第十章 17

 雪岡研究所の廊下を歩いていたみどりは、帰宅した純子と出くわし、眉を潜めた。


「ふわぁ~、純姉、血の臭いがするよぉ~」

「ちょっと頭を撃たれてねー。累君に習って、バックアップの第二の脳を作っておいてよかったよ。第二の脳って言っても、雫野の妖術師ほど凄いものではないけど」


 みどりに指摘され、純子はいつもの屈託ない笑みを見せる。


「ちょっと別の脳に変えてくるね。損壊が激しいし、治すより取り替えた方が早いから」

「取りかえるって……再生しないの?」


 不審に思い、純子の後をついていくみどり。今の台詞だけではない。純子の精神状態がいつもと異なるような気配が感じられたのだ。


『だから言っとるだろうが! 全長100メートルを超える大怪獣には、自重に潰されずに済むシステムが体に備わっているのは間違いない!』

『馬鹿馬鹿しい。そのシステムが仮説でしか存在しない時点で無意味だろーが!』

『それを言うか? そもそも大怪獣自体がいないものであり、それを語っているのに、仮説を語るのを禁ずるとは言語道断』

『では十年前に大怪獣化したアルラウネは……おや、雪岡君』


 純子とみどりがやってきたのは、脳と脊髄の入ったガラスのシリンダーが立ち並ぶ部屋であった。中ではいつものように、肉体を捨てて不老化した科学者達が、活発に議論を交わしている。


「教授達―、ちょっと私の脳みそ取り替えたいから、私に代わって手術してくれないかなー?」

『構わんが、何かあったのかね?』


 訝しげに訊ねたのは、ここでは新参である、福田重という名のマッドサイエンティストの脳だった。彼だけは教授職には就いた経験は無いし、他の三名の教授の我が強すぎるせいで、肉体があった頃と比べ、性格的にかなり丸くなってしまった。


「じゃあ福田さんにお願いしようかなー。狙撃されちゃってねー。再生や修復よりここの予備と変えた方がいいと思ってさ」

『福田君め、雪岡君の脳の交換という大業を担うとは! うらやまけしからん!』

『後で感想を聞かせたまえ。いいか、これは義務だ』


 どういう価値観なんだと、脳達の言葉がおかしくて、みどりは小さく笑う。


 その後、純子は部屋の中にあった寝台に寝て、手術がてきぱきと進行した。天井から伸びる機械の腕によって頭部が切断されて頭蓋骨が開けられ、中にある脳が脊髄ごと抜き取られる。この間、何らかの超常の力で仮死状態にされている事は、見物していたみどりにも容易にわかった。

 部屋の隅の床から脳と脊髄の入ったシリンダーがせり出す。部屋の隅から伸びる別の機械の腕が、その蓋を開けて、脳をそのまま掴み、純子の頭の中へと押し込んだ。


「うっひゃあ……すっげー適当な手術ね……」


 もっと緻密な作業をするかと思っていたら、本当にただ脳を入れ替えましたというだけの大雑把な作業であったので、みどりは苦笑をこぼした。変な菌が入ったりしないのだろうかとも疑問に思う。


『血管や神経の接合などは雪岡君自身が行うからな。他の者であればここまで適当な手術はできんよ。とはいえ、雪岡君の再生能力は乏しいから、即回復ともいかんが』


 脳だけの教授の一人が答えた。みどりからすると、そこが不思議な所であった。

 機械の腕によって切断した頭部が戻された所で、純子は目を開き、切断箇所を指でなぞって自ら縫合した。


『気分はどうだね』

「あまりよくない……かな。しばらく安静にしておくよ」


 珍しく神妙な面持ちで額を抑える純子。


「普通さァ、過ぎたる命を持つ者って強力な自己再生能力があるもんじゃん。個人差はあるけれど。純姉は何でそれが無いのぉ~?」


 純子の蘇生を見計らって、みどりが先程から抱いていた疑問をぶつけてみる。


「それだと死のリスクが少なくなってつまらないじゃない。まあ再生能力無いってわけじゃなく、他のオーバーライフに比べて弱いってだけだし、見ての通り頭吹っ飛んだ程度なら、死なないけどさあ。この体はいろいろな能力つめこみすぎて、再生機能の強化にまで回らなくなっちゃったってのもあるしねー」

「なるほどね。純姉らしいっちゃらしいね。あばばば」


 歯を見せて、異様な笑い声をあげて笑うみどり。


「それはそうと、みどりちゃんに紹介してもらった守護霊の人が、私を狙撃した人を知っているそうなんだけど。もしかしてみどりちゃん、こうなること予期して守護霊交代の人選したのかなー?」


