第十三章 28

 亜希子は百合より先に帰宅した。零とは途中で別れた。


 家には睦月がいたが、風呂に入っていたので、話し相手にはならない。それ以前に睦月と亜希子は互いに知っているが、亜希子が来てからすぐに、睦月は一人旅に行ってしまったため、これまで挨拶以外にあまり会話を交わした覚えが無い。


 他にはもの言わぬ死体人形の使用人達がいる。防腐処理を施され、体温すらある死体達。脳もちゃんと機能していて、思考回路も備わっているが、感情は無い。魂そのものが宿っていないと、百合から教わった。

 こんなものを実の両親だと思って慕い続けてきたことを思うと、亜希子は怒りと悲しみと虚脱感が混ざった複雑な感情を抱く。そして自分を一つの玩具として育てた百合への、激しい怒りが沸き起こる。


「ただいま帰りましたわ」


 リビングにて一人でネットを閲覧していた亜希子に、百合が室内に入ってきて声をかける。最近べったりの白金太郎の姿は無い。


「おかえりぃ、ママ。随分遅かったけど、まーた何か悪いことしてたの~?」


 空中に投影していたディスプレイを消し、亜希子は百合の方を向く、悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。


「亜希子さんは私を誤解してらっしゃるようね。私は四六時中芸術活動に没頭しているわけではありませんのよ」


 椅子に座ってくつろごうとはせず、立ったまま喋る百合。


「それができれば素晴らしいことなのですけれどね。いかんせん、創作意欲はあってもインスピレーションが沸かなかったり、準備に手間取ったり、待ち時間の方が圧倒的に長かったりいたしますので」

「時間をかけてっていうのは、私みたいなものを創る時のことね?」


 優雅に微笑みながら語る百合の言葉を捉え、自虐の笑みをこぼす亜希子。


「今も進行形なのよねえ。で、ママは何時頃私を殺すつもりなのかな~?」


 ネチっこい口調で尋ねる亜希子だが、百合は笑みを張り付かせたまま、すぐには答えずに何か思案している様子であった。


「昔読んだ小説でね、悪魔と契約した不幸な女の子が、悪魔の助けを借りて何でも願いをかなえて幸せになるんだけど、一番の願いである、好きな男の人と結ばれた所を狙い済まして、悪魔が全てを奪い去り、何もかも壊したあげく、女の子も殺して地獄に引きずり込むっていう話があったんだ。きっとママも同じことやろうとしているのよねえ?」


 それを承知していながらなお、亜希子は百合の元を離れない。離れたいとも思わない。恐怖さえもない。


「でもさ、もう私は絶望を味わっちゃったのよねえ……。これ以上私に何か期待するのって、無駄じゃない? それともまた私をドン底に叩き落すいい案が、ママにはあるっていうの?」


 真顔になってなおも尋ねる亜希子であったが、百合は黙っていた。


(私が亜希子を使って何をしようとしているのか、今口にしたら台無しですし、何より無粋ですわ。単に持ち上げて突き落とすだけが、私の創作ではなくってよ)


 百合はただじっと亜希子のことを見つめながら、声には出さずに心の中で語りかける。たとえ届いていないとわかっていても、心の声で語りかけたかった。


「それにさ、私は外に出て改めて、あの屋敷の中にいたこれまでの十八年間が、ひどいものだと実感しなおしたからね」


 恨みがましい目つきで百合を見る亜希子。


「私はあの屋敷にいて……あの屋敷の中だけでならワガママがかなったけど、でも囚人みたいなものだった。小さい頃からずっとあの屋敷に閉じ込められて、出ることが許されないのって、本当に辛かったのよ。ママには絶対にわからないだろうけどさ」

「へえ、君も閉じ込められていたのか。興味のある話だねえ」


 不意に声がかかり、亜希子と百合が部屋の入り口を見ると、Tシャツ短パンというラフな格好で、濡れた頭に無造作にタオルをかぶせた、少女の姿があった。


「あら、睦月。亜希子さんとお話がしたいのかしら?」


 百合が睦月に声をかける。似た境遇のこの二人が親密になったらどうなるだろうかと、百合は常日頃から期待していた。睦月を閉じ込めていたのも、虐待するよう仕向けていたのも、全て自分の仕業だとバレたとしても、百合は別に構わないと考えている。


「君も……って、貴女も?」


 睦月の方を向いて言ってから、亜希子は百合の方を睨みつける。


「私だけじゃなかったのね。ママ……そういう子を何人も……」

「あらあら、言いがかりですわ。亜希子さんは、この世の全ての閉じ込められていた子は、私の仕業ということにでもしたいのでしょうか?」


 亜希子の視線を受け止め、とぼけた口調で言い返す百合。


「あははっ、何かわからないけど険悪な空気?」


 睦月は亜希子と百合の両方をからかうように言うと、冷蔵庫へと向かい、ミネラルウォーターを出してコップに注ぐ。


「私はつい最近まで、ずっとお屋敷に閉じ込められていたのよ……」


 ソファーに座った睦月に向かって、亜希子はここに来るまでのいきさつを全て語った。自分が百合によって弄ばれた玩具であることも。百合の気まぐれで力を与えられて解放されたことも。何故か雪岡研究所に向かうように告げられ、力を得たことも。純子達と懇意になるよう言いつけられたことも。

