第十章 31
数時間後、由紀枝は黒斗に連れられてパトカーに乗り込み、安楽警察署へと向かった。
すでに陸が死んだ事も聞かされており、半ば放心状態にある。こんな状態の彼女から事情調書など取られねばならないのかと、黒斗は暗澹たる気分に陥った。普段ならそうした面倒な役目は、裏通り班の最終兵器としての実力特権で放棄し、一切他人任せにする黒斗であったが、今回に限っては、由紀枝の手前、自分が最後まで受け持とうと心に決めた。
署内の遺体安置室にて、由紀枝は陸の遺体の顔にかけられた布をめくり、しばらくまじまじと陸の死に顔を眺めていた。心なしか、放心状態からは解かれて気持ちが落ち着いたかのように感じられる。
「陸なら、たとえ世界が滅びた後でも、生き残るんじゃないかって思ってたのに。なのに……死んじゃったよ?」
陸を見下ろし、由紀枝は譫言のように呟く。
「あの時のあれ、本当に死亡フラグになっちゃったじゃない」
陸の顔に布をかぶせる由紀枝。もう動かなくなった陸の顔など、見ていたくないという衝動に駆られたが故の行動。
「あのね、刑事さん。私だってわかってたよ? 陸が悪い人だってことぐらい。陸のやってきた悪いことだって、全部見てきた。私は止めなかったし、逃げなかったし、悪いことだって理屈ではわかっていても、感情ではそう思えなかった。だって陸は……この世でただ一人の……私の……」
黒斗の方を見上げて喋る由紀枝の右目から、涙が一滴、こぼれ落ちる。
(陸は世界中の誰から見ても悪人だった。私以外は。私だけは違う。陸は私を傷つけることはしなかった。他のことなんて、何も関係無い。それが一番大事なこと)
陸はこの世界そのものを否定していた。これは現実ではなく、こういうゲームであると。だから何をやってもいいと。一切の良心の呵責無く、悪の限りを尽くしていた。だが由紀枝だけは人として扱った。
(私、それが嬉しくて仕方なかったんだ。世界を全て否定して敵に回した悪が、私にだけは普通に接してくれたことが)
泣きながら、笑いが込みあげてくる。
「私は誰も殺してないけど、陸が殺すのをずっと見ていたし、止めなかったし、何とも思わなかった。それなら私だって、陸と同罪なんじゃないのかな」
「そんなことは無いぞ」
黒斗は即座に否定した。
「月並みな綺麗事を言うつもりは無いけどさ、一緒にいたというだけで罪に問われるなら、そりゃ法律の方がどうかしている。悪法でも法なんて俺は認めない」
「そういうこと聞いてるんじゃないんだけど」
「わかってるよ。だから綺麗事も言わないって言ったろ? もっとわかりやすく言えば、殺したいと思って憎んでいた奴が誰かに殺され、その事実を喜んだとしても、殺した奴と殺したいと思ってた奴が同罪なわけがない。そういう理屈だ」
どんな慰めの言葉も、今の由紀枝にはそらぞらしく聞こえるであろうと、黒斗にもわかっていた。由紀枝は陸に無理矢理連れまわされていたわけではない。彼女が本人の意思で行動を共にしていた事も、黒斗は知っている。陸とたまたま離れていた際に、由紀枝と幾度か会話した事もある。
(こいつと一緒に扱ってほしいくらい、こいつのことを慕っていたわけか)
今の由紀枝の心境も、黒斗は見抜いていた。
「でも殺された人やその家族はどう思う? 私が陸のやってること全て見て知ってて、それでもなお陸と仲良くしてるの知ったら、私のことも同じくらい憎いんじゃないかな?」
由紀枝に罪悪感は無い。被害者とその遺族に対して申し訳ないなどという感情も全く無い。ただ思いつきだけで口走っている台詞に過ぎない。それはあくまで陸と同列に扱って欲しいという想いから発せられている。
「陸と会う前の世界って、私にとっては真っ暗だった。陸が私にとっての光だった」
光を知る前の暗黒には耐えられたが、知った後では耐えられない。
「……だからさ、私ももういいんだ」
その一言が何を意味するか、黒斗は瞬時に察した。少女の手元を見ると、すでにピンの抜かれた手榴弾があった。
黒斗は全く慌てる素振りを見せず、落ち着いた動作で少女の手から手榴弾とそのピンを取ると、ピンをはめなおす。
「生きていれば、また気の許せる友達も出来るさ。あいつだけがこの世の人間てわけじゃないだろ。あいつの性格は知らんが、君が後追い自殺してくれれば喜ぶような奴だったのか?」
月並みな綺麗事は言わないと言った矢先に、それに該当するような言葉を口にした事を意識し、黒斗は気恥ずかしさを覚える。
だが由紀枝には、今の黒斗の言葉はかなり心を揺さぶる効果があった。陸が立てた死亡フラグの台詞を思い出させた。例え自分がいなくなっても、由紀枝にはこのゲームを続けて欲しいというあの言葉を。
