第十二章 2

 途中で合流した晃と共に、凜達三人は裏通りの住人専用の地下訓練施設の扉をくぐる。

 最初に凛が十夜を見かけて声をかけたのも、この施設内にある射撃訓練場だった。その出会いの場所は、今や三人が定期的に通う場になっていた。


 銃を構えた晃と、徒手空拳の十夜が向かい合う。

 両者の距離は20メートルほど。肉体改造された十夜は、動体視力、反射神経共に、常人の域を超えている。


 晃が先ず二発撃つ。一発はフェイント。もう一発は十夜の足を狙っていた。十夜は右斜め前方へとかわし、人間のそれを超越した速度で一気に晃へと詰め寄る。


 100メートルを七秒台で走る十夜の速度を前にして、晃が銃を撃てるのはあとせいぜい一回か二回。晃もそれはわかっている。この走っている間にしとめきれなかったら、十夜が圧倒的な優位を取ることになる。

 だがそれは即座に敗北に繋がるというわけでもない。隙を見せてのギリギリのカウンターという手も、これまでの訓練で幾度か見せているため、十夜は最後まで油断しないだろう。


 晃が二発撃つ。二発とも、微妙にタイミングをずらして左右の足を狙った。

 二発目は、十夜の回避後の動きを晃が読みとり、十夜の右足に当たっていた。十夜の意識が下半身に向けられる。足が若干もつれて少し体が前のめりになり、速度が落ちる。


 十夜が晃の眼前に迫ったと思われたタイミングで、晃は十夜の走りが乱れて意識が逸れた隙をついて一歩下がり、さらにもう一発撃つ余裕を手に入れていた。もちろん十夜の速度が途中で減速した要因もある。


 晃の弾が十夜の胸部を直撃し、赤いペイントが十夜の胸にぶちまけられた。水性ですぐ落ちる代物だ。十夜の動きが止まる。勝負はあった。


 十夜が落胆しているのが傍から見ていてよくわかる。別に十夜の出来が悪いのではない。晃の成長が目覚ましいのだ。

 才能なんてものは、凛とて容易に認めたくないが、晃のそれは認めざるをえない。

 何を教えてもいとも簡単に吸収し、教えられなくても自分で考えて工夫してさらに良い方法を見つけて磨いていく。伸ばしていく。その進歩と成長する様を凜と十夜はずっと見てきた。何をやらせても器用にこなす天才タイブ。


(うん、私の嫌いなタイプよ。こっちは凡人だしね。露骨に才ある者には、嫉妬せざるをえないわ)


 心の中でそう呟くものの、その才能と成長は素直に頼もしくあるとも思い、自然と笑みがこぼれる凜。


(これでもう少し慎重さが備わってくれればね)


 それが最大の課題であった。そろそろ厳しく指摘しなくてはならないと、凛は心に決める。


「晃、次は私が相手してあげる」


 静かに宣言し、晃の前に進み出る凜。凜の闘気にあてられ、晃は生唾を飲む。

 すり足でもって、小刻みに間合いを詰める凜。先程の十夜と同様に、徒手空拳で晃への接近を試みる。てっきり銃で来ると思ったのに、予想だにしなかった凜の動きに対して、晃は反応が遅れてしまった。


 銃を二発撃つ晃。一発目はフェイント無しで凜を狙い、二発目は回避先を右斜め前方と見越して撃っている。


 晃の予想通り、右斜め前方へと移動した凜であるが、二発目の弾は当たっていない。ぎりぎりで凜は、弾道直前で止まっている。そしてすぐにまた左斜め前方へとすり足で緩急をつけつつ、小刻みに移動する。


 少し焦りながら晃はさらに二発撃つ。今度は両方とも移動先を予測して、左右前方を狙った。凜はまるでそれを予知でもしていたかのように、真っ直ぐに進んで一気に間合いを詰めた。


「うぐっ……」


 胸元に掌打を決められ、晃が呻く。凜は手加減していたが、それでも十分に痛みも衝撃も伴っていた。


「二回ほど動揺していたみたいね。相手が予想外の動きをしても、いちいち心を揺さぶられたりしないの。臆するのも駄目よ」

 乱れた長い黒髪を手で軽くとかして整え、凜は言う。


「私も人のこと言えないけどね。相沢とやりあった時、途中で戦意喪失しちゃったから。あの時のことを思い出すと、今でも悔しくて頭が沸騰しそうになるから、私はあれから死に物狂いで自分を鍛えた。敗北の痛みと屈辱は人を強くする。でもあなた達はいまいちそういう感覚が無いのよね。男の子のくせして、負けても失敗してもけろっとしているっていうか。特に晃、あんたよ」


 冷然たる口調で告げた凜の言葉に、晃は一瞬むっとしたが、凜の冷ややかな視線を真っ向から受けて、怒りは速攻で消えて萎縮する。


「いくらあんた達より二年先輩だからと言っても、女の私に全然歯が立たないって事に、恥を知ってちょうだい。この世界は力が絶対よ。日々力を磨き、後悔しないように備えておかないとね。私だって力が足りなかったばかりに、本来なら死んでいた所だし」


 最近だらけ気味の晃と十夜の心に、火をつけなければいけない。そう思って厳しい言葉を叩きつけるが、凜は正直こういうお叱りモードになるのは好きではない。可愛くも生意気なこの後輩達には、できればずっと優しく接していたい。いい顔だけ見せておきたい。


(難儀な役目だが、それも返ってお前の成長にも繋がるさ)


 凜の中で真面目な声が響き渡る。町田博次――凜の脳に移植された、とある妖術師の精神であり、凜の視点で物を見て、凜の考えていること感じていることも全て見通せる。凜は心の中で声を思い浮かべて、この人物と会話が出来るが、一人でいる時は声に出して喋るようにしている。


(人間的な成長なんか、私にとってはどうでもいいんだけどね。私は純粋な強さだけ手に入ればいい)


 強がるわけでもなく、わりと本気で凜は町田に向かってそう言ってのける。それを聞いた町田が大きな溜息をついた。


***


 岸部凜が見る一番嬉しい夢は、父親が出てくる夢である。


 一人娘だった凜は、子供の頃から父親によく懐き、慕い、敬っていた。母親との仲も良かったが、それ以上に父が好きだった。

 凜から見て父親は変わった考えの持ち主だった。他の大人とは明らかに違う。少しメルヘンチックな所があり、凜もその影響を過分に受けた。


「誰もが心の中に火を灯し、光を輝かせ、風を吹かせているんだよ」

 子供の頃、父は凜にそう話した。


「凜にはそれが見えるかい? 父さんには見える。たとえば今の凜には、とても優しく暖かい、暖炉の薪が燃えるような火が静かに燃えている」

「んーと……じゃあ私も父さんに何があるか見てみる」


 凜がじっと目を凝らし、父を見る。

 いつからか、凜にはそれが見えるようになった。ただのイメージのこじつけと言ってしまえば味気ないが、たった一目見ただけで、第一印象で何かが見えてしまうように。


 穏やかな笑みを浮かべる父であったが、凜は父の中にあるものを目の当たりにして青ざめた。


 黒い大地。真っ黒いドロドロのコールタールのようなものが、延々と地の果てまで敷き詰められ中心では穴が開いている。ただの穴ではない。ゆっくりと渦を巻いている。穴の底――渦の中は果てしなく深く、どうなっているのか窺い知れない。


「どうして……? 父さん、どうして?」

 父の笑顔を見上げながら凜は震える。


 何も無かった空間に、スイッチが現れた。


「わかっているはずだよ」

 そのスイッチを指し、父は言った。


「凜、そのスイッチを押してごらん」


 笑顔で父に促され、凜は己のすぐ横に現れたスイッチを何の疑問も躊躇もなく押した。

 直後、父の足元が開いて、父が落下する。いつの間にか首にかけられていた、はるか天の上から伸びる縄に父の体は吊るされ、丁度凜の顔の前で父の顔が止まり、無残な死に顔を凜の眼前に晒す。


 悪夢から目覚めた凜は、一気に全身から汗が噴き出した。


「ふざけんな……」


 虚空を見上げ、口元に手をあてて忌々しげに一言呟く。


 凜の父は未だ服役中だ。殺人こそ犯したものの、流石に極刑には至らなかった。だが裁判中に、被害者の遺族から死刑になればいいとまで罵られて、死刑にされてしまうのではないかと、当時の凜は怯えていた。


「父さんは何も悪いことなんかしてないっ……」


 胸から下げた蛇の絡まった十字架のペンダントを握り締め、歯噛みする凜。悔しくて仕方が無い。呪わしくて仕方が無い。殺された奴が全て悪いのに。


 もし死者を生き返らすことが出来たら、父に殺された相手を生き返らせて、もう一度自分の手で嬲り殺してやりたいとすら、凜は真剣に思う。そいつのせいで全てが狂ったと、凜は思い込んで決めつけている。


 父とは一度も面会していない。父に来るなと言われた。罪を償ったその時に、許してくれるなら会おうと言われた。


「父さん……私、裏通りの住人になっちゃったよ」


 声に出して、その場にいるはずもない父に話しかける。


「私も何も悪い事したとは思ってないから、父さんが出てきたらちゃんと報告するね」


 その言葉に偽りは無い。良心の呵責など全く無いし、父にも言うつもりでいる。そしてそれでいてなお、安心してもらうつもりでいる。認めてもらうつもりでいる。

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