第十三章 14

「どちらさまかしら?」


 問い返す百合であったが、谷口陸の名を出してきた時点で、電話の相手が何者なのか、大体の察しはついた。自分が陸の背後にいたことや、電話番号まで調べ上げたことに感心する。


『わかっているくせに聞くなよ。まあ自己紹介はしておくか。サイモン・ベル。『戦場のティータイム』のナンバー2だ』


 個人名はともかくとして、予想通りの所属の相手であったことを告げられ、百合はほくそ笑む。


「あらあら、その節はうちの陸がアメリカでお世話になりました。残念ながら陸は――」

『知ってるよ。殺されたんだろ? あるいは殺されるように仕向けられた、か? お前さんの力じゃとてもかなわない、お前さんが敵視する敵にけしかけられてな』


 お前の企みなど全てお見通しだと言わんばかりのサイモンの口ぶりに、百合は真顔になって押し黙る。


『俺達戦場のティータイムは、自分から他所に仕掛けるという事は決してしない。ただし売られた喧嘩は全て買う。組織の下っ端一人でも傷つけてくれた奴は、たとえ誰が相手であろうと全力でブチ殺す。そういう掟だ』


 サイモンの言葉が誇張で無いことは、多くの者が知っている。

 アメリカの裏社会を制覇したこの組織は、軍隊相手にも退かず、逆に退けたことで、世界中の話題となった。

 単純に力押しだけで退けたわけではなく、国民の支持を得た効果もあってのことだが、組織としての戦闘力も極めて高いうえに、敵と認識した者は何者であろうと躊躇うことなく抗争をしかけるという主張も、断じて空威張りではない。


『お前さんもそれを織り込み済みで、陸を俺達の組織へと送った。そうだよな? で、お前さんが日本に呼び戻した陸は殺された。あいつはうちらの組織では実によく役立ったよ。お前さんにとってはどれだけ役に立った? それともあいつが死んだことによって、これから役に立つ算段だったのかい?』


 淡々とした口調のサイモン。百合の目論見を見抜いたうえで、百合に対して良い感情を抱いていないのは明白であった。


『キングからの伝言だ。浅知恵無能ビッチに踊らされてやるほどうちらは暇じゃない。浅知恵無能ビッチが足掻いてもがいて無様にくたばった後に、気が向いたら遊びに行ってやるってさ。以上』


 一方的に告げられた後、電話は切れた。


「あらあら、陸は無駄死にでしたわね」


 百合は眉をひそめて低い声で吐き捨てると、携帯電話を鞄の中に戻し、白金太郎の口の中から手を引き抜く。


「戦場のティータイムが駄目でしたら、この際グリムペニスでもよいかしらね。あるいはホルマリン漬け大統領でも」


 口にしてから、自分でも負け惜しみのような気がして、百合は顔に手をあててうつむき、大きく息を吐いて気を落ち着けた。


***


 夢はあの世との狭間に近い場所であり、幽霊との対話もしやすくなると、昔テレビで自称霊能者の怪しいおばさんが言っていたのを覚えている。

 これが夢だと、亜希子は自覚する。ぼんやりとだが思考が働き、目の前に現れし者と会話もできる。


 赤い着物に身を包んだ娘が、隣に座っている。小太刀に宿る怨霊――火衣。亜希子に好意と共感を寄せ、力を与えてくれる存在。


「確かに小太刀を持てば私が亜希子に力を与えることができる。でも亜希子も力と技を磨いた方がいい。そうすれば亜希子自身の力と私が与える力が重なって、より強くなれるからね」


