第十三章 29

「という事で決着したかなー。今回の件はね」


 雪岡研究所に戻った純子は、ある人物に電話をかけ、ドリーム・ポーパス号でのあらましを語って聞かせていた


『グリムペニスはお前の宣戦布告と受け取っただろうよ』


 小気味良さそうなトーンの声が響く。


「もちろん私はそのつもりだったよー? 今度ミルクも一緒に遊ばない?」

『応。今度やる時は私の都合にいい時にやるようにして、是非とも私のことを誘ってくれ。私自身も次は参戦してーですし。今回は忙しくてパスせざるをえなかったがな』


 電話の相手――草露ミルクは、純子の話を聞いて御機嫌な御様子だった。海チワワやグリムペニスに対する敵意は、他のどのマッドサイエンティストよりも大きいがため、今回の純子の遊びにより、両組織が大打撃を受けた顛末は、彼女からすれば実に痛快であった。


「そうだねえ。近いうちに最高の舞台を作って、引導渡してあげよー。その時は霧崎教授も呼ぼうか」

『いいですねー。三狂揃い踏みとか胸が熱いわ。おっと、そろそろ寝るから。じゃーな。おつかれさままま』

「んじゃ、またー」


 電話を切ったその数秒後、携帯電話の方に非通知のメールを受け取る。


『臼井亜希子は雨岸百合と通じている。しかし臼井亜希子は必ずしも雨岸百合の味方でもなく、貴女の敵とも言えない。扱いに注意されたし』


 書かれていた内容を見て、純子は目を細めて意味深に微笑む。


(繋がっているのはわかっていた事だけどねー。百合ちゃんの味方とは言えず私の敵とも言えないってことは、送り主からすると、亜希子ちゃんに危害を加えてほしくないって気持ちの現れも、読み取れるかなー。それよりも、このメールの送り主が気になるなあ。零君ではないと思うんだけど)


 純子には心当たりが無い。しかし相手は純子を知っている様子。なおかつ、百合の側にいる人物だろう。

 美香の暗殺を前もって知らせたのも、同一人物ではないかと、純子は見ている。


(んー……私が知っている人物で、百合ちゃんとも関わりが有りそうな人……。ラットの面々は多分違う……)


 思い浮かべていくうちに、一人思い当たった。


(そうだよ。あの子も百合ちゃんに作られたんだよ。で、消息不明になっている、と。百合ちゃんに回収された可能性だってあるわけだ。百合ちゃんに反発を抱いて、こっそり情報を流してくれているとも考えられる)


 確証は無いし、勘や仮定も込みで考えているが、純子は情報をくれている人物が何者であるか、何となく当たりをつけた。


***


 佐野望は引っ込み思案な少年で、彼女イナイ暦年齢の十七歳だった。


 先日、幼馴染で悪友の大槻武麗駆に強引に誘われてナンパしにいったが、まともに異性と会話したのも、一緒に遊んだのも、それが初めてであった。

 そこで出会ったゴスロリ姿の不思議な少女との楽しいひと時は、望の記憶に強烈に焼きついている。また会って、もっと仲良くなりたいと切に願う。


 またここにくると、彼女は言っていた。その言葉だけを頼りに、望は絶好町の繁華街をもう二時間半も一人でぶらぶらと歩いている。


(何やってるのかなー、僕……)


 特に時間指定して待ち合わせたわけでもない、非常に曖昧な約束を頼りにして、それでもあの少女に会いたいという気持ちで、いつまでも街をうろついている望。

 彼女の最後の別れ方もどうかと思う。急いでいたのかもしれないが、非常に曖昧な再会の約束だった。それなのに期待している自分は、もっとどうかと思う。


 いろいろズレていた子だから、お前には難易度だ高いかもと、武麗駆は笑いながら言っていた。確かにそうかもしれない。

 携帯電話も持ってなくて、今まで外にもろくに出たことが無いなどと言っていたし、確かに何かとズレている不思議な子だったし、付き合うには面倒も多そうだ。だがそんな計算など望にはどうでもよかった。


 あの日から、望は亜希子のことばかり考えていた。もう一度会いたいという気持ちでいっぱいだった。


 三時間が経過し、すでに日も暮れた。依然として待ち続ける望。ふと、あの女の子は夢だったのだろうかとすら疑ってしまう。もちろんそんなわけがない。

 この日だけ待っていたのだし、船に乗ると言っていたので、どこかに旅へ行ってそうだ。

 彼女がまだ帰っていないのなら、ここにいても無駄なだけだと、理屈ではわかっている。何時間も粘っている自分が馬鹿のように思える。せいぜい30分くらいにして、また日を改めればいいのに、もしかしたら数分後に来るかもしれないと、期待してついつい待ってしまう。


(僕ってこんなに執着するタイプだったのかなあ……。もしかしてストーカー気質とかある?)


