第九章 13
数日前まではひたすら教団本部施設前で張り込んでいた梅津光器だが、最近は解放の日対策に追われて、安楽市警察署に戻る事や、桜田門に赴く事が多くなった。
政治屋や上層部がいくら洗脳されていようと、警察が一切何もしないで手をこまねいているわけにもいかないので、有志で横の連絡を取り合っている。
教団本部への強制捜査に踏み切る事ができなかろうと、彼等が動き出した際に全力で阻止する態勢を整えておきたい。都内各警察署の警察官の多くが賛同し、かなりの数の警察官を動員が望めそうである。
その梅津の携帯電話に、意外な人物から連絡が入った。その人物と会うために、梅津は薄幸のメガロドン教団本部の近くで待機していた。
数年ぶりに出会ったその人物は、以前と全く変わらぬ容姿だった。
「おまっ……ちょっと会わねー間に随分フケちまったなあ……」
しかし相手は梅津の姿を見るなり、無遠慮極まりない感想を口にする。
「ほっとけ。真面目に仕事している証だぜ」
「それにしたってお前、まだ四十いってなかったろ」
憮然とした顔になる梅津を見て、苦笑気味になるバイパー。実際年齢はバイパーの方が上だが、バイパーの見た目はどう見ても二十代前半だ。
「麗魅は今外しててな……ちょっとショックなことがあってよ」
「ああ、お前が打ち合わせの代役だと、さっきメールがきたよ。理由も聞いた」
目を細め、哀愁を漂わせる梅津。
「麗魅からもよく話を聞いてたぜ。あいつの親友だったんだろ。いくらあいつでも今は落ち込んでんだろうな」
「麗魅とは付き合い長いのか?」
梅津の口ぶりを聞いて何となくそんな気がして、バイパーは訊ねてみる。
「あいつが十代のガキの頃からな。筋の通った仕事しかしないし、裏通り関係で困っている表通りのモン助けたりとかして、わりと正義の味方してた奴だからな。麗魅がここに肩入れしていると聞いてちょっと不安だったが。あいつまでこの教団に毒されてんのかってよ」
「そこまで知ってる奴なのに不安になるんなら、全然信用してねーってことじゃねーかよ。ま、それはともかく」
バイパーが宙にディスプレイを投影する。
「教団内の監視カメラでの撮影で角度に難があるがな。こいつに心当たりはないか? これが杏を殺した奴だ」
「その台詞は本来警察が使うもんだがな」
ディスプレイに写っていたのは葉山だった。
梅津は一瞬目を見開いた。この反応からすると知っているようだと、バイパーは見てとる。
「裏通りの情報網でも引っかからないんだ。幾つか情報組織にあたっても駄目だった。裏通りじゃ珍しい、自分の存在を極力消して知られないようにしているタイプの殺し屋だぜ。警察の情報網ならどーかと思って聞いてみたんだがよ」
「葉山か……。こいつの仕事自体もあまり目立ったものじゃないというか、仕事の件数自体少ないせいで名が知られていないが、その手際は目を見張るものがある。どんな困難な状況でも、とんでもなくガードの固い相手でも、確実に仕留めているからな。あの銀嵐館本家の護衛すら突破したほどだ」
「銀嵐館の本家を……」
梅津の話を聞いて、バイパーは呻いた。銀嵐館は数百年の歴史を持つ護衛業の一族であり、一族以外の護衛屋の育成にも務めており、銀嵐館出身の護衛屋というだけで信用のブランドとなっている。
また、銀嵐館本家に限っては襲撃者への報復も同時に行うため、銀嵐館本家が護衛についているというだけで、迂闊に手を出せなくなってしまう。
「本家の報復も退けて返り討ちにしたって話だ。もちろんそんな話が明るみになったら銀嵐館の権威が失墜するから、ほとんど知られてねーけどな。この話を知っているのは、警察とオーマイレイプくらいだろうな」
「人の口に戸は立てられないって言葉の見本を見た気がするわ。この調子なら他に知ってる奴も多そうだ。んで、教祖が言うにはよ、どうも葉山の狙いは教祖じゃなくて、最初から杏だったらしい」
バイパーの言葉を聞いて、梅津は意外そうな顔をした。
「てっきり教祖をかばって雲塚杏が撃たれたのかと……。勝手に脳内でそう思い込んでいたが、違ったか。しかし何でそうなるんだ?」
「教祖の前で殺されて、その場面を目撃してたってよ。狙おうと思えたら教祖も狙えた。だがどう見てもはっきりと杏を狙って撃ったし、それで満足して帰っていったとよ」
実際には、みどりが葉山の頭の中を見てわかったことなのだが、それは秘密にしておく。
「教祖じゃなくて一介の情報屋を狙うために、今話題で持ちきりの薄幸のメガロドン本部に入り込むってのもすげー話だな。時間制限つきな依頼だったのか?」
「わかんねー。そもそも杏が狙われる事もイミフだわ。この世界で誰にも恨まれずに生きようなんて無茶な話だが、杏はその辺、うまくやっていたらしいぜ? 極力敵を作らなかったって麗魅が言ってたわ。そもそも情報屋同士ってライバル関係ではあるが、すぐ相互協力関係も結ぶし、命の取り合いなんて絶対にしねーもんだ。一体どの筋から殺されるほど恨まれたのか、杏と一番身近な麗魅ですら見当つかねーってよ」
「で、仇でも討つ気なのか?」
梅津に問われ、バイパーは視線を逸らして少し間を置く。今回の件では共闘する間柄となったが、バイパーは特に杏と親しかったわけでもない。みどりを通じての知人程度の仲だ。
「あいつが望むなら――機会があったら程度だな。教祖とはマブダチだったみてーだし、目の前で殺されて、かなりしょげてるしな」
