第十三章 26
「純子」
百合と別れた純子は、しばらく歩いた所で満身創痍のミサゴに声をかけられた。亜空間トンネルの中から、よろよろと出てくる。
「こりゃまた随分とやられたもんだねえ」
言葉ではいたわりつつも、何故か嬉しそうな笑顔の純子。
「早く手当てしないと。腕とか折れちゃってるしさー」
他人の負傷の手当てが大好きな純子からすると、今のミサゴはそそる対象だった。
「すまぬが頼む」
重傷故に遠慮するということもせず、ミサゴは素直に手当てを受け入れる。元々そのつもりで声をかけたのだ。凜の治療を受け入れればよかったと、後悔しながら歩いていた所で、純子を見かけたのである。
ミサゴの腕の折れた場所に、純子は人差し指と中指と親指を突き入れる。
さしものミサゴもこの突然の行為には驚いたが、もっと驚くべきことは、純子の指がミサゴの肌と肉をまるですりぬけているかのようで、触られている感触はあるというのに、出血も無く痛みも感じないということだ。
「折れた骨は繋げておいたけど、完全に繋がったとも言いがたいし、しばらくは安静にした方がいいねー。ちゃんと添え木もしておいた方がいいよ」
言いながら純子は、今度は床に手を突き入れる。まるで紙でも切るように大理石の床が切断されていき、棒状にくりぬかれた。
さらに白衣の内から白い布を二枚取り出すと、一枚でミサゴの折れた手に棒を当てて縛り、もう一枚の布で三角巾を作る。
「貴重な体験だ」
呟くミサゴ。純子のやることがいちいち予想の範疇を超えていて、強烈な印象として記憶に残りそうな気がした。
「丁度よかったよー。今からグリムペニスのアンジェリーナさんを捕まえに行くところなんだ。で、捕まえた後に黒斗君に気付かれないように、亜空間トンネルに閉じ込めておいてほしいんだけど。黒斗君が見つけたら殺しちゃうかもしれないし」
喋りながら、他の傷の手当ても行う純子。
「ジェフリー・アレンは如何にする?」
「その後で捕まえにいこう。それより、その亜空間トンネルって不思議だよね。船の中とか、乗り物の中だとトンネルごと移動しているわけでしょ。亜空間トンネル自体にも慣性の法則が働いていると見ていいのかなあ」
「小難しい理屈はわからぬ。興味も無し」
手当てが終わると、ミサゴは亜空間トンネルを再び開く。
「アンジェリーナ・ハリスの居所は掴んでいる。捕らわれし者の解放を先にしたいが故に放置していたが、救助が済んだ今、彼奴を捕獲に行くこともやぶさかではない」
「ありがとさままま。じゃあ案内よろしくねー」
屈託の無い笑みを広げて例を述べると、純子は先に亜空間トンネルの中へと入った。
***
子供の頃、アンジェリーナはその恵まれぬ容姿故に、学校ではよくイジメられていた。
しかし四年生になった時、クラスの三年生に(クラスは四年生と三年生の複合だった)日本人が入ってきた。それを機に、アンジェリーナの運命は激変することになる。
クラスで唯一のカラードとして、その日本人はいじめられていた。アンジェリーナはそのいじめに積極的に参加するようになった。自分もいじめる側になったおかげで、アンジェリーナは四年生になってからいじめられずに済んだ。
カラードというのは何者にも劣る存在で、当然自分よりも下だ、自分が一番下じゃないんだと、自分はマシだと、いじめながら必死に自分に言い聞かせているうちに、アンジェリーナはいつしか本気でそう信じるようになっていた。
徹底的にその日本人をいじめたおし、最終的に自殺にまで追い込んだ後、他の同級生達が罪悪感に包まれているのを尻目に、アンジェリーナは勝利感と達成感のような感触に包まれた。
また、その程度でビビっている同級生がひどくちっぽけな存在に見えて、自分は特別に優れた存在だと信じて疑わなかった。
その思い込みパワーでアンジェリーナは学業において常にトップを走るようになり、グリムペニスの一員となってからも様々な成果をあげて出世街道まっしぐらで、あっという間に最高幹部の一人になるまで上り詰める。
自分のやることは全て正しい。自分は選ばれたエリートであり、常に成功する。アンジェリーナはそう信じて疑わない。一方でこの世界には、思い通りにならないことが無数に存在し、不快な連中も沢山目につく。どんなに出世しようと、その事実は変わらない。
常に成功しているように思えて、その実、全ての願いがかなっているわけではない。
グリムペニスを動かしている上層部の連中は醜い金の亡者ばかりだ。
醜悪な日本人は、自分が大好きなイルカや鯨を狩る。イルカと性交したいという願いはかなわないし、かなえる度胸も無い。
ストレスも不満も常についてまわる。そちらに対する意識の方が大きい。
だが今回は不満どころの騒ぎではない。自分が築き上げた地位も失いかねないうえ、下手すれば命も危険に晒されている。
「何が悪かったっていうの。私は何も悪いことはしていないっ。きっとジェフリーの怠慢が原因よ。いや、それ以前に何で雪岡純子なんて奴がここに来ているの? 神様の意地悪なの……?」
機械が唸る機関室にてうずくまったアンジェリーナは、床に目を落としたままブツブツと、答えの返らぬ問いかけを行い続けていた。
