第七章 13

「綾音……綾音……」

「父上、お気を確かに」


 布団の中でうなされ、何度も自分の名を呼んで涙を流す累をゆさぶり、声をかける綾音。


 ようやく悪夢から目覚め、目を開いた累であったが、その悪夢の元であった人物が、悪夢から覚めてもそこに、悪夢の中と同じ表情で自分を心配げに見下ろしていたことに、思わず累は笑ってしまった。


「どうなされたのです。泣いたり笑ったり」


 綾音も累の反応がおかしくて、思わず笑みを零す。

 娘を愛する一方で疎ましく思っている累は、それ故に自立という理由をつけて自分の下から離すに至った。綾音といると罪悪感に捉われ、安心して心を闇に浸すことができない。


「何でも……ありませんよ」


 ぎゅっと力を込めて綾音に抱きつき、かすれるような声で言う累。

 いつものように甘えてくる、自分より見た目の幼い父に、綾音は胸に熱いものがこみあげてくる。


 一方で、自分の名を呼んでどんな悪夢を見ていたのだろうかと、気になってしまう。それを問いただす気は無いし、問いただした所で累は答えてくれないだろう。


「ここに接近する者の気配があります。鳴子代わりの術が反応しました」


 抱き返しながら告げた綾音の言葉を耳にし、まどろんでいた累の意識が一気に覚醒する。呪文を一言唱え、意識の一部を肉体の外へと飛ばして目を瞑る。分裂した精神体が上空から見た邸宅とその周辺の景色。二つの人影がすぐ門の前まで迫っている。

 そのうちの一人は見覚えがあった。草露香四郎。殺気や敵意は感じられないが心なしか緊張した面持ちだ。

 山伏の格好をしたもう一人は、初めて見る顔だ。こちらも妖術師であることを一目で見抜く。それもかなりの実力者だ。間違いなく隣にいる香四郎より実力は上であろう。その山伏姿の男がやおら累の意識の方を見上げて、微笑んでみせた。


「ほう……」

 自分の存在に気がついたことに感嘆の声を漏らす。


「お客人のようですね……。敵意は無いようなので……丁重にお迎えしなさい……」


 そう綾音に告げて迎えによこし、着物へと着替えながら累はこの二人がいかなる用で来たのか、頭をめぐらした。


 草露香四郎が共にいるという時点で、鬼辻と呼ばれる自分を討ちにきたと考えるのが普通だが、どうもそういう雰囲気には見えない。幕府お抱えの術師としての勧誘か、あるいは何かしら難題を抱えているが故に力を貸して欲しいという依頼か。

 後者のようなケースは過去にも幾度かあるし、興味が惹かれた件に関してのみだが、承諾した事も幾度かある。

 後者だとしたら、昨今の異常災害の数々にまつわる事態の打開ではないかと、累は踏んでいる。人為的な災厄の招来。何者かが大規模な呪術だか儀式だかを行って、国そのものを呪っている事を累は感じ取っていた。もしそうだとしたら断るつもりでいる。


 二人は累のいた部屋まで通された。


(よりによってこの部屋に通すとは……)


 綾音を一瞥し、小さく吐息をつく累。自分がまごついていたのが悪いのだが、部屋には累が描いた絵が沢山飾ってある。綾音の裸の絵までもが。

 二人と向かい合って正座をし、互いに自己紹介を済ます。山伏があの星炭闇斎だと聞き、累は納得すると同時に訝った。


「山奥にこのような立派な邸宅を建てるとは。いやはや。これも雫野の偉大な力の象徴ということですかな」


 愛想のよい笑顔で言う闇斎。

 山奥深くという場違いな所に建てられた武家屋敷であり、悪行を働く妖術師の住処である。わざわざ町から大工を呼んで建てさせたとは思えない。おそらくは職人の霊を用いて作った妖に作らせたか、大工を術で操ったのであろうと闇斎は推察する。あるいは職人を生きたまま妖怪に作り変えた可能性もあると。


