第七章 20

 街道を歩く五人組――少女、山伏の中年、青年の侍、剣士姿の年頃の娘、頭巾で頭部を覆った少年という組み合わせは、多少なりとすれ違う旅人達の目を引いた。


 綾音は意識して累に寄り添って歩くようにしていた。闇斎や香四郎の目もあるが、気にしないことにする。せっかく一緒に旅ができるのだし、共にいられる時間が限られているのだから甘えられるうちに甘え、思い出を作っておこうと。

 歩きながら移り行く風景を目に焼きつけ、同時に隣にいる累のことを強く意識し、魂に焼きつける。


「二人旅なら……よかったですね」


 累の方も同じことを考えているのか、綾音だけに聞こえる声でぽつりと漏らす。それを聞いて綾音は累の手を取りたい衝動に駆られる。

 あとどれぐらい一緒に入られるのか、綾音には判断がつかない。累の判断次第だ。いずれにせよ、そう遠くはないとわかっている。理不尽なる追放への恐怖と怒りが綾音の心を蝕むが、どうにもできない。あの屋敷での甘美で爛れた生活に終止符が打たれ、当てのない一人旅が始まる。それを考えるだけで胸が軋む。


「今は……今の良さだけに、目を向けておきましょう……」


 綾音の心が曇ったのを速やかに察して、累が綾音の手を取り、告げた。

 互いの感情の変化はすぐにわかる。何も語らなくても、顔すら見なくても。そういう術を先日施された。

 雫野の妖術の真骨頂たる精神世界への干渉によって、累と綾音は互いの精神の一部を連結している。これは双方の合意があって初めて可能な雫野の奥義であり、離れていてもある程度互いの存在を感じ取ることができる。それだけが慰めではあるが、生身と触れ合うことはできないし、別れには違いない。


