第十二章 35
ドリーム・ポーパス号のブリッジに、その人物は突如として現れた。
「はいはい、ジャパニーズポリスですよ。救援の船は来ないぞ。俺がこっそり飛んで潰しておいたからな」
驚く船員達の機先を制するように、警察手帳を見せながら芦屋黒斗は言った。
「海上保安庁の船ももうすぐ来るし、間もなくこの船は拿捕されまーす。無駄な抵抗をして煩わせないようになー。で、アンジェリーナ・ハリス、ジェフリー・アレンの二人を前もって抑えておきたいんだが、船内の様子をモニターで見ることとかできないか?」
船員は皆外人で、一応黒斗も英語で喋っている。
船員達は戸惑っていたが、船長が言葉少なに指示を出し、幾つもの映像を宙に投影する。
「おやおや、あっちこっちで死体の山じゃないか。ホエールウォッチが聞いて呆れるね。これじゃ死体見学だ」
黒服達の死体が映し出されるのを見て、黒斗は微苦笑をこぼして皮肉っぽく吐き捨てた。もっともこうなっているであろうことは、黒斗もわかっていたが。
「ジェフリー・アレン、負けたようだが死にはしなかったか」
映像の中で血まみれでよたよたと歩くジェフリーの姿を見つけて、黒斗は呟く。
「アンジェリーナ・ハリスはどこだ? どこにも映らないが」
「わかりません。連絡しても出ません」
船長が答える。その表情を見て、嘘は言っていないようだと黒斗は判断する。
「ふーむ。一人でとんずらか。って、海の真ん中でどうやってとんずらするってんだ。どっかに隠れてるな」
セルフ突っ込みしつつ、携帯電話を取り出す黒斗。
「純子、アンジェリーナ・ハリスは行方知れずだが、どこにいるか知らないか?」
『知ってるけど、こっちで実験台に使う予定だよー? 警察に連れて行かれるのは困るなあ』
純子の返答を聞き、これは期待できないなと黒斗は諦めた。
「まあそれでもいいさ。ようは裁かれさえすればいい。それが法の正義である必要も無いからな。もちろん俺の裁きである必要もね」
そう言って電話を切る。
黒斗自身、犯人を逮捕したことなど一度も無い。許しがたい犯罪者がいたら、自分の手で罰をくだすよう心がけている。いちいち逮捕して、裁判を待ち、刑の執行を待つまで、この世の空気を吸わせておくことも無いし、飯を食わせることも無いし、税金の無駄使いをすることも無いと考えているからだ。
黒斗にだけはそれが許される。処刑判断と処刑の実行を個人で行っても、問題とされない。うまいこと揉み消される。それが許されるだけの価値が、黒斗にはあるからだ。
***
足にひどい怪我を負ったうえに、十夜を抱えての移動とあって、のろのろした足取りで亜空間トンネルの中を進む晃。
一応止血はしたが、もたもたしていると十夜の身が危ない。しかし足の負傷のせいで、必死になってもこの鈍足移動が精一杯だ。危機感と疲労が募っていく。
「これで終わりだ。あとは……凜さんの所に十夜を連れて行けば……。畜生、十夜、死ぬなよ……」
「僕はまだ終わってはいない。やることはある」
最後尾を歩きながらミサゴが言う。ツツジと、すでに囚われた人の保護と誘導を済ませてきて合流したアリスイが、ミサゴの方に振り返る。
「アリスイ、ツツジ。加勢感謝する」
「忘れました。何のことでしょう」
「はっ!? どうやらオイラ毒電波に操られていたようですが、その時の記憶がありません! 毒電波なら仕方ないですよね。毒電波怖いですっ」
礼を告げ、深く頭を垂れるミサゴに、ツツジとアリスイはそう返した。
「ではさらばだ」
「やらなくちゃならない事って何さ?」
去ろうとするミサゴを晃が呼び止める。歩くのは止めない。仕方なくミサゴも歩を再開してついていきながら喋る。
「いろいろと借りも出来た事だし、教えられる所だけ教えよう。雪岡純子の目的の一つは、海チワワとグリムペニスへの攻撃だ。特に海チワワ幹部のジェフリー・アレンと、グニムペニス幹部のアンジェリーナ・ハリスを狙っている。殺害というより、実験台目的のようだがな」
「目的の一つということは、他にも目的があると?」
ツツジが尋ねる。
「これ以上は言っていいものかどうか悩ましい。そもそもあの女の目的が、僕にとっては理解不能な領域でもある。どうも遊び半分にこのツアーを潰そうとしているが故」
難しい顔になるミサゴ。
「まあ純子ってそういう所あるからねえ。真面目に考えない方がいいぜぃ」
「確かに捉え所なき人物だ。愉快犯とでも言うか。そう割り切って接するが吉だな」
晃の言葉にミサゴは同意し、再び背を向けた。
「ライラックの仇、討てたら討つ。ではさらばだ」
「必ず討つのではないのですかっ?」
アリスイに突っこまれ、また振り返るミサゴ。