「星炭ともあろう御方が御足労とは……如何なる御用で?」

 静かな口調で問う累。


 闇斎は累の容姿、物腰、態度、全てに面食らっていた。噂に聞く邪悪な妖術師とはとても思えぬ礼儀の正しさだ。もっと荒々しい人物を闇斎は想像していたが、正反対である。何から何まで意外性に満ちた面白い人物として、闇斎の目には映った。

 おまけに通された部屋には南蛮画が所狭しと飾られており、中には先ほどここへと通した娘の裸もある。


「大したことではないのでござるが、実はの、国が危機に瀕しておりまする」


 笑顔のまま告げる闇斎だが、目が笑っていなかった。


「それはまた……何よりです……」


 すでに闇斎の言葉が何を示しているのか察している累は、思わず笑みをこぼした。


「しかもそれが、術師によって引き起こされんとしておる」

「国全土の霊的磁場の乱れ、妖の跋扈、天変地異の数々、それらが全て人による仕業と?」


 わざととぼけて問う累。何者かによる所業だという事はわかっていた。天変地異をもたらすほどの大妖術師など、累から見ても脅威であるが、決して不可能ではない。

 累も自身の力と術を投入し、儀式を執り行い、あらゆる準備を周到に行えば出来なくも無い。幾つか手段は思いつく。だがそのためには多大な労力と犠牲が支払われるであろうし、自らの手でそこまでして世を破壊したいとまでは思わない。少なくとも現時点では。


 そのうち憎悪が募り募って、辻斬り程度では鬱憤をはらしきれなくなったら、己も実行しないとも言い切れない。だが今の累はそこまでのことを行う気力そのものがない。それよりも、刹那的に人を殺め、小娘を犯し、絵を描き、術師としての探求に力を注いでいる方が余程いい。それが現在の雫野累のそこそこに充実した日常である。


「伝衛悶という異国の妖怪は御存知か?」


 闇斎の口から発せられた言葉を耳にし、累は己の描いた南蛮画の一つに視線をやった。闇斎もそちらに目を向ける。二本のねじくれた角を生やし、口元が大きく裂け、山羊と人の合いの子のような姿をした、全身真っ黒な妖の絵。

 闇斎はこの部屋にも同じ絵があったことに多少の警戒心を抱く。あの男と繋がっているのであれば、わざわざ連れて来いなどと告げるとは思えないが。


「悪魔――デーモンと呼んだ方がしっくりきますね……」

 累が絵に目を落としたまま言った。


「あろうことかこの日の本の地で、その妖を仰山作らんとしている妖術師がおりましての。耶蘇会の隠密より聞き及んだ話でありまする。紅毛の悪しき女魔術師がこの地へと流れ着き、その妖怪をこの地に産み出さんとしていると。その女、長年に渡って耶蘇会の者と相対す間柄であるものの、討ち果たそうにも切支丹禁止令が出た昨今、容易にこの国で活動しにくくなった故に難儀しているそうでしての」

「その女が悪魔を作り、国壊しを……計っていると?」

「いえ、自ら妖を作ろうとしているわけではなく、この国のとある妖術師に、伝衛悶製造の術式を伝授して作らせようとしている模様でござる。何故自分で伝衛悶を作るのではなく、その者にさせようとしているかが謎でありますがな」


 興味深い話ではある。異国の術や妖の知識は多少あったが、触れたことはない。そしてこの話をもってくるということは、それに触れる機会も出来うるということだ。探求者たる術師としての知識欲と研究欲が疼く。


「オシッコ様ァ、お茶でーすーよー」


 と、そこにお盆に茶菓子を載せたチヨが足で襖を開けて入室してきた。

 やはりまず術などより礼儀作法を最初にみっちり教えるべきだと、累は改めて思う。自分が躾をろくにしてないと目の前の二人に思われていそうで、恥ずかしくて仕方がない。

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