ、人間という種族の正しい有り方だと俺は信じている」

「私の言ったことも聞こえていなかったようだな。私としては、女が男の下に尽き、従順に尽くす形であろうとも、構わんと思っている。相手が好きな男であればな。だがクローンの奴隷は、相手を選ぶことが出来ない。その時点で、幸福になるのは主の方だけで、クローンはただの商品、道具にしかならないということだ。そんな構図が……正しい姿であるわけがないっ!」


 最後の一言だけ、いつもの美香に戻って――いや、いつも以上に強く大きな声で叫んだ。


「鞭打ち症梟に今朝あがった、三木谷のやりとりと、私と十三号のインタビューは見なかったのか!?」

「見たぞ」


 美香に問われ、それまでふんぞりかえっていた井土ヶ谷が腰をかがめ、一瞬ではあったが、明らかな苦渋の表情を浮かべた。


「奴がクローンを乱暴に扱い、何人も殺しては新たに仕入れていたのはわかっていた。だから奴の個人情報を流したんだ。俺に代わって殺してくれて礼を言うよ」


 皮肉ではなく、真面目な口調で言う井土ヶ谷。


「それをここで口にしてよいのですか? このインタビューもあげる予定ですが」


 信用を損なうというニュアンスを込めて義久は確認する。クローン販売事業を潰して、ホルマリン漬け大統領にダメージを与えてやるのが目的だった義久としては、願ったりかなったりだが、一応取材をする立場として気遣う。


「構わん。今後の販売では、クローンに対して不当な扱いをさせぬよう、細心の注意を払うつもりだからな。契約内容にも盛り込む。破った者には相応の対応をしてやる。三木谷はその見せしめということでいいだろう」

「まだ続ける気か! そうはさせん!」


 表情にも怒りを露わにして美香が叫んだ。


「だから、買い取る側に、扱いにも気をつけさせると言ったろう」

「それだけが問題ではない! クローンに選ぶ権利が無いというのは、どう考えても認められん! さらに決定的な問題として、クローンの寿命が短いことだ! 今後クローンを作り続けて、それらのクローン全員の寿命を延ばすとしたら、純子が何人必要だと思う!」


 美香は冗談のつもりではなく、真面目そのものだったが、最後の言葉に義久とみどりは吹いてしまう。


「あんなのが何人もいてたまるか」

「ふわぁ……いっそ純姉のクローンも作りまくればいいんじゃね?」

「世界が崩壊するだろ」


 真とみどりがひそひそと囁きあう。


「それにクローンは自分の存在意義を自覚し、心の中では惨めな想いをしている。自分がコピーでしかなく、オリジナルは別にちゃんといて、コピーの自分はオリジナルの代用として弄ばれるだけという、そんな生を授かって、惨めにならないわけがない……」


 十三号の事を思い出しながら、声のトーンを落とし、苦しげな面持ちで言う美香。


「平行線だな。何を言われても、俺はこの商売をやめんぞ。ノウハウはすでに手に入れたからな。例えホルマリン漬け大統領が手を引こうとも、俺は河岸を変えて続ける。この仕事に誇りを持っているからな」


 美香に視線を向け、井土ヶ谷は宣言した。美香の殺気が急速に膨らむ。


「俺は金が欲しくてやってるわけじゃない。俺が手がけた商品はな、人を喜ばすものだ。特に俺みたいな人間にとってどれほど癒しとなるか……。お前にはわからないよ……。お前みたいな奴には特にわからん」

