第十二章 6

 仕事の依頼が来なくて暇なので、凜が鬼をして十夜と晃が逃げる鬼ごっこ訓練は毎日何度もやるようになった。


 今日で鬼ごっこ訓練を開始しだしてから四日が経つ。

 今回のゴールは安楽大将の森の裏口だ。ルートは自由なので、公園の中を抜けてもいいし、公園の外を遠回りして向かっても構わない事になっている。


「今回は難易度低いと思うんだけどね。ていうか、低めにしたんだけどね……」

 公園の入り口に立った凜が、腕組みしながら呟く。


(うむ。一人が公園の中を通り、もう一人が外回りで行けばいいのだからな)

 と、町田。


「なのに二人して公園の中に入っているのは、どういうことなのかと。何か企みがあって、裏をかくつもりであるなら、それは構わないんだけど」


 腕組みした格好のまま、苛立たしげに何度も片足のつま先で足踏みする凜。


「このまま進歩無しなら、またいろいろ考えないとね」


 凜が公園の中へと駆け出す。この数日間説教ばかりで、いい加減げんなりしてきた所である。少しは自分を認めさせる成果を出してほしいと切に願う。


 町田の妖術とは異なる、新たに得た力によって、凜は二人がどの辺りにいるかを大体把握している。その気になれば彼等の位置をより正確に知ることも術も行使できるが、その術は凜の消耗も激しくなり、動きがとれなくなるので実行できない。


「みそマーキングの術を無しにしてしまうと、流石に追いきれなくなるしね。って、二手に分かれたかな?」


 凜が一瞬立ち止まり、逡巡する。今までも二手に分かれて目的地に向かったことは何度もあるが、わりと早い段階で分かれていた。ある程度時間が経過してから二手に分かれるというのは、初めてだ。


(公園の構造的なものを利用しようというのか?)

「だといいけどね」


 相手がうまいこと自分を出し抜くことを期待しつつ、凜は自分から遠く離れていく晃を追う。晃がゴールに一直線に向かい、十夜はあらぬ方向に向かっていくのが、二人が見えない現在の位置からでも、凜にはわかった。


 何度も小刻みに亜空間トンネルを開き、空間のショートカットを繰り返して走り、晃へと迫っていく。

 やがて晃の後姿を確認する。その時、凜は十夜が妙な動きをしていることを察知した。別の方向へと向かっていたはずなのに、こちらへと向かってくる。


「どういうつもりなのやら」


 呟いてまた空間ショートカットを行い、一気に晃の背後に迫る凜。

 晃が振り返り、凜の方を見たまま走る。


「次で追いつくわよ」

 凜が仕上げの亜空間移動を行った刹那――


「え?」

 凜は目を丸くした。晃の姿が消えたのだ。


 いや、晃は凜の後ろにいた。凜が姿を消した瞬間を狙い、逆方向に駆け出したのだ。


「一時凌ぎにしかならなくない?」


 晃に向かって声をかけるものの、凜の亜空間トンネルは、自由自在に出入り口を設定できるものではない。入り口を作った場合、出口はある程度定められた距離でないと作れない。晃も当然それを知っている。


 再び亜空間トンネルへと飛び込む凜。晃もその瞬間を狙って、また別方向へと駆ける。


「うーん……」

 再び回避されて、凜は唸る。


(称賛してあげたいけど、こういうことじゃないのよね。この訓練の課題は。いや、これも有りと言えば有りなのかな)


 凜はしばらく動きを止め、晃をじっと見ていた。晃も凜が動くタイミングを読もうと身構えたままだ。

 そうこうしているうちに、十夜が二人のいる元へと走ってくる。


 凜は晃から視線を外し、十夜の方を狙って転移を行った。走りのタイミングと、亜空間トンネルの出口をうまく合わせる。


 しかし十夜も凜の動きを読み、真横へと駆け出す。そしてその間に晃がゴールの裏口へと向かう。


「うわっ!」

 晃が声をあげて転倒した。


「ちょっ!」


 さらに十夜も転倒する。何をされたのかはわかっている。靴の底がぬめぬめとしている。


「はい、おつかれ」


 まず十夜にタッチする凜。さらに晃の方へと普通に走っていく。


「えー……」


 起き上がって駆け出したが、追いつかれて触られた晃が不満げな声をあげ、その場にへたりこんだ。


***


「やっぱりさー、妖術は無しにしようよー。ここぞという所で絶対に捕まっちゃうじゃん」


 事務所に帰った所で、晃が不服を口にする。ここまで一度として二人が最後まで逃げおおせた事がない。


「一応ね、私はあなた達がちゃんとゴールできるくらいにも計算して、手加減して臨んでいるのよ? あなた達がこなれてきたら、さらに難易度上げるつもりでいるし」


 晃の次に事務所に入った凜が、少し弾んだ声で言った。


「でもね、今日はいい線いってたよ。私の課しているこの鬼ごっこ訓練の趣旨は、二人組であるという事を活かしてもらうことが目的だから。今日は、少しそれを活かしていた感じがあったしね」


