第七章 12

 くたびれた甲冑に身を包み、返り血と泥に塗れた体。だがその状態が逆に落ち着く自分を感じる。

 山の中を歩き回り、落ち武者を探して回る。仲間達の姿は時折目につくが、狩るべき獲物の姿は目につかない。術を使って知覚範囲を広げてみるが、気配も感じない。


「どうやら……もういないみたいです。引き上げましょう」

「へい」


 腰から生首を幾つも下げた累が、仲間達に向かって告げた。少女にも見える美麗な顔に、乾いて固まった血と泥がへばりついている。


 累はその集団の副頭領だった。剣術の腕もさることながら、妖術の類も扱える累が副頭領であることに、異を挟む者などいない。人相の悪い薄汚い男達の中に、金髪翠眼の異人の美少年が一人混じっている様は、まさに掃き溜めに鶴だ。

 全身汚れてもなお累の美貌は際立っていた。仲間達の中にはよからぬ情念を持つ者も少なくなかったが、手出しをしたり口説き落としたりする者はいない。すでに累は集団の頭領の所有物であったし、たとえそうでなくても、恐ろしくて手出しなどできないであろう。


「いねーか」


 林を抜けた所で他の仲間達が、落ち武者狩りに向かっていた累達を待っていた。

 その中の一人――精悍な顔立ちの青年が累の方に進み出る。背はさして高くないが無駄な肉が一切無く筋骨隆々としている。後頭部で結った髪は癖っ毛だらけで背まで伸びている。その顔には見慣れた、愛嬌に満ちた笑みが浮かんでいた。


「御頭、これからどうします?」


 仲間の一人が尋ねる。ここでの戦は終わりだ。名も無き集団。彼等の大半は、元々百姓か落ち武者である。定住することもなく、戦場で刀を振るい、報酬をもらったらまた次の戦場を探して移動するか、野伏せりとして旅人や村を襲うかのどちらかだ。

 殺し、奪い、犯し、食い、騒ぎ、彷徨い、寝る。そんな生活。だがそんな毎日が、累にしてみたらこのうえなく充実していた。


 累がごく自然に御頭の側に歩み寄り、身をすり寄せる。御頭もその腰に手を回して情人の如く抱き寄せる。いや、実際そういった関係である。


「そうだなあ。ここんとこ戦も頑張ったことだし、どっかの村にでも泊めてもらおうぜ」

「そいつがいいですな」


 御頭の言葉に、仲間達が下卑た笑みを浮かべる。泊めてもらうと言っても頭を下げたり金を支払ったりして一晩の宿にありつくわけでは断じてない。村そのものを蹂躙したうえで、しばらく居つくだけだ。

 妖術師でもある御頭と累は、その息抜きの時間に術の研鑽を積む。村人達は彼等の新術制作のための実験台にもなる。余すところなく食いつくし、利用する。実に無駄が無い。


 累は御頭によって拾われ、生まれ持って備えた優れた霊感を見込まれて、妖術師としての修行を長年によって仕込まれていた。

 御頭の詳しい素性は累も知らない。興味はあったが聞くつもりも無かった。累も己の生い立ちを口にしなかったし、誰からも聞かれなかった。


 物心ついた頃、累は名だたる武家で育てられていた。育ての親が言うには、難破した貿易船の生き残りで、拾われた際の累は、幼かったが自分の名前は言えたらしい。親はそのルイという名をいたく気に入って、そのまま幼名としてあてたとのことだ。

 武士の子として厳格に育てられていたが、十歳になる目前に、戦によって領土を奪われ、累の父親も戦死し、母親や血の繋がらぬ弟達も目の前で殺され、国も家も失った。

 累はその見た目から、家族の仇である敵国の武将によって慰み物とされ、殺されることなく捕らわれた。その後性奴隷として敵国へと運ばれる道中、賊の襲撃によって解放された。それが御頭との出会いだった。


 最初は御頭も累のことを連れまわして、ただ慰み物にするだけであったが、御頭のその豪放磊落な気質に、累は次第に惹かれていった。

 御頭の方も累の才を見込んで妖術を教え、いつしか自分に懐きだした累を可愛がるようになり、野伏せりの一員として悪事を仕込んでいった。累はそれを抵抗無く受け入れ、他者を踏みにじることに何の罪悪感も覚えず、純粋な快楽として浸るようになった。


「ああ、そうだ。新しい術を教える予定だったな」


 御頭がニヤニヤと笑い、累が己の腰から下げた生首の一つをむしりとる。

 それは武士の首では無かった。近隣の村で殺した赤子の首だ。武士の首に混じってぶら下げていた理由は、別に首自慢をしたかったわけではない。これは後に術の触媒として使うために所持していたのだ。御頭から赤子の首を一つどこかで取って来いと言われ、調達しておいたのである。


「ふむ。ちゃんと言いつけ通り、苦しめて殺しておいたようだな。いい怨霊になってやがらあ」


 青白く変色した赤子の泣き顔を見下ろし、御頭が満足げに言う。


「どういう術を……教えてくれるんです……?」


 童子のようなやんちゃな笑みを広げる御頭の顔を見上げ、うっとりとした表情で尋ねる累。


「俺もまだ開発途中の術なんだがな。一応基本の型はできたからな。早速お前にも教えてやって、二人で研究しようと思ってよ。赤子ってのは人であって人でない、半分以上畜生みてーなもんだ。だからその霊も、ちと特殊でな。いろいろと呪術や妖術で応用できる幅が広そうなんだよ」


 確かに御頭の言う通り、その時教えてもらった術の基礎と、その後二人で共同して行った術の研究と製作は、様々な形で応用できて、累の役に立つことになる。何百年も先に至るまで。

 この頃が人生で絶頂の時間だった。何十人何百人殺しても、罪悪感など欠片も無かったし、心底楽しめた。何より、愛しい者と側にいて、共に楽しんでいたことが幸福だった。


「今は?」

 誰かが累に問う。いや、その声の主を累は知っている。


 累の横から御頭が消えた。そして御頭とはまた違う、累の愛しい者が目の前に立っていた。

 彼女は今にも泣きそうな哀しげな顔で累を見ていた。それが累の心に突き刺さる。初めて感じる嫌な感触。それまで無かった感触。心の痛み。罪悪感。


「何で……責めるのです……綾音……何で哀しむ……」


 累の前にて佇む少女――愛しき娘から視線を外して呻く累。

 視線を下に落として、累はぎょっとした。足元は死体で埋め尽くされていた。その中には自分の記憶にも残っている、己が殺めた者達が多く混じっていた。

 目の前の少女がゆっくりと自分に近づいてくるのを感じ、累はたじろいだ。累はその娘を恐れていた。累はその娘を疎んでいた。彼女との出会いが――いや、彼女を愛するようになってから、累の中で決定的な何かが狂ってしまった。


「綾音……それ以上……私を……責めるのはやめて……ください……綾音……」


 あからさまに脅え、懇願するかのように告げる累。綾音が自分を責めたことなど一度も無い。だが累はそう思い込んでいる。責められことを恐れている。


「綾音……私を哀れみの目で見ないで……」


 やがて累は頭を抱えてその場に蹲り、必死に綾音の顔を見まいと努める。しかし、視線を逸らし、目を閉じても、綾音の顔が消えないことに累は戦慄した。

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