第七章 21

 一行が青木ヶ原の樹海へと着いたのは、雫野邸を発って四日目の夜であった。

 夜は怨霊の類の力が増幅するが、それは妖術も同じことであるし、何より伝衛悶の活動も激しくなると推測されるため、霊的磁場の強い樹海内において、伝衛悶の妖気を捉えやすい。


「はっ。何ともこれはわかりやすい」


 闇斎がある一点の方向を凝視して言う。闇斎だけではない。他の四人もそれを感じ取り、身を強張らせている。累ですら戦慄を禁じえないほどだった。


 天空へと立ちのぼる巨大な怨念の柱。木々に遮られているので、実際に目に見えているわけではない。感覚でもって全員それを感じている。継続して行われる儀式によって放たれる膨大な量の怨念。それが何を意味するか、わからないはずがない。

 怨念の元は原城で殺された一揆軍の霊であろう。あるいは、昨今の災害や飢饉で死んだ者も取り入れているかもしれない。


「怨霊は単に伝衛悶の製造のみに使われているのではなく、儀式のための触媒として使われている、か……」


 闇斎の横へと歩みより、香四郎が呟く。


「むしろそちらの方に多く費やしているのであろう。ま、現実的に考えれば、万単位の妖を産み出すなど無理がありすぎる話じゃったな。土御門殿と雫野殿の仰られたとおり、このような用いられ方であったか」


 闇斎がぽりぽりと頭をかく。


「儀式を行っているのは伝衛悶だけでありますかな? 配下に人の妖術師がいる可能性はないでしょうか」

 と、香四郎。


「ふむ。無きにしもあらずといったところか。現場で統制役がいる可能性はある。が、伝衛悶はそもそも人の霊を封じられておる故、知能も人並みであるならば、その必要性もあるまい」

 闇斎が分析する。


「残念。妖術師が統制しているのであれば、妖術師を叩けば容易いと思ったのでござるが」


 香四郎が周囲に目をやる。一向の視界には入らず、しかし五人を取りまくような形で同行していた化け猫達が、香四郎の合図に応じて一斉に姿を現した。


「うっひゃー、猫がいっぱいでてきたよ」


 目を輝かせるチヨ。そのうちの一匹に向かってかがみこみ、おいでおいでと手招きしてみせるが、全く反応しないので、苦笑して立ち上がる。


「あの時……用いた化け猫に比べて、随分と精度が高いですね……。短期間の間によくこれまで妖作りの術を伸ばしたものです……」


 最後尾を歩いていた累が、周囲を取り巻く二股の猫達を見渡しながら言った。


「雫野殿に敗れたのが悔しくてのお、必死になってこしらえもうした」


 累の方に振り返り、笑顔で香四郎。その自分を敗走させたほどの相手から称賛されたことが嬉しかった。


「猫の足でここまで一緒について来たのですか? いや、それよりも今の今まで全く妖気を感じなかったのですが」

 綾音が驚きをにじませた口調で尋ねる。


「妖気を消す術にかけては、こやつらは実に長けていております。雫野殿を尾行して住処を突き止めたのもこやつらでござる。持久力も、そこは妖へと転生させた化け猫が故」


 綾音のほうを向いて香四郎が自慢げに語る。


「こやつらに斥候させる故、皆はしばしの間、この場で待たれよ」

「そうか。ではのんびりするかの」


 闇斎が地べたに腰を下ろして胡坐をかく。チヨが真似して、闇斎の隣で同じように腰を下ろして胡坐をかいてみせた。並んだ二人が互いの方を向いて顔を見合わせる。闇斎が横に大きく口を開いて歯をみせて笑ってみせる。それを見たチヨも闇斎を真似て、にかっと歯を見せて笑い返す。


「使い魔たる猫が見たものが、草露殿にも見えるのですか?」

「うむ。というか使い魔とは大抵そういうものでござる。拙者の猫の場合は、複数いるために、めまぐるしくてかなわんが」


 尋ねる綾音に、香四郎が微笑みながら答えていたが、急にその笑みが消えた。


「これは……」

「何が見えたね?」


 張り詰めた表情になり、微かに瞳に怒気を孕んだ香四郎に向かって闇斎が問う。


「行ってみればわかります。伝衛悶の数はさほど多くはありません。見えるだけで九体といったところ」

「ふむ、一人一体以上といった所か。誰が三体引き受けますかな?」


 不敵な笑みを浮かべ、累を一瞥する闇斎。


「ぬふふふ。やっぱ一番強い人が引き受けるべきだよね~。というわけでチヨが三体面倒見てしんぜよお」

「お主は勘定に入れとらん。ちゅーか、計算があわんじゃろうが」

「ちぇっ」


 闇斎に笑顔でたしなめられ、チヨは不満げに頬をふくらませる。三体は言い過ぎだし、戦力として勘定に入れるつもりは累にも無いが、チヨが生来持つ能力を攻撃という形で利用することができれば、一体くらいは仕留められるかもしれないと思う。


