第十三章 エピローグ
斉藤白金太郎は雨岸邸にて、日々美味しい紅茶の淹れ方を研究している。
茶のブランドの研究はもとより、水やポットやカップの選択、温度、分量等も、緻密かつ執拗に試行錯誤を繰り返す。
現時点でベストと思われる淹れ方の茶を、百合に出す。だがさらに美味しく飲んでもらうために、日々改良を重ねているのであった。
そしてその日、白金太郎はまた限界を一つ突破し、さらなる旨味を引き出すことに成功した。得意満面で盆の上にポットとカップを乗せ、リビングにて電子書籍の読書をしている百合の基へと持っていく。
「あら、白金太郎。また美味しくなっていますわね」
百合がにこやかに笑い、称賛する。笑顔を向けられてこの一言を聞いた瞬間、白金太郎は幸福と名誉の絶頂感で満たされる。
「あ、ありがとうございますっ。白金太郎はこの瞬間のために生きていると言っても過言ではありませんっ」
感極まった表情で、大袈裟な台詞を口にする白金太郎。
(単純でよろしいこと)
そんな白金太郎の様子を見ていると羨ましくなる時もある。だがこの少年のようになりたいとも思わない。
「白金太郎、貴方には何か悩みが無いのかしら?」
ふと、そんなことを尋ねてみる百合。
「何も」
笑顔で即答する白金太郎。
「罰が必要ですわね」
「えええっ!? 俺の今の発言の何が……ひょっとして百合様、何か悩みがあるんですか?」
立ち上がり、目が笑っていない笑顔でじりじりと迫る百合。たじろぎながらも、白金太郎は言葉途中に気がついて尋ねる。
「亜希子のことでいろいろと考えてしまいましてね」
席に着きなおし、百合は小さく息を吐いた。
「亜希子が悩みの種になっていると? 彼女は気に入りませんか?」
「とんでもない。あの子は睦月以上の逸材ですわ。あの子はきっと素晴らしい芸術作品となりましてよ」
作品を作り上げるための素材としては申し分ない。問題は他にある。
「その素質があるからこそ、生かしましたの。檻の中で過ごしていたあの子が、広い世界へと出ていき、多くの人と出会い、学び、楽しみ、人生の絶頂を得た所で、再び絶望の奈落へと突き落とす。私がそうすると、あの子は思っていますのよ。一度やられたから、警戒していますのよ」
「普段の百合様ならば、そうしていますよね」
「ええ。でも亜希子は違いますわ。警戒している相手にそのようなことをしても、何も楽しいことはありませんし、私にその気はありませんわ。それなのにあの子は、私がいずれ絶望の底に落とそうとしてくると勝手に思い込み、そのうえでなお人生を謳歌しようとしている。私が仕掛けてくるのを待ち、私にカウンターをお見舞いする気でしょう」
そう語りつつも、百合は内心疑い始めている。亜希子が本当にそのつもりなのかどうか。
ひょっとしたら亜希子も迷っているのかもしれないとも考える。自分が亜希子をどう扱うか、完全に決めかねているように。
「現時点で決めている事は、亜希子を純子と仲良くさせたうえで、噛み合わせようというプランですけれど、どういう形でそのように持っていくか、悩んでいますの。果たしてどうしたら一番芸術的になるのかしらと」
この言葉も半分本当で、半分は嘘だった。白金太郎の手前、本心は語りたくなかった。
(あの子は私ですわ。私は……私を創った?)
