第十一章 29

 第875回国際マッドサイエンティスト会議はつつがなく平和に終わり、純子はパリにあるバーで、古い友人と待ち合わせをしていた。


「お待たーせしましたー。相変わらず純子はいつも先に来てますねー」


 間延びした日本語を耳にし、純子の口元が自然と緩む。


 ふわふわと波打った緋色の髪が見栄えする、青いスーツを着た美女が、嬉しそうに微笑みながら、純子が座るカウンター席の隣に腰を下ろす。


 その女性はシスターという呼び名で呼ばれている。千年以上にも渡って、世界に無数に存在する裏の支配者として、世界の一角を裏から操ってきた秘密結社『ヨブの報酬』のトップであり、強大な力と支配力を持つ人物である。

 数百年にわたる付き合い。立場上は敵同士であるが、同時に気のおける友人でもある二人は、再会を喜び、話に華を咲かせる。


「国際マッドサイエンティスト会議はどんな話し合いでしたかー?」

「つまんなかったよー。完全服従美少女アンドロイドにおっぱいミサイルを搭載するか否かとか、あるいは魔術師の脳を増殖培養して魔法少女型クローンを量産するプロジェクトとか、そんなんばっかりだったし。私が提案した渾身のプラン――これから生まれてくる男性全て、十二歳から十四歳くらいの外見で成長が止まって、なおかつ100%美少年化して100%同性愛にも目覚める遺伝子操作計画は、華麗にスルーされちゃったしさあ」


 スルーされて幸いだとシスターは心底思う。そしてやはり純子はこの世界にとって、極めて危険かつ邪悪な存在だと再認識する。


「それにしても純子が彼氏作るなんてねー。しかも相手はカタギの子。本当に驚きましたよー」


 言葉通り、シスターはその話をきいて仰天したものだ。

 純子がかつて失った大事な人の生まれ変わりとの再会を夢見て彷徨っている話は、一部の過ぎたる命を持つ者達の話では有名であったし、とうとうその人物と巡りあえたという話は、彼等の間ではちょっとした話題となっていた。

 とはいっても、直接会って話題にしているわけでは無い。


 相手がカタギというのも、ポイントの一つだった。もしかしたらこれで雪岡純子も少しは丸くなるかもしれないと、敵視もしくは警戒している立場の者達は、淡い期待を抱いていた。


「でもどうする気ですか~? 彼は羊の王国の中にいる子ですよー? たとえ牙を供えていても、貴女とは生きる世界が違いまーす。違う世界にいながらこの先も付き合っていくのはハードではないですかー?」


 シスターの問いに、珍しく純子は答えにくそうに、逡巡しているような反応を見せる。曖昧な笑みを浮かべ、唸っている。


「んー……実は私もそれは考えているんだ。正直さ、私にもどうしたらいいのかわからないんだよねえ……。シスターはどう思う?」

「貴女のそんな顔初めて見ますねー。うーん……裏の住人と表の住人が本気で付き合うというのは――中々難しいですね。器用にそれをこなせる人もいるかもしれませんが」


 シスターからしても、簡単に答えられる問いではなかった。純子のような変わり者が基準では、特に答えにくいという面もあったが。


「私もこれだけ長生きしていて初めての悩みだしさ……シスターの言うことはわかるんだ。どっちかが今生きている世界を捨ててどっちかに歩み寄らないと、ダメだとは思っている。私、彼氏なんて作ったこと自体初めてだし、そんなの器用にこなせる自信もないし」


 本気で悩んでいる様子の純子に、シスターはしばらく思案する。自分の考えとしては、裏の住人が表の住人と対等に付き合うのは困難だと考えている。

 だが純子もそれを承知してうえで悩んでいるのは、相手をこちらに引き込むのを純子がためらっているからに他ならない。相手の人生を尊重したいのだろと察した。


「貴女が捨ててはいかがですかあ? その方が喜ぶ人間多いでしょうね。世界中のオーバライフ達も、私含めてほっとします」

「……それも、ありなのかあ」


 冗談ではなく、わりと本気の声音でぽつりと呟いた純子に、シスターは驚きを禁じ得なかった。


「えー、本気ですかあ?」

「本音を言えば、あの子をこっちに引き入れたいよ。でもさ、笑われるかもしれないけど、私が実は超極悪人でマッドサイエンティストだってことも、あの子に知られたくないっていう気持ちも同時にあるんだよねえ。だからシスターの言う通り、私もここいいらで普通の女の子になるってのも、いいんじゃないかなーって思うんだ」


 いつもとは異なる笑みを浮かべて語る純子の横顔を見て、シスターはいろんな意味で胸が締め付けられるような気分を味わった。それは積年のライバルが引退するような寂しさでもあり、友人がやっと幸福を掴もうとしている事への喜びでもあり、もっと単純な萌えに近い感情でもあった。


「あの子の本性は、こっち側の人間だとは思うけれど、それでも今ならまだ表通りで生きている。あの子はあっちで生きようとしている。それを無理矢理私の都合で、こちらに引き入れるのも、どうかと思うしねえ……。だったら、散々長生きして好き放題やってきた私の方が、今まで築いたもの全部捨てて、あの子と一緒にあっちに行くってのも、悪くないと思うんだよ」

「世界の全ての謎を解明し、全ての人類を進化させんとしたマッドサイエンティストの夢が、たった一度の恋愛によって崩れ去る――ですかー。何だか惜しいような気もするし、綺麗な話のような気もするし、長年相対していた私的には万々歳な話でもありますねー」


 純子から顔を背け、シスターはグラスを傾けた。口で言うのは簡単だが、果たしてそれがスムーズにいくのかという疑問もある。


「何よりも、貴女を恨む者は多い。貴女の好きな人が表通りの住人と知れば、それを利用して復讐を企てる者や、利用しようとする者も出てくる危険性もあります」


 シスターの言葉に、純子は何も答えようとはしなかった。その驚異から想い人を守りきる自信があるのか、それとも実は深いこと考えていなかったのか。その時点ではシスターには読み取れなかった。


「ああ、私、用事で数日後に日本に行きますのでー。その時また会いませんかー? もしよろしければ、純子の彼氏を紹介してほしいですー」


 シスターの言葉に、純子は表情を輝かせる。


「うん、連れていくよー。すごく可愛い子なんだよー。もうね、探し求めていた運命の相手が、超私好みの容姿に転生していたって事が、こんだけ長い間おあずけくらわせていた償いみたいな感じで、神様がプレゼントしてくれたみたいなー」

「のろけながら神様を冒涜するんじゃありませ~ん。お尻ぺんぺんですよー」


 あの純子がのろけて嬉しそうにしている姿が見られるなど、シスターはそれまで想像だにしなかった。


 純子の笑顔を見つめながら、敵であり親友でもある純子に対して、彼女の恋がうまくいきますようにと、シスターは心から祈った。

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