第九章 16

 いよいよ薄幸のメガロドンの信者達が待ちに待った、解放の日がやってきた。

 世間の目を欺くために前倒しで行われる事となったが、信者達はむしろこれを歓迎していた。興奮のあまり昨夜は寝られなかった者も多い。だが彼等の高揚心は徹夜であろうといささかも衰えていない。


 信者達は朝の六時に超聖堂へと集められ、教祖の登場を待った。一昨日起こった、友人の死という悲劇によって、昨日一日はほとんど姿を見せなかった彼女の事を案じ、同時に今日の一大イベントが無事開催されるかどうかを密かに危ぶんでいた。


「イェアーっ、ぐっもーにんまいらぶ狂信者の皆さんっ!」


 そんな信者達の心配を吹き飛ばすかの如く、演壇に現れるなり、壇上の上に腰を下ろして足をくんでぷらぷらとさせたみどりがの朗らかな笑顔が、背後の立体ディスプレイにアップで映し出され、同時にマイクを片手に元気いっぱいに叫んだ声が超聖堂内に響き渡り、信者全員の心が一斉に熱を帯びた。


「えっとお、これがあたしの最後の演説だから、耳糞かっぽじって、よーく聴いてねえ」


 自分の耳に向けて小指を立てて、手をぐるぐる回して中にねじり込むジェスチャーを取りながら、にかっと歯を見せて笑ってみせるみどり。


「ねね、皆はさァ、この世界の正体は何だと思う~?」


 その問いを発し、みどりは少し間を置いた。まるで信者達にその答えを考えさせて、彼等の中で答えが出るタイミングを見計るかのように。だが彼等の中で答えはすでに出ている。みどりも当然それは知っている。


「糞壺だよ? うん、何度も言ってるけどね。んで、中に詰まってるのは全てうんこー。中で蠢いている二足歩行の生き物は全て糞虫なんだ」


 屈託の無い可愛らしい笑みを湛えた少女の口から、汚い言葉がぽんぽん連発される。


「皆の中には、生きることに絶望して死を考えたことのある人も多いだろうけど――」


 そこでまた言葉を切り、みどりは眼球だけ動かして眼下に並ぶ信者達を一望した。

 彼等が絶望した理由を、ここに来た理由を、みどりを信ずるに至った理由を、世界を壊す事を決意した理由を、この言葉によって彼等の頭の中から一斉に引きだされるのが、みどりには全て見えていた。感じていた。流れ込んでいた。集まった信者達全員分の記憶が、想いが、全て。そしてみどりはそれを堪能していた。


「この世の全ては平等よ。誰もが同じ。皆やってることは同じ。自分を糞だと思うことはない。自分以外が糞なんだって思おうよ。あたし達は糞を喰らう糞虫なの。あたし達は――世の中の糞虫共は、皆糞を食って、糞を散らかして、糞を垂れあって、糞を見せ合って、糞を投げ合って、糞を食わせあって、糞をキメあって、糞壺の中で楽しんでいるだけなんよ」


 否定、否定の否定、肯定という、教科書通りの演説パターンに見えて、微妙に違う。否定されてきた者達に否定されてきた記憶を思い起こさせた後、否定してきた者達を否定するという事で平等を説く。否定される事の平等化が、彼等の存在を肯定している。彼等が崇拝する教祖が肯定している。

 言葉の選び方、間の取り方、演説の流れは全て計算されたものだ。みどりが計算したものだ。適度に間を取る事によって、みどりの言葉で沸き起こる信者達の感情が一瞬で消えてしまわないようにする。暗い感情も、暗い感情を吹き飛ばす高揚も。


 みどりは彼等の想いをまるで極上の馳走であるかのように、余さずたいらげ、味わっていた。みどりはここにいる全ての信者と心を直結させ、膨大な量の記憶と感情の起伏全て、己の頭の中に流れ込ませて、処理をしている。

 正確には亜空間にある第二の脳によって処理させている。いくらみどりとて、オリジナルの脳に何百といる信者達の記憶と感情を一斉に送りこんだら、脳の容量も精神もパンクしてしまうであろう。


「うん、だったらあたし達も楽しも? 世界という糞壺の中で、糞を弄んで楽しむ糞虫と一緒に楽しもう~。糞虫の鳴き声を喚き喚かせ、糞の詩を歌お? 糞の法律を破り、糞の法則を見せ付けてあげよ? 糞に満ちた糞ったれな人生を糞みそに謳歌しよ? んで、皆で前のめりに糞の中に倒れ込んで糞まみれになって死にまっしょー。糞壺の中で糞をかき回してかき回していっぱいかき回した後は、糞壺の中から出るために死ぬしかないの。あたし達はせっかく糞壺の中に生まれてきたんだから、壺の中にあふれた糞ほどの価値しかない糞で遊んで、楽しみまくってから死ぬんだよ」


 これまでにも演説で幾度となく唱えられ、彼等の精神にも直接語られてきた、破滅の快楽へのいざない。復讐のカタルシスへのいざない。

 だがそれは彼等にとって、大いなる自由へのいざないでもあり、彼等の復讐と破滅に、正義の証明を与えた。彼等と教祖だけの中で通じ、伝わる正義。だがそれで十分すぎる。


「糞壺の主役は、中で蠢く糞虫。あたし達自身だよ。何をやってもいいの。この世界は貴方達のために用意された遊び場。何をするも自由。楽しみまくろー!」


 歓声があがる。信者達は皆喜色満面で統一されていた。皆笑顔だった。しかし歪な笑みなど一つも無い。綺麗に輝いていた。純粋だった。

 否定されたはずの自分達の人生が、最期は肯定されて完結される。これほど素晴らしい事は無い。復讐の想いもそれが一途になれば、そして崇拝する者に全力で太鼓判を押されれば、一切の禍々しさも歪さも失い、純粋さへと昇華される。


(それは世間一般では、狂気と呼ばれるものだけどな)


 超聖堂の演壇の袖の裏で演説を聴いていた犬飼が、信者達の歓喜に満ちた表情を見回しながら思い、信者達とは異なる歪んだ笑みを零した。


(こういった純粋さほど面倒なものはないよ。みどりもそれをわかっていてわざとやっているからタチが悪いな。俺もな)


 そう思いながら犬飼はみどりの方を見る。


(言うならば、我が愛しの共犯者って所か)


 犬飼の歪な笑みが、彼が狂気と称した信者達の笑みに近いものへと変わる。


「そして最後に、一番大事な――伝えときたい言葉があるの。こいつを一番肝に銘じておいておくんなまし」


 みどりの顔から笑みが消え、声のトーンが低くなる。さらに壇上から演壇の床の上に降り、マイクを片手に持ち、目だけ動かして信者達を何度も見渡す。信者達もつられて真顔となって、教祖の次の言葉を真剣なまなざしで待つ。


「世間の奴等が皆をどんなに否定しようと、忌み嫌おうと、悪者扱いしようと、あたしだけは断じて皆の味方よ。あたしだけは絶対に最後まで皆を肯定する。皆の悔しい気持ち、辛かった気持ち、寂しかった気持ち、頭にきた気持ち、全部知ってるし、死ぬまで忘れない。みどりの心は、文字通り最後まで皆と共にあるからね!」


 割れるような歓声が、ほぼ同時に一気に沸き起こった。信者達の激しい昂ぶりが嵐の如く吹き荒れ、それをみどりの精神が全て受け止める。

 心地好い感触に、みどりはうっとりとした表情で目を閉じ、信者達に向かって自然と両手を広げていた。その光景を目にした信者達はさらに昂ぶり、しばらくの間歓声が止むことは無かった。

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