第十章 24

 今日は臼井亜希子の十八歳の誕生日である。いつも仕事ばかりの父親も今日は早めの帰宅を済まし、庭で使用人達に盛大な誕生日パーティーの準備をさせている。

 毎年自分のために催されるパーティーが楽しくて、誕生日が来るのを亜希子は心待ちにしていた。何より、大好きな父親と確実に時を過ごせるのが嬉しい。


「今日はとっておきの誕生日プレゼントを用意したんだ。おそらく亜希子の人生の中で、一番驚くことになるだろうよ」


 誕生日を祝う歌を使用人達に歌わせ終えた後で、父親が優しく微笑みかけながら告げた。


「えーっ、何なの? すっごく楽しみ」


 父親がここまで言うからにはどんな凄いプレゼントなのだろうと、期待に胸を膨らます。


「その前にお客様を紹介しよう。彼女がそのプレゼントを持ってきてくださったんだ」


 父親のその言葉に呼応するかのように、庭に一台の車がやってきた。亜希子が今まで一度も見た事も無い、小さな車だ。

 車から降りてきたのは、白いソフト帽を目深に被り、フリルとレースをふんだんにあしらった白いドレスに身を包んだ貴婦人だった。顔が帽子に隠れてよく見えないので年齢はいまいちわからない。


「はじめまして。会えて嬉しいですわ、亜希子さん。もっとも私はずっと貴女のことをカメラ越しに見て知っていましたけれど」


 貴婦人は意味不明なことを口走って手を差し伸べ、亜希子に握手を求めてきた。レースの白手袋をはめた手を握り返し、亜希子は驚いて手を離す。手がびっくりするほど冷たくて固かったのだ。

 間近で見ると、顔がはっきりと見えた。歳はどう見ても二十代だ。中々の美人で、にこにこと微笑んで愛想がよい。今までこの家に客人が来て、なおかつ亜希子の前に現れたという事は一度も無かったので、どう接したらいいかいまいちわからず、どきまぎしていたが、彼女のその笑顔のおかげで、少し安心できた。


「私、雨岸百合と申します。臼井亜希子さん、貴女にとびっきりのプレゼントを持ってきましたのよ」

 貴婦人はにこにこと微笑んだまま告げた。


「実は貴女の人生は全て、ドッキリでしたの」

「は?」


 百合の言葉の意味が全くわからず、亜希子はぽかんと口を開ける。


「赤ちゃんポストに捨てられていた赤ん坊の貴女を、深窓の令嬢として育てた事自体が、私のシナリオでしたのよ」


 そう言って百合は、立ち並ぶ使用人の一人に目配せをした。使用人はにやりと笑い、ゆっくりと、向かい合う百合と亜希子の方へ近づいていく。


「小さい頃からチヤホヤされて、何でも思い通りになって、お姫様同然に育てられてきた亜希子さん。弱いものいじめが大好きで、召使いをいじめるのが大好きなお嬢様というキャラを作ろうと思いました。そしてそれは成功していますわよね?」

「何わけのわからないこと言って――」

「黙って聞け!」


 突如、怒号と共に使用人が亜希子を思いっきり拳で頬を殴りつけた。

 痛みよりも、生まれて初めて殴られたことへの衝撃で、きょとんとしてしまう亜希子。事態が全く把握できなかった。怒鳴った? 殴った? 奴隷そのものの立場で、今まで亜希子がいいように弄んできた使用人が、自分を?


「その貴女がある日突然、何もかも失って、それらが全部お芝居だったと知った時の絶望した様子を見るのが、コンセプトでしてよ。貴女の思い通りになるものは、実は何一つなかったと。皆演技をしていただけだと。お父様お母様もまやかしで、実の両親ですらない、と。貴女の周囲の人間全て、私が用意した役者だったと知った時の絶望。苦しみ悶え、悪い夢ならさめてと、涙ながらに心の中で訴える貴女の姿。私はそれが見たかったのです」


 百合の言葉は、ちゃんと亜希子の耳に届いていたし、頭の中に入っていた。だが信じられるはずがなかった。戯言だ。そう思う一方で、自分が殴られた事実だけを強く意識していた。使用人が殴りつけ、そして両親も側で見て手何も言わない。その事実があった。


「まだ受け入れられませんの? 何だったら、そこにいるお父様とお母様に聞いてみてはいかがかしら?」


 百合に促されてはっとして、救いを求めるかのように両親の方を向く。十八年間ずっと自分を愛してくれた父と母。こんな嘘つき女のことなど絶対に否定してくれるだろうと。


「パパっ、ママっ、何で私殴られてるの!? この女は一体何……」


 問いかけている最中に、信じられない出来事が起こり、亜希子は言葉を失った。

 無表情に佇む両親の体が、表面からぽろぽろと崩れていったのだ。まるで風化していくかのように。そしてあっという間に人としての原型も留めぬほど粉々になって、屑の塊の山と化した。