 話を聞いているうちに、睦月の表情も次第に険しくなっていった。


「あはっ、家から出られなかったという点に関しては、沙耶と同じだねえ。しかも何で出ちゃいけないのかっていう理由も、かなりイミフだったよぉ」


 亜希子の話を聞き終えて、今度は睦月の方が、言葉少なに自分の境遇を語りだした。


「沙耶は君と違って、毎日母親から酷い目に合わされていたけどねえ。十三歳までかなぁ。閉じ込められていたのはねぇ」

「酷い目って?」


 沙耶というのが何を指しているのか、亜希子は知っていた。睦月の本人格とも言うべきもので、今いる睦月の方が沙耶の作り出した別人格であると、前もって百合から教わっていたからだ。


「日曜日以外はずっと母親に拷問され続けてたのさ。何で沙耶がそんな目に合わなければならないのか、全然わからなかった。今の今までわからなかったけど……」


 言いながら睦月は百合に視線を向ける。


「いや、漠然とそうじゃないかなあとは思ってたよ。百合がいつもやっていることを見た限り、あれは百合が仕組んだことじゃないかなあって……。あはっ、思って当然だよねえ」


 睦月の言葉に嘘はない。常日頃から疑っていた事だ。だからこそ別段ショックでもない。やっぱりねという気持ちである。怒りは感じるが、それを今吐き出す気分でもない。


「私、自由以外は至れり尽くせりのお姫様扱いだったのが、一気に奴隷にまで堕とされた感じだったけど、自由と変化が無い方が苦痛だったのよ。物凄く酷い目に合わされたはずなのに、退屈から解き放たれて変化を与えられた事の方が嬉しいと感じられたのよ。それをママに訴えたら、何故かママが私を気に入って、ここに連れてきてくれたの」

「そんなことされて、何で百合の元にいるのさ」


 睦月は二重の意味で驚いていた。それは自分にも言えることだが、どうも亜希子は百合に対して愛情を抱いているように見受けられる。

 睦月がここにいるのは、目的があってのことだ。百合に対しては怒りと軽蔑の念しかない。


「それでも私にはママしかいないんだもん。それに……こんなひどいママでも、私をあそこから解放してくれて、新しい世界を見せてくれたし、これからも見せてくれようとしている。この人といると楽しいもん」

「亜希子さん……貴女は……」


 百合が何か言いかけて、その言葉が途切れる。

 亜希子に本心を吐露され、百合の顔から笑みが消え、呆然とした面持ちになっていた。

 亜希子に本当にそんな感情があるなどと、百合は思っていなかった。亜希子が嘘をついているようにも感じられなかった。


「あは……俺には理解できないなあ」


 小さくかぶりを振り、睦月は百合を睨んだ。


「しかし……薄々気がついてはいたけど、やっぱりそうかあ……。沙耶を閉じ込めてあんな目に合わせていたのも、裏で動いていたのは百合か。そうじゃないとおかしいもんな。俺のことも芸術品だと言ってたし、俺の前に現れたタイミングとかも出来すぎている感じがしたし」


 睨んだはいいが、百合は睦月のことを見ていないし、睦月が喋っていても全く反応せずに上の空のようであったので、睦月は毒気を抜かれてしまった。


(どうしたんだろ? 百合は)


 いつもと明らかに様子が違う百合を見て、睦月は怪訝に思う。亜希子も不思議そうに百合を見ていた。

 百合は呆けたかのような面持ちで、ぼんやりと虚空を見つめていた。何かショックを受けているかのようにも見える。とにかく傍目から見て、明らかに変だ。


「ちょっと……気分が優れませんわ。せっかく盛り上がってきたところでしたのに。ごめんなさいね……」


 そそくさと部屋を出る百合を、睦月と亜希子はきょとんとした顔で見送る。


「ママ、どうしたの?」

「さあ……」


 顔を見合わせる亜希子と睦月。


「ところで、睦月はどうしてここにいるの? ママのこと嫌っている感じがするけど」

「俺も……行くあてが無くてねえ。それとさ、俺と百合に共通の敵がいるっていう事もあるしさあ。利用できるだけ利用してやろうって所かなあ。あはっ」


 睦月の答えは、半分嘘で半分本当だった。


「ふーん。で、何で女の子なのに男の子の振りしてるわけ?」


 睦月が男装している理由は百合から聞いて知っていたが、あえて知らない振りをして尋ねてみる亜希子。どんな答えが返ってくるか、反応を伺いたくて。


「心は男なんだ。元々は女だったけど。沙耶って名前のね。沙耶は話し相手が欲しくて、心の中で話し相手を作った。それが俺。でもいつしか沙耶の心は深い眠りについてしまってねえ。後は俺だけが残っちゃったんだ」

「その沙耶って子は、友達が欲しかったのかな?」


 思わぬ質問に、睦月は少し躊躇う。友達というよりは、すがる存在が欲しかったのではないかと、睦月は思う。だがそれを口にするのも憚れた。


「かもねえ。意地悪ばかりする母親以外と接したことがなくて、ずっと一人だったから」

「私でいいなら、友達になるのにな」


 亜希子のその言葉を聞いて、睦月は苦笑いを零す。


「ありがたい言葉だけど、沙耶はもういないんだよねぇ」

「そっか。じゃあ代わりに睦月が友達ってことで」


 さらに亜希子が口にした言葉を聞いて、睦月の苦笑いが朗らかな笑みへと変わった。

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