第九章 9

 みどりとの戦いに敗北した杜風幸子は、教団施設本院の一室に監禁されていた。流石に牢屋など無いので、元々ある小さな部屋を外から施錠し、幸子には容易に脱出できないように鎖で繋いであるだけだ。

 とは言ってもこの鎖が曲者のようで、脱出せんと術を行使すると、繋がれている鎖にかけられたみどりの呪術が発動し、何かよくないことが起こるらしい。鎖を切断しようとしても同様とのことだ。


 鎖自体はかなり長めで、繋がれていても個室の隣に設置されているトイレにもバスルームにも行ける。食事はもちろん、生活用品もちゃんと届けてくれる。敵である自分にいろいろと配慮してくれる時点で、みどりの性格が伺い知れる。


『雪岡純子はですねー、ベリーベリー善人であり同時にベリーベリー悪人でもあるのですよー。善と悪、優しさと残酷さが、強烈かつ極端に内包されているのでーす。ですから私も、敵でありながら友人にもなれるのでーす』


 昔、主たるシスターが自分に告げた言葉を思い出す。狂信者達を煽って世に仇を成す一方で、敵である自分を監禁しときながら、最大限の気遣いをするあの可愛らしい教祖も、それと同じ人種なのであろうか?


 ノックの音がする。ノックの仕方からしておそらくバイパーであろうと幸子は察する。ここに幸子に食事や生活用品を持ってくるのは、もしもの際に幸子に対抗出来うるであろう、バイパーと麗魅が担当している。

 鎖を切断しなくても、戦闘力に乏しい信者なら人質に取るくらいなら出来るが、この二人となれば流石にそれは無理だ。


「どうぞ」


 促され、食器を手にしたバイパーが入室する。


「どうかしたの?」


 どことなく暗い面持ちのバイパーが見てとり、声をかける。


「あ? どうもしねーよ……」


 そう返す声音からして沈んでいる。どうも感情を隠す事が苦手な男のようだ。


「あててみましょうか。グエンの件じゃない? 貴方のこと慕っていたし。そんな子がここの教義に踊らされて自殺テロする事が憂鬱なんでしょ?」

「何で俺って、ウザい便器や、おかしな事情抱えたガキばかりと遭遇するのかねえ」


 幸子の指摘に舌打ちし、視線をそらして嫌そうな顔で頭をかくバイパー。


「グエンやエリカみたいな子達の未来も奪って、地獄へと追いやる事に抵抗があるのなら、助けてあげてよ」


 皮肉るのではなく、真摯な口調で問う幸子。

 バイパーは大きく息を吐き、幸子の前に食器を置く。そして外に会話が漏れないように扉を閉め、数秒間扉の前に佇み、何やら思案していたが――


「一応……そのつもりだぜ」


 苦しげな面持ちで、バイパーは絞り出すような声で言った。


「みどりのやってる事は賛成できねーよ。でもあいつと正面切って敵対して、力づくで止める事はできねー。あいつは俺のガキの頃からのダチだし、恩人でもあるからな。間に転生挟んでるけどよ」


 そもそも正面切ってやりあって勝てる相手でも無いが、それ以上に、あからさまに敵対したいと、バイパーは思わない。現時点でもすでに裏切りに等しい行為を行っているが、それにも抵抗がある。


(相沢真は御主人様たる雪岡純子のやる事が気に入らない際は、逆らって妨害しているらしいが、いつもこんな気持ちなのか? それとも俺とは根本的に思考回路が違うのか?)


 初めて真と会った時にかわした会話を思い出す。バイパーからすれば、如何なる事情があろうと、親しい者に対して裏切り行為を働くのは心が軋む。


「やれるだけのことはやるつもりだ。みどりの思い通りにはさせねえ。いや……違うな。別にあいつが最初からこんな事を望んだわけでもねえ。どっかで何かが狂って、こうなっちまった。まあ、止めようともせずに便乗して煽っているみどりに罪が無いわけもねーが」