「何やら儚く見えるのう」


 少し離れた前方で手を繋いで歩く綾音と累を見て、闇斎は訝る。喜びと悲しみの両方のオーラが色濃く出ている。


「うひゃあ、ヤマカガシいた。ちょっと取ってくる!」


 闇斎の後ろを歩いていたチヨが声をあげ、街道から少し離れた場所で身をくねらせていた蛇を捕らえにいく。


「こらこら、捕まえてどーするんじゃ、そんなもん」


 蛇の頭部を素早く押さえて捕獲するみどりに、闇斎が苦笑いを向ける。


「うちではよく食べてたよぉ~。不作の時とか、もう食べられそうなもの何でも食べてたし。百足とかも頭切り落として食べてたし」

 自慢げに闇斎の前で蛇を掲げてみせるチヨ。


「ま、毒も無いし大人しい蛇だから逃がしておやり」


 闇斎が告げるが、この認識は間違いである。昔はヤマカガシには毒が無いと思われていたが、実際にはかなり強い出血毒がある。


「ちぇっ、せっかく捕まえたのにィ」


 不満げに口を尖らせ、チヨは手にした蛇を勢いよく放り投げた。


「まーた、そんな逃がし方しおって。蛇が可哀想であろう」

 チヨの頭を撫でながらたしなめる闇斎。


「チヨは百姓の子であったか」

「うん。でも不作続きだから、口減らしに売られちゃったんだー」


 あっけらかんとそう答えるチヨに、闇斎の顔が曇った。


「おじさんよりも臭い、ぶっさいくな奴に連れていかれてさ、売り物にされる所だったんだけど、オシッコ様に助けてもらったの」


 大声で喋るチヨの声はわりと離れて歩いていた累の耳にも届いていたので、何を言われるかわかってもんではないという不安に包まれる。


「がっはっはっはっ、雫野殿も意外と義の人であったか」


 闇斎が累に聞こえるように意識した声を出し、豪快に笑う。


「ふえー、疲れたよォ」


 唐突にチヨが情けない声をあげてへたりこみ、足をもみだす。


「ふむ、随分と歩いたしの。子供にはちときついか。どれ」


 闇斎がそんなチヨの前でしゃがみこみ、肩車をして立ち上がる。


「うおー、高い高い」

「疲れが取れるまで運んでやる故、今は足の力を貯めとくがよい。それよりどうじゃ、臭くなくなっただろ。あれからよーく服を洗ったのだぞ」

「いやいやいや、服じゃなくおじさんが臭いんだよ」

「んがっ」


 にべもなく告げるチヨに、闇斎は間の抜けた顔になる。


「でもだいじょーぶっ。チヨが一人前の妖術師になったら、おじさんの臭いのを治す術を編み出してあげるから」

「がはははは、そいつはいいな。是非頼む」


 無邪気に言うチヨの言葉を受けて、闇斎は心底おかしそうに笑う。


 と、そんな二人の横を、最後尾を歩いていた香四郎が歩を早めて通り過ぎ、一番前を歩いている累と綾音へと近づく。


「ふむ。話すつもりか」

 闇斎が呟く。香四郎が何をするつもりなのか、一目で看破していた。


「すまぬ、綾音殿。しばし雫野殿をお借りしてよろしいか」

「はい」


 ただならぬ雰囲気の香四郎に、綾音は不審に思いながらも累から離れ、歩を緩めて距離を取る。


「何の御用……でしょう」


 綾音と入れ替わる形で隣に横に並んだ、思いつめた表情の香四郎を見て、累は尋ねる。


「単刀直入に申し上げましょう。拙者は雫野殿と同様に、不老の身とあいなりたい」


 香四郎の言葉に、累の表情が頭巾の下で曇る。


「拙者はすでに己に限界を感じております。先日の雫野殿との戦いにて、余計痛感いたしました。人の命などもったとしても五十か六十。その間に拙者が雫野殿を越えられるはずもなし。いや……たとえ越えずとしても、歳月をかけて練り上げたる技と、積み上げた知識と経験、それらが全て老いと共に失われるという、世の法則の矛盾。拙者はこれが耐えられんのでござる」


 累には香四郎が語る道理と訴えが理解できた。同じ考えだ。時を重ねて得たものが、時を重ねたが故に限りある命によって、活かしきれないという矛盾。若さへの固執。累もその考えを持っていたからこそ、己の成長と老いを止めた。

 だが一方で、それらは他者へと受け継がせることによって、無駄にはならないとも累は思う。それを口にしても香四郎は聞き入れないだろうが。


「正直に申しあげましょう。拙者は雫野殿に嫉妬しておる。拙者の命には限りがあるが、其方には限りが無い。納得いかぬ。死は等しく訪れるからこそ、死への恐れも和らぎ、諦めもつく。誰もがいつかは死ぬと、世の絶対的な法則として、最初から諦めていられるからな。にも関わらず其方は不死の法を会得して無限に生きることが出来る。死を退けることができる者などが、まさかこの世にいるなどと!」


 次第に語気が荒くなる香四郎。


「そもそも何故人は老いて死なねばならぬ! 何故だ! 年月を経て人は多くのことを学び、己に磨きをかけられるが、同時に老いて力が衰えてしまう。せっかく磨きあげた己の力も、使いきれぬ。与えられた時間も短すぎる! 私も其方のように永劫の時間を生きて術を極めたいのです! 世の移り変わりを見て知りたい! 術師の道を極めるにはあまりに時間が足らない! 無限の命を持つお主に拙者がかなわぬのも道理! 拙者では永遠に其方にかなわぬ!」

「貴方には……無理です」


 興奮してまくしたてる香四郎に、静かに、しかしぴしゃりと累は言い放った。香四郎が自分より不老不死の術を会得したいのは明白であった。


「不老不死……我々の間では過ぎたる命とも呼ばれていますが……適正の無い者には、まさにその言葉通りの代物となります」


 累がいくら諭しても香四郎は聞きいれないであろうことは、言う前からわかってはいたが、それでも言わずにはおけない。これが真実だ。


「肉体の老いを止める……方法は幾つかあります。実はそう難き事でも……なく。されど、精神の老いを防ぐは、如何な術であれど……無理なことです」

「精神の老いと?」

「人により……大きく差はありますが、人は時と共に、体のみならず心も老いて朽ちていくもの……です。故に人は死して生まれ変わるのでしょう。転生すれば、記憶を失い、心もまっさらになりますから。転生を繰り返すことによって、魂は……成長しているようですが。真の意味で永遠の命の所持者と成りえる者は、この心の老いが無き者……。それは術でどうにかなる領分ではありません。持って生まれし魂の適正……いや、転生を繰り返してある水準まで成長した古き魂を持つ者……という説もありますが」


 累の話を後方で、闇斎と綾音も聞き耳を立てて聞いていた。綾音はすでに累より教わって知っていた話だが、闇斎からすれば非常に興味深い話であった。


「いずれにせよ、特別な者でないと……無理なのです。私や綾音はその特別……でした。チヨも……ね。だから弟子にしたのです」

「自分達は特別で、適性が無いお前には無理だと、そう仰られるか」


 香四郎が歪な笑みを浮かべる。瞳には怒気と憎悪の光すら宿っていた。


(右衛門作は否定し、この者は切に欲し……か)


 累が大きく息を吐く。その適正を累は必ずしも見抜けるわけではない。わからない人間もいる。だが、わかる場合には必ずわかる。少なくとも香四郎にそれが無いのはわかる。


「まあ……心の老いが訪れるには個人差があります故、肉体の老いを……止めれば、常よりは長生きできましょう……。それでもよければ、その術……教授しますよ」

「是非!」


 香四郎が立ち止まり、地に膝と手をついて嘆願した。

 累はこの時のことを忘れなかった。自分がこの時に断固として拒絶していれば、未来は大いに変わっていたであろう。香四郎は徒に時を永らえ、常より苦しんで死ぬこともなかったであろうと。

 ただしこの時累が拒絶していれば、彼の意志を継ぐ者もまた、現れなかったであろうが。

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