とぼけた口調で言うバイパーだったが、その機会があれば、必ず然るべき報いを食らわせてやると心に決めている。みどりがあからさまに落ち込んでいる所など、バイパーは初めて見た。バイパーの中ではみどりは未だにツレであるし、そのツレを傷つけたからには極刑に値する。
***
未成年の身であるが、裏通りに堕ちてからというもの、飲酒は当然のように行っている。
だが泥酔するほど飲んだ事などこれまで一度も無かった。ほどよい程度に飲んで終わる。未成年の体での飲酒が成人より遥かに身体機能に様々な害を及ぼすので、飲むなとは言わないがアルコールを入れる際には必ずセーブするようにと、主であり師でもある人物に言われていたからだ。
だがその日の晩、彼はその言いつけを破り、浴びるように酒を飲み、前後不覚の状態となって夜の街を彷徨っていた。
「おい、殺す気かよ。いい加減にしろって」
聞き覚えのある声を耳にして、ようやく真は正気に返った。我に返った真がまず認識したのは、パンチパーマの男の首を、喉仏が砕けるほどの握力で掴んだ自分の左手と、元の顔がどうだったか原型が留めぬほどに、右手で男の顔を殴り続けている事だった。
さらに周囲には、六人ばかりのチンピラが血と歯と肉片と反吐と糞と小便を撒き散らしながら倒れている。真の記憶には一切無かったが、知らぬ間に絡まれて、十分の九殺しぐらいにしていたらしい。
「記憶が飛ぶくらい酔っぱらっても、八つ当たりして憂さ晴らしす――」
真の言葉は途中で途切れた。振り返って、麗魅の姿を確認した直後、意識が再び闇の中へと堕ちていく。
麗魅は倒れる真の体を受け止め、おぶってその場を離れた。ちなみに真が掴んでいたチンピラの方は無視され、そのままアスファルトに頭部から激突していた。
麗魅は真を安楽大将の森と呼ばれる公園へと連れていった。
ベンチに下ろして解放している最中、真は目を覚ました。
「通りがかったのは偶然か?」
このタイミングで自分の前に麗魅が現れるのもおかしく思えて、そう訊ねた。
「心配になってあんたのケータイにかけても出ないし、累に聞いたらタスマニアデビル行ったと言ってたから、店に行ったら、マスターが様子おかしかったって言ってて、その辺にいるかなーと思って探してたら、すぐ見つかった」
いつもと違い、ひどく淡々とした喋り方で答える麗魅。
(この様子だと、こいつは杏の死のショックでずっと混乱しっぱなしって感じだな。ある程度悲しみを吐き出しゃいいんだけどね)
すでに麗魅はその日のうちに、杏の亡骸の前で一度、夜寝る時にもう一度、親友の死を悲しみ嘆きつくしている。もちろん昨日の今日なので、完全に落ち着いたというわけでもない。
「杏も今のあんた見ればさぞかし喜ぶだろうね。いや、皮肉じゃなくてさ。あいつって実はそういう性格だから。自分のこと想ってこんなに悲しんでくれるなんてーってな風に」
隣で夜空を見上げる麗魅を見上げる真。何故自分の真上に麗魅の顔があるのかと訝り、ベンチの上に寝かされて膝枕されている事に、そこでようやく気が付いた。
杏の死を知ってから、すでに一日経っている。だが真は依然として気持ちの整理ができず、酒や喧嘩に走り、混乱のドツボに嵌っていた。
「僕のいない所で勝手に死ぬとかさ……。次につきあう女は、常に僕の側に置いておこうかな」
「そしたら杏以上に長生きできねーだろ。あんたは危険地帯で無茶してばっかりなんだから。杏はあんたと離れてたから、その分長生きできたんだよ」
真顔で冗談をかわしあう二人。不謹慎な冗談をあえて口にする事で、彼等なりに精神の平衡を保とうとしていた。
「明日からは、人を殺した後の欲情鎮めるのに、好きでもない女を買って抱くのを考えるとしんどいな」
ふと、以前贔屓にしていた高級娼婦留美の事を思い出す。彼女に対して真は密かに想いを寄せていたが、だからこそ心置きなく寝る事が出来た。杏も同様だ。ある程度心の通った相手でないと、加えて言えば体の相性が良い相手でないと、鎮めきれない。
そういう相手をまた売春組織で見つけて、贔屓にするまでの手間が面倒だと思い、吐息をつく。
「少しは素直に悲しんだらどうよ?」
「お互い様だろ。悲しいのとは別に事実な話をしているんだ。僕にとっては必要なもんだ」
「あんたのポコチンをここで切り落としてやりゃ、その問題も解決だね。あとさ、お互い様じゃないよ? あたしはもう散々泣いた後だもん。杏は……あたしの生涯で最高のダチだったし、相棒だと思ってた」
麗魅の口調が柔らかくなる。真の頭と脇の下を抱えて強引に引き起こし、自分の胸に真の顔を押し付ける。
「おら、あたしのおっぱい貸してやるから、今ここで悲しみをぶちまけちゃいな」
柔らかい感触と、杏とも留美とも異なる香りに包まれ、何より麗魅のその言葉によって、真の中で常に感情を表に出さぬように阻んでいる膜が、決壊した。
「う……うぅ……うう……」
裏返ったすすり声が自然と出た事と、自分がこんな声を出せるのかと、悲しみを吐き出す一方で、真の頭の中の冷静な部分が驚いていた。
「こっちは一人で泣いてたんだぜ、畜生め」
嗚咽を漏らす真の頭を片手でしっかりと抱え込み、麗魅は小声で呟いた。
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