『ツアー航行中のドリーム・ポーパス号の船内におきまして、組織的な犯罪行為が行われていたことが発覚致しました。現在、海上保安庁の船が、ドリーム・ポーパス号へと向かっております。大変申し訳ありませんが、お客様の身の安全を考え、グリムペニス主催のホエールウォッチングツアーは中止とさせていただきえ――』
アナウンスの内容を聞いて、アンジェリーナは愕然とした表情で顔を上げたが、すぐにその顔が憤怒の形相へと変化する。。
「ふざけないで! 何で私のいない間に、勝手にそんな話になっているのよ! 私の許可も無く、誰の決定よ!」
思わず立ち上がってヒステリックに喚き、頭を抱えてまたうずくまる。
様々な考えが頭の中を渦巻く。一つ確実にわかっているのは、最早自分は終わってしまったということだ。全ては明るみに晒され、責任は全て自分がかぶることになる。
日本のマスコミや政府に圧力をかけるのも限度がある。船ごと沈めて証拠隠滅でも図らない限り、これだけ大量の証人を口止めなどできない。日本のマスコミや警察機関も、常日頃からグリムペニスの圧力を忌まわしく思っているであろうし、ここぞとばかりに反撃に出る可能性もある。
(何で私がイエローモンキーのせいでこんなに苦しむことになるのよ。これというのも、こんなツアーの責任者をやらされるハメになったから……)
「まずグリムペニスのボスをげっと、と」
「あとはジェフリー・アレンか」
考えている最中に、すぐ近くで声がしたので、アンジェリーナはギッョとして顔を上げた。白衣の少女と、真っ白な人外が、自分を見下ろしていた。
「雪岡純子……」
真紅の瞳を睨みつけ、憎々しげにその名を呟くアンジェリーナ。
「はい、どーぞ」
純子が意味不明な一言と共に、アンジェリーナの前に掌を差し出して見せる。掌の上には携帯電話が乗っていて、誰かと繋がっているようであった。
『ミセス・ハリス。状況は全て伺った。彼女から聞かされた』
電話の向こうの声を耳にして、アンジェリーナは一瞬固まった。グリムペニスのボス、コルネリス・ヴァンダムの声であったからだ。
『君の趣味による人さらいは失敗し、さらった人達は全て救出されたあげく、君の悪事は全て露見しつつある。それで合っているな?』
ヴァンダムの質問を聞いて、恐れていた最悪の事態に向かっている事をアンジェリーナは確信した。
『答えなくてもいいがね。船内に流れた放送は、今私も聴いたよ。全て君の責任であるし、グリムペニスとしても、風評被害をなるべく抑えるために、この事実を有りのまま受け入れる事とする。唯一の救いは、だ。君は元々失言が多く、評判も悪かったということだ。君に汚名を雪ぐ機会をやったというのに、君は己の趣味を絡ませて公私混同したせいで、最悪の結果を導いてしまったな。だが君に同情はしない。我々は君の尻拭いの対応に、苦慮しなくてはならないからね』
いつにも増して冷たい声で、ヴァンダムは一方的にまくしたてる。
普段のヴァンダムは、相手の釈明も聞こうとはせず、ここまで一方的に喋る人間でもない。アンジェリーナは、彼の冷たい怒りを如実に感じられた。
『それから雪岡純子。日本語でオトシマエというんだったな。近いうちに必ずつける。君が我々のことを目障りとするように、我々もいい加減君が目障りになってきた。どちらかが滅ぶまで、とことんやろうじゃないか。降伏宣言も無く、どちらかが全滅するまでの戦争をな。君も我々も、互いに一切合財を認めない間柄なのだから、それで構うまい?』
感情が一切感じられない声での宣戦布告を聞いて、純子はおかしそうにくすくすと笑う。
「大袈裟だねえ。そういうノリ、嫌いじゃないけどさー。ま、楽しみにしてるよ」
『私は別に楽しみではないな。障害の排除のために出費がかさみ、労力を費やすだけの話なのだから』
それだけ言うと、ヴァンダムは電話を切った。
「なーんかデジャヴが……。前にもこんなシチュあったような。でも微妙に違うような」
携帯電話をしまいながら、純子が独りごちる。
「君みたいなアクの強いキャラが、犯罪者として晒し者になったあげく牢屋に行くのも、勿体無い気がするんだよねえ。私ならもっと有効活用できると思うんだー」
ショックで呆けているアンジェリーナの顔を覗き込み、屈託の無い笑みを間近で見せる純子。
「ジャ……ジャ、ジャ、ジャ、ジャアアアアァアァァァァップ!」
急速に怒りがこみ上げてきて、甲高い声で喚きながら純子の顔を引っ掻こうとしたアンジェリーナであったが、その手首をあっさりと純子に掴まれる。
「暫く寝ててねえ」
空いている手で、アンジェリーナの首筋に注射器を打つ純子。たちまち意識を失い、崩れ落ちるアンジェリーナ。
「哀れだな。敵の手にかかるだけではなく、味方にも見捨てられるとは」
ミサゴが言い、亜空間トンネルを開く。アンジェリーナを正面から担いだ純子が、中へと入る。
「友達は選ばないと駄目ってことだよ。私も人のこと言えないけどねー」
言いながら純子は、先ほどまで会話していた百合のことを思いだした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます