第十二章 1

 テレビをつけるとまた、解放の日のテレビ局ジャックの陰謀論特集が流れている。

 曰く、テレビ局ジャックなど容易に出来るものではないし、その際に警察が一歳動かなかったのは、政府がすでに薄幸のメガロドンに浸蝕されていたせいであると。


 解放の日以来は目立った活動も無く、なりを潜めた彼の宗教団体は、結局教祖の存在すらわからずじまいというミステリーのまま、幕を引く事になりそうだ。


 岸部凛はあの宗教の価値観をわりと気に行っていた。この世の全てを無価値な糞だと断じて貶めたうえで、だからこそ何をやっても許される。法も社会秩序も良識も糞ったれ、やりたいようにやって死ねという、前向きに破滅的な教えの元に、犯罪者を量産する宗教。

 それは凛の価値観からしてみても、確かに素晴らしい。だが一方で気に入らない部分もあった。その暴走に先は無く、結局はただの自殺でしかない。そもそもその暴走と自殺に至るまでの命ですらも、社会の恩恵を受けて甘えていたからこそ、成り立っていたのではないかと。


 社会の完全否定――社会を否定する行為に及んだあげく死を選ぶというその行為は、一見筋が通っているように見えて、ただの思考停止の逃げにしか見えなくて、それが凛からすれば嫌悪感を抱かせた。糞ったれな社会と断じつつ、その糞の中で自らも糞の一部となりながら、美味しい所取りして生きていく方が、まだマシだ。


(少なくとも裏通りの住人は皆そうしているんだしね。そして私達もまた、社会の一部なんだから。私は単に、社会という糞と社会派の糞虫が大嫌いすぎて、裏の社会で生きる事を決めただけの話で)


 岸部凛は現在二十歳。裏通りに堕ちて二年半になる。つい半年前までフリーの始末屋という立場であり、それなりのベテランであるが、表社会以上に信用第一のこの裏社会で、かなり感情任せに好き勝手やってきたので、裏通りにおける評判は芳しくない。


 半年前のとある事件から、凛は組織に身を置いて活動する事になった。組織と言っても、構成員は凜を含め三人しかいない、しがない弱小始末屋組織であるが。

 仕事はそこそこ入ってくる。しかし裏通りの評判における始末屋のランクとしては、お世辞にも高いとは言えない。失敗することもしばしば。何かしら大きな功績を挙げて話題になれば、話は違ってくるが、そのような機会も無い。


 あるいは――まだフリーだった頃の凛のように、何かしら尖った部分があれば、それ目当てに仕事が入る事もある。

 例えば凛の場合は、気分次第で依頼主をあっさり裏切って仕事放棄する最低の始末屋ということで話題になり、そういう始末屋だからこその汚れ仕事ばかり回ってきた。

 そんなフリーダムなスタイルも今の組織に入ってからは、改めている。いや、正確には我慢していた。他の二人のために。


「たっだいまーっ。凜さんの大好きなド田舎みそ、売り切れてたよーっ」


 凜が事務所で一人、テレビを見ていると、事務所の扉が開き、聞きなれた明るく弾んだ声がかかる。

 男なのにつけまつ毛でもしているのかと思うくらいまつ毛が長く、いつも愛想のいいその美少年と仕事をしだして、もう半年になる。名前は雲塚晃。一応この組織のボスという立場だ。


「あら、売り切れてたの? そう、それなら仕方無いね。売っている所を探して買ってきなさいね?」


 そんな晃に向かって凜はにっこりと笑って、優しい声音でそう告げた。冗談で言っているわけではないということを悟り、晃の口元に引きつった笑みが浮かぶ。


「それとね。別に私は好きで味噌が大好きになったわけじゃないの。だからあまり味噌のネタは振らないようにね。この前も言ったわよね? あなた人の言ったことすぐ忘れるようだけど、鳥頭か何か? それとも私の神経逆撫でして楽しんでいるの? また調教が必要?」

「い、行ってくるでありまーすっ!」


 笑顔でまくしたてる凜に、晃は身の危険を感じて事務所の外へダッシュした。


「好きで味噌が大好きになったわけじゃないって、ちょっと変な日本語だね」


 その晃と入れ替わるようにして、晃と同じくらいの年齢の少年が事務所に上がり、冗談めかして言った。色白かつ中性的な容姿をしていて、温和なイメージを与える少年だ。名前は柴谷十夜。凜や晃と共に、ここで裏通りの組織の仕事をしている。

 組織の名は『ほころびレジスタンス』。一応、代表は晃であるが、組織設立からこの半年間ずっと、凛が指導兼保護者役としてのポジションを努めている。


「変な日本語だけど事実だしね。そういう体質になってしまったのよ」

 深々と溜息をつく凜。


「それはそうとそろそろ半年なんだし、私もここをお暇したいんだけどね」

「え……まだ凜さんがいないと、その……情けないこと言うけど、今までも何度も凜さんに助けられてきたっていうか、凜さんがいないと危なかったことが多かったし……その……」


 凜の発言に、十夜は狼狽しまくる。


「うん、離れられないね。私がいるせいであなた達が駄目になっている面もありそうだから、複雑な気持ちだけど」


 未だに危なっかしい晃と十夜を見ていると、まだ放っておけないという気持ちが凜にはあった。


「あの……凜さんはここから出たいの? 俺らとずっと一緒にやっていくのは嫌なの?」


 おそるおそる尋ねる十夜。この少年のこういう表情を見ると、何故か凜はぞくぞくくるものを感じる。


「いつかはまた一人になりたいと、漠然と思っているかな。気がねせず滅茶苦茶やれるしね。今はあなた達のことを考えて控えているけど」


 凜がそう言った直後、テレビがCMに入った。


『グリムペニス主催のホエールウォッチングツアー! 今年も日本で開幕!』

「日本を目の仇にしているくせにぬけぬけと……」


 CMを見て忌々しげに呟く凜。


 グリムペニスは世界最大の環境保護団体であり、科学文明発展を悪という価値観を全世界に蔓延させた諸悪の根源として、世界中の技術者から目の仇にされている。

 かつてグリムペニスは捕鯨を行う日本人を目の仇にしており、何かにつけて攻撃の矛先を向けていたが、最近は懐柔策へと乗り出し、定期的に日本人向けにクルージングツアーを開催するようになった。彼等の息がかかっている政治屋達も、増えているという噂だ。

 世界各国の裏社会にも精通している組織として、キナ臭い噂は耐えない。


 また、環境保護を名目としてテロ活動を行う『海チワワ』という組織が、グリムペニス内の右派であるとも、グリムペニスの子飼いであるとも言われている。吸血鬼ウイルス混入事件もグリムペニスの指示で海チワワが行ったともっぱらの噂だ。


 グリムペニスの活動の甲斐があってか、最近は日本でも遅まきながら、世界的な潮流であった環境保護ブームが蔓延している。環境保護、動物保護を訴えるデモが過熱化しており、エコロジー本も売れ、テレビもエコロジーネタを取り扱うようになった。エコロジーブームに擦り寄る政治屋達も現れ始めている。


 CMが終わり、ニュース番組へと変わった。


『次のニュースです。またも失踪事件が相次いでいます。都内では一家が丸ごと失踪するケースが、今月に入って四件に――』

 唐突にテレビを消す凜。


「もうこんな時間ね。そろそろ訓練に行きましょ」

「う、うん」


 立ち上がって黒いコートをまとう凜に、十夜は躊躇いがちに頷いた。晃を待たなくていいのかと十夜は思いつつ、メールで訓練場に行く旨を晃へと伝えておいた。

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