第九章 14

 予定の前倒しが決まった解放の日が、いよいよ明日にまで迫った。

 前倒しの件は当日知らされる予定であったが、それではあまりにせわしないという事で、前日に告知があった。


 信者達はひっそりと準備を進めていた。突然の前倒しであり、しかも紛れ込んだスパイに悟られないように秘密裏に準備を行わないといけないという条件のため、人によっては本来予定していた活動も大部分削る事となった。


 伴の計画もかなり狂ってしまったが、大筋は抑える事ができた。それどころかもう、計画はとっくに進行中と言ってもよい。


「お前さん、ここんとこ外に出ている事が多かったが、もう動き出しているのか?」


 本院内部に設けられたバーにて、カウンター席に腰かけた犬飼が、隣にいる伴に訊ねた。

 娯楽施設を設けているのは、みどりの指示によるものである。他にもゲーセンや体育館なども存在する。


「まあな。俺の計画は外での事前準備が必要だった。明日を楽しみにしているがいい。一大スペクタクルを見せてやる。誇張抜きで歴史に名が残るぞ」


 得意げに喋る伴。本部施設を出るのは制限されているので、何名かの信者達を引きつれて、買い物組に混じって外出していた。


「解放の日前だってのに、みどりは元気を無くしたがな」


 意気揚々とした伴を見て小さく息を吐き、犬飼は手にしたウィスキーグラスを傾ける。


「ああ、プリンセスと最も親しい人が失われたからな。決戦前に何という事件だ。これを試練などという言葉で片付けるのも陳腐ではあるが、陳腐ながらも試練として受け取り、プリンセスには乗り越えてもらうしかない」


 芝居がかった口調で語る伴に、犬飼は再び息を吐く。


「自分の理想の教祖像の押し付けをするなよ。そんなことやられても迷惑なだけだ。まあ、みどりはそれすら笑って受け止めるだろうがな」


 犬飼が珍しく真顔かつ責める口調だったので、伴はいつものように脊髄反射で反論せず、息を呑んでしまった。


「小さな頃からみどりを見てきたが、あいつが落ち込んだのを見るのは初めてだ」


 昨日杏が殺された話は、教団内にも広まっていた。それから現在に至るまで、みどりは信者達の前に姿を見せなくなった。幹部四人が押し掛けた際、いつも通り笑顔を見せてはいたものの、どこかぎこちなく、口数も明らかに少なかった。


「こんなこと言うのは何だが、みどりは人の死なんて何とも思わないんじゃないかと思っていたよ。姫島が――みどりの父親が死んだ時もさ、みどりは悲しんだ様子を見せなかった。死という離別を達観して割り切っているような、そんな奴だと思っていたのにな。雲塚に対してはそうではなかった違いが、俺にはよくわからん」

「犬飼よ。お前とて自分の価値観を押し付けているではないか」

「そうかな?」


 伴の指摘に、犬飼は照れくさそうに微笑をこぼす。


「親であるから必ず心を許せるものではない。大事だと思う者の優先順位も、必ず家族が先にくるわけでもあるまい。俺もそうだ。俺の中では血の繋がった家族よりもずっと、プリンセスやここの連中の方が大事だ。プリンセスは父上殿より、雲塚氏の方に心を開けた。それだけの話であろう」

「まあな……」


 正直、伴の言葉に納得したわけではない犬飼であったが、面倒なので同意しておく。


「お前は神様の存在を信じるか?」

 急に話題を変える犬飼。


「プリンセスみどりこそが我が神に等しい」

「そういう話をしてるんじゃないよ。創造主――管理者的なあの神様だ。実在すると思うか?」

「わからん。だが正直いてほしくないな。例え全知全能の存在がいたとして、世界をこんな形に作っているとしたら、ふざけた奴だとは思うな。運命すら操っているのなら、雲塚杏の命を奪ってプリンセスを傷つけた事が許せん。勿論、俺の人生をこんな風に設定して、苦しめ続けた事もな」


 怒気を滲ませて語る伴を見て、犬飼は何故かおかしくて微笑む。


「この世の全てを知りつくし、この世の運命の全てを作り上げているのが神様なら、お前さんの大好きなみどりだって、神様の創作物だぜ?」


 犬飼の言葉を受けて、伴は絶句する。


「実は俺は信じてるんだ。俺はね、神様ってのは作家みたいなもんだと思ってる。ひどくセンスの悪い作家。少なくとも俺より劣る、ね」


 最後の一言だけ、犬飼は微かに憎悪を込めて発した。普段あまり感情を出さずに飄々としている犬飼が、何か重大な本心を打ち明けているような気がして、伴は真顔になって話を聞き始めていた。


「だから俺は神様に反逆してみることにした。俺が綴るリアルの物語の方が、てめーよりずっと面白いんだぞって証明をさ。まあそれすらも、神様が作った代物って言われそうだが、俺はそうは思わない。キャラクターは時として作家の意思すら離れて独り歩きするものだ。今の俺もまさにそれだ」