睦月と自分を前にして本心を語った亜希子の言葉が、百合の心を大きく揺さぶっていた。あの時百合は、珍しく動揺してしまい、二人の前にいることができず、逃げるように退散してしまった。
「ただいま。ママ。また私の陰口叩いてたの?」
そこに帰宅した亜希子が、口を尖らせて百合を見る。
「お帰りなさい、亜希子さん。随分と遅かったですわね」
時計を一瞥する百合。すでに午後九時を回っている。
「あのさ、ママ。私のことさんづけで呼ぶの、やめて欲しいな~。どうもそれ抵抗感じるのよ。睦月や白金太郎や零は呼び捨てなのに、私だけ他人行儀ってのも……」
「わかりましたわ。これからは呼び捨てにいたしますわね」
亜希子の要望を、百合は笑顔で聞き入れた。
「それよりママ、私彼氏できたのよ。いいでしょ~?」
顔を寄せて自慢してくる亜希子であったが、百合はリアクションに困っていた。
「あら……それはよかったですわね」
気の利いた言葉が思い浮かばず、差し当たりの無い返答を返す百合。
「ママも早く彼氏作ったらぁ~? あ、そこの白金太郎とかいいんじゃな~い?」
「な、何と畏れ多いことをっ。俺は所詮百合様の下僕にすみません。きっと百合様にはもっと相応しい素晴らしい男性が……ああっ、そんなこと考えただけで俺は悶々とっ」
「白金太郎、少し黙ってなさいな」
一人で興奮して喚きたてる白金太郎に、百合がぴしゃりと言う。
「亜希子、その恋人を私が壊して遊ぶという展開も警戒して、私に釘を刺すつもりで――牽制するつもりで、わざわざ自分から教えましたの?」
百合が意地悪い口調で尋ねるものの、正直百合としては、散々地獄を味わった亜希子をこれ以上しつこく嬲るつもりもない。適度に意地悪なことはしたいとは考えているが、今は亜希子を手元に置いて、成長を見守っている方がよほど楽しい。
「ふん……。ママ、全然わかってないのねえ」
小馬鹿にしたように鼻を小さく鳴らす亜希子。
「これからもっともっと、ママを楽しませてあげられそうなピースを見つけてきてあげるね。それをどうするかはママが決めて、好きにして頂戴。もちろん私、黙って従うだけじゃないからね。やってほしくないことは防ぐつもりだし」
どうやって?――とは、口にはしないでおく百合だった。それをわざわざ口にするのも無粋な気がして。
(一体この子は何を考えているの? どこへ向かおうとしているの?)
楽しそうな笑顔で自分を見る亜希子に、百合はかつてないほど期待に胸を膨らませていた。
***
雪岡研究所内にある訓練室にて、真とみどりが向かい合い、互いに木刀を構えている。みどりの木刀は薙刀のそれだ。
みどりが真の脛めがけて鋭い打ち込みを行う。
真は素早く後退してかわし、二撃目に対してカウンターを狙うつもりで、みどりの二撃目を待つが、みどりは畳み掛けて攻撃しようとはせず、間を置く。
少し離れた所で、純子と累が椅子に座って見学している。見学だけではなく、時としてアドバイスも飛ばしている。
「真君、見抜かれてるよー。慎重と及び腰は違うよー」
特に純子はうるさいくらいに頻繁に声をかける。やきもきして声をかけずにいられないのであろうと、隣に座っている累が茶をすすりながら思う。
純子の声に呼応したかのように真の方からみどりに接近するが、真の木刀の範囲外から石突を腹部に見舞われ、体をくの字に曲げ、そのまま蹲る。
「真君、慎重と及び腰は違うけど、慎重さを忘れて仕掛けたら駄目だよー」
「ふえぇ……純姉……今の真兄は、いちかばちかで飛びかかってきたわけじゃないんだぜィ」
さらに声を飛ばす純子に、みどりは苦笑がちに言った。
「傍から見てるとわかりづらいだろーけどォ~、すげー駆け引きあったんだわさ。目と目で読みあいって感じ? だからあたしも寸止めできずに思わず打ち抜いちゃったしね~」
「そっかー、真君、すまんこ」
純子が謝るものの、結果は相手の攻撃をしっかり食らっているのだし、真からすると、みどりのフォローも純子の謝罪も、どちらも情けなくなってくる。
「真……焦っているのですか?」
累が問う。
「船で……何があったのか知りませんが、心が……乱れているのが、体の動きに出ているよう、見受けられます。強敵とまみえて、より強さを欲し……己に厳しく修練を課すのは良いことですが……」
「そろそろ動きだしたことに、僕が気付かないと思うのか?」
累と純子がいる方に鋭い視線を送り、脈絡の無い言葉を口にする真。だがその言葉の意味が理解できない者は、ここにはいない。
