第十章 13

 美香のライブが終わった後、蔵とみどりは研究所に帰還し、真は黒斗と二人でタスマニアデビルへと向かった。

 時刻は七時を回り、店の奥では累がピアノを弾いている。真と黒斗の二人はカウンター席に腰を下ろす。


「黒斗君、久しぶりだねー」

「ああ、アメリカ行ってたんだ。俺の腕が見込まれて、とうとう国際活動だよ」


 熊の着ぐるみを着たマスターに声をかけられ、にっこりと愛らしい笑みを広げて答える黒斗。顔だけ見れば美女であったが、その声も喋り方も女性のものではない。本人曰く、「女装が趣味なだけでオカマではない」とのことで、服装と仕草だけは女性のそれにしているが、声や喋り方に関しては男性のまま通していた。


「正義の味方に国境は無いってね」


 そう言って茶目っ気たっぷりにウィンクしてみせる黒斗。こういった仕草が何の違和感も無く絵になる美麗な容姿の持ち主であり、相手が男とわかっていてなお、見る者をどきっとさせる。


「前から思ってたけど、よくお前は、正義なんて言葉を恥ずかしげもなく使えるな」

 マスターが去った直後、真が言った。


「正義なんて片面の価値観でしかないと思うんだけどな」


 言いながら、正義の味方として、全世界の戦場を股にかけて戦う男のことを思いだす真。本人は自身を偽善者と称していたが、あの男は本当の意味でヒーローそのものだったと、真は尊敬の念を抱いている。


「恥じ入る気持ちなんて少しも無いな。俺が何で警察官になったかって言えば、純粋に正義感からだしね。市民の安全を脅かす糞野郎をブチ殺す。これが正義でなくてなんだって言うんだよ。片面の価値観ではないさ。1ミリたりとも疑いようがなく正義だろ。ん?」


 臆面なく言い切り、にっこりと笑ってみせる黒斗。その笑みがまた、見る者の心を和ませる、朗らかで実によい笑顔だった。真がこれまで見たいい笑顔をする奴ベスト3の中で、黒斗は二位に入る。感情を表に出すのが下手な真は、純子や黒斗のような笑顔が素敵な人間や、みどりや麗魅のような表情豊かな人間には、嫉妬と羨望と敬意が入り混じった念を抱いていた。


「市民を犯罪の手から守りたい。ただそれだけ。俺の中にあるのは本当にただそれだけだ。でもさ、俺以外の警官はそうでもないのがやたら多いんだよね、これが。お前一体何のために警官になったんだよと言いたくなるような輩を沢山見ちゃった。警察官のお仕事は真面目にやっても、全く市民を守ってない奴がわんさかいるし」


 黒斗がそこまで話した所で、マスターがカクテルを注いで黒斗の前に指しだす。黒斗はカクテルを口につけ、小さく息を吐いた。


「だからね、俺は警察官としては不真面目になることに決めたの。無断欠席もするし遅刻もする。違反もしまくる。時には法も犯す。でもね、それは俺の中の初志とは全く矛盾しない。俺は今だって、市民の安全を守るために頑張っているからさ」


 堂々と己の正義を語る人間など、裏通りの住人は大抵嫌がる。だが己の正義を貫ける確固たる力を持ち、それでいて清々しく一本気な黒斗に関しては、強い説得力がある。


「まあそんな話はいいとして、だ。美香の事だよ。話したかったのはさ」

 急に真顔になる黒斗。


「谷口陸か。芦屋ですら逃し続けているなんて、相当厄介そうだな」

「断言できるが、今の日本において最悪の犯罪者だ。一刻も早くブチ殺してやりたいんだが、あいつの逃げ足は天下一品でね……。もう両足の指使っても数え切れないほど逃がしているんだ。あいつに備わっている特殊能力のせいもあるが、それ以上にあいつは逃げるのがうまい。おまけに俺相手だと、特にその逃げ足の速さが発揮されてしまう。俺のパターンを見切っている感じだ」

「相性の問題もあるってことか」


 フォローを込めて真が言ったが、黒斗の戦闘力はともかく、性格はわりと単純な所があるので、それにつけこまれていそうな気がした。


「よりによって谷口に狙われるとはね。しかしあいつが狙う理由が謎だ。基本的には行き当たりばったりで動いている、行動原理が全く読めない奴だしな。でも、たまに目的意識を持った行動をとる。アメリカに渡って『戦場のティータイム』に入ったのもそうだ。何らかの意思の元に動いている時がたまにある」

「アメリカの裏社会を統一した組織にか……」

「その際、あいつも相当暴れたようだ。FBIの要請があって、俺も奴等とやりあったが、中々の猛者揃いだったぜ。おかげで日本以上に、谷口に近づくのは困難だった」

「そんなことよりと言いつつ、お前が話題を逸らし始めてるぞ。結局、美香の対処はどうするんだ? 警察が守ってくれるのか?」


 美香の話と言いつつ、谷口陸やらの話をしだす黒斗に、頭の中で呆れ顔を作りながら突っ込む真。


「うむ。四六時中、俺が美香についていればいいっていう話だが、どうして谷口に狙われているのかが謎だし、それを知りたい所だね」

「それ、さっきも話しただろ。美香のライブに来たのはタレコミがあったと言ってたけど、谷口陸は単独で動いているのではなく、何者かの命令だか依頼で、美香を狙ったと考えた方がいいんじゃないか。そして谷口を消したいのか、美香を護りたいのか不明だが、それを知っていて妨害する者がいる。組織的と断ずるのは早計だが、谷口に指令を送る者と、谷口と、それを妨害したい者とで、最低三人はいるわけだな」


 みどりの言葉を思い出し、真は告げる。みどりは陸が誰かに従っていると言っていた。


「その妨害する者と接触できれば言うことないんだがね。それができるなら非通知のメールなんて送りはしないだろうし。で、お前は美香が狙われる心当たりはあるかい?」

「いや……」


 黒斗の質問に、首を横に振りかけた真であったが、ふと思い当たる事があった。


(美香が狙われ、僕の所にメールを送る理由は何だ? 本当に親しいからという理由からか? そこまで知っている者か? いや、そもそも美香を殺したい理由は――)


 その時、真の脳裏によぎったのは、杏の死と、裏通りに堕ちる前の記憶だった。


(この手口――やっぱり僕が狙いなのか?)