「リアルの物語とは何のことだ?」

「俺は解放の日の乱痴気騒ぎに直接参加はしないが、全く関わってないわけでもないよ。どう関わっているかは秘密だけどな」


 伴の問いに、微笑みを湛えたまま曖昧な答えを返す犬飼。


「そこまで話を振ったのなら、明日死ぬ予定の俺に、冥途の土産として教えてくれてもいいんじゃないか?」

「謎のまま死んで来な。これは多分みどりと俺しか知らない真実だ。うん、みどりに教えたわけでもないが、あいつなら間違いなく気が付いているだろう」

「しかし意外だな。お前がそんな夢想家のような事を口にするとは」


 犬飼がどこまで本気で言っているのかはわからない。いつも意味の無い嘘をついて伴をからかっていた男だ。だが今回に限っては、かなり本心を混ぜて喋っているように伴には感じられた。


***


 真っ黒でツヤツヤと光沢を放ち、片側が斜面のように盛り上がった筐体に、幾重にも巻かれたコードで受話器と繋がったダイヤル式の電話。ここの主のレトロ趣味で、先々週より居間に置かれたものだが、いちいちダイヤルを回して番号を入力するという方式が、煩わしくて仕方がない。

 本気で嫌なら携帯電話を使えば済む話だ。何となく興味本位で使ってみたが、ダイヤル入力も面倒だし、受話器がやたらゴツくて重いしで、今後は一切使わないでいようと心に決めた。


 よくよく見ると居間の照明も蛍光灯から大きな電球に代わり、妙に古臭いデザインの平べったい電傘が取り付けられている。時計も表面がすすけて、時刻が3の倍数しか書かれていない振り子時計と、リビングの内装が中途半端に昭和化していた。


『んー、どうしたのー?』


 久しぶりに耳にする弾んだ声に、真は己の硬く冷たくなった心に温かい火が灯り、安らぎで満たされていくのを実感した。


「ちょっと声が聞きたくなった」


 柄でも無い事を――と、口にした直後に思う。


『何かあったの?』


 それを純子も察して、少し真面目な声になって問う。


「別に。何も無い」


 少し間を置いてから真が答える。何も無くは無いであろうことは純子も即座に悟ったが、それ以上は突っ込まないことにした。


「相手の心を読んで、記憶を刺激したりする能力ってどう思う? トラウマをつついたりとか、故人の幻影を見せたりとか」


 本題へと移る真。正直、純子にアドバイスを求める事に躊躇いが無かったわけではない。できるだけ自分の力だけで臨みたいという意地がある。しかし今回ばかりはそうも言っていられない。相手が相手である。


『んー、古今東西使い古されてるネタかと』

「そういうことを聞いてるんじゃなくて、そういう力を持った奴を相手にする際、どう対処すべきか、その辺の意見が聞きたいんだ」

『累君の方がその辺は詳しいと思うけれど、私に聞くってことは、累君と喧嘩でもするの?』

「はずれ。累では話にならないからお前に聞いてるんだ。頭から否定するというか、何の異能力も無い僕では勝てないと決めつけている。でもお前は、相手を完全否定するってことはしないからさ」

『なるほど~。うふふふ、何か嬉しいなー。真君に買われて頼られちゃうのって』


 実際は頼ってばかりだがなと、口にせず付け加える真。加えて言えば、真の口から直々に願いでなくても、結果として尻拭いをしてもらう事も多い。


『真君の中に何かしら案はあるのー? そうでないと私に聞いてはこないでしょ』

「相手のその力を逆に利用できたりしないかなと思って。僕の記憶を刺激しようとしても、僕の記憶を見せることで逆に躊躇わせたりできないかなと」


 今口にしたことだけではなく、それ以上の効果も期待していたが、真はそこまで触れなかった。杏の死が引き金となって、それ以上のことを思いついたのだ。


『抽象的だけど、何となくわかったよ。相手次第……かなあ。真君がいくら精神攻撃だと自覚して自分の意思を保とうと、その手の能力って心を完全に丸裸にしてくるしねえ。心を無防備状態にしてしまうから、いくら絶対に自分は精神攻撃かからなーいって言い聞かせていても、抵抗力の低い常人では危ういよお? せめて根本な部分から精神的に強くないと駄目なんじゃないかなあ。心の傷をすでに克服して、もうトラウマではないくらいにしてないとねえ』


(精神的に強くなる原因なら、つい昨日あったばかりだな。大きな傷を伴って……な)


 純子の話とは逆になっていることが真にはおかしく感じられた。


『真君はその自信あるー?』

「無い」


 間髪をいれず真は答える。


「玉砕覚悟しか無さそうだな。まあ、多分大丈夫だろ」


 自信は無いのに、何の根拠も無く多分で済ますのもおかしい話だと、口にしてから思う。


『あまりいいアドバイスしてあげられなくてごめんねー。あ、お土産に、いかにもアメリカ産の、体に悪そうな怪しいお菓子いっぱい買っていくから、楽しみにしててー』

「いや、参考になった。ありがとう。じゃあ」


 電話を切り、振り返る真。

 生首だけで鉢植えにされたせつなと赤城毅が、じっと真の方を向いている。


「俺の力が必要ですか?」


 にやりと自信ありげに微笑む毅。


「引っこんでてっ、おにーちゃんにはせつなの力こそが求められてるのヨ! さあおにーちゃん、せつなに何でも言って! せつな、おにーちゃんのためなら何だってするんだから!」


 せつなが力強い口調で言い、瞳を輝かせて真の言葉を待ったが、真は無言で二人に背を向け、リビングから出て行った。

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