第十章 8

 安楽市絶好町の北部にある野球場にて、月那美香のライブは行われる事となった。

 若者に人気の安楽市在住ミュージシャンのライブということで、市が全面的に協力し、駅前でも宣伝が行われ、駅前にも球場前にも、ちらほらと露店が開かれている。


 真、みどり、蔵の三人は芝生に設けられた最前席にて、すぐ目の前のステージに並んで座っていた。真は流石にいつもの制服ではなく、赤いTシャツと鮮やかな水色とブルーの迷彩柄のジャケットと、ジャケットとセットの柄のハーフツパンツという、ラフな私服姿だった。


「ふえぇ~。市民球場で屋外ライブかぁ~。屋外ライブなんて来るの、何十年ぶりかな~」


 三人の中で音楽に最も明るいみどりが、会場の空気を一番楽しんでいた。


「日本のライブって御行儀よすぎる感があるけど、それでもまあ久しぶりにこういう空気触れるのはいいもんだわー」

「日本以外のライブは行儀が悪いのか?」


 真が訊ねる。


「行儀悪いというより激しくていいもんだぜィ。モッシュしまくりダイブしまくりデス連呼しまくりファック連呼しまくり、糞バンドが出た時には演奏中ずーっとブーイングしまくり物投げまくり、ドラッグ吸ってる奴も珍しくないし、アンチっぽい奴が子猫の腐乱死体をステージに投げ込んで、周りの客が怒り狂って四方八方からそいつをフルボッコとか。あと、ボーカルが演奏中にズボン下ろして『ホーリーウォーター!』って叫んで客席に勢いよくおしっこしてさ、皆大喜びで我先にと口開けてそのおしっこ浴びようとする光景とか、まさに圧巻だよォ~」

「日本とか海外とかいう以前に、音楽のジャンルやグループの問題が大きそうだな、それは」


 嬉しそうに語るみどりに、真が冷静に指摘する。


「若者ばかりで、こんないかついおっさんは場違いすぎる気がして、凄く居づらいな」


 広い肩をすくめ、本当に居心地悪そうに蔵が言う。美香の支持層は十代から二十代前半に多く、それ以上の年代の客は、全然というわけでもないが、あまり見当たらない。


「へーい、蔵のおっちゃんみたいな成分こそ、こういう若者の集まる場には貴重なんじゃよ。メインファン層は若者であっても、年配の人の支持も得ているんだー、月那美香凄いよねー、ってな風に評価されるからのぉ」

「そうか、ならもっと堂々としているかな」


 爺言葉でしみじみと語るみどりに、蔵はリラックスして力を抜き、微笑みをこぼす。


「人でごった返しているが、大丈夫なのか?」


 真がみどりに確認する。例の非通知メールの事を気にして、球場内全体にみどりに意識の根を張ってもらっている。


「のーぷろ。みどりのことは、殺気や敵意だけに反応するセンサーだと思ってくれりゃあいいぜィ。だから人の多さは関係なっしんぐ」


 みどりの言葉を聞き、累もそんなことを言っていたと、真は薄幸のメガロドンの本院に潜入した際の事を思いだす。


(お前のその万能さは本当に心強いし、頼りにしている。それでも油断は禁物だけどな)


 声に出さず言葉を発する真。意識の声は、そのままみどりにも伝わっている。みどりを自分の相棒として見込んだ時から、真は雫野の術を用いてみどりと精神を繋ぎ、物理的にはどんなに離れようと互いの状態がわかるし、会話が出来るようになっている。そしてそれ以上の物も、真は得ている。


(イェア、その通りだよぉ~。力に過信ダメ、絶対。依存もよ。それで油断して美香姉死なせちゃったとかになったら、マジ最悪だしね)


 みどりの真面目な意気込みが、言葉だけではなくダイレクトに気持ちそのもので、真の心に伝わってくる。

 精神が繋がっているとはいえ、完全に何もかも相手の心が読めるというわけではないし、毎回毎回感情が相手に伝われるわけでもないが、強い感情や意志は、意図しなくても相手に伝わってしまう。雫野の妖術だけではなく、生来のみどりの読心能力も自動的に機能してしまう事もあるので、その辺が複雑だ。


