第十三章 5
亜希子の改造手術は、一時間とかからず終了した。
「うーん……何この変な気分……。頭が変……」
意識が戻っても、頭がぼーっとして、寝台からすぐに起き上がる気力がわかない亜希子。麻酔で眠った影響だけではなく、脳をいじった影響もあるのだが、亜希子にはわからない。
「リクエストに見合った能力をあげたよー。ちょっと目に力を入れて、誰かを見てみてー」
純子の声に反応し、そちらに顔を向け、指示通りにしてみて驚いた。
「え? 何これ? 目に力をこめると、うすぼんやりとした光が見えるわ」
目に力をこめて純子を見ると、背後から眩しいほどの真っ白な輝きがほとばしっているように見える。
「自分と相性がいいかどうかを確かめることができるようにしたの。実は人間誰しも大なり小なりそういう能力を備えているんだけどねー。それをちょっと強化してみただけだよ」
「光の意味がよくわからないんだけど」
シーツをめくって身を起こす亜希子。
「んー、亜希子ちゃんにどう見えているかは、私にもわからないよー。私のマウスに凜ちゃんて子がいてね、彼女がそれっぽい感性を生まれつき強く備えていたんだよー。ここに脳みそだけの状態でいる事があった際、こっそり凜ちゃんの脳を調べてみたんだよね。で、彼女の脳に合わせて、亜希子ちゃんの脳も改造してみた、と。私としては実験前の段階で確信に近いものがあったけど、亜希子ちゃんで人体実験してみて、今見事に証明したってわけ」
「私の質問の答えになってないじゃない、それ。純子の体から光が出てて、それが見えることが、どういう意味があるっていうの?」
純子に説明されても、亜希子はまるでピンとこない。
「つまり、その見え方が自分にとって良い印象か悪い印象か、亜希子ちゃんが判断する感じだね。人によって、投影されるイメージのヴィジョンが違うからさ」
「ふーん、よくわからないけど、嘘つきや、私と相性の悪い人も見分けられるってことねぇ」
室内に零がいた事に気付き、彼の方を見て目に力をこめる亜希子。
「わあ、零が面白~い。いい光と悪い光が両方出てる~。輝き方も面白い。力強さと儚さが同時にあるっていうか。そのうえ厚い壁みたいなものが自分を遮っていて……」
「やめろ、それ以上言うのは」
純子と全く違ううえに、変化に富んだヴィジョンが見えたので、面白そうに見たままのヴィジョンを口にする亜希子であったが、零は不快感をあらわにする。
「えっとー、零君に亜希子ちゃん、一緒に船に乗って遊ばない?」
「船? 乗りたいっ」
純子の誘いに、目を輝かせて即座に応じる亜希子。
「あ、ただ船に乗るだけじゃなくて、悪い人達と戦ってもらったり、悪い人達にさらわれた人達を助けたり、最終的には船沈没させたりとか、そういう遊びもするよー。それでもいいー?」
「えっ、何それ、すごく面白そうっ。やりたいやりたいっ」
純子の語る遊びの内容に、目を輝かせたまま応じる亜希子。
「俺は……こいつの御目付けで船には乗っても、それ以外はパスかな。傍観者に徹する」
どうでもよさそうな口調で零が言う。
「船かあ。すっごく楽しみだわー」
うっとりとした表情で、船旅がどんなものか夢想する亜希子。テレビの中でしか見たことのない乗り物の数々の一つ。どれも乗ってみたいと憧れていた。さらに――
「当たり前だけど、海も……見られるのよね」
もう一つの憧れの海というものを生で見ることが出来る。
「ずっと家の中に閉じ込められていたからねー。生で海を見たいって、ずっと思ってたのよ~」
その一言を聞いて、純子の微笑みが消え、零の視線が厳しくなる。
「おっと、これは言っちゃいけないことだった」
零の方を見て、悪戯っぽく笑う亜希子。
「ねえねえ、悪い人達と戦うっていうのは、裏の組織との戦いになるのかなあ? それも興味あるわー。裏の世界って興味あったの」
純子の方へと顔を向けて、亜希子は興味津々に尋ねる。
「そんな感じかなー。裏通りに堕ちると、表通りと比べてちょっと危険な生活になるかもしれないよー?」
「平和じゃない世界って憧れる。私、今までずっと平和な生活していたしね」
「平和じゃない世界を好んで生きていける人って限られているけどねー。私は一目見て、大体適正があるかどうかわかるけどさー」
純子のその言葉に、亜希子の顔から笑みが消える。腰に差した小太刀を思わず握る。
「私は生きていけると思う?」
もし駄目だと言われたら、自分は平和な世界で生きていくしかないのだろうかと考える亜希子。
亜希子自身も物語のような世界を望んでいるが、それ以上に、亜希子が所持する名も無き妖刀が望んでいる。彼女が修羅場を望んでいることが、亜希子にはわかる。刀の望みを亜希子はかなえてあげたいと思う。
「うん、亜希子ちゃんはこっち側の人間だと思う」
にっこりと微笑んで告げた純子の言葉に、亜希子に笑顔が戻る。
(どういう女なんだろう……)
こっそりと部屋の扉の前で会話を盗み聞きしていた真が思う。零と純子は真の存在に気がついていたが、亜希子だけ気がついてなかった。
***
「随分訳ありそうな女だったな。早坂とはどういう関係があるんだか」
亜希子と零が研究所を後にし、リビングで純子と二人になったところで、真が亜希子のことを口にする。
真は零のことを快く思っていない。零も零で真のことを嫌っているようで、そのことも真は知っている。
零は純子のマウスの中でも、『ラット』と呼ばれる曰くつきな連中の一人だ。純子の実験台の中でも特に優秀で、特に性格に難が有り、そして純子に心酔もしくは崇拝している者達である。真は彼等ラットをマウス以上に毛嫌いしていた。特に純子を崇めている事が気に入らない。
さらに言うと、零は女性専門の殺し屋であり、その事に対してもあまり良い感情が無い。
「何となく見当はつくけどね。ちょっと面白い趣向というか……」
見当はつくものの、それが何であるかは真の前で口にするつもりは無い純子だった。
一方、純子が言葉を濁している事に、真は不審に思う。
(全てを思い通り、シナリオ通りに進ませなくちゃ気が済まないあの子が、即興を好む私に合わせてくれたって感じかなあ? それともあの子も年月を経て、少しは変わったのかな?)
