第十章 32

「お前のことを探れと言われた。俺のことは怪しまれない限り、言う必要が無いな。第一それを言ったら俺は殺される。それは純子のためにもならないし、俺の目的も果たせなくなる。そのために秘匿するのは忠誠に背くことではない。矛盾はない」


 純子に頼まれたことをそのまま報告したうえで、零は己の考えを述べる。


「忠誠と反逆が両立して矛盾が無いと言い切る貴方の考えは、二重の意味で矛盾していますわ。と、いくら言っても貴方は認めないでしょうけれど」

「俺だけじゃない。真も同じだ。そしてあんたもな」


 皮肉っぽい口調の百合に対して、明らかに挑発と皮肉のニュアンスを込めて零は言い返す。


「あんたもまた相反するものがある。あんたの場合は忠誠ではなく憧れか。いや、もっとはっきりと純子への愛憎と言えばいいか?」


 そこで会話は途切れた。百合は零から視線を逸らし、何かを思い出しているかのような面持ちで、数十秒間、窓から外を眺めていた。


「何故、世界は悲劇と不幸に満ち溢れているかわかりまして?」

 やがて口を開き、話題を変える百合。


「それは、皆他人の不幸が好きだからです。悲劇を観るのが大好きだからですわ。フィクションの多くが、悲劇の主人公が足掻く姿を見て楽しむものでしょう?」

「かもな」


 異論はあったが、零は適当に相槌をうっておく。


「私は運命を操る神の存在を信じましてよ。きっと多くの人間の運命を弄び、それを見世物にして喜んでいるに違いありませんわ。残酷な劇作家と、残酷な観客達が、現世の人間達がもがく姿を見て、今もこうして私達を別の次元から見下ろし、私達の苦悩をすすって喜んでいるかと思うと、ぞっとしませんこと」


 その話を零はどこかで聞いたことがあった。いや、本で読んだ覚えがあった。何の本だったか、記憶を探る。


「私は彼等と同じことを、舞台の上で行っているだけでしてよ。人は人の身で、神々の喜びを味わうこともできますのよ。悪意という刃で他者の魂を切り裂く事は、誰にでもできる事ですわ。私はできるだけの多くの人間の心を、できるだけ錆びて歪んで切れ味のよろしくない悪意の刃で、切り刻んでいるだけでしてよ。センスの無い神様よりずっと美しく愉快な悲喜劇を生み出していきますの。純子、累、それに純子の愛しき王子様。流石にもう気づいたことでしょう。もう第二幕は始まっていましてよ。悲劇の舞台の上で踊る姿が、もう見えていますわ」

「悦に入っている所を悪いが、それ、犬飼一の小説にあった話のパクリじゃないか?」


 ようやく思い出して、零が指摘する。電車の中で流し読みにしただけなので、大まかな内容しか記憶していなかったが、そんな話だった。神々の正体は劇作家であり観客であり、この世の全ての人間は舞台役者であるが、主人公はその仕組みに気づき、舞台の上にいながら神の領域へと踏み込んで、脚本を書きなおして世界の流れを意のままに操り、人の運命を弄ぶという物語。


「存じませんわ。私と同じ発想をする人も、それはこの世のどこかには必ずいることでしょう。ただそれだけの話ではなくて?」


 百合が心なしか不快げな眼差しを零に向けた。


「ああ、もう一つ言っておきたいことがあった。陸が最初に月那美香のライブを襲撃した際、あの相沢真と芦屋黒斗の二人が偶然にもその場に居合わせたなど、できすぎだ。月那と親しい相沢真がいるのならわかるが、同じタイミングで芦屋までいるのは妙だと思わないか?」

「裏切り者がいるとでもおっしゃりたいの? そうなると一番怪しいのは貴方でしてよ?」


 冗談めかした口調で百合。


「純子に忠誠を誓っている貴方の、相沢真憎しという気持ちも、実は嘘なのではなくって?」

「そう思うなら何故俺など使う?」

「手駒は多い程良いものですもの」

「陸という優秀な手駒が早くも失われたしな」


 皮肉る零。零の知る限り、陸は百合の動かせる駒の中では、二番目か三番目くらいの強者であった。


「陸の退場の速さは想定外でしたわ。とはいえ、彼は遅かれ早かれ消える運命。ああいう子ですもの。芦屋黒斗に狙われていた事もありましたしね。しかしおかげで随分と早くに、私の布石が役に立つ事になりそうですわ」

「布石?」

「陸がアメリカに行った理由は、私の指示でしてよ。これでおわかりかしら?」

「意味がわからんな」

「言葉が足りなかったようですわね。アメリカに向かわせ、かの組織に入るよう仕向けたのは、私なのです」


 それを聞いて、零は百合の口にした布石という言葉の意味を理解する。


「奴の死が引き金になるという事か。陸が死ぬことも織り込み済みで」

「純子と相対するなら、先の先まで思考を働かせ、ありとあらゆる手を使わねばなりませんわ」


 とことんやるつもりだなと、零は百合の話を聞きながら舌を巻いていた。


***


 雪岡研究所にて、純子と黒斗は真に質問攻めを浴びせていた。どうやって陸を対処したかについてである。


(面倒なことになったな……。こんなにしつこく問い詰められるとは思わなかった)


