第十二章 28

 凜達五人は部屋に戻り、一息ついた。ミサゴとは途中で別れている。


「というわけなのよ」

 凜は部屋に戻るなり、純子に電話をかけて経過を説明した。


「ミサゴが依頼した相手は、純子達なのよね?」


 わかりきったことを念のため確認してみる。


『そーだよー。ただ、私達は救出以外にも目的があるけどねー。元々グリムペニスも海チワワも、私の敵ストックなんだしさ』

「さらわれた人達があと何人くらいいるか、どこにいるかはわかる?」

『残りがどこかはわからないし、移動された可能性もあるよねえ』


 純子の言葉を聞き、やっぱりかと思う凜。


 正美に阻まれたのは痛かった。そのせいで敵側に時間を与えてしまった。純子は純子で別な目的があるというし、次に正美が現れた時はまた逃げるしかない。


『正美ちゃんは、こっちで何とかするよー。何とかできる保障は無いけど。じゃーねー』


 電話が切られる。今の答えでは期待できないと、凜は溜息をつく。


「ミサゴもずっと一緒にいてくれればいのにねえ」

 ベッドに大の字に寝転んだ晃が言う。


「純子の目的はわからないけど、私達の依頼者はあくまでアリスイとツツジ。やることはさらわれた人達の救出だからね。ミサゴが私達と部分的な共闘だけに留めようとした理由は、そこにあると思うわ。ちゃんと気遣ってくれたんだと思う」


 同じベッドに並んでちょこんと腰掛けたアリスイを見やり、凜は言った。ミサゴの気遣いは、自分がイーコ達から反感を買っている存在という自覚からきている気がしたが、それは口にしないでおく。


「もしまた鳥山正美と遭遇したらどうするの?」


 晃と同じくベッドに寝転んでいる十夜が尋ねる。


「鳥山正美は避けるしかない。あれは純子に任せた方がいいでしょ。もしも鳥山正美のいる場所に全員集められたとかなら、純子に協力を求めましょう。私達の手には負えないし」


 純子にもあまり期待できないという本音も、口にしないでおく。ただでさえ敗走してテンションの下がっている所に、さらにテンションの下がることは言わずともよいと凜は考えた。


「今からまた、誘拐された人がどこにいるか、どこに移動されたのか、探しに行くってのも難しいよね?」

 と、晃。


「少し時間を置いても、また皆で偵察ってのは難しそうだしさ。今度は相当警戒されているだろうし、亜空間トンネルを感知する魔術師とやらと遭遇する確率も、上がってそうじゃん?」


 晃の言葉を聞き、ちゃんと頭を巡らしていると、凜は少し感心する。


「そ、それじゃあ、手詰まりになってるじゃないですかあっ」

 アリスイが情けない声を出す。


「そんなことはないわ。一応手はある。ただ、この術は負担が大きいのよ。やると私はしばらく行動不能になる」


 気乗りしない表情で、味噌を詰めた袋の口を開ける凜。力を発動させ、指先でつまめる程度の小さな味噌の玉が味噌の袋から出て宙に浮かぶ。

 解き放たれた小さな味噌の玉は、それぞれがばらばらになって動き、扉の隙間から部屋の外へと出ていった。


「みそ玉偵察の術。このみそ玉が遠隔操作で、どんな小さな隙間からも潜り込んで、いろんな場所に入り込んで囚われている場所を探すわ。みそ玉が見ているものは、私にも見えるしね。で、もう一度言うけど、私がこれを使うとしばらく動けなくなる。便利だけど相当に厄介な術だから、できれば使いたくなかったのよ。凄く頭も痛くなるしね。十夜、晃、後は貴方達二人でやることになるのよ。いい?」

「うん、わかった」


「おっけー、凜さんを失望させはしないぜぃ」


 凜の念押しに、ベッドから身を起こして頷く二人。


「私が回復するまでは怪我の治療も出来なくなるからね。潜入用の亜空間トンネルはアリスイ。救助用はツツジが担当して」

「はいっ」

「わかりました」


 凜の指示に、頷くイーコ二人。


「しっかしみそ妖術すげーな。何でもありじゃんよ」


 そう言ってベッドから降りる晃。


「じゃあ覚えたい? まず裸になって体中に味噌をぬりたくる所から始めるんだけど」

「いや、いいです」


 凜の言葉に、晃は苦笑しつつ片手をかざして言った。


「本当にそんなことされたの? 凛さんそれをよく了承したね。俺にはそれが不思議なんだけど」

 十夜が尋ねる。


「うるさいわね……。それ以上その話題は禁止ね。私を怒らせたいんなら、その覚悟でどうぞ」 


 少しキツめの視線を十夜にぶつける凜。十夜はぷるぷると首を横に振る。

 相手が純子でなかったら、いくら強大な力とはいえ、あんな方法でのみそ妖術の取得など、絶対に承知していなかった凜である。


***


 ジェフリー・アレンは、警察に捕まらずに殺人を続けるためと言う理由で魔術を学び、二十歳で一人前の魔術師として認められるほどになっていた。

 ジェフリーがエリック・テイラーと出会ったのは、丁度その頃だ。


 ジェフリーは定期的に沸き起こる殺人への欲求を満たすため、オーストラリアの片田舎の町を訪れ、ターゲットを物色していた。

 ジェフリーが目をつけたのは、まだ十一歳のエリックだった。家の庭で猫と遊ぶ美少年を見て、ジェフリーは大物を見つけたとして歓喜し、勃起すらしていた。


 生憎、通学路の近くで学校帰りの学生達がわりといたために、すぐさま殺人を実行は出来なかったので、時間を改めて家に侵入することにした。

 日が沈みかけた頃、ジェフリーは周囲に人がいないのを確認してから、エリックの家に玄関から堂々と侵入した。魔術も特に用いていない。


 ジェフリーは透明になる術を使うわけでもなければ、他人を催眠術で操れるわけでもない。

 人の気配を感知して目撃者をできるだけ避けることと、幻影の術で自分の姿を遮るのと、運悪く目撃者がいたら速やかに殺す程度だ。あとは監視カメラの存在を察知し、霧を出してカメラに映らなくすることも出来る。