裏で誰が糸を引いているのかもわかる。零がいる時点で、相手が誰か確信している純子である。
「グリムペニスとの腐れ縁も長いな。ホルマリン漬け大統領以上か?」
それ以上その話を振っても口にしないだろうと見て、真は話題を変える。
「んー、グリムペニスは実験台ストックとして便利なんだけど、そろそろ鼻についてきた部分もあるかなあ。いい加減決着をつけた方がいいかもしれないねえ」
「鼻につくって?」
「ある意味互いに一番目障りな存在というか、全力否定する間柄だしねえ。現代における人類の科学文明停滞の、最大の原因と言っても過言ではない組織だし。世界中の技術者から疎ましく思われている存在だよー? 世界中にマッドサイエンティストが溢れる原因を作ったのも、グリムペニスが科学文明の発展が悪という潮流を作ったせいだしねー」
純子からすると最も忌まわしい敵であることは、真にもわかる。
以前純子が言っていた。人が進歩しようと新しいことをした際、上から叩き潰してくる輩ばかりの人類史を純子はずっと見てきたと。それが故に、純子は自らを悪の位置に据えたと。
「決着をつけるためのシナリオも舞台も、一応は考えてあるんだけどね。今回はその前座として丁度いいかなあ」
珍しく純子が闘志を燃やしているのが、真にも伝わってきた。
「奴等の船に乗り込むのは僕も楽しみだ」
今回はなるべく邪魔しないでおこうと、真は決めた。純子にとって最も忌むべき敵と言える相手であるし、純子が敵視する理由は真にも納得できるし、それならば手助けをしてやりたいと純粋に思う。
(でも途中でこいつが変なことしだしたら、考え改めるつもりだがな)
純子がその変なこと――自分の気に障る行為をする可能性が、決して低くないことも、真は承知している。
***
雪岡研究所を出て、零と亜希子の二人は途中で買い物等の寄り道をしてから、百合の屋敷へと帰った。
百合は屋敷にいなかったので、零は雪岡研究所であったやりとりの全てを電話で報告した。
『あらあら、純子ったら、まるで亜希子が私の創った作品だと見抜いているかのようですわね』
くすくすと笑う百合。
『では即興でこちらも計画を立て、動かねばなりませんわね。純子の目論見を、彼女が最も望まない形で壊してさしあげなくては』
「ここで余計なちょっかいはかけない方がいいんじゃないか? それではただの無粋な横槍だ。亜希子を遊ばせるのは、純子がやってくれる」
自分でも何故かわからないが、零はほとんど反射的に、百合のやろうとしていることに異を唱えていた。
「第一、純子の邪魔をするなら、グリムペニスの味方をすることにもなりかねない。お前はあの組織も嫌っていただろう」
『あなたがそのようなことを口にするとは』
そこまで話した所で、百合から意外そうな言葉を浴びせられ、零も自分の発言を不思議に思う。
『亜希子に感情移入でもしていまして? 私にあの子の邪魔をさせたくないとでも言わんばかりですわね』
「そういうことではない」
からかうように言う百合に、零は頭をかく。
『純子の方がより嫌いですから、この際グリムペニスを利用してもよいと考えていますわ。何なら彼の組織を味方に引き入れるのも有りでしてよ。とはいえ、零の言うことももっともかしら。私も零を見習って、今回は近くで傍観者という立場で、純子と亜希子を見守る方がよいかもしれませんわね』
零の顔を立てて引き下がるというより、今は亜希子も純子も泳がせておいた方がよいと判断した百合である。
『特に亜希子。あの子は自由に泳がせておいて方が、面白く育ちそうですわ。美味しく育ったところで、どう料理すればよいか考えればよいのですし』
養殖の魚を海に放ったら、魚が活き活きと泳ぎだし、育っていく。そんな感覚で、百合は亜希子を見ていた。
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