 頭の中でがっくりと肩を落とし、大きくため息をつく自分を想像する真。


「谷口は俺が散々追い回した相手だからよく知っている。足止めしただけならまだしも、奴と一戦交えて倒していたってのが信じられん。しかもみどりの話じゃ、途中から一緒に結界の中に入って戦ったっていうじゃないか。どんな手を使って谷口を倒したんだ」


 特に不審がっていたのは黒斗だった。真では絶対に陸にかなわないと頭から決めてかかっていたし、足止めすらろくにできないほど戦力差があると見なしているようであった。


「確かに技量は向こうの方が上だったろうが、そこまで見くびられるのも頭にくるな」


 黒斗を見据えて真は言い放つ。今の言葉は誤魔化すためのものではない。本心だ。


「あのな、俺はお前を心配してるんだよ」

 真剣そのものの面持ちで、黒斗が静かな声で告げる。


「お前がね、ひょっとしてどこかで何かよからぬ力を手に入れたんじゃないかと。一番考えられるのは、とうとう力の限界を感じて、純子にヤバい改造手術をお願いしたんじゃないかと」

 黒斗の指摘に、少し動揺する真。


「いや、それは無いよー。そもそも真君は超常の力とかに凄く反発的だしさ」


 否定する純子であるが、彼女も黒斗ほどではないが、真のことを疑っているようで、黒斗とは別の形で、陸といかなる形で戦っていたのか、あれこれ質問していた。


「ま、普段からそれを否定している言動が、実はフェイクの可能性もあるけどねー」


 純子のその言葉に、真は一瞬だけ心臓が大きく高鳴ったが、外面上には微塵も動揺を出さない。感情を面に出すのが苦手な性質が、思わぬ形で役に立ったと、頭の中で皮肉げに笑う自分を思い浮かべる。


「心配してくれている所を悪いが、疑いすぎだし心配しすぎだ。僕の保護者じゃあるまいし」

「いいや、保護者だよ。裏通りのガキンチョ共全員の保護者のつもりでいるぞ、俺は」


 大真面目な顔と口調で堂々と言い放つ黒斗。


「ガキンチョらが道を踏み外したとあれば、正す。それが警察の役目だ。どうしても回避できない危険と遭遇した際、守ってやることもね」

「少年課にいって裏通りに堕ちた連中の更生に努めた方がいいんじゃないか?」

「俺には俺にしかできないことがあるのさ。真、今回は引き下がってやるが、くれぐれも馬鹿な真似すんなよ。どーしても力が欲しい、助けて欲しいことがあるなら、素直に俺の所に来い」


 力強い口調で言うと黒斗は立ち去った。


「相変わらずおせっかいだな。それ以前に何様だって感じだが」


 とびきりの善人であり、裏通りの住人達を闇雲に悪とせず、理解しようと努めている人物であることも知られているが、ああいう性格であるから、好意を抱かれつつも苦手として敬遠されてもいた。


「おせっかいの一言で済ますようなものでもないんじゃないかな。黒斗君のあの性は」

「性?」


 純子の言葉を真は訝る。


「黒斗君は全てを守らんとする子なんだよ。自分の知り合った人達を危険から守りたいという気持ち、警察としての立場で無辜の市民を守りたいと願う気持ちも、凄く強い。本人はそれが使命感のつもりなのかもしれないけど、私に言わせれば性みたいなもんだね」

「あいつが警察官になった動機なら知ってるけど、それだけでなく生まれ持った性みたいなもんもあるってことか」


 他人を守らんとする性とやらを持ち、なおかつ強大な力をも持つ黒斗に、真は複雑な想いを抱いた。


「あいつがさっき過剰に僕のこと案じていたのも、あいつ自身が大きな代償と共に強い力を得たからこそ、なのかな」

「そうかもしれないねー。真君以上に、短時間でハイリスクハイリターンの力を得る行為を忌避しているかもね」


(僕が得たものにはリスクも無いし、安易に授かったものでもない。全て僕の力の成果なわけだけどな)

 そう思ったものの、もちろん口には出さない真。


(へーい、それはみどりの力の依る所が多いんだから、あまり思い上がったらいかんぜよぉ~)


 真の意識を通じて、会話を全て聞いていたみどりが茶化す。


(思い上がってはいない。でも使えるものは何でも使う。そうしないと目的を遂げる事もできないからな)

(でもこんなに早くバレかけてるのはまずくないですかねー)

(芦屋が余計な勘繰りしてくれたせいでな……。まあ、何とかなるだろ……)


 純子には、自分が何かしら力を手に入れている事を知られてしまったろうが、具体的にどのような力を手に入れたかさえ知られなければよいと、真は判断した。もちろんそれすら一切知られていない事が理想であったが。

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