 エリックの部屋へと上がり、ナイフを出して下卑た笑顔で迫るジェフリー。しかしエリックは、これまでジェフリーが見たことのない反応を示した。


「嫌だ。今は死にたくない」


 老いた猫を抱いて、少年はじっとジェフリーを見つめて懇願する。


「今僕が死ぬと、トミーが一人ぼっちになっちゃう。トミーはもう弱ってるし、長くないし、最期はちゃんと見届けてあげたい。最期まで面倒看てあげたい。その後になら殺してもいいから、今は見逃して」


 自分のことよりも飼い猫のためにというその少年に、ジェフリーは心をうたれた。人間など全て屑だと断じていたジェフリーにとって、それは衝撃的な出来事だった。


 ジェフリーはエリックという名のその少年を見逃すことにして、しばらく話し込んだ。

 エリックは学校でいじめにあっていた。エリックは普通とは異なる感性の持ち主で、学校で飼育されていたウサギやモルモットに声をかけて話し込んでいるような、そんな少年だったからだ。


 人間の友達が一人もおらず、動物と話しているエリックを馬鹿にする子供達。親もエリックに全く無関心で、エリックが怪我をして帰ってきても、エリックのテストの成績の悪さにも、何も言わない。

 エリックが動物相手にしか心を開けなくなったのが先か、動物相手にしか心を開かないからいじめられるようになったのか、それはもうエリックも覚えていないとのことだ。


 話を聞いていて、ジェフリーはすっかりエリックのことが気に入ってしまった。この少年と一緒にいたいという気持ちになった。それは生まれて初めて覚えた感情だった。


「ジェフリーが初めてだよ。こんなに話をした人間は」


 無邪気な笑顔でエリックはそう告げた。


「ジェフリーの言うとおりだと思う。人間て凄く醜いし汚らわしい。僕も人間なんかに生まれてこなければよかった。今度は人間以外……できれば猫に生まれてきたいな。猫は純粋だし、可愛いし、自由だし、嘘もつかないし」

「なら今から猫になればいい」


 真顔でジェフリーにそう告げられて、エリックは目を丸くした。


「自由になれるかどうかは心の持ちようだろう。何故猫が自由だと思うんだい? 飼われていてるこの猫が自由なのか? お前が猫を自由と思うのは、境遇ではなく心の在り方を見てのことだろう? 猫の魂が自由なのに、お前の魂が不自由なのは何故だ? 自分が自分を猫であると思えば、それでお前は猫じゃないか。誰も認めなくても、お前がそう認めればお前はにゃんこだよ。俺もお前をにゃんこと認めてやる」


 ジェフリーのその言葉は、エリックには神託にも等しかった。ジェフリーにとってエリックの存在が衝撃であったように、エリックにとってもジェフリーの存在が衝撃であった。


 エリックはその日以来、人の言葉を一切発しなくなった。その後十年間、猫の言葉しか発していない。


 エリックは飼い猫の命が尽きた翌日、家を出てジェフリーと共に行動するようになった。


 ジェフリーの言葉は全て理解していたし、ジェフリーの言うことは大抵聞いたが、エリックは猫の声しかあげない。

 二足歩行で歩きながらも、トレーニングで体を鍛えようとも、様々な書物を読み知識を得ようとも、エリックは己を人とは思わずに猫だと自覚している。


「俺が何で人を殺していると思う?」


 ある時ジェフリーは、夜の海岸をエリックと散歩しながら、どことなく寂しげな口調で語った。


「趣味ってのもあるけどさ。何で人を平気で殺せると思う?」

「ミャー?」


 わからないというニュアンスをこめて声を発するエリック。


「会った時にも言ったが、この世の人間は全て悪なんだよ。俺も含めてだけどなー。俺は子供の頃からずっと思っていた。何で俺達は悪として生を受けちまったんだ。何で純粋じゃないんだ。誰がこの世界をこんな糞設定にしやがったんだって。何一つ悪の無い世界だったら、もしかしたら俺も悪にならなかったかもしれない。お前は自由どうこう言っていたが、俺は心を自由へと解き放つには、俺自身が大嫌いな悪へと染まりきるしかなかった。こんなこと、誰に言っても理解されないだろうけどな」

「ミャー」


 もちろんエリックにも理解はできない。他人を理解することなど、容易にできることではない。だが、ジェフリーが今のジェフリーになったことには、ちゃんと理由が存在しているという事と、ジェフリーがいろいろなことを悲観している事だけは、エリックに伝わった。


 ジェフリーがどのような所業を行おうと、エリックは深く考えない。エリックにとってジェフリーは、自分を可愛がってくれる飼い主。それ以上でもそれ以下でもないからだ。

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