 当然だが、狙われているというメールがあった事は、美香本人にも伝えてある。大事なライブを前にして、自分の命を狙う者がいるという事実を知って、精神的にブレるかどうかはさておき、本人にも知らせておかない事には、咄嗟の対応も遅れるかもしれないので、伝えないわけにはいかない。


 ライブが始まり、真っ白なTシャツにジーンズ、そして普段着ないような袖無しの黒いダウンジャケットという、いつも通り簡素な格好の美香がステージに立ち、歌い始めた。

 真もみどりも、美香の曲をちゃんと聴いていたが、ライブの空気に酔いしれてはいない。曲は一応頭の中に入っているが、その一方で警戒を怠らない。ほとんどの客が立っている中、真達三人だけが最前席で座ったまま警戒していた。


 何曲目かの時点で、みどりが反応した。それは当然真の心にも伝わっている。


「へーい、おいでなすったよぉ~。でも何かすごく殺気が小さいというか、最小限の敵意しかないよぉ……。肉食動物が殺気を抑えているよりも小さくて、わかりづらいわ」

「小さくても一応殺気があることはあるのか」


 杏を殺害した、殺気が全く無いという殺し屋の話を思い出す真。


「ふわぁ、あいつではないねぇ。この気配はさァ、もっと殺しが生活の一部になっているかのような、作業の一つみたいな感覚の持ち主というか……罪悪感の欠片も無く、全く躊躇無く誰でも殺せるようなおぞましい奴よ」


 みどりから伝わる感情に不快感が見受けられた。同時に戸惑いのようなものも。


「うっひゃあ、杏姉を殺した奴もイミフなクリーチャーだったけど、こいつも何か凄く歪な精神波を放っていやがるよぉ~。明らかにふつーじゃないねぇ」

(それを僕に伝えられないか?)


 蔵を意識し、頭の中で話しかける真。


(ちょっとこの感覚は伝えにくいわ~。例えるならあたしにアンテナがついてるとすると、そのアンテナはあたし向けだから、伝えられるものと伝えられないものがあるんよぉ~。って、動いたわ)


 みどりが球場のスタンド方面を指差した。スタンドにも客は入っているが、ほとんどの客はグラウンドに設けられた席にいる。


「あいつは……」


 双眼鏡を取りだし、みどりの指した場所にぽつりと立っている一人の男を確認する。その男の顔と名は知っていた。


「谷口陸か」


 直に御目にかかるのは初めてだが、その顔はネットで見て知っている。裏通りの生ける伝説の一人として有名だ。悪名だけなら純子にも負けていない。何しろ平然と一般人を殺してまわり、タブー指定され、警察にマークされて執拗に追われているにも関わらず、生きのびて逃げ続け、そして殺人を繰り返しているという話だ。


「これで僕は、現存する四人のタブー全て御目にかかった事になるな」


 そんな悪名高い人物が美香を狙う理由は不明だ。不明であるが、その理由を知る術はある。


(奴の心、探れるか?)

 真がみどりに問う。


(やってみるけど……ちょっと難しいかなあ。あいつ、明らかに普通の人間とは異なるおかしな精神状態の奴だわさ。そういうのって、頭の中覗くのはしんどいんだよねえ~)

(何とか頑張ってくれ。美香を狙う理由を一応知りたい)

(がってんだー。でもあまり期待しないでね)


 みどりが精神分裂体を作り、陸の心の中へと潜入させる。


 それとほぼ同じタイミングで、陸が動き出した。スタンドから降り、客でごった返すグラウンドの間に割って入る。


「つくなみかファン達が現れた。つくなみかファンが進路を妨害していて前に進めない。攻撃、ナイフ、つくなみかファン、頸動脈」


 音楽が大音量で鳴り響く中、本人以外誰にも聞こえない呟きが、その口から発せられる。いや、他にそれを聞いた者が一人いた。みどりだ。


「あちゃー、あいつ、マジでとんでもねー奴だわ」


 何をしようとしているのか察したみどりが、残虐な笑みを浮かべる。その言葉と、妙に嬉しそうなみどりの感情を訝る真だったが、次の瞬間、双眼鏡の中で大振りのナイフを振るう陸の姿を確認した。


「攻撃、ナイフ、つくなみかファン、頸動脈。攻撃、ナイフ、つくなみかファン、頸動脈」


 同じ言葉を何度も繰り返しながら、陸はナイフを振るい、進路にいる客の首を切り裂いて次々と殺害し、少しずつ前へと進んでいく。

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