第十一章 34

 純子はその人物との接触手段はもたなかったが、その場所にいれば必ず相手が来ると確信し、待ち続けていた。

 累を結界に誘い込んでハメた場所。神社の裏口。ここはかつて純子がその人物と出会った場所でもある。


「待ちくたびれて諦めた所でしたわ。でももしかしたらと思い、またチェックしに戻ってきて、正解でしたわね」


 聞き覚えのある声が響き、純子は顔を上げた。以前と全く変わらぬ格好をした女性が、優雅に佇んでいた。


 雨岸百合――数十年前まで、行動を共にしていた女。純子に惚れこんで、一方的に崇拝し、つきまとっていた女。

 だがある日突然、百合は純子に見限られた。百合からすれば全くわけがわからなかった。慕い崇めていたのが片想いだとしても、自分を徹底的に否定してこきおろしたうえで見限られたのは、全く意味がわからなかった。


「純子、貴女こそ取るに足らない、つまらない存在でしてよ」

 小気味良さそうに言い放つ百合。


「私はかつて貴女のことを、至高の存在だと、芸術の頂点だと、絶対悪の極みだと、崇めておりました。けれど……それがこの様です。笑わせてくれますわね。千年もの間、愛にすがって彷徨う亡者だったなんて。そして千年越しにやっと見つけた愛しの王子様も、残念なことに壊れてしまいましたわ。とても滑稽ですこと」


 嘲る百合に対して、純子は何の感慨も抱かぬかのように、じっと見つめるのみ。そのリアクションが、百合の神経を逆撫でした。自分がくだらぬものと見下されたような感覚を覚えた。


「もうあの子はまともな世界では生きていけませんわ。私や貴女と同じ道を歩むしかなくってよ。嬉しいでしょう?」

「うん、嬉しい」


 にっこりと笑みをひろげて即答する純子。

 百合も笑顔を保っていたが、純子のあまりにも堂々たる態度に、そして予想外の言葉に、鼻白んでいた。強がりなどではない。その言葉が明らかに本心だと百合にはわかったからだ。


「君のゲームの最中、あの子が私に全く連絡を寄こさなかったのは、どこかで真君に接触して暗示をかけたんだよね?」


 真も気づいていたし、純子の前でも口にしていたが、真が途中で純子に連絡し、状況を説明すれば、それで百合の企みは崩れる可能性が大きかった。しかし真がそれをしなかったのは不自然であるし、そう考えるのが自然だ。


「御明察――と言いたい所ですが、私自身は接触していませんことよ。私が遠隔操作していた死体人形を使って暗示をかけましたの。あとはこれとかね」


 そう言って一枚の紙を見せる百合。そこには純子の写真と、様々な呪紋が描かれていた。真や計一が見た紙に描かれていたのと同じ紋様。

 それが何であるか、純子は知っている。見た者の精神に干渉し、サブリミナル効果に毛が生えた程度の、ごくごく軽いマインドコントロールを促す術だ。効果は小さいが、流派問わず初心者の術師でも行使できるので、素人相手に悪用される事が多い。


「真にかけたこちらの術は、どういうわけか途中で切れてしまいましたわ。元々抵抗力があったのでしょうか」

「たまたま術が解けたのか、それとも必然の働きなのかが私には気になるなー。君が解いたんじゃないとわかった今、興味が沸くポイントだね」


 純子の言葉に、百合は多少間を置いて思案したが、思い当たることは何も無かったので、話を続ける。


「幾つか綱渡りの部分もありましたわ。いくら真が貴女と連絡を取ろうとしなくても、途中で貴女の方から電話なりメールなりしてしまえば、それで台無しになる可能性もありましたしね。それと、彼が銃を手にして戦うことまでは確信していましたが、果たして生き残れるかどうかという問題もありしまたわ。死なせてしまっては面白くありません。かといってそれ以上の干渉も無粋ですわ。その辺はあの子の頑張りに賭けましたの。全てが望み通りの展開になったわけでもありませんし、全てを干渉することも、また見届ける意味での鑑賞もできませんでしたからね。純子、貴女はどうやってあの子を言いくるめたのかしら? 少なくとも殺してはいませんわよね? 二人の間でどんなことがあったのか、是非知りたいですわ」

「私に言わせれば十分以上に過度な干渉してるんだけどなあ。自分の思い通りにシナリオ通りにしようと、がっついている感じだよ。そこが私と百合ちゃんの合わない所だよねー」


