第十三章 6

 雪岡研究所を訪れた翌日、亜希子はまた安楽市絶好町の繁華街を訪れた。

 百合の家から一番近くて大きな街がここという事もあるが、昨日ここに来たものの、町の全てを見学できなかったので、もっとじっくり見てみたいと思っていた。


 今日は御目付け役の零はおらず、一人だ。一人で歩いてみたいと百合に訴えたら、あっさりと了承された。


 ただ単に繁華街を散策するだけではなく、せっかく得た力をもっと試してみたい。もしかしたら自分と相性のいい人と仲良くなれるかもしれないと考えた。

 しかし実際に街に出るまで、自分の好みの光の人がいたとして、それでどうすればいいのかまでは考えていない。


(知らない人に私から声かけられても、困るんじゃないかなあ。急いでいる人だったら余計に)


 いろいろとズレている亜希子にも、その程度の常識はある。


 不意に立ち止まり、力を使ってみる。

 すれ違う人から、様々なヴィジョンが浮かび上がる。黒いモヤモヤであったり、橙色の光がゆっくり明滅していたり、灰色茶色黒紺が不規則に混ざり合ったドロドロしたもの覆いかぶさっていたり、薄い膜で覆われていたり、人によって実に様々なヴィジョンが見える。


(知らない人をこの力で見たから、何だっていうのよ……)


 人の性質や内面をヴィジョンで可視化するこの能力、最初は面白いと思っていた亜希子であったが、ただ街を行きかう人を片っ端から見ていても、何の意味もないことに気がついた。

 溜息をつき、散策を再開しようとしたその時――


「彼女ぉ、ゴスロリ似合ってるねー」


 軽い口調で声がかかる。自分にかけられた声だと認識して振り返る亜希子。自分と同年代くらいの二人の少年が、亜希子のことを見ていた。


「さっきからそこにずっといるけど、待ち合わせなの? そうでなければさー、よければさー、ちょっと遊び行かない?」

(ああ、これナンパか)


 テレビの中だけでしか起こらないと思った出来事が、自分の前で展開していた事に、感動を覚える亜希子。


 目の前の二人組に対して、亜希子は目をこらしてみる。

 声をかけてきた背の高いいかにも軽そうな子は、淡い水色の雲がふわふわと周りを漂っている。もう一人の居心地悪そうにしている亜希子と同じくらいの背の子は、鮮やかな緑の薄い膜が三重くらいに覆っているヴィジョンだった。膜の下の方は妙に厚くなっている。


 亜希子としては、緑の薄い膜に覆われた、背が低くひどく童顔な少年の方が自分と相性がよさそうに感じられた。


「あれれ? おいおい、佐野のことじっと見つめちゃってるぞ。気に入られたんじゃね?」

「そ、そんなことないだろー……あははは、僕なんか~」


 背の高い軽そうな少年にからかわれ、もう一人が目を泳がせて乾いた笑い声をあげる。


「あなたさあ、軽そうだけど実は重いね? 暗くて重いものが見えるよ?」


 亜希子の指摘に、佐野と呼ばれた少年はぎょっとした顔になる。


「おいおい、君って何かトクベツなパワーでも持ってるの?」


 背の高い水色雲の少年が尋ねる。


「昨日げっとしたばかりよ」

「あ、ああ、そう……」

「ちょっと大槻……」


 佐野が背の高い少年――大槻の腕を引っ張って、亜希子から離れる。


「あの子何か変だよ。関わらない方がよくない? 何か変な子っぽいしさあ」

「何言ってんだよ。せっかくナンパに連れてきて、いきなりお前に気が有りそうな子に遭遇したのに、そのチャンスを棒に振るわけ? 尻込みしてないで当たって砕けてこいよ」


 臆している佐野を大槻がたきつける。


「えっと……ゴスロリ似合ってますね」


 亜希子の前に戻ってきた佐野が、上ずった声で言う。


「それさっきもあっちの子に聞いたし」

「そそそうですかっ。あの、その、遊び、行かな、い?」


 緊張しまくっておかしなイントネーションで誘いをかける佐野。横では大槻が顔を押さえている。流石に世間知らずの亜希子も、佐野が大槻に誘われて初めてナンパしている事も、異性に免疫が無いことも、よく理解できた。


