第九章 15

 グエンは幹部の一人であるが、みどりの自室に訪れた事は今まで数えるほどしかない。

 みどりの自室に招かれるのは、個人的な友人であり護衛でもある、杏、バイパー、麗魅の三人だ。この三人はみどりとほぼべったりであり、入れ替わりで部屋を出入りしていた。


 しかし今、バイパーと共にみどりの部屋を訪れようとしている。

 教祖の友人である杏が刺客に殺されたことで、解放の日の前日だというのにふさぎこんでいると聞いて、何とか元気づけたいとバイパーに訴え、入室を許された。


「今思ったんだけどさー、プリンセスの次に偉いのって俺達幹部のはずなのに、部屋入る許可を、教団の人間でもないバイパーの兄貴に申し出るっておかしな話だよね」

「不安か?」


 部屋の前に着いたところで、軽口をたたくグエンだったが、バイパーは無表情のまま取り合わず、短く問いかける。

 不安であることを――そして何が不安なのかを見抜いてきたバイパーの洞察力に舌を巻き、同時に少しほっとしてしまうグエン。


 正直、不安だった。元気づけたいと申し出たくせに、弱っているみどりを見たくはないという気持ちが強くあるし、実の所どう接したらいいかも、ここまで来ていながらわからない。しかし自分はかつてみどりに助けられたのだから、今は――もし可能なら、自分が助けになりたいと思ってここに来た。


「入るぞ」


 グエンの答えを待たず、バイパーが室内に向けて声をかけ、鍵を回して扉を開けた。


「ノックしろよ」

 中にいた麗魅が軽く注意する。みどりの姿は無い。


「ちょっとお前、席外せ。こいつがみどりを励ます努力したいっていうからよ」

「告白でもするの? そうでなければあたしがいてもかまわんでしょーに」

「いや、知らねーけど、案外そうかもしれないからと思って、俺が気遣ってそう言ってやった」


 バイパーの言葉に、グエンは吹いた。


「違うって。そんなのするわけないって。いや、その気が合っても、今のタイミングではしないだろー」

 慌てて訂正するグエン。


「あんたの気遣いの方がおかしいよ。で、今みどりはトイレね」

「出たぞー。みなのものー、ひかえおろー」


 麗魅が言った直後、室内にあるトイレの扉が開いて、普段と変わらぬ様子のみどりが現れ、グエンの方を向いて歯を見せて笑ってみせる。


「プリンセス……あの、大丈夫?」


 いつも通りのみどりを見て、グエンは戸惑い気味に声をかけた。


「ふええ、慰めにきたのは嬉しいけど、慰める側がおっかなびっくりで、腫物触るような態度をモロに出すってどーかと思うぜィ? 男ならね、もっとこう『俺がこいつを支えてやるんだー、包み込んでやるんだー』という確固たる意志でもって臨まないとぉ~」


 笑顔でみどりに諭され、グエンは恥ずかしくなってうつむく。


「そのつもりだったんだけどね。何かすごく失敗しちゃった」

 頭をかくグエン。


「気にしな~い。次こういう機会があれば気を付けりゃいいよォ~」

「それは冗談のつもりで言ってるのか?」


 バイパーが突っ込む。次も何も、グエンは明日の解放の日で命を散らす予定である。そしてみどりも……


「明日までにもそういう機会があるかもしれないしさァ、そもそも明日グエンが死ぬとも限らねっスよぉ~?」


 ベッドに腰掛けて言ったみどりの台詞に、グエンは驚いて顔を上げ、みどりを見た。


「暴れるだけ暴れて死ぬ奴ばかりじゃないってことよ。直前に躊躇って辞めるのも自由さァ。その後、生き延びられるんなら、生き延びてもいいんだよ。みどりは命を使えと呼びかけたけど、絶対に死んで来いって命令してるわけじゃないんだからね?」


 卓袱台を引っくり返すような発言に、グエンは唖然とする。今までそう信じて疑っていなかったのに、何を言っているんだとすら思う。今の台詞を信者全員に聞かせたらどう思うかと、思わずにはいられない。すでにそれを信じて死んだ者も何人もいるというのに。


「へーい、グエン、あんただから言うのよ。迷っているあんただからね~。今、他の信者達に聞かせたらどう思うかとか考えたでしょ~? 皆の心は変わらないよ? 今の言葉で気持ちが揺らいじゃうってこたーね、グエンはその覚悟が足りないって事なんだよ」


 みどりに諭されて、再びうつむくグエン。


「こないだ兄貴にも否定されて、今度はブリンセスにも否定されるわけか。つーか、俺がプリンセスを慰めにきたのに、逆に説教されるとか、おかしいよね」


 自分だけが迷っていると言われた事がショックだった。同時に孤独感と劣等感に苛まれる。幹部という地位についているにも関わらず、他の信者達にはある死ぬ覚悟が、自分には無いと指摘された事が悔しかった。そしてそれが事実であるから余計に。

