第十一章 35

 都心某所にあるビル。何世紀にも渡って裏から欧米の国々に干渉し、多大な影響力を持つ秘密結社の日本支部とも言うべき場所。

 その組織とこれまた何世紀にも渡って相対関係にある少女が、堂々と入口をくぐり、単身ビルに入っていく。広いエントランスのあちこちから様々な色のガラス棒が伸び、中の電球が穏やかな光を放っている。


「お待ちしてましたー。って、あれ~? 一人なんですかー? 彼氏は連れてこなかったんですかー?」


 組織のボスとして長年君臨している、シスターと呼ばれる女性が、巨大なステンドグラスの下に立ち、歓迎の笑みと共に出迎える。


「すまんこ。彼氏紹介できなくなっちゃった。いやー、ちょっと破局しちゃってさあ……あははは」

「ええええっ!?」


 頭に手をあててあっけらかんと笑う純子に、シスターは素っ頓狂な声をあげて驚いた。


「いろいろあってさあ。全部私の責任というか失態というか、因果応報的なもん? それとも迷いの代償? その巻き添えになっちゃったっていうか……んー、どう話したらいいものやら」


 照れ笑いを浮かべて言いにくそうにしている純子を見て、シスターは自分の知るいつもの純子とは違う雰囲気を感じ取った。


「場所を変えて、詳しく聞いてもよろしいでしょかねー?」

「うん。私もシスターには、話聞いてもらいたいと思うしね。愚痴っぽくなっちゃうかもだけど。こないだああいう話をした矢先でこんな話するのも何だけどさー」


 シスターに連れられて純子はビルのエレベーターに乗り、質素な和室へと招かれた。


「ここって応接室じゃなくて、シスターの部屋?」


 表面上は整理されていたが、純子は常人離れした嗅覚で、シスターの臭いがかなり強く漂っているのを嗅ぎ取り、シスターが寝泊まりしている部屋と見てとった。


「はいー。だからリラックスしてくださーい」

 先に入って、畳の上で正座をするシスター。


「襲われちゃわないかな。ふっふっふっふっ……」


 両手で自分の肩を抱きしめ、不気味な笑い声を漏らす純子。


「襲われる方を期待して何でそんなに楽しげなんですかー。で……何があったのですー?」

「実はねー……」


 それから純子は、あったことを全て話した。何一つ、包み隠さず。


「これも神様の思し召しなのかなあ」


 話し終えてから笑顔でそう茶化す純子。いつもなら「神の冒涜は許しませーん」と怒った素振りを見せるシスターであったが、今は神妙な顔でうつむき加減のまま、ノーリアクションだった。


「ま、あんなことになるとはねー、私も全然思っていなかったし」


 ヘビーな内容にも関わらず、純子は先程からずっと、まるで他人事のように緊張感の無い喋り方である。


「千年間、ずっと探してたんだ。いつかはどこかで会えると思って。ずっと夢見ながら探して、やっと会えて、モロ私好みな見た目で、しかも自然と仲良くなれて、向こうから告白までされて、すごく嬉しかったよー。夢見てるんじゃないかと、会うたびに思ったし、別れてからいちいちほっぺつねってた。でもまあなんだ。うまくいかなかったねー。あははは」


 乾いた笑い声をあげてから、シスターがずっと黙り込んでダークな気を発し続けているのを見て、流石に純子もきまりが悪くなった。


「私は別にいいんだー。千年分の業をたっぷりと背負っているから、どんな目に合おうと文句言わないし、自分の運命を嘆いたりもしないよ? どんな地獄も、罰として受け入れる覚悟、あるよ? でもさあ……真君が巻き添えくってあんな目にあう必要はなかったよねえ。ま、百合ちゃんを野放しにしていた私が甘かったと言われれば、それまでだけどさあ」


 雨岸百合の存在はシスターも知っていた、一時期、純子に付きまとっていたサディスティックな死霊術師だ。何で純子はあんな女と共に行動しているのかと不思議であったし、別れたと聞いた時はほっとしたものだ。


「なんていうか、今ほど普通の女の子になりたいと思ったことないよー。何勝手なこと言ってるんだって、思われるかもしんないけどさあ」


 純子のその言葉が、シスターの胸に響く。歴史の影で数百年の間、悪逆非道な狂気の魔女として、多くの支配者達に危険視されていたあの雪岡純子が、こんな言葉を口にしたという事実。