 そう思った矢先、望の視界内に待ちわびた相手がとうとう現れた。


 駅から出てきた彼女は、以前とは微妙にデザインが違うが、それでも相変わらずゴスロリファッションで、すぐに望の目に留まった。


「あ、いた」


 亜希子の方も望をすぐ見つけて、笑顔で呟く。望も自然と笑みがこぼれた。しつこく待った甲斐があったと、喜びに打ちひしがれていた。


「ほら、ケータイ買ってもらったよ」


 望の前で、携帯電話をかざして見せる亜希子。


「で、これでどうすればいいの?」

「えっとね……」


 亜希子の携帯電話をいじってホログラフィーディスプレイを投影し、メアドの交換を行う望。


「操作の仕方も教えてくれればよかったのに……ママったら」


 ディスプレイを顔の前に投影したまま歩きながら、口を尖らせる亜希子。目の前にディスプレイを出したまま歩くのは、禁止こそされていないが、マナー上あまり好まれぬ行為である。それを言っていいのかどうか迷う望。


「説明書はもらわなかったの?」

「貰ってなかったよ。本当ママどうかしてる……」


 携帯電話だけ渡されて、操作方法も一切教えてもらわなかった亜希子である。


「もう一人はどうしたの? あのやたらお喋りなぶれーくって子」

 亜希子が尋ねる。


「いつも一緒にいるわけじゃないよ。あの時はさ、あいつが僕のこと気遣ってくれて、ていうかおせっかい焼いてくれて、内気な僕にいい子見つけてやるとかはりきってナンパして、それでこないだ君に声かけたんだ」

「なるほどね~。仲いいんだね」

「幼稚園の時からのダチだけど、僕と違って活発だよ。武麗駆曰く、そういう組み合わせがいいって話だけどね。片方がアクティヴなら、ツレは大人しい奴の方がバランス取れてるって」


 他愛無い話をしながら、夜の街を歩く二人。


「私といて楽しい? 私ってズレてるんでしょ?」


 不意にそんなことを尋ねられて、望は口ごもる。


「そんな固まらないで、正直に答えていいのよ~? 私だって自覚あるんだから、不機嫌になったりしないって」


 そんな望を見て、亜希子は望の緊張を和らげてやるニュアンスを込め、言った。


「楽しいよ。ズレてるから楽しくないってことはないし、ズレてるから楽しいってこともないし、そこは全然関係無い。むしろそれは僕の方こそ心配してるんだけどね……。女の子と二人きりで歩くのも初めてだしさ」


 思ったことを正直に述べる望。


「これから恋人同士のお付き合い始めて、定期的に会っていればすぐ慣れるんじゃない?」


 何気ない口調で言った亜希子の言葉に、また固まる望。


「い、いきなりそこまで飛ぶの?」

「ぶれーくが気遣って一緒にナンバしたってことは、望が彼女欲しかったからなんでしょ?」

「そ、そうだけど……」

「で、私が望にとってタイプじゃないなら、私とこうしてまた会おうともしないでしょ? もちろん私だって会いに来ないし」


 ズレている所はあるが、決して頭が悪いわけでも鈍感でもないのだなと、望は亜希子の言葉を聞きながら思った。しかしストレートすぎる所は、ズレているが故とも感じる。

 あまりにもタナボタすぎて、望は今ある現実が信じられなかった。こんな上手い話があるはずがない、夢を見ているのではないかとすら思い始めていた。


「ただ友達が欲しいだけなのかと思ってた」


 望は思わずそう口走り、言ってからハッとする。不味いことを口にしたのではないかと。


「うん、そうだけどね。望の方はそうじゃないんでしょ? だから望の方に合わせるわ」

「いや……でも君は僕のこと別に好きってわけでもないんでしょ? それなのに僕に合わせて彼女になるとか……変じゃない?」


 自分でも余計なことを言っていると自覚しながらも、疑問を口にする望。これでおじゃんになる可能性もあるというのに。


「私ねえ、人のオーラみたいなものが見えるのよね。で、今、私の前に立っている望がピンクのオーラでハートいっぱいなのが見えちゃってるし、そこまで好意もたれて、悪い気しないどころか、嬉しいもん」


 ピンクのハートのオーラどうこう言われ、絶句する望。そう言えば会った時も、それっぽいことを口にしていた。


「それに……正直言えば打算もあるかな。私に好意抱いている人なら、外の世界を何も知らない私に、いろいろ教えてくれるかもしれないっていうね。そんなこと思うのは……厚かましいかな?」

「そっ、そんなことないっ、喜んで!」


 厚かましいどころか、無菌培養されたお嬢様をエスコートして、あれこれ教えてあげられるなど、望にとっては美味しすぎるシチュエーションとさえ感じられた。


「でもただ利用しようと思ってるとか、そんなんじゃないからね。それじゃあ友達でも恋人でもないもん」

「わかってるよ」


 望の顔色を伺うようにして言う亜希子に、望は安心させるように微笑んでみせた。

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