第十章 12

 タブー指定されると同時に姿をくらました睦月は、その後ある人物の庇護下にあった。

 雨岸百合と名乗ったその人物は、多数の裏通りの住人と交流を持ち、何人かは配下として扱っていた。そのうち自分にも何らかの命令が下されるに違いないと、睦月は確信している。


 百合の元にいる人物の一人に、葉山という名の変人がいて、睦月と同じく百合の館に入りびたりの状態だった。彼がどうして百合に仕えているのかは、睦月も知らないし、特に興味もない。いや、あまりにも葉山の変人の度合いがひどすぎるため、彼の事を知りたいとすら思わなかった。


「それでは本日の鑑賞会を始めましょう。自信作ですのよ。心して見てくださいな」


 館の一室に呼び出した睦月と葉山の二人を前にして、百合は嬉しそうに前置きを告げると、テレビのスイッチを入れた。


 空間に投影された画面に映し出されたのは、どこかの家の玄関。エプロン姿の三十代前後の女性が不安げな面持ちで、カメラを前にして佇んでいる。

 黒服サングラスの男が玄関の外からやってきて、大きなトランクを運び込み、女性の前に差し出される。音声はカットされているようだが、何か告げられているようで、女性の顔が何故か蒼白になり、恐る恐るトランクを開ける。


 トランクを開けた女性が固まった。その時点でカメラはトランクの中身を映してはいない。

 カメラがゆっくりと女性の背後に回り、トランクの中身を映す。中に入っていたのは、両手足を切断されて全身の皮を剥かれた子供だった。


『ママ……?』


 そこで急に音声が入った。女の子の声。トランクの中で無残な姿となっている子供が目を開き、女性を見上げて発した声であった。


「いやああああっ!」


 声を聴いてそれが我が子だと知り、女性が悲痛の叫びをあげる。そこで途切れる映像。


「これだけですか? これで終わり?」


 呆然とした顔で訊ねる葉山。一方で睦月は最初から最後まで冷めきった顔のままである。


「ですわよ。見た目だけでは全くわからなくなって、それが我が子とも気づかなかったのに、声を聴いて我が子と判別した時の絶望。その一瞬、その瞬間、その表情こそが至高の芸術でしてよ。その絶望の瞬間を表現してみましたの。素晴らしいでしょう?」


 顔の横で手を合わせ、喜色満面で解説してみせる百合。


「あ、今また閃きましたわ。次の創作が。ある日、家に帰ってみたら、愛する人がうつ伏せになって倒れていますの。でも頭だけが仰向けになった状態で、綺麗な死に顔が一目で目につくようにしておくというのはどうかしら?」


 映像に収めて見せるより先に、思いついた案を喋る百合。


「体はうつ伏せ。顔だけ仰向け。一目で死んでいると目にわかるシュールな光景に、衝撃を受け、愕然とし、絶望する。ああ、なんて芸術的なのかしら。そう思いませんこと?」

「わかりません……。僕は蛆虫です。蛆虫に芸術などわかりようがありません」


 葉山は興味無さそうに言って立ち上がり、すげなく部屋を出て行った。


「いいんじゃない? 百合がそう思うならさぁ」


 睦月も心底どうでもよさそうに、適当な言葉を並べる。


「睦月、もしかして私の芸術活動がお気に召さないのかしら?」


 不思議そうな顔で訊ねる百合。葉山に倣ってさっさと席を立ちたい衝動に駆られる睦月であったが、居候の身であるし、多少は付き合っておこうかと配慮した。


「別にぃ……趣味が合わないだけかな」

「そうですの? ひょっとして私が芸術の名の元に命を摘んでいることが不服なのかと疑いましたが、まさかあなたに限って、そんなことはありえませんわよねえ?」


 百合のその言葉が意味する所は明白だった。かつて幾度となく衝動的な殺人を繰り返した自分に対するあてつけだ。かつての睦月なら何も感じず聞き流せたであろうが、今やその殺人衝動も消えた睦月にしてみれば、苛立ちしか覚えない。