 シスターが不倶戴天の敵と見なして幾度も争った彼女が、自分を前にして、己の弱い部分を零した瞬間。何も感じないはずがない。


「ここって泣いておく場面なんじゃないかなーって思うし、大昔の私なら泣いてだろうけど、今の私、もう涙が出ないんだ……あははは……。永劫の代償として、私は悲しみって感情が凄く鈍くなっちゃってさ」


 永遠の命を得ても、その精神は長い年月に耐えられない。それに耐えうる性質を持つ者達は、何かしら精神に歪みがある者か、または生じた者達である。それは純子も累もシスターも同様だ。それぞれ違う何かが歪んでいる。または、失っている。


 胸に熱いものがこみあげ、いてもたってもいられなくったシスターは、飛びつくようにして正面から純子を力いっぱい抱きしめ、肩を震わせてすすり泣く。


「もー、どうしてシスターが泣くのー」


 まんざらでもない笑顔で、純子もそっと抱き返す。


「私がっ、貴女の、だめに泣ぐごどっ、なんでっ、何も、不思議なことじゃっ、ないでしょっ」

「うん、ありがとさままま。シスターが私のために泣いてくれるの、照れるけど、嬉しいよ」


 鼻声で訴えるシスターに礼を述べ、純子は穏やかな笑みをたたえて抱き返した。


***


 その後シスターと街に出て遊んでまわり、純子が研究所に帰宅した時には夜の一時を回っていた。


「遅かったな」


 ずっと純子の帰りを待っていたといわんばかりに、真が研究所入口で出迎えた。


「ただいまんこ……って、どうしたの?」


 覚悟の眼差しを向ける真を前にし、何の用事か、何を言ってくるかは大体見当がつくが、素知らぬ顔で訊ねる純子。


「僕にこう尋ねてくれ」


 漂う酒臭さを微妙に気にしつつも、真は純子を見据えて言った。


「このまま逃げるのか、それとも逃げずに戦うのか。今ここで決めろって」

「んー……、え、えっと、このまま逃げる道を選ぶ? それとも戦う? どちらでも好きにしていいよ。今決めてみて」


 目を丸くして、かなり棒読みで真の要求に答える純子。


「戦う」


 即答する真に、純子は目を丸くしたままだった。どういう儀式なのか、純子にも計り知れなかったが、不器用な真が精一杯考えて望んだことなのだろうと、合わせてやる事にする。


「僕はお前から逃げない。お前のことはわかった。僕達とは違う世界で生きている、全くファンタジーな奴だって。でも逃げない。お前のやってる悪事も全部知った。それを辞めさせる。僕はお前の悪事を阻む。僕がお前を改心させてやる。だから――そうできるように、お前が僕を鍛えろ」

「え……えええ~!?」


 鍛えてくれと言ってくることまでは予想していた事だし、純子もそのつもりでいたものの、改心云々言い出したのは完全に想定外だった。


「裏通りのサイト、いろいろ調べてみた。お前は何人も裏通りの住人をデビューさせているそうじゃないか。裏通りで生きるための手ほどきも施したうえで。僕にも同じことをしろ。いや、お前もこないだ言ってただろ。磨き甲斐があるって。あの時すでにそのつもりだったって事だろ」

「んー、それはいいけどさあ……改心て……」

「お前がマッドサイエンティストしているのは事実だし、いろいろ悪いことしているのも事実だろ? 人から恨まれるようなことを沢山している。だからどこかの誰かがお前を恨み、結果、僕らはこんな目にあった。お前への復讐として僕が標的にされ、僕のダチも母親も先生も死ぬことになった。かといってお前に口でやめろと言ってもやめないだろうから、僕が強くなって、お前を改心させてやる。今は方法が思いつかないけど、いずれ必ずそれも思いついて実行する」


 あまりの強引さとアバウトさに、純子は引きつった笑みが浮かぶのを抑えきれなかった。真は真剣そのものだし、笑ってはいけないと思いつつ必死に抑えているつもりだったし、馬鹿にする気持ちがあるわけでもないが、純子の笑いのツボにあまりに正確無比に入りすぎている。