「具体的に何をするつもりか教えてもらえない?」


 幸子の問いに、何故かバイパーは憮然とした顔になる。


「お前ら便器っていつもそうだよな。別にお前を満足も安心も納得もさせてやる必要はねーよ」

「私はこんな立場でどうにもできないもの。安心くらいはしたいわ」

「言った所で気に食わなかったらケチつけるだけの話だろ。便器ってのはそういう生き物だ。ていうか、俺メインで動いてるわけじゃねーしな」


 警察への情報の漏えいや打ち合わせは、主に麗魅が行っている。バイパーは教団内での情報収集など、補助的なことしか行っていない。今後どうなるかは不明であるが。


「失敗したお前は、そこで最後まで待ってろよ。いい報告が来るのをよ」

「私も何か力を貸せないかしら?」


 部屋を出ようとしたバイパーに、幸子が声をかける。


「マジで言ってるのか? だとしたらどーかしてるわ」


 呆れきった様子で吐き捨てると、幸子の言葉を待たずにイパーは部屋の外へと出て扉を閉めた。


(合理的に考えれば、私をこっそり解放して味方につけた方がいいのにね。もちろん私を信用できる前提での話だけれど)


 その信用を見せる前にけんもほろろな態度で立ち去られてしまい、幸子は重い溜息をついた。


***


 伴大吉の最大の不幸は何だったのか? 周囲に恵まれなかったことか? 彼自身の反社会的な思考回路か? 彼自身のどうしょうもない不器用さと要領の悪さか?

 それら全部と結論づけてもよいが、もしかしたらそのうちのどれか一つでも無ければ、伴の人生はもう少しマシになったかもしれない。


 伴は学生時代から何もかもうまくいかなかった。高校受験の際には、突発的にひどい熱を出したせいで悲惨な結果となり希望の高校にも行けず。大学受験前には片想いの女子が妊娠して自殺した事件にショックを受けて、勉強が捗らなかったうえに、隣人が夜中に騒いで睡眠を妨げられて授業で居眠りを繰り返して、注意した教師に暴力を振るって停学になり、その事を両親や親戚に散々咎められた。部活は先輩にたてついて退部の繰り返し。

 我の強い性格がたたって、友人はおらず、たまに仲良くなりかけた者もすぐ離れていった。

 就職活動に失敗した所で鬱になり、伴は引きこもりとなった。いかなる努力も決して報われない。自己責任のケースも多々だが、ツキの悪さによる理不尽な妨害も度々入る。自分は何をやってもうまくいかないという刷り込みが成されて、とうとう彼の心を折った。


「俺は何をやっても悪い方に進んでしまう」


 口に出さずに、ある時は口に出して、何度もその言葉を呟いた。見えない何かに向かって、たっぷりと呪詛を込めて。

 そんな伴の気持ちを理解してくれる者はいなかった。子供の頃から――それこそ小さい頃から、誰もが伴に対して駄目な奴という太鼓判を押した。

 伴は辛い想いを味わいつつも、駄目な奴のままでいたくないとして必死に頑張ったつもりであったが、両親は伴がどんな結果を出しても一切褒めるという事をしない人間だった。


「九十点で満足するんじゃない。百点取れないと駄目だ」

「三位? 一位以外は価値が無いのよ?」

「へえ、トップを取れたのか。でも毎回トップでなければ駄目だ」


 常にこんな調子で、努力に対してさらに努力を煽るのみ。伴もそれに触発されて努力を怠らない一方で、人格面は歪んでいき、他者とのコミュニケーションがうまく取れない性格へとなっていった。


「人は全て俺を裏切る。ツキの悪さは必ず俺の所にやってくる。俺はこれでも必死に頑張っているんだ」

 伴がそう訴えても、結果はついてこない。誰も認めない。


「頑張りが足りない」

「貴方の考え方が悪いからこうなる」

「結果は全て自己責任だ。他人や運のせいにするな」

「うじうじして口ばかりの情けない人間だからそうなる」


 誰もが口々に己を否定する。最底辺の存在だと断ずる。


 自分の性格に問題があるのもわかっている。何でも意地を張ってしまう。我を出してしまう。そのせいで協調性が乏しく、空気に馴染もうとしない人間と見られる事が多い。実際にはわりと人に合わせることも出来るのだが、口から出る言葉がいちいち自己主張に満ちたもので、他者には否定的、懐疑的な事が多いため、忌避される。

 そしてそんな態度をどこでも崩さないがために反抗的な人間と映り、その事で叩かれ続けた結果、視線や表情も傲慢さや尊大さがにじみ出るようになってしまった。


 伴とて自分のそんな部分が好きではない、そのせいで人に嫌われ続けてきたからだ。直そうともしたが、それは無理な事だった。何故なら伴大吉という人間は、そういう風に出来ているからだ。