「人の命と芸術とではどちらが重いと思われます? ええ、普通の方々は人の命と答えますでしょう。けれどももっとよく考えてみてくださいな。後世に伝わり、多くの人々を感動させる素晴らしい芸術作品の数々が、泡沫の如く現れては消えていくだけの命に、本当に劣るものでしょうか? 命など、芸術によって支配されるためにあるものではありませんか? 命の消失と、命の消失によって引き起こされる絶望と苦痛、この二つを合わせて芸術として昇華し、映像という記録に残し続ける事が、私の使命ですわ。ネットにはびこる数々の残酷な動画の再生数が多い理由がわかりまして? 人は皆、人が惨たらしく死にゆく様に心惹かれ、心を揺さぶられるからでしてよ。そう、人が死ぬその瞬間は、人の心を惹きつけ、楽しませ、感動を与える、芸術以外の何物でもないのです」


 楽しげに熱弁を振るう百合。睦月は呆れつつも、百合の語る内容の一部は、わからなくもなかった。人は確かに死に魅せられる。悲劇に魅せられる。しかしだからといって、それを意図的に作ったあげく芸術活動と称するのは、睦月の目には狂人としか映らない。


 そんな狂人の元に睦月が身を寄せているのには、理由があった。


「おや、ようやく来られましたのね」


 部屋にあるモニターの一つに目を向けて百合が呟く。睦月もつられてモニターを見ると、館の門前に一組の男女が映し出されていた。

 門が開き、二人が館の敷地内へと入ってくる。百合が玄関へと出迎えに行き、睦月もその後へと続く。


「御久しぶりですわね。陸」

 玄関の扉を開け、百合は満面に笑みを湛えて出迎えた。


「この人はちゃんと人間だよ。ただしプレイヤーではない。このゲームの運営の一人らしい」


 百合に対して挨拶を返さず、傍らにいる由紀枝に解説を行う陸。


「雨岸百合と申します。こちらは睦月と言って、私の食客の一人です」


 由紀枝に向かって優雅に一礼する百合。由紀枝も軽く会釈する。


「早速指令通りに月那美香を始末しに行ってくださったのはよかったものの、まさかあなたが失敗するとは思ってもいませんでしたわ」

 嫌味ではなく、本当に意外そうに話す百合。


「芦屋が現れたんだ。あいつは俺にしつこく粘着してて、本当ウザい」

 軽く頭をかき、陸は渋面で報告する。


「相沢真も現場にいたそうですわね。どうでした?」


 百合の質問に出た名前に反応し、睦月の心臓が大きく高鳴った。


「別に。大した印象無い。期待してたし、少しはできるみたいだけど、その気になればいつでも倒せる程度の敵かな」


 余裕ぶっているわけでもなく、本気でそう思っている口ぶりの陸に、睦月は怒りにも似た感情がこみあげてきた。


(あはっ、真のこと舐めすぎだねぇ。あいつはそう簡単にとられるタマじゃないさぁ)


 一度ぼろぼろにされた事を思い出し、誰にも気づかれないように苦笑をこぼす睦月。


「次はキングのオリジナルの方に会ってくるよ」


 陸が口にした言葉の意味が睦月にはわからなかったが、百合には通じたようで、露骨に眉をひそめる。


「それは……遠慮していただけないかしら。私の筋書きが台無しになってしまうかもしれませんわ」

 難色を示す百合。


「俺のやりたいことにこれ以上、あれこれ指示しないでほしいなー。筋書きが狂うのなら、俺の行動も踏まえたうえでの筋書きに書き換えてくれ」


 不遜極まりない物言いで一方的に告げると、陸は百合に背を向け、さっさと館の外へと出ていく。もちろん由紀枝もその後に続く。


「あはっ、ただ顔見せに来ただけで、さっさと帰っちゃったって感じだねぇ。あれが最悪のタブーかぁ。百合でさえ持て余し気味な雰囲気だったけど」

「制御の難しい子でしてよ。彼に合わせた私の虚言も綱渡りですわ。けど、純子と相対して今失っても困りますわね。誰かにこっそりとフォローしていただこうかしら」


 睦月の指摘に百合は微苦笑を浮かべ、手を顎にあてて思案する。


「また葉山さんに動いていただきましょう。ええ、あの人はやればできる人ですからね」


 自分に振られるかと思って身構えた睦月だったが、指名されなかった事に内心ほっとしていた。

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