 元々迷いはあったが、バイパーに諭されて余計にそれは大きくなってしまった。命がけの復讐を否定されて、仲間達は死にゆくのに自分だけ助かる事を意識し、しかもそれを望みはじめている自分自身に、グエンは背徳感にも似た気持ちを抱き始めていた。


「いや、俺はやるよ」

 力を込めて、グエンは言い放つ。


「怖いし、死にたくないけど、裏切り者になりたくないからやる。幹部なんだしさ」

「グエン。あたしがあんたを幹部に据えたのは、あんたが優しくて、人から愛される性分があるからなんだよ~。ガキだけど、人の気持ちがよくわかって、仲間を大切にする奴だからね。それに、人を引っ張る力もある。そういう適正がある。エリカや伴さんも同じさ。で、みどりの人を見る目は確かだったから、あんたら三人を幹部にしたのは正解だった。幹部としての務めも今までちゃんと果たしたよぉ~。逃げたって、裏切り者とはあたしが呼ばせない。これは他の信者達も同じ。やっぱりやめますで、逃げたっていいの。みどりは全てを認めるし受け入れる。忘れちゃったァ? 全てフリーダム。したいようにしろってのが、あたしが定めた教義なんだぜィ?」

「だから……裏切り者になりたくないって気持ちがあるから、やるんだっ! その気持ちに従うのも自由なんだろ! 何で今更兄貴とみどりの二人がかりで俺だけ否定するんだよ!」


 半泣きになって喚くグエンを見て、みどりは大きく息を吐いてバイパーに目配せする。


「明日もう一度確認する。もし行く気が変わらないなら、俺も一緒に行ってやるよ」

「おいっ」


 バイパーの言葉に、麗魅が険のある声で突っ込む。

 解放の日を止める目的でここにいるのに、その手伝いをすると言い出すなど、いくらグエンに肩入れしているからといって、見過ごせる事ではない。麗魅も浪花節な人間ではあるものの、大量殺人の片棒担ぎをするという事になるのだから、見過ごせるわけがない。


 グエンの方は、バイパーの一言に興奮が冷め、泣きそうになっていた顔が落ち着きを取り戻して普通に戻る。


「ていうかプリセンスの方こそ、本当に平気なの? 今日はほとんど顔も見せなかったから、皆不安になっているよ」

「ふえぇ~。わーってるって。それも演出なんだよね~。杏姉の死をダシにするかのようで悪いけどさァ、皆をひとまず不安にさせといてェ~、んで、明日には思いっきり派手な演説一発ブチかまして、一気に不安を吹き飛ばして盛り上げてやんの。不安の奈落から悦楽の天上までマッハのエレベーターだ。あばあばばあばばばば」


 活き活きとした笑顔で、悪戯っ子が楽しそうに企みを語るかのようなみどりであったが、急にその笑顔が曇る。


「ま、本当は結構堪えてるよォ~。あたしも一応人間だわさ。あんまり顔を見せなかったのも、今日一日は喪に服したいって気持ちがあったからなの。みどりは皆の心の中に入り込みまくったけど、杏姉は逆にみどりの心の中に入ってきた人だもんよ。うん、グエンや皆にみどりがいたように、みどりにもそういう人がいたのよ」


 みどりは杏と一緒にいて、いつも感じていた。杏がみどりのことをより知りたいと、そして杏のことを知ってもらいたいと思いながら接していたことを。側にいて、ただそう思われているだけで、みどりは嬉しかったし、安堵感があった。


「昔杏姉にさァ、哀しき別れもまたよきかなとか言ったりしたけどさァ、何でかなァ、杏姉との別れはいいと思えないんだ」


(その台詞、昔俺にも言ったぞ。忘れてやがるみてーだけど)

 みどりの言葉を聞いて、苦笑するバイパー。


「殺されたっていう形もショッキングだったし、目の前にいて守る事もできなかった自分にもムカつくしね~」

「そりゃあたしも同じだよ。つーかそのムカつき加減はあたしのがずっと上だわ」


 杏と共にいた時間は自分の方が上だというニュアンスを込めて、麗魅が言う。


「ま、そんなわけで、これでもあたしはしっかり落ち込んでるってこと。バイパーや麗魅姉の前でそれを出すのはいいとして、信者達の前じゃ少なくとも弱音は吐けねーっス。グエン、わざわざここまで来たあんただけ特別に見せてあげたよ? 教祖様の弱気モードって奴をね」


 そう言って、またいつものように歯を見せて笑うみどり。想像していた落ち込み方とは全く違ったみどりの姿に、グエンは弱さよりも強さの方をみどりから感じ取り、より尊敬の念を抱くと同時に、何故か哀愁も感じた。

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