 二人に進歩があったので、上機嫌な凜だった。


「それでも今日こそはーって感じだったし、失敗したのは悔しいよ」


 最後に入ってきた十夜が本当に悔しそうに言う。今日の作戦を立てたのは十夜だった。


「その悔しい気持ちが無いようじゃ、精進も期待できないってね。ちゃんとあなた達はよくなってきているから、元気だしなさい」


 十夜に笑顔を向け、力強い口調で励ます凜。


「何か凜さん、御機嫌だねー。僕らがいい結果出したからかな? 最近ずっとイライラツンツンしっぱなしだったから、やっぱそうなんだよね?」


 晃が十夜の耳元で囁く。本人は囁いているつもりだが、地声が大きいので凜の耳にもしっかり届いているし、凜に聞こえていることを意識しまくり、十夜は返答に困る。


(いっそゴールさせるくらいの難易度にしてやったらどうだ? ゴールさせていきながら、少しずつ難易度を上げていく方が、彼等のモチベーションになると思うぞ。口で褒めても、目的を達成できなければ落ち込むだろうしな)


 町田のアドバイスを受け、次はその方針で行こうと凜が決めた直後、凜と町田は同時に、ある気配を感じ取った。

 それは凜と町田だけが特に敏感に反応した。亜空間の扉を開く際に生じる空間の揺らぎ。それが事務所の中で発生している。いや、一瞬ではあるが確かに発生した。


「どうしたの? 凜さん急にマジな顔してさー」

「晃の声が大きいからだろ」


 訝る晃と、誤解している十夜。


「敵意は無いようだけど、何者かが事務所内にいる」


 凜が発した言葉に、晃と十夜も表情を引き締め、事務所内を見渡す。


「おおおうっ、気付かれちゃいましたよっ」

「馬鹿、何故そこで声だすのよっ」


 おどけた口調での甲高い声と、それを咎める少女と思しき声が事務所内に響く。


「申し訳ありません。お力を貸してほしくて来ました。失礼ですが、姿は見せられない事情がありまして」


 改まった口調で姿無き少女が告げる。声自体は非常に幼いが、喋り方は丁寧でしっかりとしている。


「信用ならない。こんな仕事だからこそ、互いの信用の証として、依頼者は己の身を明かしてもらわないと」


 そうは言ったものの、以前のフリーである凛なら問題無く引き受けたであろう。元々信用の無い始末屋であったので、普通なら引き受けない汚れ仕事や、仁義にもとる依頼者も、拒まなかった。しかし十夜と晃の保護者的立場にいる今は、そういうわけにもいかない。


「俺は別に構わないけどなー。仕事も名声も喉から手が出るほど欲しい立場だしね」

「それで早死にしていたら世話ないわ。仕事内容くらいはちゃんと選びなさい」


 のんきな口調で言う晃をたしなめる凜。自分は仕事を選ばなかったくせにと、心の中でセルフ突っこみをする。


 小声で囁きあって相談していた姿無き二名であったが、やがて意を決したのか、その姿を露にした。


(やっぱり町田さんと同じ術……って)


 亜空間の出入り口が生じたかと思いきや、そこから現れた者の姿を目の当たりにして、凜は目を見張った。


「ええっ!?」

「これは……」


 晃も驚きの声をあげ、十夜も呻く。


 亜空間より現れたその二人は、明らかに人間ではなかった。

 肌も髪の毛も爪もほぼ白い。ぱっと見、性器は見えない。腰からはふさふさとした尻尾が、こめかみからは蛾の触角のようなものが生えている。目の中の大部分を占める巨大な瞳だけが色つき。身長は1メートル前後といったところで、背と体型は人間の幼稚園児か小学生低学年の子供のそれであるが、そのうちの一人はわずかだが胸のふくらみが確認できる。


「イーコ……」


 呆然とした表情で凜はその名を口にしながら、父親と交わしたイーコにまつわる会話を思い出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る