 考えながら、みどりの方へと意識を向ける。


(何者だ? 谷口の記憶を覗いてお前は知っているんだろう?)

(ですわ~口調で喋る、いかにも貴婦人みたいな恰好の、テンプレキャラ)

 言いづらそうに答えるみどり


(そういうことを聞いてるんじゃないが……)

(わーってるよぉ~。何かさァ、谷口陸を騙して、うまく利用しようとしている奴なんだわさ。谷口陸は、自分がゲームの世界の中にいると思い込んでいるの。だからどんなことでも平気でできちゃうわけさァ。リアルだと思ってないんだね。で、谷口陸を操っている奴は、自分がゲームの管理者だって言ってるわけ)

(谷口を騙しているそいつは、僕のことを少しでも触れているか?)


 その人物こそが自分の敵に違いないと、真は推測する。


(んにゃ。必要最低限の接触と会話しか記憶になかったわ~)


 みどりの相手の心を読む力は、相手の意識の底にある記憶を掘り返すには時間がかかる。わずかな接触でわかった情報は限られていた。


「心当たりあるのか?」


 頭の中でみどりとの会話に移行して沈黙していた真に、不審げな眼差しを向けながら黒斗が訊ねた。


「何でもない。何でもなくはないが、そういうことにしといてくれ。今の僕にはわからない」

「なるほど、わからないけどわかった。そういうことにしておく」


 柔らかく微笑むと、黒斗は席を立った。


「何かあったらすぐ連絡しろよ」


 真の頭の上に手を乗せて撫でながら言うと、黒斗は勘定を済まして店を出て行った。


「よっ。芦屋とツーカーなのかよ。すげーね、お前」


 その様子を遠巻きに見ていた男が、黒斗がいなくなるタイミングを見計らって、真の横に座って声をかけてくる。


「傭兵辞めて帰国して、裏通りで活動しだした頃からの腐れ縁だ。何度もこっぴどく痛めつけられた」


 その傭兵時代のかつての戦友の出現に、頭の中で笑顔の自分を思い浮かべて、真は言った。


「李は何でここに?」

「お仕事。部下何人か連れて、とある組織を地道に調査中。今は自由行動中ってね」


 かつては傭兵であったが、現在は中国特殊工作部隊『煉瓦』副長を務める李磊は、つまらなさそうに答える。


「今あんたがしている仕事、楽しそうでは無いな。傭兵に戻ったらどうだ?」

「できるんならそうしてるさ。できないワケがあってね」

「傭兵時代がもう大昔みたいで懐かしい」

「何が時代だよ。お前さんが傭兵していたのなんて、たかだか一年未満じゃないか。俺みたいに十年以上やってから語りなさいよっと」


 並びの悪い黄色い歯を見せてにかっと笑う李磊。しかしその笑顔は、黒斗とは別の意味で真の心を和ませる。


「その時間が僕にとってはすごく濃密だったよ」

「そっか。よく考えたら、子供と大人じゃ、流れている時間の感じ方が違うもんな。経験による吸収量もね」

「何で傭兵やめたんだ? そのうえあんたが大嫌いだった軍なんかに入るなんて」


 真の質問に、李磊は大きく息を吐き、真から顔を背ける。


「軍というより俺は自分の国が嫌いなんだよね。元々俺は軍人だった。てか、うちが軍人の家系でさ。ま、俺は途中で嫌になって傭兵にドロップアウトしたが、兄貴が事故死してよ、年老いた親を安心させてやるため――つか親孝行のために、また軍に戻ったってわけ」

「年老いた親のためにやりたくもないことするのか」

「んー、まあわかってもらえなくてもいいけどね。何となくそうしたくなっちゃったんだな、これが」


 照れ臭そうな微笑みを零す李磊を見て、真は複雑な気持ちになった。親族のしがらみなど、真にはもう無い。羨ましいような気もすれば、そんなわずらわしいものに捕らわれて生き方も変えてしまった戦友が、哀れにも見える。


「大戦以降、うちの国も国内でテロやら独立運動が相次いでるしね。それでもあの腐れ政党はしぶとく台頭している。旧態依然とした覇権主義に取り憑かれたあの亡霊共がいる限り、うちの国はずっとロクでもないままだろう。繁栄してるように見えても、それはハリボテさ。国の外に出てみればそれが余計にわかっちまうから、うんざりするよ」

「かといって国に戻りたくもないんだろ?」

「まあね。うちの隊の奴等も大抵そんな感じ。おっと、あいつらいつまで遊んでるんだ。一緒に安楽市に来たけど、そろそろ仕事に戻らんと」


 携帯電話を取ってメールをうち、李磊は席を立った。


「じゃーな。精進しろよ。いや、あまりしないでいいよ。俺とどんどん差が開いちゃう」


 先程の黒斗同様に真の頭を撫でてから、李磊は店を出る。


(僕の頭って撫でやすいのか? それとも、撫でたくなる衝動に駆られるオーラでも出てるのか?)


 自分で自分の頭を撫でながら、ふとそんなことを考える真だった。

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