「様々な者の思惑が交錯して混戦模様になっているが故、他の者に先を越されてしまう可能性が高い。それに、雪岡純子もライラックを殺したジェフリー・アレンを実験台にしたがっているであろうし、彼女から奪うのもどうかと思うが故。ではさらばだ」
それだけ言い残すと、今度こそミサゴは姿を消した。
「何回さらばって言ってるんだろう」
先を歩いていた晃が呟き、笑みをこぼした。
***
「ファック……あの小娘……ファックっ、ファック……」
下半身を血に染め、ジェフリーは何度も繰り返し呪詛を吐きながら、左手で血のあふれ出る股間を押さえ、廊下を内股気味にひょこひょこと歩いていた。
「エリック……人手不足のせいで二手に離れていたが、やっぱりお前と一緒にいないと駄目だな。ははは、逆にエリックと俺が揃ってりゃ、一切の隙は無い」
苦痛に顔を歪めながらも嘯き、無理して笑う。
現在ジェフリーは、エリックのいる貨物庫へと向かっていた。携帯をかけても出なかったため、交戦中だろうと判断し、己も負傷している身でも関わらず、助っ人にと向かっているところだ。
用心しつつ、貨物庫の扉を開くジェフリー。
貨物庫の中に、立っている者はひとりもいなかった。黒服達は皆、死んでいるか戦闘不能の状態で、床に倒れている。
「エリック?」
その中に、口から大量の血を吐き出して、仰向けに倒れているエリックの姿を見つけ、思わずきょとんとした顔になって、その名を呟く。
よたよたとエリックの方へと向かうと、ジェフリーはしゃがみこみ、エリックの首筋に手を当てる。
手がわなわなと震え、歯がかちかちと鳴り出す。動悸が凄まじい勢いで早くなり、目頭が熱くなる。
「ノオオオオオオオオォォオォォォオォォォォォッ!!」
涙が噴き出すと同時に、その喉から絶叫があがった。
まだ温かい骸に覆いかぶさり、大きく息を吸い込み、ジェフリーは人口呼吸を開始する。必死で息を吹き込み、胸を押す。
「エリック! ウオオオオォオォォォォォォ! エリックううゥぅゥぅ~っッっっ!」
しばらく人口呼吸を続けていたジェフリーであったが、エリックに一向に生気が戻らないのを見て、エリックの体に覆いかぶさったまま、再び絶叫し、号泣する。
「ウアアアアアアア~ッアッアーッア~ッアッアアア~……」
泣き喚きながら、ジェフリーは泣いている自分自身に驚いていた。誰かのために涙したことなど、生まれて初めてだった。
(こんな普通の人間みたいなリアクション、俺がしているなんてな~……)
胸が張り裂けそうな感覚と共に泣き喚く一方で、頭の中の冷静な自分が、そんな感想を漏らす。
(そういや……俺とエリックってずっと一緒だったんだよ。何を今更って感じだけど。うん)
頭の中で呟きを続ける。
(でもエリックって、俺にとってこんなに大事な存在だったのか。こんなに悲しむほどに。まあ確かにずっとべったりだったけどさ。こいつが子供の頃から、大人になるまでの間の成長も、ずっと見てきたし。それにさ、俺が心の底から笑いあえる相手って、エリックだけだったし、やっぱり俺の中で大きな存在になってたんだろうなあ。それがもういないと思うと、何だかもう……俺も生きているの……面倒だな。この先ずっと、エリックが側でミャーミャー言わない人生とかさ……)
そんなことを考えた瞬間、ふとおかしくなって、ジェフリーは唐突に泣くのをやめ、泣き顔で小さく笑った。
それからしばらくの間、ジェフリーはエリックの亡骸の横で、ぼんやりと天井を見上げて放心していた。
倒れた黒服達の中にはまだ生き残っている者もいたが、ジェフリーが慟哭する様子を見て、その後落ち着いてからも、迂闊に声をかけられない状態になっていた。
占い道具を出して並べながら、何度引いても出てくる死の暗示のカードのことを思い出す。
(占いで死の暗示ばかりでたのは、エリックのことだったのか? いや……そんなわけないな)
自問自答した直後、ジェフリーは己の運命について考える。あれは自分の死の予知以外の何物でもない。だが前もって知っていれば、死の運命を避けることはできる。どこで死ぬか、そのタイミングは大体わかる。今までもジェフリーは未来を占い、うまい具合に危険を避けてきた。
「つまり……そういうことなのか」
占い道具で、エリックを殺した者がどこにいるかを占いつつ、ジェフリーは確信して呟く。
「つまり、だ。今がそうなんだよ。俺はこれから死ぬ。エリックを殺した奴等を殺しにいって、逆に返り討ちでな~。あは、あはは……あはははははっ!」
何がおかしいのか自分でもわからないが、ジェフリーは甲高い声で哄笑をあげていた。
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