第九章 12
薄幸のメガロドンの存在が世間に知れ渡ったのは、解放の日が発覚してからではない。それ以前から世間ではその自己本位の極みと言わんばかりの教義が、話題になっていた。
正確にはみどりが教祖となってからすぐに、世間で認知される存在となった。
それからしばらくして、先走りテロを行う者が少しずつ出始め、やがてその数と頻度が増えていく最中、解放の日の存在が明らかになった。
杏達がこの教団を訪れたのは、解放の日が知れ渡ってからほどなくしての頃だ。
それ以来、杏達はみどりにつきっきりな状態であった。
杏は主にみどりの精神的なケアに努めていたがために、みどりと共にする時間は最も長い。
解放の日の前倒し二日前――やはりみどりと杏と一緒に、教団施設本院内をぶらついていた。たとえ刺客が送られてこようと、みどりは部屋に閉じこもるという事はなく、信者達に顔を見せ、挨拶して回っていた。そうする事で信者達を安心させているのであろう。
みどりと杏が肩を並べて歩き、その後方で麗魅が目を光らせている。警戒しているのは先日の気配無き刺客の襲撃だ。
「へーい、杏姉、元気ねーな。何かあったのぉ~?」
いつもより明らかに口数の少ない杏に、みどりが声をかける。
昨夜、真より打ち明けたられた話が頭から離れず、落ち込み気味な杏であった。それ以上に混乱もしていた。
真の目的のため――他の大事な女を護ったり改心させたりするために、杏にも力を貸せと堂々と言う神経が理解できない。それとも自分の方が考え過ぎで、真は別におかしな事を言ってはいないのかとも疑ってしまう。
今まで恋愛経験が無かったおかげで、何が正しいのかわからないが、どちらが正しかろうが間違っていようが、いずれにせよ杏の心は、小さな堅い棘が深く刺さったかのような痛みを覚えている。
「なるほどー、彼氏とギクシャクか」
「ちょっと……勝手に人の心は読まないんじゃなかったの?」
顎に手をあててぽつりと呟くみどりに、杏は責めるような口調で突っ込んだ。
「ふあぁ……ごめんね。意識して読んだわけじゃないよぉ~。前も言ったけど、強い感情の時は意識して力を使わなくても、みどりの中に勝手に流こんできちゃうの」
弁解するみどりに、杏は大きく息を吐いて気持ちを静めた。
「こんな力持っているって事がバレるとさァ、ふつーの奴はみどりのことキモがって離れていくんだけどね~。でも平気な奴は平気っぽいよぉ」
「諦めモードになるって感じじゃね? それと、みどりになら何知られても多少ウザくてもいいやー的な」
麗魅が口を挟む。
「つーか杏みたいに内にいろいろ抱え込んで言い出せないタイプは、逆に自分のことを知ってもらいたい願望が人一倍強くてさ、口に出さなくても知ってもらえるから、返って都合がいいんじゃね?」
「あんたねえ……」
言いたい放題の麗魅に渋面になるも、図星をつかれているので反論もできない杏。
「具体的にどんなことでぎくしゃくしてるのか、わかったわけじゃないんよ。何か杏姉の苦しく切なく甘酸っぱい気持ちがこうね、ずごごごーんて流こんできた感じなのぉ~」
「ずごごごーんて何よ。で、真と何があったんだ?」
ニヤニヤしながら麗魅が杏に訊ねた。もう少し真剣に気遣ってくれてもよさそうなのにと杏は思ったが、麗魅の性格を考えると無理な注文である事もわかっている。
「話したくないわ。話すと麗魅がおせっかい起こして、何か余計なことを真に言いそうだし。私が内に籠りがちな性格になったのは、何かあるとすぐ暴走する麗魅のせいとも言えるのよ」
「あたしのせいにされてもなあ。まあ確かに言――」
麗魅の言葉が途中で止まり、緩んだ表情が一気に引き締まった。