「いいよ。私、外の世界のことほとんど何も知らないから、ちゃんとエスコートしてね」


 佐野の緊張を解く目的で、愛想笑いを浮かべてみせる亜希子。


「やったじゃん。やればできるんだよ」


 大槻が佐野の肩を叩いて、親指を立てる。


「私、臼井亜希子」

「ぼ、僕は佐野望です。高二で、安楽東高に通ってるのですます」

「いつまでキョドってんだよ。あ、俺は大槻武麗駆ね。武のブに麗しいに走る意味での駆けるって書いて、ブレイクって読ませる、親の頭おかしいのが丸出しな名前」


 互いに自己紹介を済ませた所で、会話が止まる。

 沈黙すること十数秒経過。


「で、どこか連れてってくれるの?」


 仕方なく望を真っ直ぐ見つめ、亜希子の方から促す。


「あ、は、はい。じゃあキーウィでも」


 望が亜希子の後にある喫茶店『キーウィ』を指す。

 三人が喫茶店に入り、コーヒーや紅茶を頼む。


「ほら、話題振れ」

 武麗駆が隣に座った望を肘で突く。


「ああ、臼井さんは何歳ですか? 僕は高二です。十七歳です。どこの学校ですか? 僕は安楽東高……」

「亜希子でいいし、敬語使う必要も無いよ。少し落ち着いて」


 亜希子の愛想笑いが苦笑いになる。


「十八。学校は行ったこと無いの。ずーっと家の中から出られず、最近やっと家を出ることできた所だからさ」


 亜希子の言葉に、望と武麗駆の表情が固まる。


「病気だったとか? いや、その話題は出さない方がいいかな?」


 武麗駆の方がすぐに気を取り直し、フォローの意味合いも込めて尋ねる。


「別に話しても話さなくてもいいけどねー。私、自分が普通じゃないおかしな子だって自覚はあるし。厄介な子に声かけちゃったとか、思ってない?」


 望と武麗駆を交互に見やり、ストレートに尋ねる。


「そんなこと思うわけないさ。正直言えば、変わり者だなーとは思ってるけどね。でも望としてはきっと感激だよ。こいつ超奥手で、今までろくに女の子と話したことないから、俺がつきそいでナンパしにきたんだけど、君が応じてくれたから」


 武麗駆という子は相当友人の望を気にかけているようで、消極的な望に代わって、望の代弁をし、会話を盛り上げようとしている事が、亜希子にも伝わった。


「むしろ僕の方こそ面倒臭い奴だし、そんなのに誘われて機悪くしてないかと心配」


 恐る恐るといった感じで言う望。


「じゃあ面倒臭い同士でおそろいってことじゃない」


 社交辞令でもなく、本当にそう思う亜希子。亜希子も自分が世間知らずであることや、普通とは違う自覚があるので、返ってそうした相手の方が気後れしないと感じられた。


「さっきの話の続きだけどね、私はつい最近までずーっとお屋敷から出られなかったの。パパとママがいなくなって、使用人達もいなくなって、新しいママの元で暮らすようになって、やっと自由を得たの」


 亜希子の話は断片的で、二人の少年にはいまいち伝わりにくかったが、特殊な環境下で育った世間知らずのお嬢様ということだけはわかった。


「友達も沢山作りたいと思っているけど、どうやって友達作ればいいかわからなくて、とりあえず町の見学をしていたら、声かけられた所なの」

「面白いな。まるで君、漫画だよ」

「漫画?」


 武麗駆の言葉の意味がわからず、小首をかしげる亜希子。


「だってそんな話、普通に有ると思わなかったもんよ。漫画とかじゃわりとありがちな気もするけどさ。あとラノベとかか?」


 言いながら武麗駆が望の方に顔を向けて話題を振るが、望はのってこないので、小さく息を吐く。


「ふーん。まあ自分でも、特殊なんだろうなーって自覚はあるから。一応テレビはずっと視てた、テレビを通じて外の世界のこともいろいろ知ったしね」

「へ、変な目で見てるってわけじゃないよっ」


 今まで黙っていた望が口を開く。


「ただ……その、君の知らない外の人達の中には、やっぱり……その……自分達と違う変わり者っていう風に見る人もいるし、ひどい対応する人もいるかもだから、気をつけた方がいいかも。ああ、もっ、もちろん僕らはそんなことしないけどっ」


 緊張しまくりながら、不器用ながらも伝えたいことをしっかり伝えた望に、亜希子は好感を覚えた。


 喫茶店を出てから亜希子は、二人の少年に連れられて、アクセサリー屋やゲームセンターや本屋(これは亜希子のリクエストだ)を回り、楽しい時間があっという間に過ぎていった。


「じゃ、そろそろ帰るね」

 日が傾き始めたのを見て、亜希子が言う。


「ん? もう門限?」

 訝る武麗駆。まだ四時数分前といったところだ。


「門限ていうわけじゃないけど、やることいろいろあるのよね。今日買った本を読んで知識も詰め込みたいし、剣の訓練もあるし」

「剣……?」


 亜希子から返ってきた言葉に、ますます訝る武麗駆。目の前のゴスロリ少女が剣道をしているというイメージが、どうしても沸かない。


「君って本当にいいとこのお嬢様なんだね」


 望が言った。ここにくるまで会話をしていて、それがよくわかった。


「箱入り娘って感じで新鮮だよな。つーか佐野御指名で羨ましいわ。俺もタイプなのにー」


 冗談めかして武麗駆が笑う。


「私もすっごく楽しかったわ。今まで全然友達とかいなかったし、外で遊んだことも無かったからね」

「ま、また会って遊んでくれる?」


 躊躇いがちに言いながら、望は指先サイズの携帯電話を取り出す。それが何を意味するか、亜希子にもわかったが、自分が携帯電話を持っていないので戸惑う。


「えっと……ごめん……。私、電話、持ってない」


 申し訳無さそうにうつむく亜希子。


「今度また来るね。でもちょっと船に乗ってくるから、その後だけど。またここにいる。その時会いましょう」


 それだけ言い残して、二人の返事も待たず、亜希子はその場から足早に去っていった。携帯電話を持っていない気まずさを覚えつつ、それを持っていないばかりに、せっかく友達になれそうだったのが台無しになるかもしれないなどと考えて、混乱していた。


「変わった子だったなー。何だか、物語の中から抜け出してきたような感じっつーか。ていうか船ってなんだよ」


 亜希子の後姿を見つつ、武麗駆が言う。


「おい、どうした?」


 亜希子がいなくなってからも、ぼーっとしている望の前で手を振る武麗駆。


「あ、いや……別に」

「ひょっとして惚れたの? 速攻かよ」

「いやいやいや……いや、惚れたかもしれない」


 慌てて否定してから、否定を否定し、望は照れくさそうに言った。


「また会えるといいんだけどね」


 武麗駆の言うとおり、一日だけ寓話の中から抜け出してきた少女と遊んだような、そんな感覚に浸りつつ、望は呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る