第九章 8
その日の夜、杏は薄幸のメガロドンの施設を出て、安楽市絶好町へと向かった。
今夜はデートの予定だった。みどりの世話にばかりかまけていたのと、真からの呼び出しも無く最近は御無沙汰だったため、珍しく杏の方から声をかけていた。
真と顔をあわせるのは、バイパーとの戦いで負傷して教団施設から研究所へ帰って以来だ。そう長い時間は経っていないが、二人きりで会うのは久しぶりである。
ギプスをしている以外、いつもの真とは変わりなかった。会話はどうしても薄幸のメガロドン関連のものになってしまうが、それは仕方ない。普段とて、裏通り関連の会話が主である。共通の趣味も無いので、互いにそれ以外の話題があまり無い。
食事してホテルに行ってやることをやってと、ごく普通な夜のデート。しかし杏と真の間では食事を挟む行為自体がわりと珍しい。普段はやるだけで済ませるからだ。それもほぼ真の都合だけで。杏もそれを承知のうえで付き合っている。
真に抱かれる度に杏は思う。自分が求められるという事は、また誰かを殺してきた事を意味すると。
もう何度目の夜だろう? そして何人殺しているのだろう。誰かの命を奪い、魂に血と硝煙の臭いを漂わせ、自分に命を注ぎ込む行為を行われている事を意識する度に、杏はどうしても屈折した喜悦を覚える。
だが同時に、こうも意識するようになった。誰のために殺しているのか、と。
最初は触れあうだけで無上の悦びのみを感じていたが、次第に意識せざるをえなくなってきた。悦びの度合いが激しくなるにつれ、体が開発されていくにつれ、真への想いが募るにつれ、その意識も強くなる。
答えは彼の通り名からしてわかりきっている。そして激しい嫉妬を覚えているが、今の関係が壊れてしまうことを恐れ、口には出せずにいた、が――
「雪岡純子の下で働く理由は何なの?」
ベッドの上で下着姿のまま天井を仰いだ杏が、今まで聞きたくて聞けなかった質問をぶつける。二人の関係を終わらせてしまいそうな核地雷に思えて、決して触れなかった事に、あえて触れてみた。
「けじめ――かな。まあ、いろいろあってね」
すでに服を着て、ベッドの上に腰かけている真が答えた。答えの内容は曖昧だったが、淀みなく、何の躊躇も無く即座に答えてきた。
「やめてとお願いしたら、やめる?」
「やめないな」
さらに突っ込んだ問いに、さらに即答が返ってくる。何も考えず、相手の心情など少しも全く考慮しない即答っぷりに、杏は少しかちんときた。
「彼女のことが好きなんじゃないの?」
自分でも驚くほどの意地悪い口調で、杏の中にずっとあった疑念が口をついて出た。
「終わった仲だよ。たとえ想いがあろうとなかろうと。今僕が付き合っているのは杏だ」
ようやくここで真も杏の様子がおかしいと思い、杏を覗き込み、いつになく真剣な口調で告げる。
最後の一言が杏の心に響いた。これでこの会話はやめた方がいいと、心の中でもう一人の自分が警告していたが、それを押しのけてさらに突っ込む。
「どっちが好きなの?」
すでに真から答えを聞き出しているのに、杏は暴走を止められなかった。理性はちゃんと働いているつもりだ。にも関わらず、ムキになっている自分が、いつ爆発するかわからない地雷をいじくりまわしている。
「僕の言葉を疑われたらどうにもならないが、杏の方だよ。だからこうして触れ合っているんだ。今は杏だけ見ている」
杏にはその言葉が信じられなかった。いや、真が嘘をついているとは思っていないが、真自身も気づかない心の奥底では、本心は異なるものであろうと察していた。
今まで付き合っていても、薄々察していた。だからこそ許せない。だからこそ地雷をいじり続ける。爆発するならしてもいい。地雷そのものを自分の手で除去しておきたい。
「じゃあ、別れてと言ったら?」
「ない。けじめだと言ってるだろ。僕には三つ、目的がある。それをかなえるまでは今の立場は変わらないし、そのために杏にも協力してほしい」
「そのけじめが、目的にも含まれているってこと?」
「ああ」
頷く真。
「正直に言うけど、僕は情報屋の雲塚杏という人材とも、深く繋がっておきたい。信用できる協力者がいるってのは、物凄く心強いことだしな」
その理屈は杏にもわかる。自分と麗魅の関係が正にそうだ。
「それプラス、異常性欲処理のためにね」
これは皮肉で言ったのではない。冗談めかして言った。そのための道具でも、ただのセックスフレンドでも杏は構わないと思っていたが、真が自分の能力も必要としてくれていたことが、杏からすると嬉しかった。
それに加え、ちゃんと恋人のつもりでもいたらしい。そして何もかもうち明かしたうえで、協力を請うている。
「その性欲って後天的なものなの?」
真の殺人後の昂ぶりの話題も、杏は触れるのを避けていた代物だ。しかし今の真であれば、訊ねれば教えてくれそうな気がした。
「裏通りに堕ちる前から、時折抑えきれない性と暴力の衝動に駆られることがあった。理性や理屈で抑えきれないほどの。殺し合いをしない期間が長いと、今でもたまに起こるな。暴力だけではない。性への衝動もだ。無理矢理女を滅茶苦茶にしたい衝動に駆られる。今日もそうだよ。誰も殺してなくても、性欲は勝手に貯まっていくし」
