第七章 22

「どうかなされましたかな? シェムハザ殿」


 亜空間内にて絵を描いている最中、接近してくる気配を感じ取った右衛門作が、先に声をかける。


「樹海のデーモン達が殺されたみたいだよー」


 ゆったりとした黒衣に身を包み、フードを目深に被って顔も半分隠した少女が告げる。


「この間のおじさんが来ていたみたいだねえ。次はこっちに来るんじゃないかなー。異人の子も混ざっていたようだけれど、イエスズ会の刺客かなあ」


 異人の子という言葉に反応し、右衛門作の顔に嬉しそうな笑みが広がる。


「正直興味があるねえ。私の実験材料に使ってもいいかなあ?」

「その異人の子とやらは、弟子であり師匠じゃよ。他の者はシェムハザ殿にくれてやってもいいが、その者だけには手を出してくれるでないぞ」

「んー、じゃあ他は私がもらってもいいんだねー?」


 シェムハザと呼ばれた少女が意味深な微笑をこぼす。


「いや……ようやく四郎が完成した所であるし、試してみたいでの。敵が何人かは知らぬが、余っていたら少し分けてもらえぬかの」

「いいよー。私も見てみたいしー」


 右衛門作の要望の意味を理解し、少女は微笑みながら了承した。


「まあ、実を言うと確認取る前に刺客を放ったんだけどねー」

「ほっほっ、師を見くびらんことじゃ。あ奴以上の妖術師など、ワシは未だ見たことが無い。異国の魔術師などに、そうそう引けは取らぬ」


 誇らしげに言い放つ右衛門作。


「あはは、どっちの味方してるのかなー? ていうか、刺客と言ってもデーモンみたいな、人工的な魔物だけどね。私が作った傑作を送っておいたよ」


 そう言って少女は鏡を取り出す。鏡から光があふれたかと思うと、光の先に、右衛門作の知る人物の顔が映し出された。


「ほう……これは遠方の物が見える術か」


 感心と脅威が入り混じった声をあげる右衛門作。


「私の術じゃなくて、この鏡の力なんだけどね。しかもこの鏡も昔シスターから借りた物だし。まあそれはいいとして。ここで彼等の力を見物してみようよ。これからここに来る人達なら、どれだけの力量の持ち主か、予習もできるだろうし」

「ほっほっ、師が本気で戦う姿そのものは、ワシも見たことはないでの。楽しませてもらおうかの」


 右衛門作が筆を置き、空中に映し出された師の顔の方へと体ごと向け、見物する。


「まだ始まらぬのかの?」


 いつまで経っても、五人が街道を歩いているだけの姿が延々と映し出されているだけなので、業を煮やした右衛門作が訊ねた。


「んー、まだ着くまで時間がかかるかも」


 右衛門作は画板の方に向き直り、再び筆を取った。


***


 江戸への帰路の途中、累ら一行は宿場の旅籠に泊まっていた。

 部屋では相変わらず闇斎がチヨをかまってくれているので、綾音からすれば面倒を看なくて済むので助かる。しかしだからといって、累と二人で仲睦まじくというわけにもいかなかった。累は香四郎と熱心に妖術談義などをしていたため、綾音は一人だけ取り残された形になっている。


 旅籠の二階の窓から外の景色を眺める。陽が暮れた宿場町。余所の旅籠の明かりがまだ灯っているおかげで、町そのものはほのかに明るく感じられる。

 すでに旅人達は旅籠の中へと入り、人通りはほとんど見受けられない。静かで心落ち着く風景だと感じ、綾音はしばらくの間、ただぼんやりと外を眺めていた。

 その綾音が、真っ先に異変に気が付いた。遠くの旅籠が急に異様に明るくなっている。


「火事?」

 綾音の呟きに、累と闇斎が反応した。


「異質な妖気が……」


 一行の中でも二番目に感応力の鋭い累が、それを感じ取った。自分達以外の妖術師か、さもなくば妖怪が近くにいる。


「ひどい……苦しんでる……ずっと熱いまま……」


 その累よりも優れた感応力と感受性を持つチヨが、闇斎にしがみついて震えていた。その表情は蒼白だ。


「闇斎殿、チヨをお願いします……」

「応、任されよ」


 刀を手に取った累に、闇斎が頷く。


「私は行っても構いませんね?」


 念押しでもするかのように申し出る綾音。せっかくチヨの面倒見係が闇斎に回ったのだから、自分も累と肩を並べて戦いたいという気持ちが先走って、ついそんな言葉を口にしてしまった。


「気が逸るのは……わかりますが、抑えなさい。行きますよ」

「はい」


 共に戦うことを了承され、抑えろと言われても抑えきれずに綾音の口元に笑みがこぼれる。


 累、綾音、香四郎の三人が旅籠の外に出る。強い光の源の方へと駆けていくと、やはり火事である事がわかった。町はずれの木賃宿が燃えているのが遠目にもわかる。すでに野次馬も何人か集まっているようだ。


 火事の現場に着く。建物は相当な勢いで燃えている。延焼を防ぐために、火消達による隣の木賃宿の取り壊しがすでに行われ始めている。建物が密集した宿場町において、火事は恐るべき災害だ。


(野次馬が邪魔……ですね)


 彼等の見ている前で妖術を駆使した戦いを堂々と行うというのも、累は抵抗があった。自分達はあくまで人の世の陰に巣食う存在だ。


「香四郎殿は伏兵に警戒してください」

「承知した」


 香四郎が頷き、周囲への警戒に気を回す。


「父上……」


 傍らにいる累を見下ろし、声をかける綾音。妖気は燃え盛る家屋の中から放たれている。あの中に火を放った者がいると見なし、累の判断を仰いでいた。敵が出てくるのを待つか。それとも二人して火の中へと飛び込むか。