 昨日の真との訓練を見て火衣はアドバイスをくれているのだろうと、亜希子は思う。


「うーん……やっぱり火衣って怨霊ぽくないわ~」

「だから~……イメージ論でそんなこと言われても困るんだけど……」


 おかしそうに言う亜希子に、火衣は苦笑いを浮かべる。


「昔の幽霊なのに、イメージ論なんて台詞が出てくる時点でもう、イメージぶっ壊してるのよね」

「怨念の強さで理性が必ずしも失うわけじゃないと思う。とはいえ、理性が無くなった怨霊がやたら多いせいで、怨霊や悪霊は理性喪失した怨念の塊で、思考能力も無いっていうイメージがあるのもわかるけど。まあ……私がきっと珍しいケースなのね。それに私は、時代の移り変わりをずっと見てきたし、いろんな人を主としてきたからね。私が心を開けない主は、私を扱いこなせず、衰弱して早死にしていったけど」


 火衣がそこまで喋った所で、何も無かった風景が一変した。

 瓦屋根に木造建築の家が建ち並び、髷を結った着物姿の人達が行きかう町。


「これって江戸時代? 火衣が生きていた頃?」

「うん。私が生まれ育った町」


 寂しげな笑顔で火衣は頷く。


「子供の頃は幸せだった。あの男と出会って、あんな男に入れ込んで、騙されて売り飛ばされて、それで全て狂ってしまった。一瞬にして地獄に落ちた。世界にあちこちに地獄に繋がる落とし穴が隠されていて、運が悪い人はそこに落ちてしまう。私も運が悪かった。何を恨めばいいのか、何を呪えばいいのか、本当はわからない。私を裏切った男だけ恨んで済ませられない。もっといろいろ恨むし呪うし憎む。私を買った男達が、私をいたぶった店の奴等が、私を助けようとしなかった家族が、私が酷い想いをしているのに私のことなんか知らずに幸せに生きている人達全てが、こんな風に出来ている世界そのものが……全部全部恨めしい」


 火衣の話を聞きながら、亜希子は考える。


「私なんか落とし穴の底で生まれたようなもんだけどね」

「そうでもないじゃない。家に閉じ込められていたとはいえ、貴女はお姫様扱いで、暴君だったんだから」


 亜希子の言葉を否定する火衣。


「それなのに、貴女もある日突然、穴の底に落ちた。そうでしょ?」

「違う。私は穴の底に紛い物の楽園を与えられていただけよ」


 今度は火衣の言葉を亜希子が否定する。


「それでも地獄だったわけではないでしょう? それがある日突然地獄となった。亜希子、貴女は私と同じよ。だから私は放っておけなかった。貴女に力を貸し、地獄から救い出した。貴女を嬲っていた人達を皆殺しにしてね」

「火衣からすると、私のことを黙って見ていられなかったってわけね」


 すごくよくわかる理屈だと思いつつも、腑に落ちない部分があった。


「でもさ、火衣に助けてもらったおかげで、私は解放されたのよ? つまり火衣が憎む、幸せな人になっちゃうかもしれないのよ? それでもいいのぉ?」


 からかうように尋ねる亜希子。口調こそ冗談めかしているが、わりと真剣な疑問だ。


「いや、そうなってほしいから助けたし、これからも助けようとしているんだけど。もちろん、私自身の怨念を浄化してほしいって気持ちもあるけどね」

「地獄の穴に落ちたことの無い人は憎むけど、一度穴に落ちた人は助けてあげたいし、もう穴に落ちてほしくはないと、そう思うのね? つまり、私があのままママとも会わず、使用人達をいじめていたままなら、火衣に憎まれる対象になっていたかと思うと、何か複雑」

「今どうであるかが問題なのよ。もしもの話をしてもしょうがないでしょ? あれこれ経緯があって、私は穴の底にいる貴女と巡りあった。力を貸した。これからも力を貸す。できれば貴女には敵となる者を見つけてもらって、私を振るってほしい」

「それなら心配いらないわ~。ママや純子と付き合っていれば、そういうのには不自由しないと思うから」


 亜希子が笑顔でそう言い放つと、目の前から火衣の姿が消える。亜希子は意識が覚醒しようとしている事を夢の中で実感した。

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