「あらあら、壊れちゃいましたわねえ、貴女のお父様とお母様」

 有り得ぬ光景に絶句している亜希子に、百合が楽しそうに声をかける。


「でも気にしなくてよいのですよ。貴女の両親は初めから生きていませんの。私が作った死体人形でしてよ。ああ、言うのが遅れましたが、私の最も得意とする術はネクロマンシー。しかもただ死体を操るだけではなく、死体を死体と決して悟られぬよう加工して、特殊な死体人形化して操るのが、私の自慢の特技ですの。腐敗することもなく、体温も血液の流れもあって、表情も声も普通の人間と一切変わらぬ人形。素晴らしいと思いません? 貴女は魂の無い死体を自分の両親だと思い込んで、子供の頃から甘え、慕ってきたのですのよ。素晴らしいと思いません? この衝撃的真実と芸術的滑稽さ」


 最早亜希子は百合の言葉を理解していた。理解し、悪夢そのものの事態に絶望する一方で、鼓動が高鳴るのを感じていた。悪夢の訪れは、平穏の破壊は、亜希子を日々苛んでいた退屈の解消でもあったからだ。


「これは創作活動ですのよ。そう――芸術ですわ。貴女は最初からこうなる予定で作られたのです。そう――産まれる前からこの予定でしたの。一人の人間の人生と人格を思いのままに作り上げ、気が向いた時に終わらせる。それが私の趣味なのです。長い命を持て余している私だからこそ可能な趣味。他にも何十人も貴女のような子はいましてよ」


 絶望をもたらした者が、なおも喋っている。亜希子は混乱する一方で、百合の言葉をはっきりと聞き、受け入れようとしていた。普通なら受け入れようとしない現実だが、あえてそれを認めて受け入れようとする事で、逆に亜希子は己の精神を壊さずに済んでいた。何よりも、亜希子に訪れた変化への歓喜が、彼女の支えとなっていた。


「貴女にはこの先、今までとは全く逆に、貴女が顎で使い虐げてきた人達の玩具にされながら、奴隷として生きる事になりますのよ。信じられません? けれどこれが事実です。ああ、貴方達も十八年もの間御苦労様でしたわね。十八年間苦労した分、思う存分亜希子お嬢様に代価を支払っていただくといいでしょう」


 百合が手をかざして合図を送ると、全ての使用人が待ってましたと言わんばかりに、亜希子へと飛びかかり、一斉に殴る蹴るといった暴行を始めた。

 しばらくの殴打の後、百合が手を一つ叩くと、使用人達は亜希子への暴行を辞めた。一応は手加減されているとはいえ、至る所を殴られた顔がふくれあがり、鼻も歯も折られて血まみれになって、ひどい有様である。


「実にいい顔をしていましてよ。嗚呼、実に素晴らしい出来ですわ。何もかも思いのままだと思っていたお嬢様が、一気に奈落に突き落とされた時の絶望、この瞬間を見るために、この一瞬のために、十八年もかけて準備をしてきましたの。理解できまして? 芸術の完成のためには財も時間も労力も惜しんではなりませんのよ。そしてこれから貴女がいたぶられつづけ、どう壊れていくか、その過程もまた、私の描く芸術作品の一環ですの。せいぜい私を楽しませてくださいませ」


 それだけ告げると、百合は車の中へと戻り、館から出て行った。百合と入れ替わるかのように、亜希子から恩寵を受けていた唯一の使用人である速水が亜希子の前に立ち、咥え煙草をふかしながらにやにやと笑って見下ろす。


「速水……ぎゃっ!」


 救いを求めるかのように伸ばした亜希子の手の甲に、煙草の火が押し付けられた。


「お前みたいな糞女抱かなくて済むようになるかと思うと、せいせいするぜ。ま、俺はもううんざりだが、他の奴等はそうでもないみたいだぜ? 今日の今日までずっとこの日を待ち望んでいたそうだから、せいぜい可愛がってもらえ」


 さらに速水と入れ替わる形で、にたにたと薄笑いを浮かべる男の使用人達が亜希子を取り囲み、そのうちの一人が亜希子に馬乗りになって、乱暴な手つきで亜希子の服を脱がしにかかる。


 亜希子は一切の抵抗を諦めていた。


(退屈が消えた。変化があった)


 陵辱されながら、亜希子は笑みをこぼし、そう思った。

 己の身に降りかかるこの運命を、今まで散々弄んできた使用人達とのこれまでとの立場関係の逆転という悲劇を、全力で甘受して味わいつくそうと心に決めていた。

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