「行きますよ。綾音」


 言うなり累は野次馬を押しのけ、俊足でもって炎の中へと飛び込んだ。それより少し遅れて、綾音も口元を押さえて宿の入り口の中へと駆け込む。


「おいっ、何やってんだ、あいつら!」

「気が狂うとるのか!?」


 突然、炎上する建物の中へと凄い勢いで飛び込んでいった二人組を見て、野次馬達は仰天して声を上げていた。


「水子囃子」


 累は走りながら呪文を唱えていた。そして家屋の中に飛び込むと同時に、術を完成させる。

 封じて持ち歩いていた水子の霊が七体、累より放出される。それらはまるで布のように薄く大きく広がり、累と綾音の周囲から火と煙を退けた。

 本来は敵を包み込んで動きを鈍らせ、あるいはそのまま圧殺する用途で用いられる術であったが、累が術を応用して用いる事も綾音は予めわかっていた。様々な状況に応じて、頭を使い、会得した術を行使するようにと、綾音は常日頃から課題としても出されていた。


「あれですか」


 炎が渦巻く家屋の中、出火の原因である事が疑いようのない存在を目の当たりにし、累は刀を構える。

 累と綾音の前にいるのは、二足で立つ、人とも蜥蜴ともつかぬ姿の妖であった。しかもその全身が炎に包まれ、口元からも呼吸の度に火が噴出している。


 妖怪とて生物である。人々の想像による口伝のような、火の妖やら霧の妖やら器物の妖など、無理のある存在だ。だがこれはその無理が現実化したような存在と、二人の目には映った。

 蜥蜴人が口を開き、累めがけて勢いよく炎を噴き出す。累は難なくかわすが、蜥蜴人はかわした累に照準を合わせて首を動かし、口から伸びる炎が累の後を追う。


「愚媚人葬」


 累への攻撃を行っている隙をついて、綾音が術を完成させる。綾音の着物の袖より、無数の朱色の花が放たれて、綾音の周囲の宙に舞い狂う。

 蜥蜴人も綾音の術に気が付いて、累から綾音に攻撃を移そうと試みたが、それよりも早く綾音の術が蜥蜴人を捕えていた。


 花がちぎれ飛び、ばらばらになった赤い花弁が蜥蜴人に次々と張り付いていく。

 蜥蜴人は花弁を払い、または燃やす。肉体的な変化は一切感じない。だが蜥蜴人はすぐに気が付いた。体についた花弁がもたらすのは、精神へと影響を及ぼす効果であることを。


 火を操る能力を持つ蜥蜴人は、同時に炎で体を内からも外からも焼かれる苦痛を味わい続けていた。その苦痛はさらに己の能力を高めるよう転化される。そういう術を施され、作られた。常に焼かれる苦しみを味わい続けながら、彼は生きていた。


 しかし花弁が体についていくにつれ、彼の中から苦痛が消えていく。心が安らいでいく。あらゆる負の感情が浄化されていくような気分に陥り、闘争心もどこかへと消え失せていく。呆けたように虚空を見上げる。

 安らぎで満たされた蜥蜴人は、自分に与えられた使命も、今が戦闘中であることも忘れていた。己に課せられた地獄のような運命に対する怒りと憎悪と悲痛の心が吹き飛び、生きながらにして天国にいるかのような、そんな気分に包まれていた。何者かに癒され、慰められ、いたわられ、想われて、心繋がったような、そんな錯覚にも陥っていた。

 完全に戦意を失い、戦っていた事自体を忘れ去った蜥蜴人を仕留めるのは、容易いことであった。口を大きく開けて呆け、目から涙を流す蜥蜴人の首を、累が一刀の元に刎ねとばした。


「実戦で使う所は初めて見ましたが、優しくも恐ろしい術ですね」


 貴女らしい……とは、心で思っても口にしない累であった。

 今の術は、綾音が現時点で唯一編み出した、オリジナルの術である。精神に作用する眩惑の効果があるが、その慈愛に満ちた術は、心に闇を持つ者ほど効果が高い。また、他者からかけられている精神作用の術や呪術の解除作用も備えている。


「触媒にヒナゲシの花が大量に必要なのが難点です」


 褒められたと受け取った綾音が、嬉しそうに照れ笑いを浮かべて言った。

 宿から出た二人は、香四朗と共に旅籠へと戻る。


「それは何ですかな?」


 何かをくるんだ布を累が手にしているのを見て、闇斎が問うた。


「見ていただきたいと思い、持ってきました。我々に放たれた刺客のようです」


 布を解き、中に入っていた蜥蜴人の首を三人に見せる累。


「妖のようであるが、これは人を変化させたものでござるな」


 妖怪製作の第一人者である香四朗が、蜥蜴人の頭部に目を落とし、顎に手を当てて言う。


「お主らがおらぬ間、チヨがずっと言っておったよ。熱い、苦しいとな。この妖には呪術の類がかけられておったのはないかの?」

 累を見る闇斎。


「右衛門作がこしらえたものとは、思えません……」

 累は即座に否定した。


「すると、右衛門作と繋がっている魔女が差し向けた魔物か。何ともはや、惨いことをする」


 蜥蜴人の首に向かって片方の掌を立て、闇斎は神妙な面持ちで経を唱えた。

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