「ここにいる者ならば誰であろうと……その気になれば三体までなら出来ましょう。四体ともなると、難しくなる者もでるでしょうが……」

「誰がそれに相当するかは、言わぬが華でござるな。ま、拙者でござろうが」


 冗談めかす香四郎だったが、冷静に分析してもその通りだと己でも認めている。


「よっこらせ、と。じゃー行くかの」

「どっこいしょ、と。行くかの」


 闇斎が立ち上がって先行する。その隣に真似して立ち上がったチヨが並んで歩いていたが、後ろから綾音に手を引っ張られて引き戻される。


「危ないからチヨは下がってなさい」

「ほーい」


 素直に綾音の言いつけに従い、最後尾にいる綾音の前まで下がるチヨ。


「綾音はチヨのお守りをしつつ二匹、私と星炭殿が三匹……草露殿は二匹担当しつつ、二股に伏兵の出現を警戒させて……ください」

「承知した」

「私と雫野殿が主戦力か。ほいじゃ、いっちょ気張っていこうかい」


 累の指示に香四郎が頷き、闇斎はうきうきした表情で伸びをする。

 妖気と怨念が色濃く漂う方向に向かって、一行は歩みだす。


「四体、こちらに気づいて向かってきますぞ」

 香四郎が告げる。


「まとめてかかってくるのではない、か。愚策じゃの」

 錫杖を構える闇斎。


 やがて三体の黒い化け物が一行の前に姿を現す。それぞれ体格や部分的に個体差はあるが、山羊の角と先が矢尻のように尖った尻尾は全て共通だ。背より蝙蝠の羽がついているのは一体のみだった。


「これが……伝衛悶」

「一体は後ろから回り込んでくる模様」


 唸るように呟く綾音に、香四郎が注意を促す。


「なるほど、確かに……島原の乱で命を落とした切支丹の怨念が、核にされているようですね……」


 元々わかっていたことだが、累は改めてそれを視認した。

 最初に仕掛けたのは、林の中をこっそりと背後から回りこんだ伝衛悶だった。それも宙から綾音とチヨめがけて飛び掛ってきた。


「人喰い蛍」


 綾音が短く呪文を唱えると、三日月状の小さな光の点滅が無数に出現して、綾音とチヨの周囲を覆い尽くす。

 空中にいる伝衛悶めがけて光が一斉に襲いかかる。舞い狂う光に貫かれたちまち全身を穴だらけにされた伝衛悶は、そのまま地面に落下して、体中から血を流しながらひくひくと痙攣しだした。


 前方にいる一匹の伝衛悶が口から白煙のようなものを噴出する。白煙は真っ直ぐ上に昇るのではなく、先頭にいる闇斎へと真っ直ぐ伸びていた。


「ふん。霊魂絡めの術とは、妖の分際で猪口才な」


 闇斎が鼻を鳴らす。相手の霊魂を己の霊魂で絡めとり己の内へと封ずるという、外法の一種である。対するのが霊操作の術に炊けた妖術師であれば、己の霊魂すらも危険に晒す諸刃の剣であるが、そうでなければかなり強力な術だ。


 霊魂の白煙の直撃から身をかわし、対処せんとして呪文を唱え始めた闇斎であったが、突如として鮮やかに緑色の炎が凄まじい勢いで地面より噴き上がり、白煙を包んだ。

 累の術によって発生した浄化の炎にあてられて、一瞬にして霊魂が術と怨念から解き放たれ、天へと昇っていく。術を用いた伝衛悶はゆっくりと崩れ落ちた。


「さしでがましい真似……でしたか?」

「いやあ、適材適所というものでしょう」


 累の言葉に笑顔で答えると、闇斎は他の伝衛悶へと自ら飛び込んでいく。香四郎も抜刀し、その後に続く。


「おっかあ、どこ……おっかあ……」


 が、対峙した伝衛悶を前にして、香四郎の動きが止まった。向かってくる伝衛悶の口から漏れた言葉。その意味を理解したからだ。


「拙者も未熟よの……」


 外法を用いたる者と躊躇した自分の両方に腹を立てて歯噛みし、香四郎は硬直した己の身に活を入れ、伝衛悶の胸の中心に刀を突き入れる。血を吐き出し、絶命して崩れ落ちる。肉体的な強度は人間のそれと大差無いようだ。