不意に由紀枝はこれから自分がすべきことを理解し、吹っ切れた。
***
「陸はともかく、葉山さんまで勝手な行動をしだしてまあ。御しにくい人ばかりで本当に困りますわ。純子もきっと不思議がっているでしょうね。こんなやり方は私らしくないと」
館の客間にて、客人のために茶を淹れながら百合が愚痴る。
「いずれにせよ、派手に動きすぎましたわね。純子は思い通りにならない方が面白いとよく口にしていましたが、私は筋書き通りにならないことは好みではなくってよ。当初の予定していたシナリオは、変更が必要になってしまいしたわ。少しの間、なりを潜めましょう」
喋りながら、客人の前にティーカップを置く百合。
「あんたを探れと言われた。正確には郁恵と接触していた奴を探れと言われた。郁恵は始末されたそうだ」
今日は黒いスーツにスカイブルーのシャツにノーネクタイという出で立ちに、相変わらずスニーカーを履いた早坂零は、純子には秘密で同盟を結んでいる相手に、純子からの依頼を報告する。
「知っていましてよ。あ、その件は睦月には伏せておいてくださる?」
「言わない方がいいだろうな」
ティーカップを手に取り、無感情な口ぶりで零。
「純子はラットの中の数人が、すでに私に侵食されていると気がついていましたかしら?」
「だからこうして俺に命令を下してきた」
ラットの中で純子に対して最も忠義を抱きつつも、必ずしも純子の言いなりにならない自分であるからこそ、自分を選んだのだろうと、零は解釈している。純子はそういう性格だ。容易く自分の思い通りにならないルートをあえて選んで遊ぶ。
「郁恵を操っていたのが私であることは、純子とて知っているはずですわ。本人から聞きださないはずがありませんし、郁恵もそれを隠すわけがありません」
だが百合のその言葉に、零は衝撃を受けた。
「では純子は何故俺に調査を……」
疑問を口にしかけた所で、その疑問の答えがわかってしまい、零は絶句した。零自身が理解したのを見てとって、百合は口元に手をあてて、くすくすと笑う。
「そう、貴方が私と密かに繋がっている事を純子は見抜いていた、ということでしてよ。貴方を通じて、全てお見通しだと私に伝え、貴方にも知らしめると。貴方は純子のメッセンジャーを果たしたにすぎませんわ」
楽しそうに喋る百合。それとは対照的に口惜しそうに歯噛みする零。純子は最初から全てを見透かしていた。どこでそれを悟ったのかはわからないが、これでは完全に自分は道化だと。
「谷口陸は失敗したそうだな。しかも死んだ」
気分を変えるために話題を無理に変える零。百合がどういう人材と繋がり、どんな手を使って純子と真相手に遊ぼうとしているのかも、大体知っている。
「あの子は素晴らしい拾い物でしたが、どう転ぶか全く予想できないのが困り者でしたわ。ひたすら自分の思い込みで暴走し続けているようですし、私はそれに話を合わせているだけでしたしね」
「ああいう類を手なずけるのは至難だ。諸刃の剣になりかねない者よりは、忠実に動く存在の方がよかろう」
「おやおや、忠実なあまり、その忠誠心が憎悪に代わった者が言うことですかしら」
「俺は純子に絶対の忠誠を誓っているし、憎悪などは無い。ただ、多くの者の心を捉えておきながら、その心を突き放すことが許せないだけだ。その部分でのみあんたと同じだが、あんたと違って憎いからではない。そう、言わば正義感に近い」
臆面も無く言い切る零の言葉を受けて、百合の顔から笑みが消え、真顔で零を見据える。
「すでに忠誠心など失せたのではありませんの? 純子への反逆を心に決めた時点で。少なくともその時点で、忠実とは呼べませんことよ」
「命令されればその通りに動くつもりでいるから、それはないな。反逆心と忠誠心は矛盾することなく両立する」
その言葉は純子の前でも何度か述べた。そしてその言葉を口にする度に、零は己が激しく憎み妬む人物のことを意識する。
「矛盾が無い? おかしなことを言いますわね。でしたら純子に命じられた私を探るという件、どう対処するつもりですの?」
「ラットが何名かいいように扱われているのは、言うつもりでいるぞ。睦月がお前の手に落ちたことも。そして葉山というイカれた殺し屋がお前のお気に入りであることも」
「そこまではよいとして、貴方自身のことはどうなさるつもりなのかしら? 貴方も私に協力していることを馬鹿正直に答えますの?」
百合の問いに零はすぐには答えず、しばらくの間思案した。
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