 屈託の無い微笑みを浮かべて言う純子。百合の笑みが消えた。今の一言は、かなり百合の神経を逆撫でする代物だった。純子に言われたという事で、余計に。


「真君はメール送ってもあまり返信しない子だからさー。一度フランスにいた時に電話は入れたけど、出なかったし。それとさ、梅宮計一君て子に、私の振りしてメールしていたのを見たけどさあ。いまいちうまくないというか、私なら言わないような台詞が多いのもどうかと思うんだ。私の振りをするなら、もっとちゃんとこなしてほしいねえ。特に気になったのが、たまに百合ちゃんぽさが見え隠れしている部分も見受けられた所ね。その辺がすごくお粗末だよねー」


 追い打ちをかけるかのように批評する純子に、百合は険悪な顔になる。


(相変わらずというか、何十年経ってもポーカーフェイスが出来なくて、感情を簡単に外に出す子だねえ。真君とその性質を交換してあげればいいのに)


 百合を見て、そんなことを考える純子。


「その無駄に愛想のいい顔、ひっぱたいてあげたい所ですわ」


 その台詞を口にしてから、百合は既視感を覚える。覚えていないが、つい最近似たような台詞を口にした気がしないでも無い。いや、口にしたのではなく、ネットで書き込んだような記憶がある。しかし思い出せない。


「今やってもいいんだよー? どーぞどーぞ」

「貴女のそういう所も大嫌いでしてよ」


 純子に対してだけではなく、自分が余裕を無くしている事にも苛立ちを覚えながら、百合は吐き捨てた。


「あと変なこと言っていたよね。壊された? 逆だよ。君はあの子を目覚めさせたんだよー」


 その時、純子の瞳が一瞬妖しい煌めきを放ったのを、百合は確かに見た。


「君はねえ、私があの子にしたかったことを、私の代わりにしてくれただけなんだよ」


 思いもよらぬ言葉が純子の口から出ている事に、百合はどう反応していいか悩む。


「真君はね、私達と同じだよ。羊の王国では暮らせない性(サガ)を持つ子だったもん。いくら普通に憧れても、あの子の魂はそういう風にはできていない。あの子が普通に仕事に就いて家庭を築いて普通に歳をとって普通に一生を終えるなんて、土台無理だった。私はあの子と接して、すぐにそれがわかったもん」


 純子の話を聞きながら、百合は憮然とした顔になっていた。強がっている風では無い。完全に本心のようだ。百合からすれば、真を心身共に闇の世界に引きずりこむ事は、純子に対しての悪意の賜のつもりであったので、こんな受け取り方をされても面白いはずがない。


「貴女も彼をこちらの世界に引きずり込みたかったのですか? それを躊躇するなんて、純子らしくありませんわ」

「うん、それに関しては感謝してるよー。でも私はね、あの子の気持ちを尊重しているつもりで、あの子の本質を見て見ぬ振りしてたんだ。あの子をカタギではなくするような真似は、しないでおこうと心掛けていた……。だけどさー、本心ではこっちの世界に引きずり込みたかったんだよね。でもまあ、やりたくてもそこまではできなかったの。らしくないって笑われるだろうけどさあ、ずっと迷っていて、踏み切れなかったんだ」


 もちろんそれはこんな形では無い。自分に憎悪を向ける形など、望むはずもない。何よりも、真を自分の手で傷つける事だけはしたくないという気持ちが純子にはあったし、裏切るような真似もしたくはなかった。しかしそれと同時に、今口にしたことを妄想もしていた。


「考えてはいましたのね。その辺、流石は純子といった所でしょうか。私が唯一認めた人でありましてよ」

「でもさ、私は好きな人を傷つけてまで自分の想い通りにしたいなんて、そこまでしないよ?」

「庶民に堕落させるくらいなら、傷つけてでもこちら側に引き入れた方がよろしくてよ」


 反射的にそう口走り、百合は自分の言葉に驚く。煽り、嘲りに来たつもりであったのに、いつの間にか、真面目に話し込んでしまっている。


「んー、相変わらず普通が嫌いなんだねえ。その普通の人達が主に世の中を動かしていると、考えたことはないのー? どんなに秀でた力を持っていようと、大勢の平凡で普通な人達がいなくちゃ無意味なんだよー? 彼等のおかげで世界は成り立っているんだしさあ」