「わからんこともない。だが認められない!」


 美香が銃を抜き、井土ヶ谷へと向けた。


「三木谷の時とは違う! 今度は躊躇わない!」

「撃つなら撃て」


 井土ヶ谷は美香を見据えたまま不敵に笑った。


「俺にはこれしかないんだ。俺は生きている限り、胸を張ってこの商売を続けてやる。この先、何百何千何万というクローンを作り上げてやる」


 豪語する井土ヶ谷。殺気が最高潮に達した。


「やめ……」


 義久が美香に向かってかけた制止の声は、銃声によってかき消された。

 腹を撃たれた井土ヶ谷が、座っていた椅子から床へと前のめりに倒れる。


「御主人様―っ!」

「いやーっ、やめてーっ!」

「キャーッ! 御主人様がーっ!」


 部屋の扉が開き、銃声に反応したクローン達総勢八名が一斉に室内になだれ込んできて、口々に悲鳴をあげ、井土ヶ谷と美香の間に割って入り、井土ヶ谷をかばう。


「お願いです。御主人様殺さないでくださいっ」

「お願いしますっ。御主人様は殺されるほど悪い人じゃありませんっ」


 井土ヶ谷に覆いかぶさり、または両手を広げて盾になったりしながら、クローン達は美香を見上げて、ある者は泣きながら、ある者はぶるぶると震えながらも、必死に懇願する。

 その光景を目にした美香の目が大きく見開かれ、銃を持つ手が微かに震えた。殺意は完全に消え去り、呆然として井土ヶ谷とクローン達を眺めている。


「うぐ……ううう……う……」


 双眸から涙が溢れ出ると同時に、嗚咽を漏らす井土ヶ谷。


「もっと俺を見ろよーっ! 俺を話題にあげろーっ! 俺を認めて褒め称えろーっ! 俺を尊敬しろよーっ!」


 井土ヶ谷は唐突に喚きだした。自分が一番欲していたものは、称賛と評価。クローン製造販売は、その目的でもあった。


「すごいですー」

「井土ヶ谷様、だいすきー」

「井土ヶ谷様、超あいしてるー」

「凄いなー、憧れちゃうなー」

「流石井土ヶ谷様は格が違った」


 クローン達がそれに呼応して、泣きながらも口々に称賛の言葉を口にする。義久達はただ呆然とその光景を眺めていた。


「俺はただ、皆に……尊敬されたかっただけなのに……好かれたかっただけなのに……げほっげほっ」


 子供の頃を思い出しながら、うわ言のように呟いた直後、井土ヶ谷は口から血を吐き出した。


「御主人様、苦しいのですか? すぐ救急車を呼びます」


 気遣うクローンの一人の手を、井土ヶ谷は穏やかな笑みをたたえて握った。


「あははは……苦しいんじゃない。嬉しいんだ。この気持ち……誰にもわかってもらえないだろうけどな。たとえそう躾けられたクローンのお前達にであろうと、かばわれて、想われているのが……すごく……嬉しいんだ……これだけで……世界で一番……」


 井土ヶ谷が事切れると、クローン達は火がついたように一斉に泣き出した。

 不意にクローンの一人が立ち上がり、井土ヶ谷を殺した美香を見据える。


「御主人様が悪いことをしている人だということは、私達にもわかっていました。でも……御主人様は私達にとっては、絶対に悪い人じゃなかったと、大好きな御主人様であったと、胸を張って言えます」


 クローンは泣きながらも、美香の前に立ってしっかりとした口調で告げた。


(いいのか……全部撮ったけど、これを流しても……。今日あがった三木谷のやりとりや美香ちゃんのイタンビュー以上のインパクトだし、これじゃ今現在うなぎのぼりな美香ちゃんの評価も、一気に下降するかもなー)


 義久としては全部流したい所だが、美香のことを考えると気兼ねしてしまう。


(こういう所が記者として駄目だって、散々言われてたけどな)


 朝糞新聞記者時代を思い出し、頭をかく義久。


「警察に連絡した。ここにいるクローンは引き取ってくれるだろう。あとで雪岡の所に連れて行って、寿命も延ばしてもらうことも言っておいた」


 携帯電話のディスプレイにメールを打ち込み、送信し終えた真が告げる。


「美香ちゃんはお咎め無し?」

「当たり前だろ。裏通りの住人同士の殺し合いに、警察は関知しない」


 言いにくそうに口にした義久の疑問に、そう答える真。


「クローンにもインタビューするのか?」

「いや、それはいい」


 真に問われ、義久はカメラを止めた。


「もう十分だろう。これがホルマリン漬け大統領クローン事業の結末ってことでさ」


 俺の物語の結末はまだだけどな――と、義久は口の中で付け加える。


「ふえぇ、んじゃ帰ろっかァ。美香姉は大丈夫なん?」

 みどりが心配げに美香に声をかける。


「大丈夫じゃないかもしれん……」

 力なく笑いながら、掠れ声で答える美香。


 真が美香の肩に手を置く。その瞬間、美香の感情があふれ出した。

 美香は真にすがりつき、必死に声を押し殺そうとしてうまくいかず、嗚咽を漏らす。


「私はっ……間違っだごどはっ……じでいないっ……ぞうだろうっ……?」

「ああ」


 鼻声で泣きじゃくりながら訴える美香を抱き返し、真は頷く。


(いいなあ、あれ。役得だなあ)

 真を羨ましげに見る義久。


「奴を野放しにしたら、同じこと繰り返すつもりでいたんだしな。何も間違ってない。お前の言った通りだよ。クローン自体の寿命が短いし、客が大事に扱ってくれる保障も無いんだから、奴の商売は褒められたものではない」


 ただの口先だけの慰めではなく、美香に同調する形で理屈を述べつつ、真は美香を伴って部屋の外へと出て行く。

 殺す以外の方法も何かあったんじゃないかと考える義久だが、流石に空気を読んで、それを口にはしない。


「うごっ!?」


 その後姿を見送っていた義久の背中に、いきなりみどりが飛びついてきて、おんぶする。


「あたしはっ、間違ったことはァ、してぬぁ~いっ、そうだろォ~?」

「何だよ、ここはふざける場面じゃないだろう」


 美香の真似をするみどりに、義久は苦笑しながら注意する。


「いや、よっしーが真兄のこと役得だーって感じで羨ましそうに見てたし、可哀想だからみどりも同じ事を……って、よっしー、臭っ!」


 顔をしかめて、義久の背から飛び降りるみどり。


「ああ、最近雪岡研究所に泊まりっぱなしで、ろくに服変えてないから……」

「服じゃなくてよっしーが臭いんだよ」

「ええっ!?」


 場にそぐわぬふざけたやりとりをしながら、何故か既視感を覚える義久とみどりであった。

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