「僕に出来ることなんて限られているけど、その限られていることを必死にするしかない。お前等から見れば、不恰好か? 危ないか? お前等が肝心の情報を渡そうとしないからこうなっているんだ」
抗議するように言うものの、実際には真はそれなりの情報を独自に調べて掴んでいるし、自分が情報を掴んでいる事も純子には教えていない。
累に関しては、シスターと接触を試みたことだけは、知られてしまっているし、そこから推測もされていそうだが、累の性格上、純子に余計なことを話してはいないであろうと見ている。
「絶対に何も教えないってわけじゃあないよー。私が必要と判断したら話してもいいよ? でも今はその時じゃないかなあ」
真を見つめて、足をぱたぱたとぶらつかせて純子が言った。
(へーい、真兄、御先祖様の言うとおり、本当に今日は落ち着きがないよぉ~? そういう演技してるってんならまだしもさァ)
みどりに頭の中に語りかけられ、ようやく真は気持ちを整え、軽く深呼吸をする。
(僕の見えない所で、見えない敵が動いていて、実は雪岡や累もそれに気がついているかと思うと、腹立たしいんだ)
頭の中で言葉を紡いで答えると、真はみどりの方へと向き直る。
(多分、真兄の第六感が働いて知らせているんだね。真兄や純姉を狙っている敵が、わりと近いところで動いてたってさァ)
(そんな感覚が働いて知らされても、実際に御目にかからないことには意味が無い)
頭の中で答えつつ、真は木刀を構えなおした。
***
とある研究施設。そこでは非合法とされる製品の開発が行われており、いわゆるマッドサイエンティストと呼ばれる者達が何名も、働いていた。
「雪岡純子嬢から実験用素材の差し入れだ」
髭面白衣の中年技術者が、人一人がすっぽりと入りそうな箱を台車に乗せて、ラボへと入ってくる。
「え? あの裏通りを根城として超有名なマッドサイエンティストの? 何でまたうちに……」
ラボにいた若い新人技術者が意外そうな声をあげる。
「おっと、お前は知らなかったのか。雪岡嬢は動物実験を頑なに反対する人でな。代わりに人体実験をするんだ。で、うちらにもなるべく動物実験の数を減らすようにってことで、動物の姿をした人間をちょくちょく送ってくるんだよ」
「動物の姿をした人間?」
「まあ見ればわかる」
訝る若い技術者の前で、年配技術者が箱を開いていく。
「な、何ですかこれっ」
中から現れた者を見て、若い技術者は仰天した。
箱の中から姿を現したのは、人間の手足が生えた、人間サイズの大きさのイルカであった。ちゃんと二本の足で直立している。
「これ、中に人が入っているんですか?」
着ぐるみかと思って若い技術者が問う。イルカのつるつるした肌は、本物そのもののようによく出来ている。
「違うよ。見てくれだけイルカに改造された、元は人間だ。恐らく雪岡嬢に楯突いた者の、成れの果てだ」
嘲笑混じりに答える年配技術者。
「見た目はともかく体組織は人間と変わらないから、実験素材としては優秀だよ。しかもどんなに無茶な実験をして、たとえ心肺停止しても、水をかけると凄まじい再生能力を発揮して元通りになるっていうから、殺さずに無茶な実験を繰り返せる優れものだな。もちろん、完全な不死身というわけではなく、一度再生させたら少し時間を置かないと、もう一度再生はできないらしい」
「そんな凄いもの作れるとか、流石は雪岡純子ですねえ」
若い技術者がイルカ人間に近づき、手を伸ばす。
「おい、迂闊に近づくなよ。結構凶暴だからな」
「ジャアアアアアップ! ジャジャジャジャジャアアアアァァァァアアアァアアァァァップ!」
年配技術者が注意したが、遅かった。イルカ人間は意味不明な叫び声をあげながら、若い技術者に襲いかかり、顔を引っ掻く。
「あいたたた、引っ掻かれましたよ。元人間なんでしょ? こっちの言葉通じないんですか?」
「外人らしい。何でも元はグリムペニスの嫌日家で人種差別大好きなレイシストなうえに、何人も殺人を行っている極悪人だとさ。だから実験素材として使用するにも気兼ねはいらない。何より、我々技術者の天敵わけだしな」
ニヤニヤと笑う年配技術者。
「なるほど、じゃあどんな扱いをしても、良心が疼くこともありませんね」
若い技術者も、イルカ人間の両手を掴んで押さえながら、残酷な笑みを浮かべた。引っ掻かれたお返しも、存分に出来そうだと。
第十三章 ゴスロリと小太刀で遊ぼう 終
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