最初に気が付いたのは麗魅だった。長い前髪をだらんと鼻まで隠した長身の人物。おそらくはカツラであろう。そして妙にだぶついたコートとズボン。それらの服のせいか、体型は太目に見える。しかし背丈の一致、それにわざわざ髪で顔を隠すという怪しさから、この前の襲撃者――葉山が変装しているのであろうと確信する。
後ろにいる麗魅が緊張したのを察し、みどりと杏も前方の男に注目した。
「へーい、おいでなすった。相変わらず気配の欠片も無いぜィ。ホログラフィーでも見てる感覚だよ~」
一直線に伸びた通路のはるか先――エントランスの中央。三人からはかなり離れた場所で静かに佇む、変装した葉山を前にして、みどりが不敵な笑みを浮かべながら言う。
自ら精神波で人を察知する事に慣れたみどりからすると、葉山はまるで目の前に存在していないかのように感じられてならない。
「で、相変わらず正面からかよ。舐めやがって」
コンセントを飲み、殺気と怒気と緊張が入り混じった表情で、麗魅がゆっくりと前に進み出る。
今の距離では互いに銃弾が届く位置ではない。いや、狙える距離では無いし、広間には信者が行き交っているために、銃撃戦になると不利なポジションだ。
「麗魅姉は補佐頼むわ。ここはあたしがやるよ」
片手を上げ、前に出ようとする麗魅をみどりが制する。それとは逆に、後方へと下がろうとする杏。
その直後、銃声が響いた。
「え?」
思わずきょとんとしてしまう三人。
以前と同じく、殺気は全く感じなかった。撃つ気配など微塵も無かった。実際葉山は腕を動かしたようには見えない。そもそも拳銃の有効射程からかなり離れた距離だ。狙撃銃でもあれば話は別だが。
呆気に取られた原因は他にもあった。撃たれたのはみどりでは無かった。
「杏姉……?」
みどりは刺客から目を離し、胸から血を流しながら崩れ落ちる杏に視線をやらずにはいられなかった。
杏が倒れ、同時に葉山も倒れた。否――葉山と同じくらいの背丈の、コートを着せられた人形が倒れ、それまで人形の背後に隠れていた、狙撃銃を中腰で構えた葉山が現れた。
人形はゴミ捨て場で見つけたものだ。自分のダミーとしてこの人形を使い、狙撃銃を隠すために利用できると考えた。
「やった! これで僕はもう蛆虫じゃない! ぶーん! 僕は蠅だ! ぶーんっ! 大空を自由に飛び回る蠅になったぞーっ!」
勢いよく立ち上がり、狙撃銃を握ったまま羽ばたくように両手をはためかせ、喜色満面で歓声をあげる葉山。周囲にいた信者達は突然のことに、呆然として葉山をただ見つめるだけであった。
「てめええっ!」
麗魅が怒りの咆哮をあげ、銃を片手にエントランスに向かって通路を駆ける。
「蠅となった僕に刃向うとは笑止!」
意味不明なことを叫ぶと、葉山はすぐ傍にいた信者を抱え込んで盾として、信者の脇から狙撃銃を出して撃つ。
麗魅は驚異的な視力で銃口と弾道を見定め、巧みにステップしつつ葉山へと接近する。
「人喰い蛍……」
腰を下ろし、杏を片手に抱いた格好のまま術を編み上げ、掠れた声で呪文を一言唱えるみどり。夥しい数の小さな光の点滅が、麗魅の後を追うようにして放たれる。
射程距離に入るなり、麗魅は人質が取られている事などお構いなく発砲した。
ヒューマンシールドにした人質から体がはみ出ている箇所が狙われていたのは、葉山も察していた。同時に、ヒューマンシールドの効果が低いと見るや、葉山は信者から離れて、通路からは見えない位置へと移動する。
麗魅を追い越して猛スピードで殺到する三日月状の光の点滅群は、まるでそれら一つ一つが意思を持っているかのような動きでもって、葉山に狙いを済まし、上下左右斜め様々な角度から葉山へと襲い掛かる。
避ける隙間などー無いと思われた攻撃であったにも関わらず、葉山はその細長い体をくねくねと器用に、かつ驚くべき速さでねじって、光の攻撃全てを躱しきった。やがて光は力を失って消滅する。