 純子は決して一般人を軽んじて見ることはしない。その考え方は百合も昔から知っている。だが百合からすると全く理解できない。所詮は蟻の群としか思えない。


「ああ、そうそう、あの子の筆おろしは私がしてあげましたわよ。正確には私が操る死体人形ですけれど。初体験の相手が死体だなんて、愉快な話ですこと。まあ、当人は知りませんけれどね。せっかくの待ち望んでいた想い人なのに、貴女の前に死体と目合わせて、ごめんなさいねえ」

「真君の担任教師の鹿山由美さんって人のことかな。真君は彼女が怪しいことも、薄々感じていたみたいだよ」


 からかった直後にまた言い返されたが、今度は腹も立たなかった。たとえ純子が堪えていなくても、純子に先駆けて純子の想い人を奪ってやったことは、痛快であるし、一つの偉大な勝利であると、百合は思い込んでいたからだ。


「もう一つ疑問があるんだけどね。百合ちゃんの考えたシナリオにしては、随分と行き当たりばったりな面も見受けられたというか、あの梅宮君て子は、イレギュラーな存在? それともあの子も百合ちゃんが用意したの?」

「彼は私が作ったのではありません。当初はあの死体人形の教師――鹿山由美を用いて、真を性的に滅茶苦茶にしてから、その後に周囲の人間を殺していくつもりでしたが、真へ強烈な憎しみと妬みを持った子が、偶然近くにいたのでね。これこそ運命の導きと思い、面白いから舞台に立たせてあげましたの。貴女の指摘通り、急遽シナリオを変更して、あの子の復讐劇にしてあげましたのよ。ある意味私と同じ立場ですし、あそこで死なすには惜しかった逸材でしたけど、まあ死体でも生体でも構いませんわね。一応、悪霊化した彼の霊魂も保存しておきましたし。また面白い使い方を考えておきますわ」


 学校裏サイトで真を憎んでいる者を見つけて、その正体を突き止めたうえで、百合は計一を中心としたシナリオへと書き換えたのである。


 聞きたいことと言いたいことを互いに口にしきったであろうと、見計らったかのようなタイミングで、殺気と妖気が膨れ上がり、強力な術が発動された。


「黒髑髏の舞踏」


 百合の周囲に、夥しい数の漆黒の骸骨が現れた。統一性が無く様々な服をまとった骸骨達は、己の骨を折り、一斉に百合めがけて突き刺しにかかる。

 あまりに唐突なうえ、至近距離から周囲を取り囲まれる格好で術を発動されたので、百合はこの攻撃を避ける事がかなわず、殺到する骸骨達によって、足、腹、背、腰、尻、胸、腕、顔、頭と、体中至る所に骨を突き刺される。


 血まみれの顔をひきつらせ、空間の扉を開き、転移して逃げようと試みた百合であったが、何体もの骸骨が百合の体にまとわりついて、何度も何度も執拗に骨を刺しているうえに、その骸骨に別の骸骨がまとわりつき、さらにまとわりついた骸骨を別の骸骨が掴むという、骸骨の連なりが出来てしまっているので、転移で逃げてもなお、相当な数の骸骨がついてくるであろうし、ダメージの持続は避けられない。しかし大量の骸骨に埋め尽くされたこの場にいるよりはましだ。


「累君、やめて」


 純子が静かな声で制する。神社裏口に現れた累は、不服な顔になって術を解いた。


「どうして止めるんです?」


 骸骨達が消えると、百合の姿も消えていた。転移して逃げた後だ。地面に相当な量の血が残っている。血の量だけを見れば致命傷を負っているように思えるが、オーバーライフの多くが持つ再生能力を考えれば、死には至ることもないであろう。


「逃げ足だけは相変わらず優秀です。あの裏切り者、放っておけば必ずまた災いをもたらしますよ?」


 本気モードになって、よどみない口調で警告する累。


「今ここであの子を殺すのは簡単だけどねー。全部見てあげようよ。百合ちゃんがこの先どんな方法で私達に意地悪してくるのかをさ。ま、大したことしてこないだろーけど」

「真が殺されてもですか?」

「その真君が、百合ちゃんにリベンジを果たすからだよ」


 純子の言葉に、累は目を丸くした。


「私があの子を鍛える。改造もする。真君なら必ずやり遂げるよ。私達は信じて見守ろう? ね?」


 累は釈然としなかったが、純子が確信をもったような言い方をするので、その場は純子を立てて引き下がった。だが機会があれば必ず百合を討とうと、心に決めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る