「向こうで会え。まだいないのなら、すぐに母親も送ってやる」


 怒りと慈しみが同居した顔で告げると、香四郎は伝衛悶の骸の前で片手をかざして拝む。

 闇斎の方も一瞬で決着をつけていた。伝衛悶の繰り出した蹴りを跳躍してかわすと同時に、予め術で力をこめた錫杖を頭部へと振り下ろす。すると打ち据えられた場所から紫電が放たれ、伝衛悶の全身を駆け巡り、激しく全身を震わせたかと思うと、やがてゆっくりとその場に倒れて痙攣しだした。


 累は二人の戦いを見て感心した。多くの妖術師は術に頼って、武を疎かにするものだが、この二人に限ってはそれがない。戦うことそのものを前提にして、妖術武術共に練り上げている。


「個別に戦えば大したことは無いが、動きが速く、何より術を用いる。二匹以上となると油断禁物といったところですかな」


 香四郎が告げたが、闇斎は返答することなく、伝衛悶の遺体に向かって神妙な顔つきで経を唱えていた。香四郎もそれに習い、改めて手をあわせて瞑目して再度拝む。二人に習って綾音とチヨも合掌していたが、累だけは目もくれずに先へと進んでいた。


 累の進んだ先に五匹の伝衛悶がいた。輪になる形で胡坐をかき、一心不乱に儀式を行っているその中心からは、怨霊の柱が天空へと伸びている。

 かなり接近しているはずなのに全く反応しないのは、単に精神集中しているだけではなく、儀式のためだけに縛り付けられているからであろうと、累は推察した。先ほどの四匹は護衛兼世話係といったところだろう。つまり戦闘の必要も無く容易く殺すことができる。


 無抵抗な伝衛悶達を黒い刃でもって、一匹ずつ背後から斬り捨てていく累。一匹殺す度に怨霊の柱が揺らぎ、不安定になっていく。

 最後の一匹が殺された瞬間、柱としての形を留めておくことができなくなり、天上へと伸びていた怨霊が一気に下降して降り注いできた。その真下にいるのは累だ。


「雫野殿!」


 儀式の場に遅れて到着した香四郎が思わず声をあげる。尋常でない数の怨霊。あれをあてられたら相当な精神力の持ち主であろうと、無事では済まない。

 だが、累の足元より先程と同じ緑の炎が噴き上がり、累自身を完全に包み込み、さらには上空へと向かって伸び、降り注ぐ怨霊を凄まじい勢いで焼き焦がし、浄化していく。


「おお……」

「すごーい」


 目の前で展開される、途方もない数の怨霊達が緑の炎に焼かれて次々と浄化され、成仏して天へと昇っていく光景に、闇斎とチヨが感嘆の声をあげた。


(雫野の術は、操霊術に対しては限りなく無敵であり、ほぼ無力化できると聞いていたが、これほどとはのう)


 妖術師呪術師の間では有名な話であったが、その威力の程を実際の目の当たりにして、闇斎は身震いすら覚えた。


「しかし思ったより数が少ない……確かに強い力が放たれていたが、これだけでは天変地異にも及ぶ災厄、引き起こせまい」

 闇斎が分析する。


「ええ。おそらくここだけではないのでしょう……。悪魔達は……島原の乱で死した怨霊を糧として、日本各地で延々と秘儀を続け、災厄を呼び寄せていると……思われます」

「ここはその一箇所に過ぎぬというわけか。こりゃまた面倒臭い話じゃのう」

「いくら儀式の場を……突き止めて潰して回っても、悪魔は次々と量産され、右衛門作の命に応じて、別の場所で厄寄せの儀式を続けるでしょう……」


 口ではそう言う累であったが、先に儀式の場を潰してまわるのも悪い策ではないと思う。伝衛悶の量産はともかくとして、儀式に用いられる怨霊の数は膨大とはいえ、限りがある。


「先に元を断つのが上策ですかな」

 と、香四郎。


「ぞろぞろと松平邸に殴りこみであるか? 穏やかではないの」

 闇斎が言ったが、累はかぶりを振った。


「正面から会いに行けば……右衛門作は応じるでしょう。あの者はきっとそれを望んでいるはずです……。我々との……いえ、私との戦いを……」


「なるほどのう。師弟対決を望み、師を超えることを望んでおるというわけか。お主を名指しで指名しておったし、失礼ではあるが、見物でござるな」


 闇斎の推測は間違いであったが、累は口にしなかった。右衛門作が累に執着する真実は、口にするのも穢らわしい代物だからだ。

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