 純子のその質問に、みどりの笑みがすぐに消えた。

 みどりはこの研究所に来た翌日に、純子に対して守護霊をそろそろ変えた方がいいと促した。守護霊の交代など意図的に行われるものではないし、何の目論見があって、みどりがそのような事を勧めたのかは不明だが、みどりに守護霊を意図的に変える術と、ある程度選べる事ができるというので、純子はあえて意図を聞かずにそれを了承していた。


「まさかァ~……なんつー偶然の一致って感じだわさ。そいつ、狙撃の時に全く気配を感じなかったとか?」

「うん、無かった」

「そっかあ……やっぱあいつか~。こいつは運命の導きによる必然だったのかなァ」


 みどりの声と表情が、微かに怒気を帯びる。


「んー、厄介だねえ。まるで今世紀中盤に登場したロボット兵器みたいに、殺意無しで殺人が出来るなんてさ。下手なオーバーライフより面倒だよー」


 純子の言葉は誇張では無かったし、みどりも同感だった。殺意に対する反応ができなくては、不意打ちをされればそれまでとなる。いや、戦闘者の多くが攻撃の気配や殺気への反応に大きく依存している。ギリギリの極限まで殺気を抑える事はできても、最後の一押しである、頭の中で殺す意志のスイッチは必ず押さなくてはならない。

 それ無くして相手を殺しにかかるなど、心の無いプログラムでもない限り不可能であるし、純子もみどりも、それが実行できた者などこれまで御目にかかったことが無い。

 さらに言うなら、たとえ心の無いプログラムからの攻撃であろうと、第六感だの守護霊経由での危機察知といった、危機回避能力を各々備えているわけで、それすら機能させないというのは、信じられない話だ。


「そういえばみどりちゃんは、魂のシステムの謎にかなり迫ったみたいだねえ?」


 脳だけの教授達の部屋を出て、廊下を歩きながら、純子がみどりに訊ねた。


「ふわあ? どうしていきなりそんな話?」

「累君から聞いたよー? 不老化せずに、前世の力と記憶を留めたまま転生を繰り返しているって。普通、転生すれば記憶の大半がリセットされるし、それを留める方法なんて私は聞いたことないからさあ。つまり、霊魂の仕組みをある程度解き明かしてないとできない芸当だよ」


 純子の瞳には、好奇心に満ちた輝きが宿っていた。いつもと変わらない喋り方ではあるが、世間話のレベルではなく、かなり真剣に話を聞きたがっている。


「死後の世界や転生のシステムは謎だらけで、こちらからは知る術が無いとされてたのにさ。みどりちゃんはそこにかなり踏み込んでいるよね?」

「んにゃ、みどりも一部しかわかってないんだよぉ~。死後の世界がどうなっているかはわからないというか、あっちの記憶はこっちに持ち込めないみたいなんだわさ。魂がどういう存在なのかも、部分的にちょっと理解しただけで、完全に把握したわけじゃないの」


 とある事情により、全てを語るつもりは無いが、嘘は言わないでおこうとみどりは思い、言葉を選んで答える。


「魂ってのは人間の心そのものとか、人間の核みたいな部分ていう認識な人多いし、大抵の術師もそう思ってるじゃん? ま、それも間違ってないと思うよぉ~。でも、それはあくまで一面にすぎないっていうか、より正確には、絶対不滅で不動の記憶装置って言った方がいいわ」

「不動?」


 純子が訝しげな声を漏らす。魂が不滅説は純子もよく聞くが、不動という言葉を用いて表現する意味がわからなかった。


「そ。今こうしてあたしと純姉が会話している瞬間の事実は、どうあっても消す事はできないよね? 例えばタイムトラベラーがいたとして、歴史の改ざんなんてことをしたとしても、改ざんされる前にあった事実ってのは、絶対消す事ができないってこと。そしてその不動の事実は、魂が記憶しているの。たとえ脳からは忘れられても、魂に刻まれた記憶は絶対に消されない。何でかっつーと、魂は人の体に宿っていると同時に、向こう側にも存在するものだからだよぉ~。あたしが転生しても記憶も力も失わないのは、不動かつ不滅である魂に刻まれた絶対に消されない記憶を、向こう側から吸い出し続ける術を身に着けているからなんだわさ。さっきも言ったように、冥府の記憶は持ち込めないけどねー」

「ふむむむ、よくそこまで魂のシステムを解明したねえ。ちょっと嫉妬しちゃうなー」


 本気で感心する純子。だが実の所、嫉妬はしていない。そもそも嫉妬という感情が、純子の中からすでに無くなっている。あるいは、限りなく感じにくくなっているか。

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