「無駄です! 今の僕は蠅だ! 蠅の速度にそんな程度の攻撃が通じるはずもなし!」
嬉しそうな笑顔で勝ち誇り、葉山は身を翻し、出口へと駆けていった。その後を麗魅が追う。
みどりも後を追いたかったが、いや、実際追おうと思ったが、すぐに止まる。明らかに致命傷を負った杏の側にいて最期を看取りたくて。
「杏姉……」
サングラスを落として細い目が露わになり、口から大量の血を吐きだしながら、ただみどりの顔を見つめる杏を抱きかかえ、手を強く握る。
「何も言わなくていいんだよォ? あたしさ、この忌まわしい力、超使いまくるから。杏姉の考えている事、思っている事、全部感じ取るから」
みどりの言葉に反応してか、杏の目から涙が一滴、こぼれ落ちた。
杏の心がみどりの中に流れこんでくる。みどりへの想い、麗魅への想い、自分への想い、そして何よりも強いのは、一人の少年への想い。
(真……結局あなたは私に心を全て開いてくれなかったわね。私はそれが……)
最期に一番強く思い起こされるのは真のことだった。真の中にある心の闇。杏はそれを以前から薄々感じていた。真が話した目的とやらに関係するであろう事も察せられた。
真は自らそれらに関して、語ろうとはしなかった。杏はそれが知りたかったし、もし自分が力になれることがあれば、力になりたかったが、もうそれもかなわない。
話を聞いた時には嫉妬や苛立ちでひどく嫌な気分だったというのに、今なら素直に力になりたい。共に先を見てみたいと思う。
(これ……さっき言っていた杏姉の男か……。こないだ御先祖様と一緒にいた小僧じゃん)
杏の想いがみどりに全て伝わる。杏もみどりがそれを全て読み取っていることがわかった。そしてそれらを全て知られていることに、気恥ずかしさを覚える一方で、何故かほっとしてもいた。
「生きて……」
こと切れる直前、杏の口から洩れた掠れた声は、明らかにみどりに向けて発せられたものであった。
「いくら今際の際のお願いでもさァ……」
すでに魂を失った亡骸に向かって、みどりは語りかける。
「そんなわけにはいかないよォ……。皆にあたしの考え押し付けて死地へ追いやっているのに、あたしだけ生きるなんてできないよ」
周囲に信者達が集まりだしたが、杏の頭を抱えながら半ばうなだれた格好で間近で死に顔を見つめ続けるみどりに、誰も声をかけられない。
「プリンセス、殺し屋に襲われたと聞きましたが」
幹部であるエリカは、杏が死んでうなだれているみどりを気にかけつつも、事情を聞かないわけにはいかず、声をかけた。
「もう大丈夫。その殺し屋は追っ払った。もう、来ない……」
人喰い蛍を仕掛けると同時に、みどりは精神分裂体を葉山の頭の中に潜り込ませ、相手の目的だけは知る事はできた。ついでに、教祖である自分の記憶は消しておいた。他にもいろいろとやりたいことはあったが、それ以上は葉山の心に干渉し続ける事ができなかった。
(気配を感じさせないだけじゃない。イカれた精神構造のせいで、あたしの力もうまく届かない。つーか、何より……)
何よりも、葉山の精神に触れるのがおぞましくて、みどりは葉山の中に潜った精神分裂体を引き戻してしまった。
「やっつけたのではないのですか? 追っ払ったって……」
戸惑うエリカ。殺し屋を始末しない限りは、また殺しにくるであろうに、追っ払って大丈夫というのはおかしな話だ。しかしみどりの言葉に異を挟む事もできない。
(そう、あいつはもうここには来ない。だってあいつの狙いは、杏姉だったんだもん)
確信を込めてみどりは口の中で呟いた。葉山の精神から、彼の目的が杏の殺害であったという情報だけを得る事が出来た。
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