 性格の矯正など容易ではない。ある程度までなら変える事もできるかもしれないが、幼少時から刷り込まれ、形作られた根本的な部分は変えられない。ましてや伴の周囲には伴を叩く者しかいないので、スムーズにいくはずもない。


 一方で運の悪さに関しては納得がいかない。昔から運命の悪意を感じずにいられないほど、トラブルに巻き込まれる事が多かった。

 交通事故は四回も経験し、一度は昏睡状態になり、生死の境を彷徨った。三週間後にようやく目覚めた伴に向かって親の放った言葉は「こんな時期に事故にあうなんて、つくづくどうしょうもない奴だ」だった。新卒の就職活動の最中の出来事だった。

 新卒の内定が取れぬまま大学を卒業し、その後も就職活動は続けたが、はねられまくり。面接の際にも散々注意や皮肉や嫌味を言われ、それがまた伴の心を蝕んだ。


 やはり自分は何処に行っても、誰と会っても、必ず否定される、なじられる、罵られる、嘲られると再認識し、絶望の淵へと沈んでいった。


 引きこもりになった伴の元へ、親戚らが頻繁に訪れるようになった。励ますのではなく、罵るため、嘲るために。

 一度レールをはずれ、ドロップアウトした者にはとことん厳しい社会。世間体を気にして、同調圧力で差別する排他的な社会。弱者を切り捨て、弱者を差別して楽しむ社会。それを嫌と言うほど身を持って体感できた


 誰も彼もが己を叩くだけ。否定するだけ。弱いから、愚かだから、結果を出せないから、否定されるのは当然なのだと伴も理屈ではわかっている。

 わかっているからこそなお悔しくて仕方がなく、望みの結果が出せない己の無力さと運の無さを呪い、弱くて愚かな最底辺の人間である自分をなじる連中が憎くてたまらなかった。

 自分はついていない。ついている人間が許せない。自分に比べればついている人間の方が圧倒的に多いが、嫌でも意識してしまう。


「俺がこうしてドン底で苦しむ中で、幸せによろしくやってる奴等が沢山いる」


 部屋の中で布団の中に頭まで潜り込ませて、何度もそう呟いた。

 世の中が不公平なのはわかっているが、何故よりによって自分はこんなに下なのかと、運命を呪い、自分より恵まれている人間全てを呪った。


 悲嘆に暮れ、無為に過ごす日々が続き、このまま何も無く何者でも無く人生は終わると絶望した伴であるが、夢の中で一人の少女と出会った事により、彼の人生は激変する。

 初めは自分の気がおかしくなったのかと思った。何度も見る同じ夢。夢の中に現れる、現実では見た事も無い、みどりと名乗る美少女。現実では伴を否定する者しかいないのに、その少女は自分を肯定してくれる。

 とうとう妄想と現実が区別つかなくなって、いよいよヤバいのかと、伴は絶望した。自分を肯定してくれる脳内少女願望があったことにも絶望した。ロリコンという存在を嫌悪していたのに、実は自分もそうだったのかと。


 そのため伴は、最初はみどりを受け入れなかった。自分の頭がおかしくなったなどと認めたくなかった。ロリコンだとも認めたくなかった。

 だが、何度も何度も夢の中で会話をつづけているうちに、伴もみどりに心を開くようになり、そして夢が現実になるという奇跡が起こったその時より、伴はすっかりみどりに心酔していた。生まれて初めて、唯一、心から尊敬できる人物と巡りあえた。


 薄幸のメガロドンに入ってからも、それまでとは全く異なる世界が待っていた。

 誰も自分をけなすことはしない。見下すこともない。犬飼はよく自分をからかうし伴もムキになって応じていたが、悪意は全く無いのがわかったから安心して会話ができた。

 そのうえ幹部の地位に祭り上げられ、自分に従う人間までもができた。大勢の信者達が、武闘派の幹部として一目置いて、頼ってくれる。これほど嬉しいことは無かった。


 人生が一変して充実しだした伴。だが解放の日によって、自分の人生は幕を閉じる事となる。それを伴は心待ちにしている。是非成功させたい。人生を絶頂の状態で終わらせたいと、切に望む。

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