第十章 30

「ふむ。お前にこんな芸当ができたのは意外だった。でもさ、待ち構えているのが芦屋だったら危なかったけど、お前じゃ全然役不足だから意味無いだろ」


 実力の違いは前回証明されたという意味を込め、挑発する陸。


「僕だけならな。そもそもこの結界を築いたのは僕の力ではない」


 真のその言葉の意味は、やはり陸には理解できなかった。


「みどり、この間のやりそびれた実験を今度こそやっておこう」

(あいあいさ~。でもその前に、実験のための実験しとかないとね~。ウォーミングアップとも言えるけど)

「今の結界を作った術だけじゃ不足か」


 真の殺気が漲る。陸も臨戦態勢に入ったが、まだ銃は抜かない。まず先に相手が動いてから、フェイントを入れて撃つつもりでいたが――


『人喰い蛍』

 肉声と声無き声が同時に呪文を唱えた。


 真の周囲の上下左右前後に、三日月状に点滅する小さな光が大量発生する。


(何だ? あいつの周囲に、何かいっぱい沸いたぞ)


 陸には光が認識できないが、光の点滅それ自体がエネルギーの塊であり、そこに存在するだけで空気を揺るがせていたために、存在そのものははっきりと認識できた。それこそ目で物を見る以上に。


 光が一斉に陸に襲いかかる。それと同時に、真は軽い眩暈を起こした。


 あらゆる方向から一見隙間無く襲いかかる光の点滅であったが、陸は後方に二、三回大きく跳ねてその全ての攻撃をかわしきる。光はなおも襲いかかったが、陸は真の方に顔を向けたまま何度もバックステップを踏み、避け続ける。

 そのうち光の点滅群は、それまであらゆる角度から襲っていたのが、段々と長く一直線に伸びていく形となり、陸を前方から襲うだけの単調な攻撃へとなっていった。


 術の効果時間が切れ、光が一斉に消える。


「駄目か? さっきの結界を張った術はともかく、今度はかなりキツいぞ」

 頭痛をこらえながら、真がみどりに問う。


(駄目ってこたーないぜ。術そのものはあたしの精神が行使しているとはいえ、その精神は今、真兄の脳を憑代にしているんだわ。だから負担は真兄の脳にいくんだわ。駄目ってこたーないけどさ、妖術師としての鍛練をしていない真兄の脳じゃ、流石にキツいみたいだねえ。ま、肉体年齢が若い分、脳への負担も小さいみたいだけどさァ)

(肉体年齢と脳の負担は関係あるのか?)

(純姉も御先祖様もそうだけど、オーバーライフが子供の体を好む理由の一つに、超常の力を妖術魔術呪術っつー形式で行使するには、歳くって脳みそが劣化する前の方が望ましいっていう事情があるのよ。大人になった頃には脳ってかなり劣化するようだし。術を覚えるのも、行使するのも、若い方がいいってことさァ)


 みどりの説明で、真は納得がいった。


 蔵も黒斗も美香も、真が立てた作戦の概要が一部偽りであることを知らない。彼等に知られてはならない事がある。だからこそ黒斗はこの作戦が穴だらけであると訝っていた。

 陸を結界の中へとおびき寄せる作戦と言われても、陸がどの方向へ逃げるかわからない。そして結界を張れるのはみどりだけだと思い込んでいた。だが彼等には教えなかったが、みどりは精神分裂体を根深く憑依させた精神を介しても、術を行使できる。その場にいずとも、真の体を通じて術を使い、結界を張る事ができた。


 みどりが真の側にいなくても、真がみどりの力を引き出す事ができるかどうか。それが実験のための実験であった。本命はまだ他にあるが、例えこれだけでも真にとっては強大な力を得たに等しく、その事は誰にも知られたくは無い。特に純子には。


(この分だと、省エネして弱い術なら何とか四発か五発、強力な術だと二発が限度だわさ)

「いや、省エネしても三発、強くて一発だろう。それ以上は、頭痛がひどすぎて戦闘の集中力が欠けてしまいそうだ。それよりあいつ、光は見えないんじゃなかったのか?」


 夥しい数の踊り狂う光の点滅をかわしきった陸を見据え、真は問う。


(うん、光そのものは見えてないわ。でも空気の流れが見えてんだわこりゃ。こりゃ想像以上だったわ)