「それにさ、お前を憎んで害をなそうとする存在もいるわけだろう? そいつからお前を守りたいし、何より、僕自身のためにも僕の手で引導を渡してやる」


 宣言してから、真は改めて決意する。


(雪岡を憎んでいる奴は、梅宮と同じだ。どちらも一人の人間を憎んで憎んで憎みまくり、これでもかってくらい強烈な悪意と共に、憎んでいる相手に害をもたらす。攻撃し、苦しませて、貶めて、傷つけて、そして楽しんでいる。もうそんな奴の思い通りにはさせたくないし、少なくともそんな奴にこいつを傷つけさせやしない)


 そのための力を得ることを護る当人に望むことも、最初は足がかりでしかないと真は考える。何もかも頼るわけにはいかない。護るためだけではなく、討ち伏す相手でもあるからだ。


「ただし改造手術とかそういうのはいらない。それは断じて拒否だ」


 これまた純子からすると意外な言葉だった。純子はとびっきり強力な力を付与するつもりであったが、目論見が外れてしまった。


「鍛えるのは有りなのに、改造は駄目っていう理屈もよくわかんないなー。力を得るのに手段を選ぶ――スタイルに固執するってのはわからなくもないけど、この場合ナンセンスだよ」

「僕はお前と相対する事にもなる。そのお前に得体の知れないインチキ能力を授かったんじゃ、お前を超えるのも無理じゃないか? 被造物が造物主に勝てるか?」

「んー……どうも真君と考えが合わない点みたいだね。まあ、それが望みなら断る理由はないけど」


 口でそう言いつつも、純子は別の事を考えていた。


(でも不老化はさせてもらうよ? 私が歳とらないのに、真君にだけ歳とっていかれても嫌だし、今が一番可愛いし。あと放射線への耐性もつけなくちゃ。この研究所、頻繁に放射線漏れ事故が起こるし。なるべく早いうちにこっそり手術しよっと)


 それくらいならいいよねと、勝手に決めつける純子。


(僕を滅茶苦茶にしたことが爽快か。それをやったせいで、お前はそこで人生終了したけど、そんなことで満足だったのか?)


 一方で真は、計一のことを思いだしていた。


(僕はまだこの先も生きるけどな。少なくともお前みたいな終わり方はしない。しかるべき強さを手に入れ、全ての意志を貫き、全ての望みをかなえるし、生き延びる)


 つまらない嫉妬によるつまらない復讐で身を滅ぼした計一から、真は教わった。復讐のくだらなさを。

 だがそれを知ってなお、真は己の運命を狂わせた元凶に復讐するつもりでいる。けじめをつける。しかし断じて復讐だけを望むわけではない。それは目的の一つにすぎないし、災厄からの自衛も兼ねている。


(代償は大きかったけど、見つけたよ。僕に相応しい道――生き方を。普通とやらの生き方ができなかったのは、それはそれで悔しいけど)


 人を殺しても恐怖も無く、逆に喜んで勃起までしている異常者であることも、素直に受け入れてしまえば何てことはない。そんな自分に相応しい道もセットでついてきた。殺された者達には悪いが、それは幸運だったとすら真は思う。


「明日から徹底的に君の身も心も摩きぬくよー。ヤスリで肌を研ぐような感じで」


 おかしな手つきをしてみせながら言う純子。


「変な脅しはいらないよ。僕の決心が揺らぐわけでもない」

「脅したつもりもないけどねー。これからしばらく君は、苦痛に喘ぐ毎日を送る事になるから。改造手術がいらないってんなら、それ相応の強さを生身で得るために、私もそれなりにシゴきぬくってことだよ。他の子達の何百倍もハードな訓練でね」


 純子はいつもと変わらぬ笑顔だったので、真にはあまり現実味が感じられなかった。今こうしていても、純子の真への接し方は付き合っていた時とあまり変わらない。しかし真の純子へり接し方は、まるで違うものになっている。同じにはできない。


(こんなことになっちゃったけど……いつかまた、元の鞘に収まる日が来るといいな。離れ離れになるわけじゃないんだし)


 変貌した真を見つつも、純子が光明を見出そうとする一方――


(もう僕らは元には戻れない。たとえ一緒にいても。そんな期待はしない方がいい。そんな甘い考えは捨て去らないと、強くなれない。やり遂げられない)


 真は一縷の望みすら捨て去ることで、不退転の覚悟を固めようとしていた。

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