喋りながらふと、睦月の事を思い出す真。殺人を抑えられなかった睦月の気持ちが真にはわかる。殺したくなくても、内から沸き起こる衝動を堪えきれない。睦月の場合は理由が明らかであったが、真は自分がどうしてそうできているのか、全くわからない。
「したことがあるって聞いたけど?」
「その時のことが未だに傷になっている。加害者が傷ついたなんて言うのは、笑えないけど」「止められなかったの?」
「止める気すらなかった。憎くてたまらなくてね」
憎いとはどういうことかと訝る杏。
「私は貴方の事、知らない事が多すぎる。三つの目的とやらの関わりとやらも、知らないまま協力しろっていうの?」
「まさか。ちゃんと話したうえで協力を望むよ。それには本当に、僕の全てを聞いてもらう必要があるけどな」
言いづらそうに真は言った。実際真にとって、誰かに語りたいことではなかった。自分の嫌な記憶を掘り起こす必要がある。
杏は身を起こしてベッドから降りて、服を着だす。平静を装っているが、頭の中は少々混乱気味だ。自分に協力を求める事が、真にとって大事な何かであること――ここまではいい。しかしそのけじめとやらは間違いなく、雪岡純子に関わる何かである。
「今話せること?」
「むしろ今がその絶好の機会だ。流れ的にもな。いつか話したいと思っていた」
それから真は、長い話を始めた。自分の昔話から始まり、裏通りに堕ちた理由、何故純子の元にいるかに至るまで、三つの目的とやらも交えて全て包み隠さず話した。
語りつくした頃には、相当な時間が経っていた。真はポーカフェイスを時折崩していたし、声にも力がこもっていた。思い出したくない事を述懐する箇所に差し掛かると、自然に感情が出てしまっていた。話を聞きながら、杏も真の自然な感情表現に納得してしまった。
真の話を全て聞き終えて、杏はしばらく無言だが、やがて口を開いてこう言った。
「わかりきっていた事だけれど、確認してみると辛いわね」
三つの目的の一つ目は、雪岡純子という存在を護ることだった。これは真の立場上からもわかっていた事だ。しかし真の思い出話を聞く前と聞いた後では、受け取れるニュアンスが全く違った。
二つ目は、純子を改心させてマッドサイエンティストを辞めさせるという代物だった。最初から不忠の猟犬だと真自身が何度も告げていたし、出会った時も、ゲームと称して純子と別行動を取り、ターゲットを純子より先に抑えようとしていた。越えるべき相手として認識しているのだろう。
真は純子との仲を終わった代物だと言っていたが、とてもそうは思えない。少なくとも想いは消えていない。そのうえある意味、色恋沙汰以上に強い絆がある。だが真は自分でそれに気が付いていない様子だと、杏の目には映った。
「何だよ。僕が何かおかしなこと言ったか?」
「別に私、それでもいい……嫉妬や悔しい気持ちはあるけれど、二番目だろうと、セックスフレンドだろうと、それでも失いたくない」
震え気味の声で杏。手も微かに震えている。
「だから何でそうなるんだ。そんな風に思ってはいない」
「いや、そういうことよ」
自虐的に微笑み、杏は気の抜けた声できっぱりと告げる。
「でも今の私は、あなたの気持ちもわかるのよ。あなたが雪岡純子の味方と妨害を両方兼ねているのと同じ。私達はみどりのこと守りたいし、みどりのことを止めたいと思っている。ややこしい話よね」
それが果たして同じだろうかと真は疑問に感じたが、あえて否定を口にはしなかった。杏が本気でそう思っているのであればその方が、都合がいいと思ったのだ。
(あるいは、僕に話を合わせて嘘をついている可能性もあって、本心は逆かもしれないけど)
杏が先程自分に見せた不快の念――それを目の当たりにして、真も杏に疑念を覚えはじめていた。少なくとも自分の最大の理解者にはなってくれそうにない。
現在、真にとっての最大の理解者が誰であるかは、言わずもがなだ。だがそれでも真にしてみれば、頼りたい相手である事に変わりは無い。
「どうする? 僕に協力してくれる? 嫌なら嫌ではっきり断ってくれていい。僕らの関係は変えたくないし」
「正直気は進まないんだけれど、ここまで聞いて断るのも……いや、そもそもどんな協力をすればいいの?」
「具体的にどうとは言えないよ。さっきも言っただろ。必要となった時、杏の情報屋としての力を貸して欲しいだけだからさ」
(何それ?)
それを聞いて、杏は脱力した。特に今までと変わりがない。大袈裟に話すものだから、どんなとんでもない要求があるのかと身構えていたのに。
(この子もおかしい所があるわね。アバウトなうえ、どっかズレてるし。でも……)
真が大仰に考えて、自分を特別視して同志扱いして意識してくれるのなら、「今までと変わりない」と指摘する必要は無いと杏は思い、何も言わないでおくことにした。そう意識してもらっている方が、何となく嬉しい気がして。
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