 みどりの声無き声には、感心する響きが混ざっていた。


「しかし平面は見えないはずだよな?」


 真のその言葉が何を意味するか、みどりは理解した。言葉で理解するより前に、頭の中に浮かんだイメージで伝わった。

 今日三度目の術が、真の口と声無き声によって同時に唱えられる。

 今度は一言の呪文で完成する術では無かったがため、陸にもはっきりと認識された。陸が銃を抜き、詠唱中の真めがけて三回引き金を引く。精神集中状態にあり、術を唱えている際の術師など、全く怖いものではない。


 しかし真が術を用いているわけではない。あくまでみどりの精神が術を形成している。真は呪文を唱えながら激しいアクションでもって、陸の銃撃をかわし、詠唱を中断させることなく完成させた。


『黒蜜蝋』


 真の頭部から黒いドロドロした塊があふれだし、真の体を伝って地面へと零れ落ちる。陸にもそこまでは認識できたが、それが何なのかはわからないし、地面に落ちてからどうなったのかも全くわからない。地面に落ちたらその後は消えてしまったかのように思えた。

 地面に落ちた黒いそれは、影のように平べったくなると、陸めがけて直線状に伸びていく。


(あばばば、反応しないね。やっぱあいつ、見えてないよ)

 みどりも真もその光景を見て、勝利を確信した


「は?」


 突然膝から下の足の感覚を失い。陸は己の足に意識を傾ける。陸の足は真から伸びた影を踏んでいる状態にあり、膝から下が服ごと真っ黒に変色していたが、色の変化が陸には全くわからない。

 立っていられなくなった陸が、前のめりに転倒する。そこに真が銃を撃ち、陸の手にあった銃を弾いた。


「結局また実験しそびれたぞ」


 最早文字通り手も足も出ない状態となり、地を這う陸を見下ろし、真は言った。


(実験のための実験は出来たけど、その先は無かったね~。勝負ついちゃったァ)

「抵抗できない相手をいたぶるのも悪趣味だしな」


 言いつつも真は、倒れた陸の足に銃口の狙いを定める。

 二発撃ち、黒く蝋化した陸の両足をそれぞれ砕いた。陸は自分の足が銃で砕け散った事を知り、ますます混乱し、絶望する。いや、それは絶望というよりは――


「何だよ、この糞ゲー……。どういう展開だよ。つかさ……どういう設定の敵だよ」


 何をどうされたのか全くわからない攻撃。攻略不可能な理不尽な初見殺し。それによってもたらされた、かつてないほどの窮地。それは絶望というよりは、興醒めという感覚だった。


(黒斗兄が来たぜィ。あたしももう結界の外にいるから誤魔化しもきくし、黒蜜蝋も結界も解いちゃうよ?)


 真の答えを待たずみどりは結界を解き、真と陸は通常空間に戻った。みどりの言葉通り、みどりと陸の姿がすぐ側にある。


「おいおい、こりゃどういうことだい?」


 突然現れた両足を失って這いつくばる陸と、その前で悠然と佇む真の姿を見て、黒斗は面食らっていた。しかも陸の足が黒ずんでおかしな状態になっている。一体真が何をしてこうなったのか、見当がつかない。


「企業秘密だけど、とにかく倒したぞ。お前は僕がこいつに勝てないと言ってたけどな」


 いつも以上に淡々とした口調で真。黒斗は不審に思ったものの、今ここで真を詮索するよりも重要な事がある。


 黒斗が陸の方へとゆっくり歩み寄る。

 陸が何か口を開こうとしたが、それを待たず、黒斗は無言でうつ伏せに倒れ陸の後頭部を踏みつけた。相当な力を込めて。


 頸椎が破壊される音が響く。口から血を吐き出し、白目を剥いて陸は事切れた。連続凶悪殺人鬼の、実にあっけない最期。


「こいつにかける言葉は何も無いし、同情の欠片も無いんだがな」


 呟きながら黒斗はしゃがみこむと、黒斗の見開いた目を閉ざし、死に顔も少しまともになるようにいじった。


「こんな奴でも、慕っている子がいるんでね」


 自分の行動の動機を真とみどりに説明するニュアンスで、黒斗は言った。ひどい死に顔をその慕っている子とやらに見せないようにするためであろうと、二人は察した。

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